七夕

昨日から、4番目の子が、織り姫の格好をした蛙の女の子と、彦星の格好をした蛙の男の子の絵をせっせと送ってきて、「君が織り姫で、僕が彦星」って言ってくるので、蛙さん達の星辰信仰というのはそういうものなんだろうな、と思うわけで。日本で有名な七夕のストーリーというと、天から降りてきた天女の羽衣を男が隠してしまって、天女を妻にするのですが、結局羽衣を見つけられてしまって、妻は子供を連れて天に逃げ帰ってしまうということで。妻が忘れられない若者は妻の後を追いかけて天に昇り、親にいろいろと意地悪をされるわけですが、いろいろあった末に、年に一度だけ妻に会うことを許されて、それが7月7日だということで。で、これは地方によってさまざまにアレンジされたバージョンがあるようです。で、一方中国の七夕伝承というのは、織り姫と牽牛を結婚させたら、私生活に夢中になってしまって織り姫としての仕事をしなくなってしまったので、怒った天帝に年に1度しかあうことを許されなくなったもの、なわけで。日本の物語と似ているような、似ていないような話なわけですが。で、織り姫星は琴座のベガ、牽牛は鷲座のアルタイルですから、夏になれば天の川を挟んで見られる有名な星、ということなのですが、なんで年に一度しか会えないのか? ということで。

で、一方西方の星辰信仰で一番有名かつ重要なのが、シリウス信仰ということで。冬の夜空に輝くシリウスは、「冬の星」みたいなイメージがあるのですが、天文学を発達させた古代メソポタミアにおいては、「冬の星」であることが重要なのではなくて、盛夏に太陽が昇る軌道とシリウスが昇る軌道が「一致する」ということが大切なわけで、シリウスと太陽が重なる季節に太陽の力が一番強くなるから、シリウスは「太陽に力を与える星」と考えられているわけです。だから、逆に夜空にシリウスが輝く冬の季節は、シリウスが太陽と遠く離れているということで、太陽の力が一番弱くなると考えられているわけで。で、要するに女神の星であるシリウスと、夫である太陽神が一緒になる季節は「年に一度」だけですよねえ? ベガとアルタイルはいつでも天の川を挟んで一緒にいるはずなのにさ? と思うわけで。そこにも、「ただただ働け」という敵の呪いというかそういうものが入り込んでいて、アーサー王伝説のように敵に都合のよろしい改変が為されていますね? と思うわけで。本来の織り姫・彦星の伝承というのは、星々は全て太陽女神の子供であって、農業に重要な季節の夏に天の川の両端を挟んで輝く織り姫と彦星は、天の水源である天の川を管理する役目を負った夫婦神で有り、兄妹なのだ、というのが本来の神話だと思うわけで。羌族の慣習は「一妻多夫」ですから、白鳥座のデネブと併せて、「夏の大三角形」を形成する星々こそが、蛙さん達の星辰信仰の象徴で、アルタイルとデネブが「夫」に相当する星々であったのかも? とも思うわけですが。ともかく、自分がどこの誰なのか忘れないために、そっちの神話も正しく認識させるように、とその筋からは強力な要請があるということで-;。昨夜は、まだ学生時代で、同じクラスに翔君がいて、で、彼から指輪をプレゼントして貰う、という夢を見たわけで。蛇の兄さんは「あれはあれでけっこうしたたかなタイプ。」って呟くわけですがーー;。

で、クリスマスってあるでしょ? あれは冬至の祭りでしょ? って言われるわけで。キリスト教化される以前から西方では「冬至の祭り」はけっこう盛んであったわけで、それは要するに太陽の力が一番衰えている時期に、太陽の再生を願って行われる祭りな気がするわけですが、それは冬の夜空に輝くシリウスが、無事に若い太陽を生み出して、夫と巡り逢えるようにっていう祭りなんだ? と思うわけで。で、古代エジプトの神話というのは、イシスとオシリスとセトの対立神話なわけで、セトはオシリスとイシスの敵対者とされるわけですが、でもその名は「イシス」から分かれたもので。イシスとオシリスの神話が、女神が夫を喰らって新しい太陽を生む、という古い時代の母系の神話を受け継ぐものだとすると、イシスとセトの神話は、セトがイシスとオシリスを殺し、正統な王権を強者が簒奪しようという男系の神話を受け継いでいるわけで。で、セトというのはローマで言うところのサートゥルヌスのことでしょ? って言われるわけで。それはギリシャ神話のクロノスに相当する神であって、妻子を喰らって自分だけが永遠に絶対的な支配者であろうとする男神のこと、と思うわけで@@。で、そういえばキリスト教化される前のローマでは、冬至の祭りはサートゥルヌスの祭りでしたよねえ? と思うわけで。それは、余所の「太陽の再生」を祈る祭りではなくて、女神が夫の元を一番遠く離れて一人でいる時に、サートゥルヌスに女神を喰ってしまって、永遠の神であれ、っていう祭りなんだ? と思うわけで。冬至に生まれるサートゥルヌスは妻を喰らい、子供を喰らい、自分だけが永遠に生きようとする死神の象徴ということで、そうやって「ローマは永遠たれ」って祀ってるんだ? と思うわけで。だから、それはこの世をサートゥルヌスの国(すなわち「地獄」とか「黄泉の国」)に変えて、自分だけが永遠であれっていう「大量虐殺者の祭り」なんだ、って言われるわけで。サートゥルヌスは、元は女神から分かれた神だから、ローマのサートゥルヌス信者は、「女の格好をした男」なんだよ、って言われるわけで。そもそも、例の地震でお姉さんが言霊の力を使ってねじ伏せた敵のジャーナリストもゲイだったでしょうが。世の中には、本当に心の病で男が好きな男の人もいるかもしれないけれども、たいていはローマの仕込んだ偽物って言われるわけで@@。てことは、キリスト教のクリスマスはサートゥルヌスの祭り、ということで、各地の神々を喰らい尽くして現在に至る気がするわけですが、じゃあ法王はオシリスではなくて、セトなのでは? と思うわけで。でも、ローマの信仰では、セトとオシリスは一体となってサートゥルヌスを形成しているから、「黄泉の国の王オシリス」と「死に神セト」はほぼ同じもの、ということで「神の代理人」はあくまでオシリス、ということで。じゃあ、ローマのセトは? と思いましたら、セトって瀬戸物の神サマのことでしょ? 敵にそそのかされておかしな瀬戸物ばっかり作ってた人がいるでしょ? って言われるわけで@@。だいたい、日本書紀で「金鵄」っていうのは、古事記では「八咫烏」になってるでしょ。八咫烏というのは、賀茂建角身命の化身ということで、男神でかつ賀茂氏の祖神のことです。「鵄」がキリストである神武天皇を保護するトーテムである時は「母親」とか「妻」を意味するけど、「八咫烏」が保護するときは「父親」を意味します。すなわち、キリストの父である「セト」のことなんだけど、キリスト教では父よりも「子」が上位に来るから、サートゥルヌスの方が下位の神になります。って言われるわけで@@。だいたい古事記とか書紀は、女神にヒントを与えるための書物なんだから、古事記の世界のことが現代にまで続いているんじゃなくて、あれは真実を伝えるための書物なんだけど? って言われるわけで。賀茂の神たるサートゥルヌスには、大人しく本来の農業神の姿でもとっておいて貰うのが無難だと思うわけですが。だから、癌になってエストロゲンを摂り始めたら、通常ではあり得ないのに、逆に暴力的になったって言われたでしょ。それは、ローマ式に「女の格好をした男」のツボにはまったから、って言われるわけでーー;。ローマのオシリスに対抗するだけの力を全く持たず、ただただ妻子を食い殺すサートゥルヌスたれ、という呪いに振り回されているだけの神サマですねえ、それ? と思うわけですがーー;。で、オシリスにはアセルとかウシルという別名があるわけで、アセルというのはイシスが変化したもの、ウシルというのはベスが変化したものでしょ? と言われるわけで。そもそもオシリスというのは、イシスとベスの合成神であって「男とも女ともつかない神」だって言われるわけで。セトも同様な神のようで。

で、日本では古来から星辰信仰はあまり盛んではない。しかも、西方の狩人の信仰と似たような信仰を持っていても、縄文系の人々は、母系の文化から男系に移行していないので、強力な「王権保障の神シリウス」にはあんまり興味もなければ、理解もない、ということで。彼らの「大姥様」がシリウス信仰の力を使えることをどう思う? って尋ねたら、「大姥サマは狩人の神サマなんだから、喰えるものは何食べてもいいんじゃないの。」って言われた、って言われるわけで。でも、兄さんは、「お姉さんはアフラ・マズダーを擁するゾロアスターの血を引いているし、マリア・マグダレネの血も引いているから、シリウスの力を使える目を持っていても不思議ではないんだけどねえ。」って言われるわけで。というか、ちょっと待って、って思うわけで。北のイスラエル王国が滅ぼされて、関係者がアッシリア帝国の東の果てに強制移住させられたのが紀元前8世紀、紀元前7世紀にその地方で発生したのがゾロアスター教、そしてゾロアスター教が国教であるアケメネス朝が勃興したのが紀元前6世紀、ということで。全部偶然ではなくて繋がってることなんでしょうねえ? と思うわけですが。そして、羌族の人達は、やはり縄文系の人々と同じく強力な王権思想の源である「六芒星」の力とは無縁で耐性が無いので、それで「六芒星」を擁する人達と同盟を結んで混血して、そうして「六芒星」に耐性の強い力を手に入れようとしたんだよ、って言われるわけですが。耐性どころか、本物の魔女が出て来たよ、って思ってる人が多そうなのですがーー;。シリウス星に思い切って結縁させ、上手く成功させたということで、6番目の子は「魔王(ベルゼブブ)」って噂されているって言われるわけですが。

で、西洋には六芒星の他に、五芒星がありますよねえ? と思うわけで。西方でシリウス信仰がそれほど盛んなら、五芒星もシリウス信仰なんじゃないの? と思うわけですが。そうすると、それはそうなんだけれども、多くの印欧語族は独立心が強くて、部族単位で生活することが多かったから、彼らの五芒星には「支配と搾取」を正統化するような強力な王権の保障性は無いということで。だから、彼らは五芒星の女神は欲するけれども、六芒星の方は「血まみれの赤毛のアン」って言って嫌うそうで。で、キリスト教にはキリスト教以前からの祭祀が多く取り込まれているわけで、西方には五月の五月祭とか、七月の夏至祭が盛んなわけですが、結局五月祭はシリウスと太陽が近づくことと春の到来を結びつけて、太陽の婚姻を祝う祭りであって。で、夏至際も同様であって。そして、次の年の春、3~5月にかけて「復活祭」があるわけで。これは前年の「太陽の婚姻」により、新しい太陽の誕生と復活を祝う祭りだ、って言われるわけで。で、祀っているのが基本的には狩りの神サマですし、元が狩猟民族なので、農耕を開始しても彼らが得た「収穫」というのは基本的には「狩りの獲物」と同じモノなわけです。だから、太陽がうまく結婚したり、再生したりするのに元気をつけて貰うために、生け贄を捧げたりするわけで、「タンムーズの葬式」のように収穫の一部を無理矢理発芽させて、意図的に枯らせてしまうのも、神が健やかで次の収穫をきちんともたらしてくれるようにするためのもの、ということで。(でも、太陽が厳しい暑さをもたらす中東地域では、夏の乾期を「神の怒り」と捉えて、神の怒りを鎮めるために犠牲(夫)を捧げるようになるわけなのですが。)だから、土用の丑の日にうなぎを食べたりしたらダメなわけで。「盛夏に精をつけるために長いモノを食べる、という風習は夏の人喰い太陽女神に長いモノ(すなわち夫)を喰わせて精をつけさせようとした風習の焼き直しだから、危険なもの。」って言われるわけで。そうやって、古い時代の祭祀を自分達の都合の良いように書き換えてしまうのが「敵」と言われるわけで。で、クリスマスも死にゆく古い太陽(すなわちオシリス)と遠く離れている妻であるシリウス(イシス)の祭祀であるはずなのに、それがイエス・キリストの誕生日とされているわけで。古い太陽であるサートゥルヌスの力が一番弱まる時期に、強い力を得てその腹を食い破って生まれるのが、ユーピテルでしょ? ということで。クリスマスというのは、古いサートゥルヌスが犠牲を得て、蛇が脱皮するかのように古き皮を脱ぎ捨て、新たな若いユーピテル・サートゥルヌスとして生まれ変わるというか「若返る」祭り、だって言われるわけで@@。要するに若者の生命を得て、時の流れを逆流させる祭りということで、何もかも「逆」になるからこの祭りの間だけは奴隷も主人のように振る舞うことが許されるし、主人も奴隷のように奉仕したりして楽しむ、と言われるわけで。何もかも「逆向き」にしようとするのがサートゥルヌスの祭祀、ということで。それで理由もないのに、意図的に東側や北側のコンクリートを厚くさせようとしたりするんですよねえ? と思うわけで。ローマのサートゥルヌスに操られて利用されているだけのユダヤのセトがいるわけですな、と思うわけですが。

で、復活祭というのは、本来「新しい太陽」の復活の春祭りのはずが、イエス・キリストは復活祭の3日前に殺されて、その日に復活したから「復活祭」という形に、現在では置き換えられているわけで。で、西洋の復活祭にはイースター・バニーといって、「ウサギ」がつきものなわけですが、これは「月の女神」の象徴ということで。昔の人は、食べられるモノと、食べるモノは同じ素材でできている同じモノみたいな考えを持っていて、ウサギを狩って食べる狼もまたウサギと同じモノ、みたいに思っていましたから、春に多くの子を産む兎の多産は、獲物の豊穣にも繋がるということで、ウサギが本来の意味の「復活祭」の象徴になるわけで。でも、原始キリスト教においては、死したイエス・キリスト(すなわちオシリス)が、そのまま「生き返る」ということになるわけで、使者が生まれ変わる場所は当然「黄泉の国」ですから、この世を黄泉の国にしてイエスを永遠のものとしよう、という思想がそこにある、と言われるわけで。で、Mの子音を持たない複雑怪奇なバラバラ殺神事件の一家であるイシス、オシリス、セト、ホルスの家系ですが、彼らの神話はトルコ側に渡ると、キュベレー・アッティス神話に変化するわけで。キュベレーの名前はソプデト、アッティスの名前はアセトと呼ばれたイシスが変化したもの、ということで、地方によって役割分担も性別も異なって、かつ似たような伝承だけが伝わっているのが彼らの神話であって。で、なんで、そういうことになるかというと、母系社会の太母イシスだけがかつて存在していて、この神が太陽神であり、夏と冬の生命の循環(すなわち生と死の循環)を繰り返して、祭祀で自分と同一のものとなる犠牲を求めるだけであったのですが、結局社会の変化に伴い、男神が登場したり、神々が増えて、それぞれの職能がはっきりしてくると、その名前や役割が更に細分化されて、それぞれの役割分担も明確になり、神々の数が増えてくる、ということで。で、同じ名前の女神を擁する縄文系の人々に尋ねて見れば、彼らは彼らで、神サマは大姥サマしかいないし、モレヤの神も、御射山の神も、全部同じモノで役割分担なんてないし、自分達が一神教なのか多神教なのかもはっきりと言えない混沌とした状態、って言われるわけで。で、大姥サマの夫は? って尋ねると「山爺」は居てもいいし、居なくてもいい、って言われるって言われるわけで@@。要するに母系社会なんで、父親は居ても居なくてもどっちでもいいんだ? って思うわけで。そういう母系の文化から派生した神々は元はみんな「女神」であったので、男神に変化した後も「去勢されたオシリス」のようにヘンな神サマが残っている、とそういうことのようで;;。要するに、とどのつまり、ローマの信仰というのは「生きた死に神」が文字通り、この世の中を「死者の溢れる死に神の国」に再生しようとする信仰、ということで、黙示録なんかもろにその通りの話、って言われるわけですがーー;。で、どこかのサイトでちらっとコプト教会の絵画の写真を見たのですが、そこでは磔にされたイエスの十字架の足下にしがみつくマグダラのマリアの絵が描かれていて。「十字架」というのはそもそもイシス女神の持ち物ですので、その絵は暗にマグダラのマリアがイシスであると暗示しているようにも見えるわけですが。ともかく、偽のイシスが、コプト教徒を誘拐して虐殺するっていう事件が最近あった気がするんだけど? と思うわけで。

で、余談ですが、「ワイルド・スワン」っていう文化大革命を扱った本を読んだことがあったでしょ? 作者の母親は、中国の農村部に下放されたわけですが、子供をたくさん産んだ女性ということで、縁起が良いから田植えを手伝ったっていう話があったでしょ。それは、生殖の豊穣と、稲の収穫の豊穣が重ね合わされている思想がある、っていうヒントを教えるために書かれたんだよ、って言われるわけで。「ワイルド・スワン」は捨てちゃったんですけれどもね。あの作者もお味方であったのですよねえ? 鴻(中国語の「白鳥」)という名前を貰っていた人だったわけだから? と思うわけですが。で、逆に日本では「早乙女」って言って、これから子供をたくさん産みそうな若い娘が田植えをするっていう習慣があるわけで、それも同じ系統の思想なんだよね? って思うわけで。各地の神話は複雑怪奇に絡み合いながらみんな繋がっているんですねえ? ということで。いろいろと忙しい一日だったわけです。

本日の日誌

昨夜は「NEWS ZERO」を見てから寝たわけですが、翔君がチェックのシャツを着ていましたし、なんだか気になって。で、寝ようとしたら、基礎のコンクリートのことで気が付くことがあって。だいたいいつもこういうことに気が付くのは、夜寝ようとする直前が多いわけで。そして、夜ははっきりとした夢は見ませんでした。

で、本日は暑くなる前に出かけて、せっせと土を掘り返して、やるべきことをやってきましたーー;。で、帰ってきてから写真を印刷して。そうしたら、基礎のコンクリートの型枠の跡がけっこう「十字」になって残っているのに気が付いて。「これをどうしましょうか?」って思いましたら、「やっと「十字」の本当の意味に気が付いたので、それはそのままにしておきましょう。」って言われるわけで。今まで、さんざん「十字はダメ」って言ってきたけどいいの? って思ったわけですが、細かくてみんなが「そのままでいい」って言ってくれるものはそのままで良いらしくて。で、「蛙の神サマの夫は魚でしょ。だから、「十字」というのは正確には蛙と魚が田んぼの中で仲良くしている図。」って言われたわけで。昔の人は蛙が雌で、魚が雄だと思っていたんだ? と思うわけですが。

で、イギリスには「アーサー王伝説」というのがあって、これは4世紀だか5世紀だかに実在した人物がモデル、と言われているわけですが、話の内容はアーサー王とその部下の騎士達が騎士道精神に則って、冒険をしながら聖杯(イエス・キリストが最後の晩餐で使用した杯)を探すというもので。で、この聖杯を発見した者は確か、「天国に行ける」という恩恵を授かるので、見つけると死も近い、ということで聖杯そのものは、良いのか悪いのか良く分からない代物なわけで。で、聖杯が見つかった後は、発見者が亡くなってしまったので、再び騎士達が一同に会することはなく、アーサー王はしまいには甥に反乱を起こされて、その戦いで亡くなる? というか、別の世界に旅立つわけで。で、アーサーにはグィネヴィアという王妃がいるのですが、この王妃がランスロットという騎士を好きになってしまって、で、それがアーサー王の知る所となって、火刑にされそうになるわけで。ランスロットは王妃と不倫関係にあったわけですが、その一方で王の忠実な臣下でもあったので、不倫がばれて彼が国外逃亡してしまった結果、王国が弱体化して、反乱が起きた、ということになっていて。だから、グィネヴィア王妃は、王とランスロットの間の信頼関係を壊して、王国の崩壊を招いた元凶、みたいに言われることがあるわけで。で、オシリスって、ウセルとかアセルとも言うそうですので、アーサー王とグィネヴィアってオシリスとイシスの焼き直し板ですよねえ? と思うわけで。グィネヴィアがアーサー王の王国に繁栄をもたらすイシス女神に相当するわけで、でも彼女の寵愛が他の男に移ると、アーサー王は黄泉の国に去らねばならず、王国の繁栄も終わる、みたいな感じで。必ずしも貞操堅固ではないグィネヴィア王妃は、かつての母系の蛇の太母の姿を投影していると思うわけです。でも、「気まぐれで王国を滅ぼす存在」みたいに扱われたり、貞淑でないことを理由にして焼き殺されそうになったりするのは男系的な思想の表れだと思うわけで、しかも伝説の主な主題は「聖杯探索」ですから、キリスト教的な価値観が全体に流れているのは当然なわけで。女性は不吉なものだから、男に従属させておかなければならない、みたいな価値観が全体にあると思うのです。そして、伝承の種類にもよりますが、アーサー王と王妃の間には子供がいないことになっていますから、それはイエス・キリストとマグダラのマリアの関係を意図的に投影させているのだと思うわけで。これはおそらく、ブリタニアの古い伝承とか神話を、宣教師がキリスト教に沿った「物語」として書き直したものがいわゆる「アーサー王伝説」の始めだと思うわけで。そもそもその場にあった伝承を、キリスト教に沿った形で書き換えてしまうのがどこへ行っても彼らの「常套手段」だと思うのですが。

そして、古い時代には、メソポタミアにも「十字」の紋が見られますし、ゾロアスターのプラヴァシ(祖霊)も「十字」ですよねえ? と思うわけで。社会が母系から男系に移行した際に、女神を隠すために神々が男神に書き換えられると、太陽神も男神に置き換えられるようになるわけですが、「十字」というのは本来「女神の豊穣の象徴」ですので、「十字に守られた太陽神(要するに王権者のこと)」とは、「女神に認められ、保護された王」という意味もあるということで。で、西方で「太陽の力を強める星」とされたのがシリウスですので、六芒星のシリウスこそが「隠された女神そのもの」ということになっていると思うのですが。出雲系の神社の亀甲紋はシリウス星で「隠された女神そのもの」、富の王家の×十字は「女神の豊穣の象徴」だと思うのですが、そもそも羌族には、狩人の王家と違って、上位の階級が下位のクラスを支配して搾取するのが当然、という文化がないって言われるわけで、「シリウスが王権を保護する星」という思想はゾロアスターのもの、ということで。羌族の太陽女神には、「王権を保護するイシス女神の十字の力」は本来使えないものだったようなのですが。おかげで、「当代は蛙の姿をしているだけで、「太陽女神」の方が形式的な名前になってる。」って言われるらしいのですがーー;。(そして、男系文化とか専制君主の概念の文化を持たない縄文系の人々は、何故女神を隠さなければならないのか、根本的には分かってないし、ブリタニア辺りからは「デーヴァの目を持っているならブーディカ女王のように戦え。」って言われるって嘆かれるわけでーー;。)でも、それでちょっとは「十字」も安心して使えるようになったらしいのですが。

今日は、帰ってきてからお昼寝していて。で、夢を見て、兄さんから携帯に「デートしよう」みたいなメールが来たのですが、使い方を良く知らなくて、メールを開こうとしてじたばたする、という夢を見たわけで。まあ、毎日そんな感じでじたばたしているわけなのですがーー;。

六芒星

あと、「六芒星」の意味は、「雷神の象徴」ということで、これは雨をもたらすものですし、メソポタミアにおける「シリウス」も「雨をもたらす星」というような意味があるようですので、「六芒星」とはシリウスのことで、イシス・イシュタル女神の象徴だ、と思うわけですが。

アンクの意味

で、狼女神のイシスが「王権神授の女神」であることは分かったわけですが、なんで彼女が「赤毛のアン」って言われるの? って思うわけで。「アン」というのはイナンナ系の名前なんじゃないの? と思うわけで。そうしたら、古代エジプトの頭の先が丸い十字の「アンク」のことを調べてみて、って言われるわけで。アンクって♀みたいな形ですよねえ? と思うわけですが、古代エジプトではアンクというのは「生命」という意味だそうで、これは「生命の鍵(Key of Life)」とも呼ばれていたそうで。で、アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられているそうで、これは死した夫を再生させたとされるイシスの神話にも通じる考え方であって。で、古代エジプトで作られたアンクを見ると、少なくとも上に乗っかっている楕円型のものは、「子宮」に見えるわけで、その中に「世界」が内包されているものもあるわけですから、これは男女の神々が交合して、世界を生む(というか創造する)という神話を現したものなんじゃないの? と思うわけで。ということは、十字の横棒は横に広げた女性の足で、下の棒は男根ということ?@@ って思うわけで。で、誰も言わないけど、古代エジプトの「アンク」というのは、メソポタミアの「アヌンナキ」のことだから、って言われるわけで。「アヌンナキ」というのは、メソポタミアの神々の習合体というか、「神々の会議」のことで、神々は自分達の役割分担とかをこの場で決めるわけです。それと「生命」を象徴するアンクとどういう関係があるの? ということでますます謎は深まるわけで。で、アヌンナキが「何をやっかた」ということを調べますと、まずアヌンナキの長は天神アヌであって、これがメソポタミアの最高神になるのですが、彼らの中には「身分」というものがあって、下位の神々は、上位の神々に使われる身分なわけです。で、下位の神々が、ストライキを起こした時に、上位の神々は人間を作って、神々が働かなくても良いようにした、ということで。要するに、これはいわゆる「階級制」とか「奴隷制」の起源譚みたいな話ですよねえ? と思うわけで。階級社会の上位の人々は神々の子孫でかつ生き神ということで、下々の人々は彼らの先祖がこき使うために創造したものだから、しっかり働け、みたいなそういう話では? と思うわけで。ということは、アンクとは「世界を創造する子宮」の象徴であって、その子孫である生き神のファラオは、先祖のイシスとオシリスから「世界」そのものを遺産として受け継いでいるから、それ以外の人々はみんな奴隷として働け、みたいな、「アンク」ってそういう概念の象徴ってことですよねえ? と思うわけで。で、それが何故「生命」の象徴になったり、かつ一般的な「十字」に変化してキリスト教に取り入れられたりしてるの? と思うわけで。

で、一般的な「生命」ではなくて、「王権神授」の象徴としての「十字」であれば、まさにキリスト教は各国の王侯貴族と手を組んで、「神が定めた王」を定める「神の代理人」の役目を果たしてきたわけですから、意味としては分かるわけです。それは、世界を創造したイシス(とオシリス)の代理人として、王を定め、世界の命運を定め、誰を滅ぼし誰を生かすかをも定める権利を持つ、とそういうことなのだと思うわけで。十字架に張り付けにされたイエス・キリストは「死せるオシリス」の象徴ということで。要するに「十字」とは「世界の運命を定める者」の象徴なんだ? と思うわけで。でも、それがなんで「生命の象徴」にもなるの? 殺されて「あの世」に再生させて貰えて? も、現実の命の象徴とは無縁になるのでは? と思うわけで。

で、そもそも「十字」というのは、「太陽十字」と言って、太陽の象徴でもあるわけで、だいたいなんで太陽の中に十字があるの? というか、太陽の中で男女の神々が交合するの?? って意味が良く分からないわけで。そうしたら、縄文系の皆様から、「そういう難しいことじゃなくて、単純に女の神サマと男の神サマが仲良くしたら、子孫が繁栄するでしょ。そういうこと。」って教えてやって、って言われるって言われるわけで@@。要するに「田」という字は「日」から派生している文字で、□の中に十字があるでしょ? 田んぼの中で女と男の神サマが仲良くするから、たくさんお米が取れるから、それを示したのが「米」という文字でしょ? って言われるわけで@@。昔の人は田んぼの中でそういうことをする祭祀をしてたんだ? と思うわけですが、まあ、それはそうかもしれないけれども、羌族の神サマは「蛙」でしょ。蛙は田んぼの中で男女が仲良くして子孫繁栄するでしょうが、それを示したのが本当の「十字」の意味、って言われるわけで@@。要するに、蛙の子だくさんと稲の豊穣を重ね合わせたのが本来の「十字」の意味と言うことで、西方の人達の十字の使い方が間違ってるの、って言われるわけですがーー;。農作物の豊穣をもたらす農耕民の神話が、狩猟民の神話に取り込まれて、獲物を喰らって、獲物の生命で自らの豊穣を得る狩人の神サマが「創造主」になると、その神サマとその子孫が勝手に獲物である下位の「人間」を生かしたり、殺して食べたりして良い、っていう神話に変形するんだ? って思うわけで。使い方が間違ってるって言われても、今ではそれがグローバル・スタンダードな考え方なんだけど、って蛇の兄さんからは言われるわけですがーー;。

で、西方では、元々女神であったものが、男神に書き換えられているものがものすごく多いわけで。それは何故? って思いましたら、結局西洋の文化というのは、昔からの母系優先の狩猟民の文化と男系優先の狩猟民の文化が混在しているものだから、どちらが優位かということにもよるけれども、女神を男神に書き換えるのは、「男性が女神を隠して保護する」という意味もあるんだよ、と言われるわけで。
ヨーロッパの階級社会における「騎士道」というのは、かつては下の階級の人は人間ではない、というような酷い扱いをしていたこともあったわけですが、同じ階級の女性に対しては必ずしも差別的ではなかったわけで。現代のインドは、女性差別が激しい上に、下のカーストの人に対して、上位のカーストの人が何をしても良い、みたいな一面がある一方で、いったん「ハイクラス」に属してしまえば女性でも首相になれる、みたいな一面もあって、全体での「女性差別」の実態が掴みにくいのですが、中世のヨーロッパもそれに似た状況であった、ということのようで。中欧から北欧にかけては、ローマが支配するまでは女性にも財産の相続権があったわけで、その中には「王位」も含まれていたわけです。でも、ローマに支配されて、文章化されたローマ法が整備されると、女性の相続権は失われてしまうわけで。で、そうすると男性しか「王」になれないのですが、貴族階級の女性の立場は「騎士道」的に「保護されるべき存在」となるわけで、皇帝として即位できなくても、事実上統治を行ったマリア・テレジアのように、事実上としては古くからの慣習法の方が実行されるような例もあったわけで。だから、そういう点では「母系の文化」が「女性は保護されるべき者」となって変化しているので、女神が男神に変化しているのは、女神が「保護されるべき立場」の象徴でもある、って言われるわけで。で、一方男性中心の文化では、女性は最初から最後まで「お荷物」扱いだから、夫が死ぬと寡婦殉死を求められたりするわけで。そういう場合には、女性は死した夫を「あの世」へ案内する女神、として扱われたりしていたわけです。だから、そちらの方は男系的なイシス信仰の変化、ということで。インドのサティーなんかは、ローマ的なイシス信仰なんですねえ? と思うわけですが。で、要するにそうやって、男神が女神と名前を分け合って、女神を守り保護する、というのが母系優位の西欧社会、ということで、そういう習慣はゾロアスターにもあったし、東は朝鮮半島まで拡がって、なんとかの神と、別神というふうになったわけですが、日本にそういう習慣を持ち込んだのはご先祖サマ達ということで。蛙の女神を守り保護するのが、同じ名前を持っている蛇の兄さんとか、その他のお婿さん達のお役目ということのようで。

で、じゃあ、ローマに「イシス」はいるの? と思いましたら、「ディアーナは誰に殺された?」って聞かれるわけで。キリスト教は女神信仰を徹底的に弾圧しましたから、捕虜の女神は死ぬまで奴隷として働かせるし、裏切り者は殺すべし、ということらしくてですねえ? 原発に水をかけて悪かったね? っていうか、私はブリタニアのブーディカ女王ですか? って思うわけですが。(ブーディカというのは夫の死後、王位の相続権を認められなくてローマに対して反乱を起こしたブリタニアのイケニ族の女王なわけで。)ブーディカの信仰した女神はアンドラステというらしくて。その名前は? って聞かれるわけですが、それは「アナト+イシュタル」すなわち、「イナンナ+イシス」という名前ですねえ? と思うわけで。で、イナンナとイシスって結局違うの? アンクの「アン」はイナンナに通じる名前でしょ? と思うわけです。そうすると、それはそうなんだけれども、古代メソポタミアは権力の興亡が激しすぎて、「強力で永続的な王権を神授する神」というものは現れなかったので、イナンナはむしろ庶民の神へと変遷してアナーヒタ女神へと移行するわけだから、イナンナとイシスは厳密には区別すべき、って言われるわけですが、昔はアンドラステのようにいっしょくたにして考えてるやり方も多かったということで。で、血の色である赤色をしたアンクは「生命の再生」の象徴ということで、それは獲物の血だよね? と思うわけですが。

で、「ローマのイシス」っているの? って思いましたら、「それはいない」って言われるわけで。何故なら「法王」こそが「オシリス」であるから。って言われるわけで。古代エジプトのオシリスは死した後も、黄泉の国の王として君臨して妻と子の後見をしたわけです。表向き純血(独身)を守って子孫を残さない者こそが、去勢されて死したとされるオシリスそのもので、生ける屍も同然だから。寡婦殉死を求める男系思想においては、「死した夫」の妻は死ぬしかない。だから、ローマにイシスはいない。ということで、ローマは女神を勝手に殺して、夫を名乗る者が勝手に采配を振るうところなんだ? それ?? と思うわけで。ディアーヌは夫と別れたから、「夫を失った」とみなされて殺された、って言われるわけで。どうりで呪いを解けば解くほど、敵の敵意が強くなるわけだ、と思うわけですがーー;。しかし、今日あたりから、買い物に出ると「アンクのイシスだ」って言われるわけで。「アンクを持っている血まみれの女神」だから「赤毛のアン」って言われるんですねえ? って思うわけですが。ローマの権威の根源が「イシス女神のアンク」であれば、その意味を見つけ出されてしまった今、彼らの権威の根源はいずこに? とは思うわけですが。トラキアのお使者からは、「羌族の太陽女神であれば、最初から知っていて当然のはずの十字の意味を知らないで、イシス女神のアンクを狩り出した後でなければ、その意味に気づけないなんて、本末転倒している。」って言われてしまったわけですがーー;。ともかく、「アンクというのは田んぼを離れて狩猟民の文化に入ると、木の枝の上で交尾している蛇とか、木の枝に掛けられた生首とかの意味にも変化するから注意が必要。」とは言われるわけで。そして、「米」という字は、「田んぼで仲良く抱き合っている蛙が一杯いて、その結果おたまじゃくしがたくさん生まれるように、米がたくさん実る」ということで、「蛙の神サマがもたらす豊穣」を意味する、ということで。(そして道祖神で男の神サマと女の神サマが手を繋ぐというか抱き合う図があるでしょうが。あれも、同じ意味って言われるわけで;。)で、その意味する「豊穣」が、狩猟民の文化に入ると、「狩りをする死に神がもたらす豊穣」をそのまま意味するようになるから、メヒト女神やイナンナの「八芒星」と「米という文字」は、本当に起源も同じで、「豊穣をもたらす神の紋章」ということでも同じ意味なんだよねえ? と思うわけで。「呪いの八芒星」の真の秘密というか意味は、「繁殖期の蛙がいっぱいいる」っていう意味なんて、馬鹿にされてる気がする、と思うわけですがーー;。でも、それが「真実」ということで;;。

で、捨てコンに穴を開けた頃から、「やってしまったものは仕方がない」とか、「早く気が付いて」とか、そういうことは言われていたわけです。でも、何のことなのか分からなくて。で、昨日はお休みだったので、いろんな動画を見ていたわけですが、寝る直前にふいに「捨てコンに開いている穴の合計が10個になってない?」って聞かれたわけで。そのことかい!@@ って思ったわけですが。で、今日は今日で、朝方石井が家の外を歩いていて、隠れなきゃ、って思った夢を見たわけで。今日もできるだけのことはしてきた、と思うのですが。これはこれで、家の外も片付けておくように、ってことなのかなあ、と思ったのですが。そんな一日だったわけです。

戦い続ける神々

古代エジプトの女神イシスが「狼」の太母ということで。要するに、母系の狩人の神のトーテムは、大きく分けて獅子、狼、熊とほぼ「ベス」の象徴とされるピューマがあるということで。メソポタミアのイナンナのトーテムは獅子、古代エジプトのイシスのトーテムは狼、ということになると、彼らの起源は「狩りの女神」という点ではおそらく一番古い時代には似通った起源の神々であっても、割と早い時期に「別の神」になってしまったものと思われるわけで。で、メソポタミアとエジプトの中間的な位置にあるウガリット(現在のシリア)では、バアルという雷神の陪神にアナトとアスタルトという女神がいるわけで、この女神達は性質がどちらがどちらとも言えないほど似通っているのに、別々の名前を持っているわけで、アナトの方がイナンナ由来の名、アスタルトがイシス由来の名になるわけです。で、ウガリットの最高神イルの妻の名は、アーシラトあるいはイラトと言って、イラトの方はイルの女性形で単純に「女神」ということで。イシスはエジプトではアセトと呼ばれていましたから、アーシラトもイシスの別名なわけで、この名前が東はインドのアスラ(阿修羅)に至るまで拡まっているわけです。

で、古代ローマの建国者と言われるロームルスとレムスは、そういえば「狼」の乳を飲んで育ったって言われてましたね、そういえば。と思い出したわけで。で、伝承によれば、彼らはトロイアの子孫であるイリアという女性から生まれたことになっているのですが、イリアは王女であったけれども、叔父が父親の王位を簒奪して、彼女の子孫が王位を要求しないように、イリアをウェスタの神殿に幽閉してしまうわけですが、イリアの美貌に目をつけたマールスが彼女と交わって、それで生まれたのがロームルスとレムスの双子と言われているわけで。怒った叔父は、赤ん坊達を殺すように部下に命じたわけですが、気の毒に思った部下は赤ん坊達を生きたまま川に流してしまうわけで、川の精霊に助けられた二人は狼の乳を飲んで育ち、後にケレースという女神の化身であった人間に拾われて養育され、成長して叔父を倒し、母や祖父を解放してローマを建国した、となるわけで。「川に流された赤ん坊」というのは、メソポタミアやモーゼの説話の中に見られる「英雄譚」を踏襲したものであって。しかもイリアというのは、ウガリットのイラトと同じで「イル」の女性形ですから、彼らは「女神」の息子であった、と暗に示唆しているわけで。しかも、養母のケレースというのもKSという子音を持つ女神で、「イル」を変形した名前ですから、本来彼らは「地母神の息子達」であるという神話があったと思われるわけで。で、狼が「養母」というのもイリアが古代エジプトのイシスと同じモノで、イシスのトーテムが狼であったことを考えると、この狼もイリア・ケレースの別の姿といえるわけで、要するに古い時代には、古代エジプトのイシスの子孫がファラオそのものであるホルス神である、と考えられていたのと同様に、ローマでは狼の太母ケレースの子孫が「王」であると考えられていたと思われるわけで。でも、男系的な印欧語族の文化は、子供を幼いうちに親から引き離して、集団の中で戦士として育つようにエリート教育を施す、というものですから、母親が王権の後継者であるという母系的な神話が否定されて、「養母」という形に、形を変えたのだと思うわけで。で、ヨーロッパでは中世においても貴族の子弟は宮廷に集められて育てられる、みたいな習慣があったわけで。それは王に対する「人質」も兼ねますが、そうすることで階級に相応しい教育を受けたりとか、社会性を身につけたり、コネを作ったり、という目的もあったわけで、印欧語族の上流階級の子供はむしろ他家で養育された方が格上? みたいな風習があったわけです。で、こういうことが現代になると階級によって、行く学校が違う、とかそういう形に変化して古代からの彼らの階級文化の名残として残っているわけで。要するに、ローマというのは狼の子孫が、先祖の狼の如くに群れて狩りをして、欲するものがあったら収奪すべし、という思想を根底に持っている国であるわけです。でも、彼らの言う「洗練されたやり方」ということで、「自分達は狼と兄弟で、狼の子孫である」なんて非科学的で野蛮な事は表向き言ったりしないわけで。その精神だけが脈々と受け継がれているということのようで。ローマの地母神ケレースまで繋がれば私にも分かる。それはインドのカーリー女神と同じ名前でしょうが、と思うわけで。いったん、狂乱の炎に飲まれて戦いだしたら殺し尽くすまで満足しない女神が、彼らの真の太母の姿なんですねえ? と思うわけで。そして、その女神が王権の保護者であり、支配と搾取を正統化する保証人でもあるわけで。要するに、ローマの信仰形態は男系が強いけれども、古代エジプトとほぼ同じモノだったんだ? と思うわけで。古代エジプトではイシスは来世への再生の秘技を知る女神、ということでその儀式を一般に取り仕切り、犠牲を捧げたりする祭祀を行う神官の隠れた名前が「ベス」だったわけですが、ローマでは「ベス」が焼き竈の太母ウェスタに相当するということで、根底にイシス・ベス信仰がある点でもローマと古代エジプトは似通っているわけで。で、イリアとかイシスというのは本来単純に「女神」という意味なわけです。そして、ギリシア神話に至ると、猟犬を引き連れた狩りと狩猟の女神はアルテミスになるわけで。アルテミスの「アル」もまた「神」という意味ですから、「アル」とか「イル」とつく「女神」のトーテムは「狼」であって、彼女の隠された真名は「テミス」すなわち「ダキニ」であることが分かるわけで。ダキニとイシスは本来的に全く「同じモノ」であるわけです。で、祭祀の際に「男性」を犠牲に捧げるのがトラキアと古代エジプトの特徴であって。で、ローマにはテルースあるいはテラという地母神がいますので、この女神がトラキアのダキニに相当する、ということで。もしかして、「t」の子音が接頭辞につく女神はオオカミであって、かつシリウスの女神なんだ? と思うわけですが。ゾロアスターにもティシュトリヤというシリウスを神格化した神がいますし。

で、結局何が言いたいかというと、ゾロアスター教の善神アフラ・マズダはイシス女神から発展した神ですが、一方悪神の頂点とされるアンラ・マンユはイナンナから発展した神であって、ウガリット神話では、仲良く「神々」として祀られていたものが、イランから東に向かうと、「神」と「悪魔」という形に分かれて。互いに相争うようになるわけで。ゾロアスターの悪魔の総称は「ダエーワ」ですから、DV系のデーヴァの神々ということで、牛をトーテムに持つデーヴァは人身御供を要求するというので、人身御供を否定する神々が台頭するにつれて、デーヴァ信仰は「悪魔」の側に移行していくわけですが。一方、隣のインドのヒンドゥー教では、デーヴァこそが「善神」とされ、アスラ神族が神に戦いを挑む悪神とされるわけで。何故? と思うわけで。そして、インドには「寡婦殉死」という制度がかつてあって、夫を失った未亡人は、夫に殉じて生きたまま火葬されると尊敬される、という制度があり、その名前を「サティー」というわけで。「サティー」もイシス女神の名前の変形ですよねえ? と思うわけで。しかも、インドでは階級制度のことを「ヴァルナ」というわけで、結局こういう制度は信仰と密接な関係があるわけで。インドは印欧語族の一派が、かつて支配者層になった国ですので、印欧語族的な階級制度があることは分かるのですが、でも、印欧語族の階級制度は一応能力がある者は、上位のクラスに登ることが可能で在り、極端な固定化はされていないわけで。しかも、「寡婦殉死」というのは、特に男系優先の印欧語族の間では広く見られた行為であるのですが、何故インドでだけ、こんなに最近まで続けられる行為となったのだろうか? とも思うわけで。普通、二つの文化を持つ民族同士が衝突すると、長い時間の間には両者の文化は融合されていく気がするのですが、インドでは印欧語族的な悪癖といえる制度がむしろ強化されている気がして。で、ヒンドゥーの神話では、アスラはインドラと戦って負ける運命であって。インドラとはイナンナ系の神の名ですので、インドラがゾロアスターのアンラ・マンユに相当する神な気がするのですが。で、この神話は後に仏教にも取り入れられて、帝釈天(インドラ)と戦う阿修羅(アスラ)の話へと繋がるわけですが、非暴力を謳う仏教説話に何故神々が戦う話が入ってるの? と思うわけで。

で、仏教には「鬼子母神」の説話もあって、これはハーリティーという夜叉が、多くの子供を育てるために、他人の子を取って食べたので、お釈迦様が彼女が可愛がっていた末子を隠してしまって、で悲しむ彼女に「子供を失ったら誰でも悲しいのだから、人のこと取って食べるのを止めるように。」と言って悔い改めさせた、という話なわけですが。でも、ハーリティーって、イシスの別名ですよねえ? と今なら思うわけで。で、鬼子母神信仰はおそらく紀元後に作られたものと思うわけで、2-3世紀のガンダーラの鬼子母神像を見たのですが、その像は「幼子を抱く母女神」の図で表されているわけで。そもそも初期の仏教に偶像崇拝はなかったはずなのに、2-3世紀のガンダーラ地方から仏像は作られるようになっていったわけで。いったい、このイシス女神の名を持つ女神の「母子神信仰」は、どうやって仏教の中に潜り込んだんだろう? と思ったわけで。(ちなみに日本で鬼子母神信仰が盛んなのは日蓮宗なわけです。誰でも、あの「母子神像」を見れば何のことか分かるようになっているんだよねえ? と思うわけですが。)

で、ヒンドゥー教の方はどうかと言いますと、ヒンドゥー教の善神はバラモン教といって、聖職者であるバラモンを頂点とした階級社会的宗教であって、最古層ではイランの古い信仰と同じものなわけです。で、ヒンドゥー教は4~5世紀頃に、インドにおいては仏教よりも優位な状況になって、しだいに仏教はインドから駆逐されてしまうわけです。そして、仏教そのものも、2世紀のいた龍樹というお坊さんがその確率に活躍したらしくて。紀元後の坊主といったら、その正体はきっと、って思うわけでーー;。で、西方の古代世界の王侯貴族は、母系が優位の場合、夫を短期間でとっかえひっかえして殺してしまう傾向が強いわけで、で、逆に男系が優位だと女性に対して殉死を求める傾向が強いわけで。結局それは、配偶者とそちらの親族に自分の財産がわたるのを阻止するためでしょ? って言われるわけで。強欲であり身内でも平気で食い殺すデーヴァの極端な文化だって言われるわけで。要するに夫であろうが、妻であろうが、力が強い者にとって、配偶者とは子孫を残すための道具に過ぎないんだ? って思うわけですが。結局「寡婦殉死」とはそのような制度であるということで。それが正しいと思って育てば、女の人はそういう制度に喜んで従うと言うこともあるかもしれませんけどねえ? というか、昔はそういうのは財産のある王侯貴族の制度だったんだよね? と思うわけで。そして、カーストが固定化されれば上位の者が下位の者を搾取することが正統化されるわけで、能力のある人を共同体のために役立てようとする慣習すらも失われてしまうわけで。

で、そもそも古来のインドの神話では、アスラも悪神ではなく神々の一神族であったわけで、時代が下るにつれて悪神へと変化し、ヴァルナの地位は低下して、代わりにヴィシュヌとシヴァが台頭してくるわけで。ヴィシュヌはヴァルナから変化した神ですが、シヴァはソプデト、妻のカーリーはイシスの変形と言われるわけで。そして、シヴァの最初の妻がサティ-であって、この女神が「寡婦殉死」である「サティー」の名の起源にもなっているわけで。ヒンドゥーは殺生を嫌って菜食主義の人が多いのに、「寡婦殉死」は貞節の証ということで尊重されるわけです。そして、寡婦は生きていても、「不吉なもの」とされて肩身の狭い思いをしなければならないわけで。そして、仏教についても、ごく初期の仏教は、人々に常に冷静であることと、自己を律することを求めているだけであって。階級制を否定した釈迦は、行きすぎた階級制の弊害とその目的を知っていて、それを打破しようとした人で、彼こそが真にヴァルナであった者、だと言われるわけですが。釈迦の目指したものは、階級制の名の下に行われる搾取を解消すること、身内でも平気で食い合うようなデーヴァの目の狂気と強欲な貪欲さを「諸行無常」として戒めたものだと思うわけですが。まあ、私の頭で理解できるのはこの程度ということで。紀元後にいったい何者がバラモン教と仏教に取り憑いて、人身御供を美化して正統化するような文化を育んだのか、インドはヨーロッパに次ぐ敵の巨大な実験場であった、と言われるわけで@@。ヒンドゥー教と仏教に塗り込められた神々の際限の無い戦いの神話は、イナンナとイシスの二つの名前を持つ者にしか解消できない。何故なら、インドラがイナンナで、アスラがイシスだから、って言われるわけで。あらゆる神々はKBの太陽女神から生まれたものかもしれませんけれども、西方世界ではそれはまずイシス(ダキニ)、イナンナ(バッバル・メヒト)という2大太母を派生させているわけで、そこからあらゆる西方の荒ぶる神々は生まれている、ということで。金刺舎人は敵に対抗する力が欲しくて海を越えたけれども、仏教は仏教で内側に入り込んだ魔の力を見抜いて喰いきれるだけの「目」を欲していた、と言われるわけで。イシスとイナンナの名の変遷を見れば、だいたい西洋の多神教の持つ意味は理解できるようになるのですねえ? と思うわけで。特にイシス女神は、ゾロアスターの太母でもあり、かつデーヴァの本拠地ローマの太母でもあるので、その名前を持つ者は「どちらを選ぶのか」を迫られる、とそういうことのようなのですが。日本では、星辰信仰はそれほど盛んでなくても、海を越えた外国では「シリウス」の象徴であるイシス女神は非常に重要な女神であるようなので。イナンナはメソポタミアの一女神に過ぎなくても、イシスは西洋の「王権者」たちの王権を正統化する支配と搾取の象徴の女神と言うことで。その目の力を誰のためにどうやって使うのかは、誰からも問いただされることになるだろう、って言われるわけですが@@。とにもかくにも、イシス・ダキニ女神は「月の女神」ということで、お味方が目指すところの「太陽女神の奪還と神婚の完遂」っていう観点から見ると、完全にオプション扱いなものらしいのですが。でも、外の人達にとってはこちらの方が影響力が大きくて重大なことということのようでーー;。

絶対的かつ固定的な「階級制」があり、奉ずる神々が永遠に戦いを繰り返し続ける、というのは、それらを信奉する人々が常に争い続け、かつ階級の差を超えて一つに纏まり、真の外敵と戦う力を妨害するもの、ということで。そうして、支配しておきたい人々を常に互いに争い、対立させたままで支配と搾取を続けて行きたいともくろむのが「デーヴァ」ということで。それに踊らされている限り、人々は互いに傷つけ合って、かつその行為をお互いに正統化し続けるしかない、とそういうことになっているのだと思うのですが。上位のデーヴァは下位のデーヴァを搾取し踊らせ続け、インドは今も「草刈り場」と化している、と言われるわけで。そのため、デーヴァの目を持つ仏教徒のヴァルナには、先人のヴァルナの後を見失わず、道に迷わずについていって欲しい、と願う人達も多いのだろう、ということなのだろうと思うのですが。