燔祭の魔女

昨夜は夢を見て、なんだか学校の卒業式?みたいな感じで、学校に行ったらまだ式が始まっていなくて、時間が空いたので友達と買い物に出かけて、デパートみたいなところに行って、上の階から下の階へ行くのに、階段を降りようとしたら足下に段がなくて。で、困っていたら女の子の友達が来て、「助けて上げる」って言われて別の道を教えて貰ったわけで。で、「お仕事」に出かけましたら、基礎のコンクリートに水抜きの穴を開けるという話になって。それは「水」を落とす「落とし穴」だから落ちないようにご用心、って言われるわけで。だから、その穴に「落ちない」ように、開けられたらご用達のモルタルの粉で穴を清めておくように、って言われたわけで。で、開けられた端から一応粉を撒いておいたわけです。っていうか、それをさせたくないから、穴を開けてすぐに土を埋めようとしたんだよねえ? と思うわけで。

で、鵄がトーテムで、シリウスと結縁して狩りの神としての力が増すって言ったら、誰がどう見ても立派な「イシス」なのが問題、って言われるわけで。しかも、イシスって言うのは「赤毛のアン」って言われて非常に評判の悪い女神だって言われるわけで。だいたい、「アン」っていうのは「イナンナ」が変化した名前だと思うわけで、メソポタミアのイナンナ、エジプトのイシスって似たような蛇の太母である気がするわけですが、なんでイシスの方が評判が悪いの? って思うわけで。で、イシス、オシリス、ホルス、セトの神話は、平ったく言うと、イシス(女神)、オシリス(男神)、セト(男神)が兄弟で、オシリスとセトが争って、オシリスが殺されてバラバラにされてしまうわけで。オシリスの妻イシスは亡くなった夫の遺体を集めて、夫を生き返らせるのですが、オシリスの男根だけが見つからなくて、で、生き返ったオシリスは「黄泉の国の王」となり、イシスは一人で息子のホルスを育てるので、イシスは豊穣の女神であると共に、母性の象徴のような女神ともされるわけで。で、イシスの別名がソプデトと言って、ソプデトの時にはシリウスの象徴とされるわけです。で、イシスのトーテムが鵄ですので、シリウスに象徴される鵄の女神がイシスなわけで。で、セトって名前はKTの子音を持つ「蛙」ってことだよねえ? って言われるわけで。で、セトのトーテムはオオカミ(エジプトではジャッカル)と言われているわけです。そしてソプデトって名前は一番近いのはレバノンのヘバトだよねえ? って言われるわけで。要するに、セトもソプデトも、元は「蛙」という名前から出ている神であって、セトとイシスは「同じモノ」って言われるわけで@@。要するに、イシスは夫を食い殺してバラバラにして、「黄泉の国」に生き返らせる太母であって、しかも夫が反抗しないように「男性」の象徴である男性器を切り落として覇気を奪ってしまうわけで。そして、生まれてきた息子のホルスは長ずれば、またイシスの夫のオシリスとなる定め、ということで、それは1年ごとに夫をとっかえひっかえして、年が明けると生け贄にして殺してしまった母系の蛇神信仰の典型的な神話、って言われるわけで@@。で、実際古代エジプトでは、毎年赤毛の男を焼き殺して、灰を畑に蒔いたということをプルタルコスが言っているわけで。「赤毛」というのは血の色でもあり、火の色の象徴でもあるということで。「その女は燔祭の魔女なんだけど。」って言われるわけで。

で、古代エジプトの多神教というのは、古代エジプトって、ノモスという「州」とか「県」に相当するような地方毎の行政区が別れていて、ノモス毎に守護神がいる、という形式になっていますから、名前が違っても性質が同じ神サマがたくさんいるのが特徴、って言われるわけで。で、結局彼らの信仰は「羊トーテム」か「牛トーテム」か、ということに大別されるだけで、神サマの名前なんかあんまり意味を持たないって言われるわけで。イシスのもう一つのトーテムは雌牛なわけで、一方の夫のオシリスのトーテムは牡牛なわけで。で、子供のホルスのトーテムは隼なわけですが、「ちょっと考えてみれば誰でも分かることだけど、牛の子は牛だから。」ということで、ホルスの潜在的なトーテムも「牛」なんだ? ということで。ホルスはこれから育つ将来のある子牛の姿(あるいは子供の姿)で現されるけれども、老いたオシリスは牡牛の姿で現されるわけで。で、「牛信仰」と言えばデーヴァ信仰、デーヴァと言えば人身御供ということで、生け贄を引き裂いた血で髪の毛が真っ赤になった「赤毛のイシス」は、生け贄を焼き殺す「火の女神」でもあって、評判が悪い、とそういうことなのだと思うのですがーー;。

で、イシスというのは、ギリシア語の読み方であって、エジプトでは「アセト」と呼んだわけです。アセト女神の名はエジプトの外にまで拡がって、ウガリットのアーシラト、アスタルト、メソポタミアのイシュタル、インド・イラン神話の太女神アーデティーヤ、ヘブライ語のアシェラ、ヒンドゥーのサティー等へと変化するわけです。で、「アスラ神族のアーデティーヤまで来れば話は早いでしょ?」って言われるわけで。それは仏教の阿修羅に相当する神でもあるわけですが、ゾロアスターではアフラ・マズダの「アフラ」に相当するわけで、ゾロアスターの主神ヴァルナと、それと対になって語られるミスラは両方とも、インドの神話ではアーデティーヤの子供達とされているわけで。富の王家のゾロアスターは人間の燔祭は禁止! って言われるわけですが、そもそも王家のトーテムが富(とび)であるのは、決して偶然ではなくてイシス女神から来ているんですよねえ? と思うわけで。

で、結局旧約聖書の例を引き出して言われることは、モーゼがエジプトから出て来たときに、人々は「金の子牛」像を造って怒られたでしょ? エジプトにおけるイシス・オシリス信仰は、彼らの子供であるホルスの化身がファラオであって、ファラオも死すれば父神オシリスと同一のものとなる、というものだと言われるわけで。で、イシスとオシリスの先祖には、始原神であり単独神であるアトゥムがいるとされているわけで、アトゥムはエジプトでは「テム」と呼ばれていたわけで、この神は「世界の始まりと終わり」と言われているわけで、トーテムが牡牛とされているわけです。で、「TM」というその子音は、トラキアのダキニ、エトルリアのティニア、ローマのヤヌスと同じモノ、って言われるわけで。単純にいうと、太陽神アトゥムは、若かりし頃はホルス、死してオシリスとなるもの、ということですよねえ? ということで。その循環を繰り返す限り、人も神々も永遠であると考えたのが古代エジプトの人々、ということなのですが、古代エジプトでは死者をあの世に再生させるための儀式があるわけで、神話の上ではその秘技を司るのがイシス女神なわけですが、現実の祭祀でそれを行ったのは「ヒョウの皮」を身に纏った神官ということで、その神官は「ベス」の化身ですよねえ? ということでーー;。その役目は母系社会ではイシス女神の役目、男系社会ではベスの役目と言うことで、その二つの信仰が組み合わさったのが古代エジプトの信仰、ということで;。で、アダムとイブって居るでしょ? アダムとはアトゥムのこと、イブというのはデーヴァのイブなんで、ソプデトのこと、って言われるわけで@@。で、二人の子供で最後まで生き残ってユダヤの民の先祖となったとされるのがセトということで。そもそも古代のユダヤの民の宗教は、人間の燔祭を禁止しているだけのイシス・オシリス信仰も同然って言われるわけで@@。だいたい、「鵄」のトーテムはそっから来ててもおかしくないんだ? と思うわけですがーー;。で、原始キリスト教の母子神信仰ってあるでしょ? あれは、古代エジプトのイシス・ホルス信仰そのもの、というか、モーゼはエジプトを出て来たときに王権を嫌って子牛信仰を禁止したんだけれども、結局イスラエルは再び王制を採用することになったわけで、その根拠となる子牛信仰も再開されたわけで。で、結局ローマの支配下に入った後にも、ダビデ王家の末裔を名乗って「王権」を得ようとしたのがイエス・キリストとその一派ということで、その人達はユダヤ教の中の新興宗教というよりは、むしろイシス・ホルス信仰を強化する方向に先祖帰りして、ユダヤの王権を取り戻そうとした人達、って言われるわけで。だから、初期の原始キリスト教がイシス・ホルス信仰に倣った母子神信仰であるのは当然のこと。って言われるわけですが。問題なのは「燔祭の女神イシス」なわけで。イシスは夫であるオシリスの「復活」に大きく関わる女神であって。で、その一方新訳聖書で「復活したイエス」に直接会ったとされるのが「マグダラのマリア」であって。「そういう記述を読めば、マグダラのマリアが死したオシリスも同然のイエス・キリストの妻であって、その復活に関わるイシス女神である、っていう意味の「記述」だって、誰にでも分かるようになってるんだよ。」って言われるわけで@@。で、神サマというのが、何代にもわたって受け継がれるモノというのはやっとなんとなく私にも分かったわけですが。「その女は「夫の復活のため」と称してローマに大火災を引き起こした火付け強盗のくせに自分だけは天寿を全うした女なんで。その女こそが2000年前に実在した「燔祭の女神」イシスだから。ヘンな先祖を持つと、何かにつけて、ここが似てるとか、似てないって言われて比べられるから大変だよ。」って言われるわけで@@。その人、本気でイシス女神の名前を持っていた人なんだ? ということで。男系中心のローマ教会は、イエス・キリストは「単独神」であって子孫はいない、その代わりにいるのが「代理人」って言うわけですが。そんなだから、敵の人達にとっては、「イシス」の名を持つ者は、「イナンナ」以上に迷惑な存在、ということでーー;。

そして、古事記を読めば、金鵄のイシスは、神武天皇を助けて長髄彦を倒したことになっているわけで。それは単純に富の王家の神である鵄が、王家を見限って神武の側についたっていう話じゃないんだ? と思うわけで。要するに、人身御供を禁止したユダヤ教を経由して、ゾロアスターへと移行した富の王家の人々の祖神の根幹には、イシス・オシリス信仰があるわけで。で、一方の原始キリスト教は、再び人身御供を再開して王権を確立しようというユダヤのイシス・オシリス信仰であったわけで。両者の出所がそもそも「全く同じモノ」というわけで。近親憎悪的に、凶星シリウスに反応する女神が出てくることは、「マグダラのマリアの再来」も同然ということで、味方の方もあんまり面白くないということのようでーー;。で、そもそも「神武の目を潰した」って言われたけど、それは架空の人物だし、何者? と思うわけで。そうしたら、「鵄の女神イシスは、夫であるオシリスの保護者でもあるでしょ。金鵄が保護する神武天皇はオシリス兼イエス・キリストそのものであって、彼らの子孫が「キリストの王国の王」というのが原始キリスト教の神話だって、古事記を読めば誰にでも分かるようになってるんだけど?」って言われるわけで@@。しかも、神武の妃はヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)という名なわけで、その名前は「大田田井の伊勢の比売」っていう意味ですよねえ? って思うわけで。それはそれで羌族の太陽女神の名前ですよねえ? ということで。要するに、神武の東征伝承は、原始キリスト教的には「王家の正統性」を示すモノ。そして、出雲的ゾロアスター信仰に対しては、「鵄」に象徴される太陽女神の夫は「神武天皇」であって、神武こそが正統なアフラ・マズダーであると主張して、長髄彦をアンラ・マンユに貶めようとする意図が込められているモノ、って言われるわけで。そういう神話は今となっては誰にとっても迷惑な話で、喜んでいるのはオオカミの太母ダキニの再来に賭けたトラキア・ダキアの人々と、母子神信仰の強い騎士団くらい、って言われるわけですがーー;。そこで、そこなイシスは「どんなイシス」なのか? っていろんな人に聞かれるので、6番目の子は「仏教徒のイシスです」って言って片付けちゃっているらしいのですが。「仏教」は仏教で、どんな神サマも善神にしちゃうような免罪符みたいな側面があるんだ?@@ とは思うわけですが;。

それにしても、ピューマの皮を着た偽りの再生の神「ベス」ってですねえ? 敵側の「ベス」って、最近では「puma」ってブランドの白いポロシャツとか着て登場する気がするのですが。自分でも「腹黒い」って言ってましたし、あの世に再生させられないようにしないといけないですねえ? とは思うわけですが。とりあえず「落とし穴」はなんとかなったということのようでーー;。

部族神から普遍的な神へ

ええと、狛天白社に一応結縁したということで。「日本ではそもそも星辰信仰があまり発達してないから、あんまり使い道が無い気もするんだけど、神官長家とか、丸太の騎士団とか、広く外国につてがある人達なら、シリウス信仰の人達も知ってるかもしれないし、そういう人達が呼びかけに応じてくれれば、一応あそこから気を送って貰えるようになると思うんだけど。」と言われたわけで。で、それで寝てしまって、特に夢も見ず。夜中に「beautiful life」とかで目が覚めたりしていたわけで。

で、朝になって、ふと郷土史のブログをやっている人のページを見たくなって。見たら、「駒形嶽駒弓神社」というものを発見して。で、なんだか善光寺の「奥の院」ということで、彦別神を祀っているということで、「行かねば」と思ったわけですが。しかも相殿に祀られているのが、大宜都比売(おおげつひめ)ということで、彦別神が女神である八坂刀売であって太陽神・天照大神であるならば、大宜都比売は月神であって、「太陽と月」の組み合わせで、伊勢的な神社だなあ、と思ったわけで。

で、話はちょっと変わりますが、太女神でありながら、かつ「殺される女神」でもあるメソポタミアのイナンナの神話は矛盾に満ちているわけで、彼女が誰よりも強い太母であれば、夫であろうと殺される必要性はないわけです(しかも、最後には夫を地獄に突き落としているわけですし)。で、一方「犠牲にされる女神」というのは、女性が弱い立場である男系社会に見られる神話なものですから、これは蛇の太母を擁する母系社会と、男系社会の人々が衝突・習合・混住を行った結果、一つの女神の中に双方の神話が入り込んでしまって、神話が構成された結果だと思われるわけで。純粋に母系が強い社会だと、イナンナ系の女神は夫を食い殺す太母として君臨するわけで、逆に男系が強い文化だと純粋に「犠牲となる女神」に変化するわけです。で、西方には「輝けるイナンナ」という意味の「ANB」の子音を持つ女神が各地にいるわけですが、これが海路を通って南アジア方面に拡がると、「ハイヌウェレ型神話」の「殺されて作物(主に芋類)を生み出す女神」となるわけです。一方、縄文系の朝鮮由来の縄文系文化では、母系が優先されて、「殺される太母」はどちらかというと「蛙の女神」の役割になってしまっていて、彼らの大姥サマは大姥サマで、鎌で人の腸をかっさばいて食べるようなイナンナ的太母のまま君臨するわけでーー;。日本の古代の文化は、北方系の文化と南方系の文化の衝突と習合なわけですが、西へ行けば行くほどハイヌウェレ型な信仰の形態が増える、東へ行くと太母としてのイナンナ・メヒト的な信仰の形態が増える、ということのようで。で、大宜都比売(おおげつひめ)というのはハイヌウェレ型の女神であって、個人的には名前から見て「月の神」として良いと思うのですが、調べて見たら表向きには「月の神ではない」とされているようで。でも、性質的にもハイヌウェレはイナンナの別名で「月の女神」なんじゃないの? と思うわけなのですが。阿波の国の祖神と言われる大宜都比売(おおげつひめ)は、南方由来の「イナンナ」なわけです。

で、特に西方では、神々は「部族神」という性質が強くて、西洋の多神教というのは、「同盟」とか「征服」とかそういうものの上に立脚しているので、主神を擁する人々が頂点で、その次が妃神を擁する人々、みたいに擁する「神」によって社会的地位が決まってしまうわけで。で、神々にも「職能」というものがきっちり割り振られていて、それがそのまま擁する人々の「階級」に直結するわけで。でも、そういう部族神と多神教を組み合わせた社会の中からゾロアスター教とか仏教という「普遍的」な宗教が生まれてくるわけで。そういう宗教の持つ意味は、神話によって階級が固定化され、神も含めて弱者だけが犠牲になるのではなく、全体が協力して社会を形成していけるようにするためのもの、って言われるわけで。だから、そういう普遍的な宗教の神々は「普遍性」というものが求められるわけで。出雲の神々は、ゾロアスターの神々でもあるので、単なる「部族神」ではなくて「普遍性」を追求する神々でもあると言われるわけで。人身御供を禁止するとか、そういうことは平等を心がけた「普遍性」の追求の結果でもあるわけですが、よろしくない行いを「穢れ」として忌避しすぎると、狩人としての野生の力を失って、より強力なデーヴァが現れると負けてしまう、と言われるわけで。一方、仏教は、神に対しても人に対しても一定の「規範」を儲けて、それを守りさえすれば悟りが開ける、というような宗教なので、本来人喰いの「悪神」であっても、その行いを悔い改めれば善神になれるし、それは人も同じ事、ということで。そして、本来軍神であった釈迦が地を這うような穢れにまみれた生活を行った上で悟りを開いたように、「穢れ」を否定せずに、理性と意志の力で己を律するべき、としたところが仏教の特徴、と言われるわけで。金刺の舎人は、ゾロアスターの神々では敵に勝てないであろうことを見越して、海を越えて敵に対抗できる力を探しに行った、と言われるわけで。それで持ち帰ってきたのが、ヴァルナから変化したヴィシュヌの顕現と言われる釈迦を擁した「仏教」なんだ? と思うわけですが。ともかく、金刺氏の持ち帰った「釈迦如来」は弓を持ち馬に乗って、市中を巡回したという伝承があるということで、それは一般的に語られるお釈迦様の姿とはだいぶ違うぞ? と思うわけで。それはどちらかというと「軍神そのもの」のお釈迦様だという気がするわけで。あのお寺が隠している「神」というのは、そういうものなんだ? と思うわけですが。で、彦別神というのは、朝鮮の例に倣えば、女神のことで、彦神(諏訪神)と対になる神のことだと思うわけですが、男神として語られることが多いわけで。なんで? と思うと、結局「八坂大神と八坂刀売」とかそういうのは、同じ性質を持つと言われる「1対の神」のことを示す「記号」みたいなものであって、出雲神族にとっても「八坂刀売」というのは、羌族の蛙の太陽女神のことですから、本来彼女は「ヴァルナ」という名前を持っていてもそれは形式的なものに過ぎず、軍神としての力は持っていないはずなんだから、その役割は夫神が負うべきものであって、そういう意味もあるから軍神としての彦別神は「男神」ということにされているんだけど、って言われるわけで@@。でも、最近の蛙の女神は、狩人の星・凶星シリウスと結縁して、結果力が増して「駒形嶽駒弓神社」を探し出したわけですから、「あれはどう見ても、シリウスの女神・人喰いイシス」って言われるって言われるわけでーー;。伊勢の星辰信仰は、あくまでも「太陽と月と織り姫星」なんで、敵が太陽女神を食い殺すために持ち込んだ凶星シリウスに結縁して力が増したからといって勘違いしないように、って言っておいてくれ、って麻績部から釘をさされてるんだけど、って兄さんから言われるわけですが@@。食い殺した人の血で髪が真っ赤に染まった「赤毛のアン(イナンナ)」の性質が強くて悪かったですねえ? とは思うわけですが;。それで、6番目の子が「ヘンなものと結縁させすぎる。」と言われて、非難されてる、と言われるわけですがーー;。

で、その一方、今日は「宇達神社」というところに行ったわけで。で、例によってここは、ありがちな諏訪系の神社であって、おそらく本来は「守達神社」と言った
ものが改変されているのだと思うのですが。それ以上に、境内内に「神武天皇」が祀られているのに驚いたわけで、その由来があまりはっきりしていないのも気になって。でも、神武天皇といえば「金鵄」ですので、左目が強調されている「金鵄」が校章の学校が、ここの西側にあることとおそらく無関係ではなかろう、と思うわけで。「金鵄の由来は、『日本書紀』の神武東征伝の一節による。神武天皇が東征の過程で長髄彦(ながすねひこ)との戦いに苦戦を強いられていたさ中、突然天候が悪化して辺りが暗くなると、金色の鵄が飛んできて天皇の弓の弭(はず)(弓の端の弦をかけるところ)に止まった。そのため長髄彦やその兵卒は目が眩んでしまい、天皇は辛くも勝利を手にすることができた。」ということで。これはどうみても、「鵄」の神が、長髄彦ではなくて神武天皇の側に味方するように、っていう呪いがかかっている話だと思うわけですが、どうにも昨今は「金蛙王」の目を持った鵄の神サマがいるということで、「本物の金鵄」が出て来た、って言って、OB会では「金鵄」って聞くと気分が悪くなる人が続出してるって言われるわけですが@@。馬に乗って弓を引くような金鵄健児で悪かったね? というか、本当はそういう神サマが、羌族の太陽女神を守り隠していく、というのが理想のあるべき姿だったんですねえ? と思うわけで;;。蛇の兄さんは「馬に乗って弓を引くのは男神なのか? 女神なのか?」って聞かれる、って言うわけですが。そんなこんなで、母系の蛇女神を信仰してる人達が主に喜んでいるんですねえ? と思うわけですがーー;。凶星シリウスに結縁して力を得る金鵄の女神っていったら、誰がどう見ても古代エジプトのイシスということで、「本当に犠牲にされる女神の卦があんまり出ないよね?」って言われるわけですが。ともかく、善光寺の管轄下にあれば、仏法の精神の方が優先される、ということでハイヌウェレ型女神の大宜都比売の名前も安心して取れる、ということらしくて。

そして、伊勢信仰の傾向が強い駒形嶽駒弓神社は、善光寺と伊勢を繋ぐ正規の直接の道だったんだけれども、地すべりの件で「生き埋め」にされた人々の死で山が穢されてしまって、その道は閉ざされてしまい、今まで誰もその穢れを祓って、道を再開させることができなかったもの、と言われるわけで@@。「あの事件のことを覚えてるでしょ? 崩れると分かっていたのに、老人ホームには非難勧告すら出されなかった。それは、山の気を穢して、伊勢への直接の道を閉ざす目的のためのもの。」って言われたわけで。「だって、あの高校へ行けば、大抵は誰でも大学へ行って、最低でも教職の免許くらいは取るでしょ。太陽女神は「教師」でもあるから、それで女神の資格を得る最低ラインは通過できる。だから、敵は封印の力を強めるために、犠牲を捧げたのであって、ハイヌウェレ型の女神は彼女が象徴する芋の種の如くに生き埋めにされて殺された、ってことは覚えておいた方がいいよ。」って言われるわけで。そして、「結果的に、道の穢れを祓って道を開いてきたわけだから、お姉さんには誰も直接文句は言わないでしょ。宇達神社の神武天皇の目も潰してきたし。」って言われるわけで。型枠も外れたことだし、伊勢への道も再開したということで、「今夜はまた大規模な組み替えを行います」って言われるわけですが。6番目の子は、私の力になると思えば、どんなものとでも結縁させようとするし、それで最終的に私の姿がデーヴァのトカゲの姿になっちゃっても、それで敵とやり合える力さえ得られれば何も言わないでしょ、と思うわけで。彼が最終的に求めるものは、敵の力から味方を守れる「普遍的な神」であって、それは必ずしも蛙さん達の「太陽女神」とは限らないでしょ? とそう思うわけですが。7番目の子は、「女神が自分の力では喰いきれないような穢れにぶち当たったときに、守り支えるのが夫の役目」って言ってくれるわけで。そして、6番目の子からは、「身につけられるだけの力をつけさせられる夫でなければ、医者として何一つまともな仕事をさせて貰えず、挙げ句の果てに泥の中を這いずる回るような苦労を10年近くも女神がしてきた意味がどこにあるのか?」って言うわけで。まあ、ともかく水に放り込まれるのも、火あぶりにされるのも、生き埋めにされるのも、首をつれって言われるのも嫌なんですけどねえ? とは思うわけでーー;。明日は明日でまた「お仕事」があるわけです。(まあ、どちらにしても「穢れに弱くて、宮殿の奥深くで、穢れを避けて生活していた卑弥呼のような生き方は、お姉さんにはできないでしょう。狩りの女神の気質がそれだけ強くて、その分穢れに強いから、外に出ても平気だし。」って言われるわけで。まあ、それはそうでしょうねえ、と思うわけですが。)

ローマの2つの頭

要するに多神教ローマに君臨する「対となる2神」はユーピテルとウェスタということで。でも、ウェスタは「処女神」とされているわけで、ユーピテルにはユーノーという妃神がいるわけで。なんで、そんな構成に? と思ったわけですが、印欧語族の神話をいろいろと調べて見ると、「B」の子音で始まる神を擁する部族と、「DB」の子音で始まる神を擁する部族が、同盟を結んで多神教を形成した痕跡があって、地方によって両者の関係は、夫婦であったり、兄弟であったり、はっきりと同盟関係にあったり、ということで、印欧語族が形成される以前の古い時代に、「B」の神を擁する部族と「DB」の神を擁する部族が同盟を結んで、彼らの子孫が印欧語族ということになるような気がするわけで。で、ユーピテルとユーノーのように、男女の1対の神が民族の祖神である、というのは割と広い範囲でみられるオーソドックスな「祖神」の形態なのですが、一方のウェスタは「ベス」から派生した神であって、嘘つきで邪なお猿をトーテムに持つ「ベス」は、何故か「岩から単独で生まれた」というような伝承が多くて。これは本来は「大地の地母神から生まれた神」という意味を持っていたのかもしれませんが、男系が主流の時代に入ると、「単独で生まれた」ということで、この神の「特別な神性」が強調されるようになるわけで。処女神であり、単独神として語られるウェスタは、単独神であるお猿のベスの変形な気がするのですが。

(ちなみに、お猿のベス信仰の人達は、「横縞」を着ていることが多くて。ベスが「邪」な神であることもその原因の一つではあるわけですが、C・S・ルイスの「ナルニア国物語」シリーズには、アスランというライオンの神サマが出てくるわけで。で、この神サマはキリスト教のイエス・キリストになぞらえて語られるわけで、物語の中では「善神」なのですが、このシリーズのうちの一つの「さいごの戦い」には、アスランの名を騙って、ナルニア国の住民に貢ぎ物を要求する「ヨコシマ」という名前の猿が出てくるわけで、これを知ってたら、「ヨコシマ」って言ったら、猿のヨコシマってすぐに出てくるわけですがーー;。)

で、ウェスタというのは、「BST」という子音からなるわけで、ガリアのケルトにはベレヌスとベリサマという夫婦の神々がいますので、彼らがウェスタに一番近い存在ということで。ウェスタというのは、本来は単独の男性神であって、彼に仕える処女の巫女達は、「神の花嫁」的扱いではなかったかと思うのですが。そして、巫女達が「処女」であるということは、「神に捧げられた生きた犠牲」ともいえるわけで。古代エジプトやメソポタミアでは、こういう形の「犠牲」は社会的には尊重されたし、わざわざ惨めに殺されたりする必要性のない上流階級の子女がその任に当たったということで、ローマにおいてもウェスタの巫女は、当初貴族の娘でなければ認められなかったわけです。で、ガリアのベレヌスとベリサマがどういう神かというと、火と炎の神であるわけで。そして、ガリアのケルトには「ウィッカーマン」という巨人の像を編んで作って、その像の中に生きた人を詰め込んで焼き殺すという「火祭り」があって、「ウィッカーマン」というのは「BK(ベス)」の男という意味ですから、この祭りがベレヌスの祭祀だったと思うわけですが。要するにローマのウェスタもこういう性質の神だということで。で、正式な「結婚」という形態を取らずに、「処女の巫女が男神に仕える」という形式は、原始キリスト教に引き継がれるわけで、原始キリスト教団の主役は、神に仕える「修道士」というか、いわゆる「坊主」ということになるのですが、古代の原始キリスト教団の修道院には女子修道院が併設されており、修道士と修道女には、表向きは独身で、純血であることが要求されていたけれども、実際には女子修道院は修道士達の性のはけ口として利用されていたという側面があるでしょ、って言われるわけで。ローマ・ギリシアの男系社会は女性を蔑視するあまり、「男同士で結婚する」というような異様な形態を取ることがあって、女性はあくまでも子供を産むだけの存在であったりしますから、そういう差別的な性質を原始キリスト教団は引き継いでいるわけで。で、彼らの悪しき「ウェスタ信仰」の最たるモノは、「中世の魔女狩り」って言われるわけで。ヨーロッパ中で非常に多くの人々が教会の手によって「魔女」の烙印を押されて殺害され、犠牲者は拷問の末「火刑」に処されて、あげく財産は教会に没収ということで。しかも、拷問にかけられますから、かける側からすれば好き勝手な自白をさせ放題、ということで、知っている人の名前を片端からあげさせて、そういう人達も「魔女である」という自白をさせてから処刑するわけですから、「魔女」の数なんていくらでも増え放題、ということで。犠牲者を「火刑」にするということがウェスタ信仰の証、って言われるわけで。要するに、ローマにとっては、ユーピテルが支配と搾取の神、ウェスタが虐殺と財産没収の神なんだ? と思うわけですがーー;。古き狩猟の神「ベス」は印欧語族以外の人々に取っても、狩猟と軍神の神であって、ヒクソスの神でもあるわけですが、ローマの神々の性質はそこまで凶悪になっているということで。

結局「死に神」、特に太母としての「死に神」の性質には古来より「幼児供犠」という問題がつきまとうわけで、これは要するに「口減らし」ということに尽きるわけだから。共同体において、供給よりも需要の「口」の方が増えれば、それを何とかして解消しない限り、全滅ということにもなりかねないわけで。避妊というものがない時代には、子供は自然のままに産まれてくるわけで、増えすぎた需要の解消のためにも「幼児供犠」は行われたわけだから、太母の役目は、生かされた子供が健やかに育つようにすることと、不幸にして殺された子供を自分の腕に抱いて慈しむこと、ということなわけで、「生と死を司る太母」という性質はそこから来ているわけで。でも、殺された子供からすれば、それは将来自分が受け取るべきであった財産や地位を奪われることになるから、そういう思想の延長上にウェスタやベレヌスの信仰の思想があるわけで、それは明確に「犠牲の財産を奪って、奪った側だけが裕福になって肥え太る」ことが正しい、とされるわけで。山の死に神の太母の思想と、ウェスタ・ベレヌスの思想には連続性があって、どこまでが「正しい思想」で、どこからが「悪い思想」なのかということを正確に線を引くことは誰にもできない、人の命を奪って残った人が生きる、という点では「同じ思想」だから、って言われるわけで。結局、互いに協力して大規模な農業を興し、食料の供給を増やし、安定させて「人身御供」というものを無くそう、という思想が現れるまでは、誰もがどこかで「線」を引いて、どこまでを行うべきで、どこからを行うべきでないかを模索していたわけだし、そういう模索は現代社会でも続けられているわけだから、って言われるわけで。それでも、誰もがウェスタの思想は行きすぎてるし、あんまりだと思うから、その名前を何とかできるだけ取り返して欲しい、と願うわけで。でも、ローマの神話の難しいところは、ユーノー女神よりもウェスタの方が位が高いので、ユーノーの名前を貰っている方が不利になるようにできている、って言われるわけで@@。ウェスタの名前を奪うためには、ベレヌスの名前、ラテン語で「Bellis」と呼ばれる名前とその意味を知らなければならない、ということで。それは英語の「fire(火)」に相当する「ヒナギク」のことで、かつては男性の狩りの神ベスとか、メソポタミアの古き太陽神バッバルといった「B群」の神々のことであり、縄文の「大姥サマ」のこと、と思うわけで。それは白髪の死の「白い太陽」であり、要するに漢字で表すと「婆」ということになるわけで。トランプのジョーカーのことだよねえ、それ? と思うわけですが。ジョーカーは、「JK」という子音を持ち、トランプの整然とした数字の流れからいうと、どこにも属さないけれども、状況に応じてどのカードにもなれる、という札であって。「B群」の「死神」達は、民族や部族、時代によって、その役割にあまりにも激しい差がありすぎるので、その名を取る者は、「どのような神」になるのか自分で選ばなければならない、って言われるわけで。要するに、牛とかトマトとかローマの人が食べるようなモノを食べると、「ローマのやり方を選んだ」ってことになっちゃうんですよねえ? って思うわけで。ローマの神サマに近い名前を貰えば貰うほど、ますます牛は食べちゃいけないモノになるようなのですがーー;。

で、話は全く変わるのですが、五十猛(いそたける)という植林の神サマは、渡来の神と言われていて、島根県の大田市というところに上陸したと言われているそうで。で、この神サマが木の多い紀州に祀られているわけですが、伊勢神宮には五十鈴川という川が流れているわけで、川の神も祀られているわけで。この神は人々のお願いを天照大神に取り次いでくれる神とされていて、特別な祭祀もあるらしくて。要するに五十と書いて「いそ」と読むのは「伊勢」と同じ意味であって、五十猛と五十鈴川の祭神はおそらく「同じもの」だと思うわけで。これは伊勢の地名を取った「伊勢津彦」と同じ神ですよねえ? と思うわけですが。伊勢津彦という神は、伊勢国風土記によれば「伊勢津彦命は大和の天津神に国土を渡すよう要求され、断っていたものの、最終的に追われ、今は信濃国にいる」とされている神であって、建御名方富神と同じ神であるとかない、とか言われる神なわけですが。そもそも、卑弥呼の時代には宮殿の奥深くに住んでいる女王と人々との間を「取り次いだ」のは「夫」でしょ? って蛇の兄さんに言われるわけで。まあ、昔の「背の君」は兄弟でもあり夫でもあるわけですからねえ、と思うわけで。五十鈴川の神も伊勢津彦も建御名方富神なんですねえ、と思うわけで。

で、伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、どちらも風の神である級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀っているわけで。この男女の神はおそらく「夫婦」の1対の神だと思われ(兄妹だとしても古代世界においては意味するところは「同じ」なわけですが。)、彼らは奈良県の生駒町にある龍田大社の主祭神とされているわけです。で、「戸辺」というのは「富部」ということですので、本来出雲系の神であって、「級長津(しなつ)」というところにある富部の神々、ということになると思うのですが、最近「津」という言葉は、海の近辺では「港」という意味でも、内陸では「野」という意味も持つのではないかという気がするので、そうするとこれは「科野」という意味になるので、「科野」という地名がここから来たのか、この生をとって「科野」と名付けたのかは良く分からないのですが、生駒の「級長戸辺」は信濃国に強い縁があるところ、ということで。で、この近隣には長髄彦の出身地と言われる富雄という地名もあるわけで。富雄の地は、今でも大阪から生駒山を越えて奈良に至る道の途中にあるので、昔から大和の防衛の拠点であって、軍事力を維持するための「富部」がこの辺りにあったのではないかと思われるわけです。そして、「富部」と名のつくところの神は、つきつめれば八束水臣津奴命と八坂刀売の夫婦神であるわけで。級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)も、とどのつまりは八束水臣津奴命と八坂刀売の夫婦神のことですよねえ? と思うわけで。で、その一方「龍田大社」の名前なのですが、守達神の名の通り、「達(たつ)」という言葉は「大太田井」に関連する言葉だと言う気がするわけで。「龍田の神」というのは「太田の神」というのと同じ事ですよねえ? と思うわけで。長野市には「安達」とか「宇達」という名の付く神社がいくつあるわけで、それらの神社も「太田」に関連する神社であり、それらの守護神も建御名方富神や級長津彦命、五十猛、伊勢津彦命が兼ねているということで(全部同じ神の名なわけですが)。持統天皇が龍田の神、水内の神を北信濃に祀ったというのも、理由があって、それらの神々は出雲系の中でも「大太田井(羌族)」に関連の深い神々だったから、だと思うのですが。「守田の神」も「龍田の神」の変形した名前なんですねえ? と思うわけで。要するに、諏訪神の名前のうち、「龍田の神」の名前を欲しがっている人がいるから、その辺りをちゃんと整理しておかなければいけない、ということで。「龍田の神」である級長津彦命というのは、「守達の神」に比定すべき神って言われる気がするわけですが。でも、現在のところ、五十猛が祀られているのが安達神社、級長津彦命が祀られているのが風間神社、伊勢津彦が祀られているのが風間神社と伊豆毛神社ということになっているということで。

ということで、デーヴァな人達と個別に契約を結んだら、こういうことが分かったわけで、敵側の木工の神・大屋毘古神とは、工務店さんの社長さん、って言われるわけですが。で、昨夜は夢を見て、なんだか学校の卒業式みたいな感じで、で、同じクラスに翔君がいて。で、例によって家に持って帰らなければならない荷物が多くて、一緒に持っていってくれたら楽なのになあ、と思っていたのですが、翔君はとっとと先に帰ってしまっていて。で、女の子の友達が荷物持ちを手伝ってくれたのですが、彼女達に「旦那は言うことをきくようにあらかじめ「躾」ておかないと。」って言われたわけで@@。ええと、実際にそういう場面になれば、関係者は誰でもあらかじめ「躾」てなくても荷物持ちくらい喜んで手伝ってくれる人ばかりだと思うわけですが、そういうことをそそのかすのがデーヴァの子達? って思うわけで。悪魔と契約を結んで情報を貰うとこういう夢を見るんだ? と思うわけで。その人の魂の本質の姿みたいなものは、蛇の兄さんは蛇の男の子であって、私は蛇の尻尾が生えた蛙なわけですが、デーヴァの人というのは本当に真っ黒なトカゲみたいに見えるわけで、しかも、目が左目しかないわけで。彼らは邪眼の力が強いから、目に見える人の姿では両目が揃っていても、本質の姿では左目しかないのが普通って言われるわけで@@。で、逆に両目が揃っている人は、邪眼が二つあるということで、彼らの中では力が強い人って言われるわけで。

そして、送った写真については、やっぱり狛天白社が面白かったらしくて。地元の人は、「あれは手に余る邪神なんで、ああやって封印してあるけど、あの力が仕えるなら好きに使っていいよ。」って言っているって言われるわけで。そして「星辰信仰で、もう一つ大事なものを忘れてるでしょ。狛(犬)って言ったら、古今東西、おおいぬ座のシリウスでしょ。」って言われるわけで@@。そっかー、それもありましたね、というか、シリウスって「ベス」ってことですよねえ? ということで、狛天白とは、邪な火の神ウェスタの星なんだ? ということで。(というか、シリウスは正確には「太陽に力を与える星」と考えられているから、ウェスタに力を与える禍つ星のこと、って言われるわけですが@@。)戌年生まれの太陽女神で、デーヴァの力も仕えるなら、あの力もまあ使えるでしょ、というか右目が邪眼のベスの目で、左目が青い水神ヴァルナの目でもいけるんじゃないの? って言われるわけで@@。

そして、「昔、飛鳥で性器むき出しの「猿石」ってのを見たでしょ? あれがローマのウェスタだから。」って言われるわけで@@。あれって、どう見ても「女神」じゃないですよねえ? って思うわけで。そして、「ローマのティニア(荼枳尼)ってヤーヌスのことだから。」って言われるわけで。「始まりと終わり」を意味するローマの境界神ヤーヌスが荼枳尼なんだ? って思うわけで。ローマには戦時の時にだけ開かれたという「ヤーヌスの門」というのがあったそうで、これはきっと戦争で死んだ人をあの世へ飲み込むための門だったと思うのですが。この神も「死に神」としての性質を持っていた、ということで。なんというか、こんなことがあった一日だったわけです。

木の神

ゾロアスター教の神話では、イナンナ女神の名前は、アンラ・マンユという悪魔(ダエーワ、英語のdevilに相当するデーヴァの神)の親玉に変化してしまうわけですが、本来のイナンナ女神は、かなり古い神で「デーヴァ」の限定される神ではないわけで。西方の神々は、ほとんど祟り神系の蛇神で、それぞれに性質も似ていますから、イナンナがデーヴァ信仰の中に取り入れられていても不思議ではないのですが、ゾロアスター以外ではイナンナとデーヴァを習合させた形態の方がむしろ見つかりにくい気がして。そういう例もあって良さそうな気がするんだけど? と思ったわけです。で、ふと食事中にアンドロメダーとペルセウスの神話を思い出したわけで。アンドロメダー(Andromeda)の名前は、AN(イナンナ)+dro(デーヴァ)+meda(メヒト)を合成した名前だな、と気が付いて。ティリンスのペルセウス(Perseus)を擁する人々は、古代ギリシア周辺の最初の文明であるミノア文明を滅ぼし、一時期は隆盛を誇るものの、やがてスパルタを興すドーリア人に滅ぼされてしまうわけで。ギリシアの一番古い「文明」はメソポタミアよりは古代エジプトの影響が強く、かつメドゥーサ(メドゥーサとはメヒトの変形した名前なわけで。)のような人喰い蛇女神を擁していたと思われるのですが、ミケーネ文明を興した人々は、「ペルセウスのメドゥーサ退治」ということで先住の文化を征服してしまうわけで。で、メドゥーサを退治した帰り道で、海の化け物に生け贄にされそうになっていたアンドロメダを助けて妻とし、ミケーネ文明の都市を支配した、と言われているわけで。アンドロメダはエチオピアの王女とされているわけですから、ミケーネ文明の側から見れば、外国人なわけですが、この半人半神の女性が、イナンナとデーヴァとメヒトの名前を持っているということで。それらは、全部一緒くたにして「同じ神」と考えられていたのだろな、と思うわけですが。でも、メソポタミア時代からのイナンナ女神の持つ性質の2重性は、一方で生も死も内包する大女神でありながら、もう一方で夫のせいで殺されてしまう、というニンリルみたいな「犠牲にされる神」としての側面があるわけで。ペルセウスとアンドロメダの神話は、イナンナの神話が持つ二重性を、「英雄が犠牲となった女性を助けて女王とする」という形に焼き直して女神の性質の整合性を保とうとしているわけで。ペルセウスという名前はBKBKという子音に帰結するので、元は狩りの神ベスから派生している名前と言うことで。ともかく蛇の兄さんは、私とのことを「まるでアンドロメダとペルセウスみたいだね。」って言われたらしくて、それが嬉しかったらしいのですが。

で、なんとなく安達神社というものが気になって調べてみましたら、五十猛命(いたけるのみこと)というのが祭神にいて。紀州方面の神サマということは知っていたのですが、そもそもどういう神サマなんだろう? と思って調べてみましたら、須佐之男の子神で、大屋毘古神(オホヤビコ)という別名があって、大屋都比賣神(オオヤツヒメ)という妹神がいる、ということで、兄妹で全国に木の種を蒔いて歩いたということで、林業の神かつ木から造られる船や家具、建築物などの神サマということで。そういえば素桜神社には、須佐之男が神の命によって植えられた桜の木を見回りに来た、という伝承がありましたし、その事業に直接関わったとされる神々が、大屋毘古神(オホヤビコ)と大屋都比賣神(オオヤツヒメ)ということらしいのですが、「屋」という言葉は「八」に通じる言葉ですよねえ? と思うわけで。それも八束水臣津奴命と八坂刀売の変形バージョンなのでは? と思うわけで。植林と木工に関わる時にはそういう名前に変化するようなのですが。この出雲系の樹木と木工の神々は、本来紀州の日前国懸神宮(ひのくまくにかかすじんぐう)というところに祀られていたらしくて。ここにはかつて名草戸部という女系の部族が住んでいて、神武東征の際に戦って負け、女族長は殺された、ということになっていて。「戸部」は「富部」と同じ意味で、しかも女系ですので出雲系の人々だったのだと思うのですが。その後、大屋毘古神(オホヤビコ)と大屋都比賣神(オオヤツヒメ)は日前国懸神宮の祭神から外されて、別の場所に遷宮させられてしまうわけで、現在の所、日前神宮の主祭神は日像鏡(天照大神)、国懸神宮の主祭神は日矛鏡ということで。国懸の「日矛」というのは、やっぱり天之日矛の方? と思うわけで。主祭神はいつの間にか、侵入者に都合の良い神々に変えられているわけでーー;。紀州出身のデーヴァの子がこちら側に来てくれたので、こういうことが分かるようになった、って言われるわけですが。これで、木工の神サマも誰であるのか分かったと言うことで、これから木の勝負が続きますので、大事なことらしいのですが。蛇の兄さんが「役に立つデーヴァの曲の方が優先」って言うのはこういうことなのね、と思うわけですがーー;。

で、夜テレビを見ていたら、なんというか、塩爺の女神は、敵の女子に割と尊敬を受けている感じであって、「なんで?」と思ったのですが、「あの女はウェスタも兼ねている。」って言われるわけで。ウェスタは、男系社会のローマの中で、一番社会的に尊敬を受けていた女神ともいえるわけで。竈の女神であり、火の女神であって、その聖火をともし続けることは、神官の大切な仕事であって。で、一見すると家庭的な女神のように見えますが、男性からも尊敬を受けていたわけです。主神ユーピテルの妻ユーノー女神は、もっと純粋に家庭生活の女神であって、女性の保護者的な性質が強いのですが、ウェスタの場合はそういうわけでもなくて。で、なんでウェスタ? って思いましたら、「ローマとケルトは近いって言ったでしょ。向こうの「竈」っていうのは肉を焼くためのものだから、要するにそれは生け贄を焼き殺す穢れた火の女神」って言われるわけで@@。それは家庭的な台所の神サマじゃなくて、犠牲を焼いて食べる悪魔の竈の神だから、男性からも尊敬されるんだ? と思うわけで。で、あの女はモルガンも兼ねているって言われるわけで。ケルトのモルガンは戦場で死肉を貪るカラスの神サマなわけですが。敵も、力の強い人はいくつもの神の名を兼ねることが多い、って言われるわけで。で、モルガンって、モートのことでしょ、それにモロクのことでもあるでしょ? って言われるわけで。最初がMBで始まる系の神サマですよねえ? それ? というか、ウガリットのモートは「炎と死と乾季の神」であり、カナンのモレクは幼児を犠牲に求める牡牛の神なのでは? と思うわけで。要するに、これらの神々も生け贄を乾燥させたり、焼き殺したりする「悪魔の火」の神々なんだ? ということで。そして、敵の皆様からは、「自分達はトラキアみたいに犠牲を引き裂いて生で食べるようなやり方はしない。ちゃんと火で焼いて洗練されたやり方で食べる。」って言われたわけで@@。そういうのを「洗練された」って言うんだ? と思うわけですが。そして、現代社会においては、誰も表向き人を焼き殺して生け贄にするようなことはしないわけで。その代わりに「原子力の火」というものがあって、敵はどこにでも原発を作って、それを思うときに爆発させて多くの人々を焼き殺せば良いと考えているって言われるわけで。原子力とは古代エジプトの太陽神の一つである「アトム」の名前も持っているわけで。要するに、海においては、生け贄を捧げないと嵐を起こして人々の命と生活を奪う神、陸においては人々の生活を奪い焼き殺すための「火」であり「太陽」でもある神々の名を総取りしているのが「彼女」と言われるわけで。原発が爆発されそうになった時に、それを言霊の力で止めた時から、力関係の逆転は始まっていたけれども、敵の神の名前を発見するまでは「勝った」とはいえない、と言われるわけで。そして、モレクの名前は漏矢(モレヤ)の神の名に通じるわけで、確かにこの神もかつては幼児犠牲を求めた神であって。だから、敵の力が強いとそちらの神に、この名前の神まで支配されてしまうわけで。でも、縄文系の人々、特に東北に住んでいる人達は原発を爆発させようとしたあの女に、大姥サマの名前の一つである漏矢(モレヤ)の神の名は渡したくない、あんな女は自分達の「お母さん」ではない、って言うって言われるわけで@@。でも、モレクの名前は私もあんまり欲しくないですよ? って思うわけですが。そうしたら、「誰でもベジタリアンでなければ肉を焼いて食べるでしょ。それだって立派な「犠牲」の上に成り立っている行為なんだから、自分が必要な範囲で、常識と良識の範囲で犠牲を食べてくれていればそれでOK」って言われるわけで@@。デーヴァの子がお味方になってくれると、こういうことも分かるんだ? って思うわけですが。そういえば、明日は買ったCDが来るわけで。情報に見合った対価は払わなければならないのも、デーヴァ流、ということらしいのですが。(でも「一曲買っただけでこの効果なら文句言えないでしょ。」とは兄さんも言うわけで。まあ、お味方の曲はもっと一杯買っているわけですからねえ? とは思うわけですが。)

いろいろと

あったわけですが、昨日は「お仕事」はお休みということで、「THE MUSIC DAY」の続きを見たりしていたわけで。で、プレカットの設計図の見直しをしたりしていて。で、そろそろ今月買うべき曲を買わねば、ということで、よろしくない目の人達の中にも、こちらを応援したいと言ってくれる人がちらほらといるそうで、そういう人達の中には「自分の曲を買って欲しい」という人が何人かいるので、その人達の曲も買って、って言われるわけで。で、後で気が付いたら、他にもKinKi Kidsの曲とか、TOKIOの曲で買った方が良かったものがいくつかあったのに、忘れてしまっていたことに気が付いて。予算もけっこうギリギリですし、来月になってしまうけどごめんね、と思ったら、兄さんから「何の役にも立たない奴の曲よりも、役に立つデーヴァの曲の方が優先」って言われたわけでーー;。兄さんが買って欲しい、と言ってくる曲は滅多に忘れないので、これも「力の差」なんでしょうけれどもねえ、とは思うのですが。「THE MUSIC DAY」の日は、けっこう遅くまで「お仕事」があって、帰ってきて見出したら、「本日のメインテーマは『毒蛇だけが主役じゃない』です。」って言われたわけで@@。2番目の子のお歌がけっこう一杯あって、そして最後においしいところを全部持っていったのが松本君だった気がするわけですが。

で、昨夜は「NEWS ZERO」を見たのですが、翔君のネクタイが変形した水玉?みたいな感じで気になって。で、昨日は暑かったので油断して薄着でニュースを見ていたら、「パンツ1枚でテレビを見ちゃダメ!」って怒られてしまったわけで@@。そういえば、そのことをすっかり忘れていたわけで。「はしたない格好をしてないで、もっと身を慎んで下さい。」って言われてしまったわけですが;。

で、昨夜はなんだか、医局時代?の夢を見て、医局旅行でどこかへ行くことになって、途中で電車の乗り換えをしなければならなくなって、で、乗り継ぎの間、待つ時間が長くて、で、時間になってもみんなダラダラしていて動かない、みたいなヘンな夢を見て。

そして、今日もたいした「お仕事」はなかったので、ちょこちょこと神社巡りをして帰ってきたのですが。ただ、家の付近の用水の管理組合の人達が、市に頼んで用水の縁の草刈りをしていて。事前になんだか、土を削るとか、黒いシートをかけるとか、用水の水を止めるとか、なんやかや言っていたわけですが、結果的に当面やることは草刈りだけ? みたいな奇妙な感じであって。で、裏の水路が、雨が降ると水はけが悪くなって沼地みたいになるので、水はけを良くしてくれ、と言ったら、「使っていない用水で、排水路としてしか使っていないから、水路の手入れは自分でしろ」みたいなことを言われて。「じゃあ、水はけを悪くしている原因の土嚢を勝手に取り除いて良いのですか?」って聞くと、「組合が管理しているんだから勝手に取っちゃダメ」って言うわけで。管理したいならしのごの言わずにメンテナンスも自分達でやれば? とかって思ったのですが、そういうことも全部いやがらせの内に入るんだなあ、と思って。

で、今日は少しだけ、神社巡りもしてきたわけですが。「狛天白社」というところに行ってきて、また「天白」ってなんだろう? と思うわけで。で、前よりももうちょっと詳しく調べたのですが、伊勢とか諏訪では「星神」と言われていて、で、織り姫の星(こと座のベガ)とか、昴とか、北斗七星と言われているらしくて。星と言っても、いろいろな星があるわけですから、一つの神が複数の星座の星を兼ねるというのもヘンな気がするのですが。たぶん、大元は「星信仰」の神であって、羌族的には「織り姫の星」だったのではないかと思うわけですが、そこに時代が下った思想である北斗七星信仰とか、昴に対する信仰なんかが入り交じって習合している気がするわけで、どれに対する信仰が強いのかで祭神とか神の性質が神社によって変わっている気がするわけで。で、北斗七星とか昴に対する信仰は、道教とかの影響を受けていて「敵のモノ」な気がするわけで。特に「狛」というものは、おそらく「狼」のことだと思いますので、狩猟民の神を祀っているものと思われるわけで。北斗信仰か昴信仰だと思うのですが。ともかく「天白」の「白」というのはあまり良い意味ではないので、太陽だとすれば人を焼き尽くす死に神の太陽の色、月だとすれば人を喰らう死に神の月、星だとすれば搾取と支配の象徴である北斗七星あたりであろうと思うわけですが。でも、北斗信仰は時代が下ると妙見信仰にとって代わられるわけですし、織り姫信仰は七夕に移行する、ということで天白神に対する信仰は薄れ、実態がはっきりしなくなっているのだと思うわけで。割と意味不明で、かつオールマイティーな神になっている気がするわけで。で、「今日行った狛天白社は邪神」って蛇の兄さんからは言われるわけですが。でも、星神を祀っている神社も近辺にはあまり無いから、喰っておいた方がいいよ、って言われるわけで。メソポタミアの太母イナンナは、ニンフルサグ・ウットゥの時は太陽相、イナンナ・メヒトの時は月相、イナンナ・イシュタルの時は金星相ということで、太陽と月と星のいずれの気質もあった方が良いらしくて。でもまあ、暑かったので、それだけで疲れた一日だったのでした。