本日の日誌

今日は、たいしたことはなかったのですが、所用がいろいろとあって「お仕事」に行ってきたわけですが。

ええと、昨日は福山君がラジオで結婚報告したということで、親切に発言内容の全文を載せてくれていたニュースサイトがあったので、読んでみたわけですが。まあ、全体としてはありがちな内容だった気がするわけで。で、いろんな所で報道されて、その内容が「虚実ないまぜ」である、みたいな発言があって。それが何だかちょっと引っかかったというか。だって、まあ、いろんなところがそれぞれ好き勝手なことを書くから、誇張した内容とかそういうことも多かれ少なかれあるのでしょうけれども、でも、大抵は「おめでたいムード」一色の内容であって、そういう感じではないところも、基本的には割と過去に出尽くしているような内容だった気がするわけで。今更、改めて「虚実ないまぜ」である、って言う必要があるの? とかふと思ったわけで。

で、いろんな動画を見ていたら、ふっと、誰かさんが何となく遺憾に感じているのは、だいたい一般的な報道内容が2010年頃から交際がスタートした、ということで、その後のラブソング、特に「家族になろうよ」が、結婚を意識しての歌、という様に書かれたことらしくて? ですねえ?? ということで、2009年発売の「残響」というアルバムから「東京にもあったんだ」という曲を引っ張り出してきて、「その曲をしっかり聴くように」って言われた気がするわけで。しっかり、リピートして聴かせて頂きますとも?? と思うわけですが。

だいたい、そろそろ、誰かさんもちょっとは落ち着いてきたのかな、と思うのですが。でも、ご当人は「手紙が来るまでは油断できねえ」って言って、ときどきピリピリしてるのが分かる気がするわけで。6番目の子がけっこう手を焼いている、ということで。「王はご乱心中ですねえ?」って呟いたら、「それ、是非、日記に書いて置いて下さい。」って言われた気がするわけですがーー;。7番目の子は、誰かさんが暴走したときに冷静にさせるためにハリセンを持って待機してる気がするわけで-;。昨夜、6番目の子に、「その人、何かに取り憑かれてるようにしか見えない。」って呟かれた気がするわけですが。それはきっと、「恋の病」ってものに取り憑かれてるのでは? と思ったわけですが。でも、まあ、お手紙が届きそうな気配になってきて、6番目の子が一番喜んでいてくれる気がするわけで。

で、昨夜、Twitterに書き込みがないことを指摘した日記をアップしたら、その後、宣伝の書き込みが久々にあって、「おや」と思ったわけで。こういう、いかにも「そっちのやっていることを知っている」みたいな印象を受ける事象にはある程度耐性があって、昔こういうやりとりを非常にしょっちゅう石井とやっていたわけで。私がファンクラブの掲示板に書き込みをしたり、メールを送ったりして、それに対して向こうが反応して書き込む、みたいなことはものすごくあったわけで。だから、石井が私のことを知っているということは、結局は疑っていなかったわけですし、そうやってネット上だけのちょっとヘンなやりとりを、どういう形に石井が帰着させたいのか、ということも何だか分からなくて謎に思っていたわけですが。でも、今、ここに「どういう形に帰着させたいのか」が何となく分かっている人が一人いて、かつて石井がやっていたことと何だか似通ったことをしているように見えて、確かにそういう行動は「気が付く」わけですが、でも、なんで石井の行動と似通っているんだろう? って、そう思うわけで。

でもって、テレビを見たら、またろうさんが出演していて。またろうさんは、福山君のファンの間でも人気のある方だと思いますし、米米のファンの間でも有名な方だと思うのですけれども、どちらかといえば「裏方」的な人であって、バラエティー番組とかには出ないよね、あんまり? って思ったわけで。でも、それで気が付いたわけですが、そういえばこの人は石井にも非常に近い位置にいる人であって、かつて、私と石井がどういうやりとりをしていたかを、私が思っている以上に「知る立場」にある人なんだな、ってふっと気が付いたわけで。そっかー、ネット上でどう行動すれば、兄さんが私のことを現実にも考えている、ということを「伝える」ことが、気づかせることができるのか、ということを進言出来る人が一人いたね、ってふと思ったわけで。この人はこの人で、私と石井のやりとりを良く知ってるし、蛇の兄さんも似たようなことをやれば、私が「気が付く」ということを知っている人なんだなあ、と思うわけで。またろうさんは、基本的にはこちらのお味方で、石井の動向等を直接教えてくれることができる人であるでしょうけれども、兄さんの動向も当然流すよね、向こうにね、ということで。

ということで、ふと石井がマリーザと再婚した時のことを思い出して。実のところ、この頃には相当愛想が尽きていたので、結婚が発表される前にもう「ファンやめる」みたいなことにはなってた気がするわけですが。でも、あの時、兄さんに書く予定のようなことを、あの男に言ってやっていたら、事態はどうなっていたのだろうか。私は、あの時、そう書けるほどあの男のことを好きだったのだろうか。それとも、もし好きであったとするならば、好きだった分、尚更そういうことは書けなかったのではないだろうか、とかいろいろと考えてしまって。「人が人を好きになる」というのは、本当はどういうことなのだろうか、とかふと思ってしまったのですが。でも、まあ、それはともかくとして、アナログ人間の福山君が公式Twitterを始めたのは、2014年くらいからなわけで。私がネット上にHPを構えて、神話の勉強をせっせとし始めた頃なわけで。いろんなことのヒントをそこから貰っていたわけで。誰のために始めたTwitterなのか、忘れないで欲しい、と「現実」に「目に見える」形で突きつけられた気がして。たったの数文字しか書かれていなくても、こういうことのインパクトはけっこう強くて、そこに込められた「言霊」というものは見逃さない「目の力」は持ってる気がするのですけれどもね、なんとなくね、と思ったわけなのですが。