細かいことのまとめ

本日は「お仕事」の後に式内社の「守田神社」というところを回ってきたのですが。一番古式を残していると思われるところでは、主祭神は「守達神(もりたつのかみ)」といって、諏訪神の子神であると言われているようで。で、この神サマが当地を開拓したから「守田神社」ということらしくて。で、不思議だなあ、と思うのがこういう延喜式の式内社に相当する神社は大抵複数あって、それぞれを回らないと全体が見えて来ない、ということで。で、長沼の方の守田神社には、元は「守大田」という言葉が略されたものと書かれていて。そして、かつて景行天皇の皇子が、当地に下向して開拓を行った、とされていて。それが大碓命ということで。大碓命は古事記では弟の日本武尊に殺されしまうのですが、日本書紀では蝦夷征伐の命を下されたのが嫌で美濃国に逃亡したことになっていて。で、長沼の守田神社では、大碓命が開拓を行った、ということになっているらしくて。そして、面白いことに、何の説明もなくても、七二会の守田神社にも大碓命は祀られているわけです。要するに景行天皇=建御名方富神で、大碓命=守達神で、それが大田田井の神ということで、大田田井に象徴される羌族の神が、建御名方富神の子神として纏められているのが信濃国の神話なのでしょ、と思うわけで。要するに、羌族と富の王家の人達は直接の血縁はなくても、同盟を結んだ時に、富の王家の神サマが親神、羌族の神サマを子神とすることで、「同族」となったわけで、北信濃を開拓したのは、羌族系の人達であり、それが本来の下社金刺氏の家系だったのだと思うわけですが。下社と上社は強力な姻戚関係で結ばれていますし、そもそも羌族の人達の本拠地は大和にあったわけですから、大和国と信濃国の出雲系の人々は、出雲の血も、羌族の血も引いていることが多いけれども、それ以外の地域だとそうでもないということのようで。蛇の兄さんなんかは、蛙さん達の血はあんまり引いていないということのようで。蛙さん達の側から見ると微妙に「余所者」な感じのようでーー;。で、高田の守田廼神社には、道祖神として、八衢彦神(やちまたひこのかみ)、 八衢姫神(やちまたひめのかみ)が祀られているわけで、「今なら、八衢彦神、八衢姫神って誰のことか分かるよね?」って兄さんから聞かれるわけですが。それは斐川の「八岐大蛇」の本来の名前なんじゃないの? と思うわけでーー;。本来の八坂大神と八坂刀売のことですよねえ? それ?? と思うわけで。

で、粟野神社というところに行った時に、波比祇神 (はひきのかみ)と阿須波神(あすはのかみ)という神が「幸神(こうじん)」として祀られていて、気になったわけです。阿須波神(あすはのかみ)というのは、「須波(すは)」という地名に通じる名前な気がして(というか、古事記ではこう書いて「すわ」と読むわけで)。そして、波比祇神 (はひきのかみ)というのは、名前から見て、どう見てもハバキの神(母木の神)に通じる名前な気がするのですけれども? ということで、調べて見たのですが、波比祇神 (はひきのかみ)と阿須波神(あすはのかみ)というのは古い時代に神祇官に祀られていて、竈の神サマ、とかってあるわけで。日本の民俗学というか、神話学のオソロシイところは、波比祇神 (はひきのかみ)とハバキの神(母木の神)との関連性を誰も言わないところで、これらは元々女神であって、巫も女性であって、要するにローマのウェスタ的に変更された2神でしょ、と思うわけですが、阿須波神(あすはのかみ)って? って思うわけで。で、検索していたら、大阪に「楠葉(くずは)」という地名があって、「葛井(くずい)」って神社があったでしょ、「楠葉(くずは)」の「く」を省略したのが「諏訪(すは)」って言われたわけで@@。楠って九頭竜の木なんだ? それって樟脳の元になる木では? と思ったわけで。そういや、誰かさんの歌にも「クスノキ」っていうのがあって、紅白で歌ってましたよねえ? って思ったわけで@@。諏訪の地名も元は「九頭竜」から来てるんだ、と思ったのですが。

そして、「祇園では正月に舞子にくす玉を配る習慣があるでしょ。くす玉っていうのは、誰の頭のこと?」って言われたわけで@@。ネットで調べて見ましたら、この習慣は戦後にできたということで、くす玉の中に縁起物を入れて置いて、割って楽しむという習慣らしいのですが。誰の頭を割ってんの、それ? というか、露骨に頗梨采女(はりさいじょ)に対する嫌がらせなんじゃ、それ? って思うわけで;;。祇園の頗梨采女は、竜女であって、かつ医薬の神なので、ローマのウェヌスと、八坂刀売を混ぜたような敵側の合成神だと思うのですが、八坂刀売は九頭竜も兼ねることを知っていてそういうことしてるんだろうなあ、と思うわけでーー;。しかし、その一方で、敵が造った女神であろうと、「ヴァルナ」の名前を持っている限り、こちらの力が強まれば、こちらのヴァルナの女神の名前にもすることができる、って言われるわけで。

で、諏訪には御射山という山もあって、この山の名前も独特だなあ、と思ったのですが。御射山には御射山社祭という狩りのお祭りがあるのですが、これは同時に子供のお腹が痛まないように、数えで2歳の幼児の厄除け神事があるということで。どこかで、子育ての神サマで、お腹が痛まないようにする神サマがいた気がするんだけど? とハタと気が付いたわけで。それって、八坂の大姥サマのことだし、確か八坂にも縄文の神ミサクチ神の伝承があったはず、って気が付いたわけで。石に寄りつく石神井(しゃくじい)の神サマであるミサクチ神って大姥サマのことなんだ?@@ って思ったわけで。で、ミサクチってどういう意味? って思ったわけですが、「ミサ」というのは、「MK」という子音からなるわけですし、それって「巳」っていうことだよねえ? と思うわけで。ということは、縄文の神サマは西洋的な子音の変化と同じ変化をしてるんだ? と思うわけで。「K」がつくってことは、「ミサクチ神」とは御射山の「ミサ」の神の「口」という意味で、「ミサ」の「MK」という子音は、「巳+蛙」ってことなんですよねえ? って思うわけで。それが縄文の大姥サマで、山の太母にして狩りの女神である彼女は、その腹の中に多くの狩りの獲物を隠しているし、人間が適切に敬ってくれれば、その口から獲物を吐き出して人間に与えてくれるんだ?? って思うわけで。それで言われたことは、「三本の樹」ってどういう意味? ということで。それは子音で言うと「MK」ということ、縄文の大姥サマの男性形の三輪山の大神の名前のこと。「MK」というその子音は「巳+蛙」という意味で、造られた合成神ということで。「MK」という子音の神サマは、どこで造られたのか? って聞かれるわけで。それは、おそらく古代中国の黄河流域で造られた狩りの神で、母系が優位の時代には女神であり、男系が優位の時代になると男神に変えられたもの、だと思うのですが。「巳+蛙」の女神は縄文時代に日本の国にやってきて大姥サマになった一方、西方に旅して何になった? って聞かれるわけで。それはどう見てもメヒト女神@@、ということで。大姥サマと、古代エジプトの獅子頭女神は、本気で同じ神なんだ@@、って分かったわけなのですが。そして、古代の日本は母系社会ですから、「MK」の神は「女神」であったはずで。そして、記紀神話では、「大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。」ということで、海の向こうからやってきた、男神の「MK」の神が三輪山の大神であり、それは敵が作り上げたミトラスのことでしょうが@@ ってやっと気が付いたわけで。従兄弟が僭称しているのは「大姥サマの名前」って言われるわけですが@@。それでは、神官長家のモレヤの神は? って思いましたら、その子音は「MBD」なわけで。その名前はウガリットの死神モートと同じ名前だよ@@、って気が付いたわけで。縄文の神々は、西方世界の神々と同じ名前、同じ性質を持っており、本当に「同じ神」なんだ@@、ってみんな知ってるんだ、そういうことを? って思うわけで。モートの名前は「巳+黽+蛇」ということで、でも意味としては、御射山の女神とほぼ同じ神だと思うわけで。縄文の目に近い目を持つ女神を擁する神官長家は、地元っ子の女神は可愛がって、わざわざ兎の串刺しなんかこれみよがしに作って待っていたけれども、自分に対しては超がつくくらい慇懃無礼って蛇の兄さんに言われるわけでーー;。蛙の人たちとの縁が強いところでは、兄さんに対する扱いがどうも微妙だよねえ? とは思うわけですが;;。

それにしても、「THE MUSIC DAY」を今日見た限りでは、「キャラオケランキング」で尾崎豊の「I LOVE YOU」が出た瞬間に、NEWSの小山君がはっきり分かるように目の力を使ってくれていたわけで。冷や汗が出るようなシーンがあといくつあるんだろう? って思うわけですがーー;。結局、現在のところ、祇園の八坂の神サマは「医薬の神」としての性質が非常に強いので、蛇の兄さんは単独では八坂大神の名前を奪還できず、しかも牛頭天皇と習合しているのは大国主命ではなくて須佐之男なので。須佐之男の子に、それなりの力があれば、彼なら単独で八坂の主神になれる、ということで。蛇の兄さんは、そういう点で、「2番目の子が妬ましい」ってはっきり言ってくるわけですがーー;。でも、その人、単独で「医薬の神」の地位を手に入れられないようじゃダメじゃん、って個人的には思うわけでーー;。なんか、そのお鉢が私のところに回ってきている気がするわけですが、私だって「医薬の神サマ」になるよりも、医者やってお金儲けした方がいいと思う現代っ子なんですけど? って思うわけで;;。「医薬の神」を奪取した頗梨采女が、祇園の主神の座を諏訪神に渡したのを面白くないと思っている人達も「いないわけではない」ということのようでーー;。私と張り合って「医薬の神」の名を奪取できる程度の気概を見せてよ、1番目も2番目の現役の臨床医でしょうがーーー、って思うわけですが。おかげで、蛇の兄さんは、妻神を通して祇園の主神としての力を行使できるということで、「奥さんが賢い人で良かったね」って言われる、って言われるわけですが@@。数を数え間違えるような女神なんですけどね;、明日はそういうことのないように頑張らねば、と思うわけですが。水内郡の延喜式の9社の制覇もあと少し、ということで。(そして信濃町に行くのであれば、富濃の諏訪社に行くべきでしょ。そこは「富の野」って意味でしょ? って言われるわけですが。)明日もまた一応戦いなわけです。

女王サマな一日

昨夜は、何か「敵の荼枳尼を狩れ」みたいな感じの夢を見て。で、目が覚めたら、「信頼されている夫の福○○治です」って言ってくる人がいて。で、梁とか桁をこうしたら、って教えてくれるわけで。で、伊豆毛神社に行った時に、私の気がどこかの大社の本殿にも飛んで、首座を喰いきった、って言われたわけで。で、なんかそこに居着いた蛙さんは、SMの女王サマの格好をして鞭で神職をしばいてる、って言われるわけで@@。なんじゃ、そりゃ、って思うわけで。なんでそうなるのさ?; って思うわけですが、要するに神職と神サマとの縁は良くも悪くも強いので、神官長家に結縁すると縄文の女神の気が強まるように、神職が神サマに対して持っているイメージはそのまま神サマがとる姿にも影響を与える、って言われるわけで。そこんちは守護神もヘンだけど神職もヘンって言われるわけで@@。要するにそこんちの神職が須世理毘売命に持っているイメージって「SMの女王サマ」なんだ? って思うわけですが;;。

で、「お仕事」に出かけたわけで、いろいろと作業していたわけですが、ふと「千と千尋の神隠し」を思い出して。主人公の名前は「荻野千尋」というわけですが、「荻野」というのは地名のことで、「千尋」というのは諏訪大社下社にある池のことですので、「荻野の八坂刀売」のことなんだよねえ、それ? って思うわけで。本当の名前を奪われて、こき使われていた千尋ですが、「本当の名前を取り戻せ」ってまた言われるわけで。八坂刀売とアナーヒター・イナンナ・メヒトまでたどり着いて、まだ何かあるの? って思うわけで。

で、早めに「お仕事」が終わったので、氷鉇斗賣神社と更級斗女神社に行ってきたわけで。で、この二社は延喜式に載っている氷鉇斗賣神社に比定される神社なわけですが、そもそも氷飽という地名は、氷川と同様「日河野」という地名から発していて、「氷」の呪いがかけられていると思うわけです。かつては日河の竜女である八坂刀売の神域があったので、「日河野」という地名が残されているのだと思うわけで。それで行く気になったわけですが、更級斗女神社に面白い立て札が立っていて。更級というのはそのあたりの地名なわけですが、「斗女」というのは、「富部」とか「戸部」という言葉とほぼ同じ意味で、地名がそのように変遷してきているって書いてあったわけで。八坂刀売が女神であることから、私は「刀売(とめ)」というのは「乙女」という意味で、八坂刀売というのは「ヴァルナの乙女」とかそういう意味なんだろうな、と思っていたわけですが。でも、それは同時に、「富」という意味でもあるんだ? ということは、「富の王家」というのは「刀売の王家」ということで、出雲の王家は八坂刀売の王家なんだ? って始めて思ったわけで。そうしたら、「おめでとう、その意味に気が付いたなら、あなたが富の王家の統領です。」って言われたわけで@@。どういうこと? って思いましたら、そもそも富の王家は、女王の卑弥呼の例のように、母系の「女王」を立てる王家であって、「王」は女王を補佐するためのものでしょうが、って言われるわけで@@。で、「一族の血を引く中で、一番力が強くて賢い子が統領に選ばれるんだよ。」って言われるわけで@@。そして、「当代の女王は、富の王家と、デーヴァの王家と、羌族の王家の3つの王家の血を引くから特別」って言われたわけで@@。その3つの王家の力がそれぞれちゃんと発現していれば、敵の力を強力に封印するデーヴァの力も持っているはず、って言われるわけで@@。要するに、出雲の真の祖神は、女神である八坂刀売の方であって、現人神である生きた神も「女神」なんだ? って思うわけで。「あなたが出雲の女王です。」って言われても、Sの女王サマの方じゃないよね? って思うわけでーー;。

そして、「千と千尋の神隠し」で、黄泉の国から戻ってくる千尋は、黄泉の国の物は何一つ持ち出さないわけですが、でも、銭婆から貰った「髪止め」だけはそのまま持ってきてしまうわけで。「髪留め」が「神止め」に通じる言葉で、それが敵の力を封印する力に通じるということで、真に取り戻して欲しかったのは「富」という言葉の意味と、その名の神が持っている敵を封印する×十字の力だったんだな、と気が付いて。須佐之男が八岐大蛇を退治するときに、クシナダヒメを櫛に変えて、髪に挿したでしょ、それも「髪留め」ということ、って言われるわけで。須佐之男はその「神を封印する力」を使って、邪神を倒したということで。大姥サマの鎌を月型の髪留めに変えたことにもみんな意味があるんだ? と思うわけですが。そして、「富の王家が何故「王家」となり得たのか。それは、強力な×十字の力で、敵対する者の力を封印して倒すことができたから。」って言われるわけで。そして、帰りに某スーパーで買い物をして、雑誌のコーナーに行ったら、光一君が表紙の雑誌があって、「これでやっと自分自身を取り戻した。」って言われたわけですが。

そして、家に帰ってきて「THE MUSIC DAY」の見ていない分の録画を見たわけですが、坂崎茂が流しをしている街が「武蔵小山」だし、ZARDの「きっと忘れない」は2番目の子のお歌だし、二宮君の企画は蛙の合唱だし、どこを見ても蛙まみれで、言いたいことは非常に分かりやすいと思うわけですが、そういうのを見る度に凍り付いてしまって、本当に「氷川の乙女」なってしまいそう;、って思わず呟くと兄さんなんかは大ウケしているわけですがーー;。さすが、名プロデューサーとして名高いだけあって、松本君が絡む企画はプレゼン性が非常に高いというか、分かりやすいとは思うのですが;。見る度にドキドキとはしてしまうわけです。(そしてPUFFYの二人からは「なんだかんだ言って、神の羽根を持って生まれたのが運の尽き。未来を読める人なんて、いくらでもいるんだから、誰がどこで生まれるのかなんて、知るのは簡単なこと。」って言われたわけなのですが。)

天忍日命

福山君が10代限定のライブをやるということで、ちょっと前から福山君のところのHPに10代の頃の福山君の写真が掲載されているわけです。(当人曰く、中学の卒業式の写真ということで。そして、今回は会場がZepp東京ということで、名前はともかく、「いろいろ試すにはいい箱だよね。」って言って貰って、誰かさんは密かに嬉しいらしいのですが。)

で、昨日、まだ見ていない分の「HE MUSIC DAY」の録画をちょっと見たわけです。そうしたらHOUND DOGが出ていて、「ff (フォルティシモ)」を歌ったのですが、これは蛇の兄さんのお歌です、って言って熱唱してくれて。大友さんも年をとったな、という感じでしたが、とても嬉しそうに唄っていたので、ほろっとしてしまって。しかも、この曲は1985年の曲で、30年も前の曲なので、そんなに昔から兄さんの方は私のことを知っていて、お歌を送ってくれてたんだな、と思ったら坊主頭の若かりし頃の福山君の写真を思い出して、さらにほろっとしてしまって。(もっとももっと若い人達から見れば、「生まれる前から知っていたような」私らしいのですが。そりゃそうだ、って言うか松本君や翔君が生まれた時には私はもう中学生だったわけですがーー;。)

で、今日ふっと「大伴氏の祖神は誰?」って聞かれたので、家に帰ってきてから調べてみましたら、天忍日命(あめのおしひのみこと)ってありまして。それが康平ちゃんだから、って言われるわけで@@。大友さんは、世襲の神サマだから羽根はないけど、大伴氏の神サマで、しかも「康平ちゃん」って呼ばれたい人だ、って言われるわけで。そっかー、大友さんもずっと応援してくれていた人なんですね、って思うわけで。

で、昨夜は1995年の「笑っていいとも」で、福山君がゲストで出演している動画を発見したので、見て見たのですが、丁度「Message」の発売前後なので、10月前後の映像らしくて。一部は見た記憶があるのですが、一部はなかったりして。で、この頃ってお昼は家で食べてなかったはず? って思っていたら、「総集編を見たんじゃないの?」って言われたわけで。日曜日の拡大版か年末の総集編で見たのですかねえ? って思ったわけで。「やっぱりちょっとでも見た奴はどこかで覚えてるんだねえ。」って言われたわけですが。福山君て、今でも痩せている筋肉マッチョですが、若かりし頃はもっとすごい細いし@@、って思ったわけで。しかも、朝の6時とか7時まで飲んでる、とか言っていて、今だったら「うわばみ(蛇の人)」って言いたかったんだろうな、と思うわけですが、昔はそんなこと考えたこともなかったよ;、と思うわけで。

そして、出雲風土記には出て来ない「八岐大蛇」の神話ですが、きっとこれも後付けで敵が造った神話であって、「八岐大蛇」とは、斐川の川の神であって元々は「八」のつく竜神であったものが、悪い神サマに変えられてしまっているのだと思うわけです。そして、斐川というのは、本来「日川」と言ったし、埼玉の「氷川」も本来は「日川」といったのが、わざと「氷」の川に書き換えられているんだな、と気が付いたわけで。須佐之男の妻神である櫛名田比売も本来は日川の女神だったと思うのですが。でも、そうすると、須佐之男の妻神も太陽女神ということになりますし、蛇神系の八坂売刀も太陽女神ということになってしまうけれども、いいの? って思うわけで。そうしたら、「一妻多夫なんだからいいの」って言われたわけで@@。そうやって、豊穣の太陽女神を「アナと雪の女王」みたいなものに変えようとする呪いは昔からずっとやっていたようなのですが。どうりで、大宮の氷川神社って居心地が良かった気がするのですが、名前がおかしな名前でも昔の神々の名残はどこかに残っていたんだな、と思ったわけです。そして、武蔵国造家は裏切り者って言われるわけですが、国造家の名字はなんだっけ? って調べてみましたら、「笠原」ってあったわけで。それってどっかのお寺の住職の名前@@、ってはたと気が付くわけで。それは決して偶然ではなくて、「氷川神社」の名前をつけた武蔵国造家の一門の人がわざわざ選ばれているんだ? って思ったわけで。みんな、いろんなところで、偶然ではなくて繋がっているようで@@。

いろいろと

内容の濃い1週間だったわけですが。ええと、夏至には蛇の兄さん以外の「お婿さん達」にもご挨拶のお手紙を出すのがお約束、ということで。で、人によってとっととお手紙が欲しい人に、少しくらい遅くなってもいいから、あれこれ見てからお手紙が欲しいって言ってくれる人とかいるわけで。私の方も、ともかく今忙しい時期ですので、ごく短いお手紙を、早く欲しい人達にまず2通書いて出させて頂いたわけです。

で、5番目の子は、遅くなってもいいから、某おじゃマップを見てから感想を書いて送ってって言ってるって言われて。7番目の子は、少しくらい遅くなってもいいよって言ってくれたので、次の週に送ることにして。で、おじゃマップのスペシャルもちょっとずつ見始めたわけですが、なにせ一日に1分くらいしか見る暇がなくて;。で、北陸新幹線の特集ということで、長野から始まっているわけで、門前町のお店で出演者がいろいろと食べているわけで。門前町には食べてはいけなさそうな食べ物が一杯売っているわけですが、でも、そこで働いている人達には割とお味方の名前が多いわけで。で、おじゃマップを3分くらい見てから、弥栄神社のこととかに気が付いたわけですから、きっとそういう人達と結縁するために来てくれたんだな、と思うわけで。霊験あらたかな香取の神のおかげで、祇園に間に合うように参拝に行けたよ、と思うわけで。きっと、今日あたりはお天王下ろしで、来週がお祭りなんじゃないか、と思うのですが。そして、ふと自分の地元のお祭りを思い出して。なんで、八坂社もなければ、須佐之男も祀っていない神社で、「八坂大神」という旗を立てて、祇園祭をやるの? って思うわけで。(しかもそこの神社の御神輿は六角形だし、お祭りの時に神社の扉を開ける時には、日章旗を×十字に組んでいるわけで。)それって、原始キリスト教系のお祭り? ってふと気が付くわけで。この地を離れる時になって、始めて自分の足下で何が起こっているのかに気が付くわけで。これもいろんなことに気が付けたから? と思うわけで。で、いろんなところに行ったけれども、近くに経津主神を祀る手頃な神社がありませんねえ?; って思うわけで。石上神宮の布留主とは、本来布留川の精霊神だと思うわけですが、そもそも「布留主」というのは縄文系の川の神で「古主」というのが正しいのではないか、と思い始めたわけで。山の太母山姥は「大姥サマ」、昔からある古い川の主は「布留主」って単純明快な名前であるのが縄文系の神さまの特徴であって、それも「真名」の習慣に則って、本来の名前を隠しているのかもしれませんが。で、近場の文献をいろいろと調べていましたら、布津主を祀っている神社を見つけたので、近いうちに行かなきゃな、と思ったのですが。

で、おとといのお昼過ぎくらいに、4番目の子が、ハートマークを一杯飛ばして「お手紙が届いた」ってわざわざ言ってきてくれたわけで。そんな汚い字の短いお手紙を喜んでくれて、どうもありがとう、って思ったわけですが。で、昨日は6番目の子も「手紙は届いてる」って言ってくれていたわけで。

そして、いろんな人から言われることなのですが、人類というのは長い間雑食性の猿であったわけで、農耕や牧畜が始まり、「神」というものを敬うようになり、文明というものを持つようになって、始めて他の「動物」とは違う「人間」になった、って言われるわけで。それ以前は、猫科の動物と同じように「狩りをする動物」であったのだし、かつ同族を捕まえて食べる習慣が根強いので、自分の子供に対しては愛情深い猫が、狩りの獲物をなぶり殺すことを楽しくてたまらないように、狩りをする動物の本能がとても強いので、今でも「人を殺してはならない」という「取り決め」がなされれば、それは頭では理解できるけれども、何故それをしてはならないのか、ということが本能で理解できもしなければ、納得もできない人は大勢いる、って言われるわけで@@。蛙の目の人達は、そういう動物的な本能からいち早く抜け出して、文明というものを築き上げたけれども、全ての人類がそのようになるには更に長い時間をかけた進化が必要って言われるわけで。蛙の人たちの女神は、農耕や司法や各種技術といった文明の豊穣の女神であって、人殺しなんてとんでもない、と思う女神なわけですが、それ故に狩猟民の本能が強く残っている人達から見れば「狩りの獲物」にしか見えない、ということで。それで、お味方は仲間で協力し合って、自分達の身を守ってきたわけですが。でも、その一方で文明が西方に伝われば、各地に蛙の太陽女神を真似た神々が誕生するわけで、で、しかも狩猟民の神は蛙を狩る「蛇」の神サマなわけで。で、そういう人達の中にも、みんなで協力して助け合って行こう、という考えが興って、いろんな模索が行われた中で誕生したのが「大習合主義」のヒッタイトであって。で、ヒッタイトの太陽女神は各地・各民族の「女神」を集めて一つにしたものだから、蛙の女神から、蛇の女神までいろいろといるわけで。そもそも、蛇女神を擁する人達から見れば、蛙の神サマは「獲物」に過ぎないので、狩る側と狩られる側が習合しているような奇妙な形態を為しているわけで。それでも、人はそうすることで、いわゆる「人間らしい」人になろうと努力を重ねてきたって言われるわけで。で、歌番組とか見ていると、特に蛙の目の人達からは、「各地の蛇女神の名前を貰えるだけの目を持っているのはけっこうなことだけれども、自分が本当は蛙の太陽女神だってことを忘れないで。」って言われるわけで;。結局、それが一番矛盾していて困ることだと思うわけですが、きっと私が羌族の力の弱い蛙の目しか持っていなかったら、お味方はそれでもできるだけのことをして守ってくれただろう、と思うわけです。でも、そうでなければ、特に狩猟民の人達が求める、気性の激しい蛇女神に通じる「目」を持っていれば、そういう人達も血縁を頼って、自分達の「太母」を取り戻したいと思うであろうし、その代わりに強力に助けてくれようとしてくれるわけで。そのご要望に応えるには、ただの「蛙の女神」でだけではいられないわけで。ちょっと前に、「なんで人を殺してはいけないのか?」って聞かれたわけです。で、まあ、私は基本的にはハンムラビ法典の信奉者ですので、人の命は互いに対等であるのだから、人を殺す人は自分が殺されても文句言えないし、それが嫌であれば他人の命も奪ってはならない、と思うわけで。で、その次に「なんで人を殺して食ってはいけないのか?」って聞かれたので、「感染症が怖いから。」って言ったら、「人間味のカケラもない返事」って突っ込まれたわけでーー;。だって、世の中には死んだ人を親戚一同で食べちゃうのが正式なお葬式だと思ってる人達もいるんだし、誰でも納得できるような客観的な答えが必要でしょうがーーー、と思ったわけで;。そして、見直している時間がないのでうろ覚えなのですが、確か福山君が「COVERS」の後編で夏菜ちゃんに向かって、「天城越え」を唄って欲しい、って言っていて、で「さわやかな人にアクセントとして女の情念みたいな唄を唄って欲しい」みたいなことを言っていたな、と思い出して。人に横取りされるくらいなら、好きな人を殺したい、ってそういう歌ですよねえ、それ? っていうか、イナンナの呪いがかかってる歌なんだ? それ?? って思うわけで。普段は穏やかな太陽女神でも、そういうところだけおっかない女が好みなんだ?@@ って思うわけで。でも、私はいちいち好きな人が浮気するかどうかヤキモキしてるよりは、そんなことしそうな相手とはとっとと別れて、自分の食い扶持くらいは自分で稼ぐ方がマシって思う現代っ子なんですけど? って思うわけで。おかげで、「当代のイナンナは焼きもち焼きというよりは、冷酷さが勝る。」って言われるようになった気がするわけでーー;。豊穣の蛙の太陽女神であると同時に、凶悪なイナンナでもあって欲しいっていう気持ちは分かるし、ヒントとしても分かるけど、現実問題としてはそれはなんかヘンって思うわけで;。印欧語族や、よろしくない目の人達の一部が、そういう凶悪な太母の資質を私に求めるのは、裁判とかあの大地震で、私が敵の言霊をねじ伏せて、裁判長を押さえつけたりとか、ヘリを飛ばしたりとかしたからで、そうやって敵と戦う力があると思ったから、そういう女神であれば、彼らの太母にもなれると思ったから期待してくれてるんですね? と思うわけですが。でも、その戦う力の源は、解剖で人の腸をバラバラにするのが好き、とかそういう狩猟民的な本能を持っている目の力だって皆様思われているようで;;。

おかげで、神官長家の資料館に立ち寄ったら、狩猟民の文化を持った人達との縁が深まった気はするのですが。でも、あそこにはこれ見よがしに兎の串刺しが飾ってあって。それはどうみても、「兎年生まれの誰かをそんな感じで押さえつけておけ」っていう呪いがかかってますよねえ? って思うわけでーー;。写真を蛇の兄さんに送ったら、兄さんも面白がっていたわけですが。人食いの強烈な文化を持つ人々は、相手が例え親兄弟であっても情け容赦なしかい! って思うわけですがーー;。そのくらい強烈に「戦う力」を尊ぶ人達も世の中にはまだたくさんいるわけだ;。

で、コンクリートの丸セパレートについては、「細かいものだし、いいお品だし、切り込みも入れてあるから、数はそのままでもいいよ。」とは言われるわけですが。でも、昨夜見た夢では、なんだか自分が遺跡の発掘現場みたいなところで発掘していて、で、ローマの遺物が出て来て、「小さいモノだから家に入れていい」とはなったわけですが、でも、何故か自分の家の天井から外に出ようとしたら、天上に挟まって自力では出られなくなってしまって、親に助け出して貰った、っていう夢を見たわけで;。今日もでかい消防車に会ったわけですし、最低減の数の調整は気休めでもさせてね? という気がするわけで。一応交渉はしてみようかと思うのですが。

そして、今日お風呂に入っていたら、「タニトとは?」って聞かれたわけで。それはカルタゴの女神で、獅子頭のネイト・メヒトと「同じ神」だと考えられていて、幼児犠牲と引き替えに豊穣をもたらす人食いの女神なわけで。(そもそも地中海南岸とか東岸には動物や人の初子を犠牲に捧げる習慣が多いわけでーー;。)タニトってダキニのことですよねえ? 東のインドでも人食いの女神なら、西のチュニジアでも人食いの女神なんだ、って思うわけで@@。でも、いろんな動画を見ていると、「その名前を使えるのなら、カルタゴを取り戻せ。」って言われるわけで。なんか、その女神群の名前は西洋の神々の中でも折り紙付きの凶悪な方では? って思うわけで。そんなこんなで今日もいろいろとあった一日だったわけです。

大山積神

昨日、墨坂神社に行った時に、後の方の神社の境内に入った時に、なんだか気持ちの悪い神社であって、で、私の気が「そこらの木に勝手に呪いの藁人形を打ち付けている」って言われて、「そこまでしなくていいよ」って兄さんに言われて止められていたわけですが@@。あいかわらず、何してるんだ自分? みたいな感じであって@@。

で、神社の参道の隣にある家の表札に、どこかで聞いたことのある名前があってそれがなんだか気になったわけで。

で、帰りに、なんというか神社を出た後も、気持ちの悪い気が追いかけてきて、まとわりついてくるような感じで、で、「戻ってこい」って言われるわけで。別に神社になんか戻らねーよ、っていうか、従兄弟の「気」がわざわざそんなことを言う?? という気もしたわけで。なんかちょっとヘンな気がしたわけで。

で、家に帰ってから、両方の神社の祭神を調べてみて。で、八幡宮の方に、大山咋神と大山積神が合祀されていたので、「大山咋神の正体は分かったけれども、大山積神とは違うの?」って聞いたら、「違う」って言われまして。で、今日「お仕事」の最中に、あの神社のことを考えていたら、「あの2つの神社はさほど遠くないところにあるし、名前も同じだから見かけはそれぞれ違う神社に見えても、「気の道」で繋がっていて連動して動いているはず。」って言われたわけで。で、なんで後の方の神社の横にああいう名前の家があったんだろう? って気になったわけで。で、そうすると、「大山咋神の他にもう一つ、「山」のつく神がいたでしょ?」って言われたわけで。それって、「○山」って名前は大山積神のことなんだ?@@ って端と思うわけで。2つの神社に取り憑いて、実行支配してたのは大山積神だたんだ? って思うわけで。兄さんからは、「一晩かけて神社に置いてきた気が、大山積神の気を食いつくしたので、正体がばれたね。」って言われたわけですが。墨坂の2番目の子に取り憑いているのが大山積神だって分かっててほっとく気だったんですね?@@ って思うわけで。それで未だにしつこくまとわりついて「戻ってこい」って言うんだ、あれ?@@ って思うわけで。蛇の兄さんにとっては「人妻にいつまでもまとわりつくストーカーのヒヒ爺」だって言われるわけで。建御雷神以上に、兄さんは彼のことは嫌いなようでーー;。

で、ゾロアスターといえば、ヴァルナ、アナーヒターの他にミトラ(♂、軍神)がいたと思うのですけれども、ミトラに相当するのは誰? って思いまして。「それは当然もう一人の軍神」って兄さんから言われるわけで。要するに2番目の子、すなわち須佐之男がミトラなんだ? って思うわけで。「世襲の神で名前だけ貰っても、どう見ても名前負けしてるでしょ。」って兄さんからは言われるわけで。「まあねえ、それはねえーー;」って思うわけですが。

で、今日は翔君が司会をする「THE MUSIC DAY」の放送日ということで、家に帰ってから見ていたわけで。で、TOKIOとかV6とかNEWSの顔を見た瞬間に、「墨坂に行ってきといて良かったよ」って思ったわけで。行ってなかったらとても長瀬君と顔を合わせられないーー、と思ったわけですがーー;。そして、いろんな人から「ミトラの名前はそもそもメヒト女神から出たものだから、力の弱い神の名をメヒト女神が共有して支えるべき」って言われるわけで。別にそれは構わないわけですが、今夜は2番目の子を応援する人達の特集ですねえ? と思うわけで。KinKi Kidsの「全部抱きしめて」とかDREAMS COME TRUEの「何度でも」とか2番目の子のお歌ですねえ、と思うわけで。やっぱり6番目の子と、7番目の子が関わるとこうなるんだなー、と思ったわけですが。

でも、最後の嵐は、全員が紫色のジャケットを着ていて、「ん?」と思ったのですが、3曲歌って、3曲ともある意味「6番目の子のお歌」として送ってきてますよね? それ? って思うわけで。そして、6番目の子からは「誰が何と言おうが、筆頭の地位は誰にも譲らない」って言われたわけで@@。「Monster」の歌詞を送ってきて、尚且つそれを言う?@@ ってびっくりしたわけですが。7番目の子は、力はあっても控えめで、自分のことよりも2番目の事を優先してくれるいい人なわけで。しかも、香取君も「SmaSTATION!?」で「家族になろうよ」を手を変え、品を変え流してくれるようないい人なわけで。6番目の子も、もちろん機会があれば、1番目の子のためにも、2番目の子のためにも力を尽くしてくれる人ですけれども、それ以上に自分の主張もしっかりする人だぞ?@@ って思うわけで。蛇の兄さんからは「彼はそういう人だし、自分に何ができて、何ができないかよくよく心得ているから、筆頭の地位を奪取するのは生半可な男じゃダメでしょ。」って言うわけで。で、出雲大社の「二重亀甲に剣花菱」っていうのは、亀甲が祟り神系の「雷神」の象徴で、剣花菱の方がメヒト・イナンナ女神の八芒星ですよね? って思うわけで。けっこう驚くことがあった一日だったわけですが。