犬神憑き

ちょっと前から、例の「狛天白」サマに、本場のシリウス信仰の人達で味方をしてくれている人達が気を送り込んでくれるようになったので、近隣住民が今まで直に遭遇したことのないような気を見て気味悪がってるから、周辺に悪夢を送り込まないように注意してる、って言われるわけで@@。で、日本の人、特に東国の縄文系の人達は、星辰信仰にも疎いし、「王権神授の星」であるシリウスの重要性が良く分かっていない人が多くて;、って言われるわけで。結局、日本の国に古来より住んでいる人達は、大陸から来た人達と、南方から海を越えてきた人達に分かれるわけで、大陸から来た人達はそちらの影響力が強くて、彼らの信仰の形は、母系の蛇神信仰なわけですが、でも彼らの「神サマ」はそこで止まってしまって男系の文化に移行してないし、「国家」というものを作る必要性も感じていないし、そもそも彼らにとっては「国」というものそのものが外から来たものに過ぎないので、本音では神サマと国というものを結びつけるやり方も邪道くらいにしか思ってないし、応援してくれるのは、それは古い「同盟」でそういうお約束なっているから、ということだけで;、って言われるわけで。で、西国に住んでいる人達は、ハイヌウェレ型の太母信仰を持っているわけで、しかも渡来の出雲系の人とか、原始キリスト教系のデーヴァの人達もたくさん住んでいるから、一応国際的な「国」という概念には誰でも理解があるし、意外に思うかもしれないけど、アイヌの人達は大スラヴと繋がっているから、割と外の情報に詳しいんだよ、って言われるわけで@@。で、ともかく「自分ちは先祖代々、西国生まれの西国育ちだから。」って言う誰かさんは、割と東国の人達に「ウケ」が悪くて、余所者扱いされる;、ってお嘆きなわけですがーー;。

要するに、「王権神授の星」が何故それほど重要かというと、人喰いデーヴァの人達にとっては、それは「専制君主」を認めてくれる神サマであって、君主が下々を搾取して、食い物にするのを正統化してくれる「星」ということで。で、一方お味方にとっては、いろんな人達が平等に同盟を結んで、外敵に立ち向かえるような、そうやっていろんな人達を纏めるための「王権」を保証してくれる「星」ということで。この星の女神がどちらの考え方を支持するのか、ということが大切なことなのだと思うのですが。でも、そもそも「国家」という概念が希薄な人達には、そういう考え方こそが奇異なものに移ると言うことで。ユーピテルとアフラ・マズダのどちらを選ぶべき? って尋ねたら、「妻」に対して金払いのいい方を選ぶべき、って言ったらしいのですが。まあ、それはそれで真理ではあるのですけれどもねえ? とは思うわけですが。ともかく、国際的な女神の名前を貰うご当人が、その程度の認識では困るよ? って言われるわけでーー;。

で、昨日寝る前に新しい家に入れる花の話をしていて。で、ムスカリをどうしますかね? という話になって。この花の名は「麝香」といって、「鹿」に由来する名前ですし、ムスカリって、モレク・モートに繋がる名前ですし、入れたくないよねえ、という話をしていたわけですが。そうしたら、「異議申し立てが来てる」って言われるわけで@@。で、その名前は「漏矢の神」に通じる名前だから、入れるべきっていう人達がいる、って言われるわけで。そもそも諏訪神と漏矢の神を同格に扱うというのが、古い同盟でのお約束でしょ、って言われるそうで。で、「話し合ってみるから、結論は一晩待って。」って言われたわけですが、いろんな人達からは「どうせ負けちゃうでしょ。」って言われるわけで@@。で、結論から言うと、「それは縁起の悪い名前なんだけど。」って言ったら、一言「黙れ。」と言われた、って言われるわけで。それで負けちゃったんですね? ということで。それは新しい家に入れた方が良い花になったということで。

で、結局日本における「シリウス信仰」っていうのは「犬神信仰」なんだよ、って言われるわけで。それは西の方に多い信仰ですよねえ? ということで、身近ではあんまり聞かない話なわけで。で、「犬神サマ」というのは、「犬を飢えて殺して祟り神にする」というものらしくてですねえ? で、そうやって死んだ犬は、いつでも飢餓状態にあって貪欲になっているので、取り憑いた家に財産とかいろんなものを貪欲にかき集めてくれる、ということで、古くは急速に裕福になった家なんかを「犬神憑き」と差別して言ったらしいのですが。でも、地方によって、差別的に扱ったり、逆に地方の名士になったり? みたいな差があったらしくて。で、取り憑かれた家の人も、飢餓状態に陥って大喰いになったとかって言われているらしくて。まあ、妬みから生じた排他的な思想? といえば、そんな感じがするわけですが、「食べても食べても飢えが止まらない貪欲な病気(しかもどんどん痩せていくばかり)」というのが、どういう病気のことか分かるでしょう? って言われるわけで。それは、人が裕福になって好きなだけ食べることができるようになった結果、大喰いが昂じてなった「糖尿病」のことだと思いますし、それも昂じれば精神的にもけっこう影響は出ますよねえ? ということで。貪欲さで裕福になったデーヴァの人が、食べ過ぎてそういう病態に陥ったことを昔の人はそう呼んだんだ? と思うわけですが。(今昔とか読んでいても分かることですが、平安時代の裕福な人は節制するという概念がないので、こういう人が割と多かったわけで。)ともかく本邦における「犬神サマ」とは「祟り神」としての性質が非常に強いということで、それで封印してあるんだ、あれ? と思うわけですが@@。そういうのと首尾良く結縁させることに成功した6番目の子は、外の人達からは尊敬されているらしいのですが、星辰信仰に疎い近隣住民には微妙に脅威になっている、とそういうことのようでーー;。で、そういえばまだどこかにムスカリって残ってたっけ? と思うわけで。あれは蜜蜂が好む花ですので、私は残そうと思っていたわけですが、そういえば見かけない気もするわけで? 「絶やされていたらどうする?」って聞きましたら、「入れると決まった以上は、買ってでも入れるべき。」って言われるわけで。最近ではピンク色のもあるらしいですし、新しいのを入れるのならそっちの方がいいかもしれないですけれどもねえ? と思うわけですが。まあ、確認してみましょう、ということで。

そして、昨夜は夢は見なかったのですが、ウォークマンを聴いて寝ていて、こちら側に味方してくれることになってデーヴァのお姉さんの歌を聴いていたら、「軍神には雷神と風神が必要」って言われたわけで。草原を風のように駆け抜ける狼のような軍神も必要なんだ? と思うわけで。そういえば、先週どっかのバラエティー番組で風に吹かれてた人がいたよ@@、と思うわけで。起きてから、日本の風神って? と思って調べて見ましたら、そういえば龍田の神・級長津彦命(しなつひこのみこと)がそれに相当する神、ということで。別に、6番目の子が級長津彦命(しなつひこのみこと)の名前が欲しいというなら、別にそれでも良いのでは? と思うわけで。雷神のヴァルナと、風神のバアルで名前を分け合っても良いのでは? と思うわけですが。デーヴァの力の強い人も「伝える力」は強いよね、と思うわけで。

そして、兄さんの新しい曲のジャケットは片目(しかも左目)ですよねえ? と思うわけで。なんで? って思うわけですが。すると、「邪眼」っていうのは、雷神(軍神)の「雷」を発する目の象徴だから、って言われるわけで。そっかー、そちらでも、もうそういう予定なんだ? と思うわけで。

で、なんで「百合」がイシス女神の象徴なの? って思うわけで。そうしたら、西方の太母は「処女母」が多いでしょ? それは、普通の花のように種ができなくて、自らの身から新しい分身(むかご)が分かれて生まれる「百合」になぞらえてもいるんだよ、って言われるわけで。そっかー、それで百合は神話的に特別な花なんだ? って思うわけで。で、私がとっていいか否かということになると、私は東国の縄文系の人達の血が濃くて、そちらの人達と気も合う、ということで、彼らの意見も重要らしいのですが。「父親(というか夫)は、いてもいいし、いなくてもいい、ってあっさり言われちゃうとねえ。」って言われるわけで。どっちでも良いから、百合もとって良くなったらしいのですが。(最も、「夫がいても処女だって言い張るっていうのは母系の人達が財産を守るために使う常套句だから」って言う意見は多いわけで。誰もあんまりその点は気にしていないらしいのですが。そんなものより、絶対にあっちゃいけないのが女郎花、それは除草剤を撒いても絶やすべき、って誰からも言われるわけですがーー;。)

六芒星の意味

ええとですねえ、親から「六芒星」の意味を聞かれたというか、「それは良くないもので、使ってはいけないものなんだよねえ?」というようなことを聞かれたわけで。まあ、それはその通りと言えば、その通りなわけで、どちらにしても敵が使っているものはうかうかとは使わない方が良いわけですが。

でも、出雲の神紋は亀甲紋ですし、その印は何も敵の専売特許というわけではなくて、要するに今までの経過を簡単に言えば、それはおおいぬ座のシリウスのことであって、「太陽に力を与える星」のことなわけです。で、古代エジプトの神話においては、イシス女神がこの星であって、死にゆく古い太陽がオシリスであって、これから生まれ出る若い太陽がホルスに相当するわけで。で、男性の太陽神は、すべからく「軍神」ですので、名前はどうであれ、思想的には戦士階級の神であるベスから派生したもので、イシス女神とは相互に力を分け合い、強める神なわけです。(というか、「イシス」という名がそもそも「女神」というような意味しかもたない名なわけなのですが。)

だから、「六芒星」を使って良いとか、悪いとかって言われたら、現段階では例の如く、みんなが使ってもいいよ、って言ったものしか使ってはいけないわけですが、でも「六芒星(狛天白神)」に結縁して力を得たことは事実であるので、自動的に「六芒星」の力を使える者はイシス女神、ということでその名前を貰えることになったわけですが。六芒星のイシスは、彼女の子孫であるファラオ、すなわち「王権者」の保護者、ということで、シリウスの女神であると同時に、「王権神授の神」でもあるわけです。だから、その名前を貰ったら、六角形を使って良い、とか悪い、という以前に「自分の六芒星」を誰のために使うのかを明らかにしなければならない、ということで。番組を「仕切る人」が六芒星を着ていたということは、神々の世界を仕切る六芒星の母神に、どの軍神を選ぶのか決めなさいって、ことなんだよ、と言われるわけで。軍神ベスの名前を持つ神は二柱あって、それは人喰いローマのベスであるユーピテルと、人身御供禁止のゾロアスターのベスであるアフラ・マズダのこと、って言われるわけで。どちらも自分で詞も書けば、曲も書く音楽の神サマですねえ? と思うわけですが。イシス女神はどちらの太母でもあるので、ロームレスとレムスじゃないんだけれども、どちらかを選ばねばならない、とそういうことのようでーー;。

だいたい、勝ち目が無いと思うから「情けが欲しい」とかって言ってくるんだよねえ? と思うわけですが。ローマのユーピテルについては、すでに充分時間もお金もかけたんで、彼に使うべき力は全て使い果たした、ということで、ダニエル書の「神の指」ではないけれども、「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」って書いてやりたいんですけども? と思ったら、「それ、本当に書いてやれば?」ってそそのかしてくる人がいるもので(苦笑)。「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」というのは、「数え尽くされ、はかり尽くされて、もはや『終わる』しかない」っていう意味なんだよねえ? ということで、預言者ダニエルが、そう言って新バビロニアの皇帝を呪って脅した、って旧約にあるわけですが。で、「ダニエル」って名前ってどういう意味? って聞かれるわけで。「エル」というのは「神」のことだから、それは「ダキニ神」という意味、ってふいに気が付くわけで@@。言霊を使って、敵を呪う神がダキニ天なんだ? って思うわけですがーー;。

で、「私の象徴」の「六芒星」って何? と思うわけですが。兄さんからはオニユリをどうしようかねえ? って言われるわけで。百合は六弁花で、かつムカゴを作り、しかも家にあるのは「オニユリ」という名前であんまりいい名前じゃないんだけど、日本特有の固有種だしねえ? って言われるわけで。百合って「六芒星」と関係があるの? と思いましたら、それは「フルール・ド・リス」なんだけど? って言われるわけで。これは直訳すると「ユリの花」という意味であって、西洋にはこれを意匠化した文様があって、その紋は「メソポタミアの円筒印章、エジプトの浅浮き彫り、ミケーネ文明の陶器、サーサーン朝の織物、ガリアの硬貨、マムルーク朝の硬貨、インドネシアの衣類、日本の紋章やドゴン族のトーテムにも見られる。」ってあるわけで。「フルール・ド・リスは一貫して王家の象徴(特にフランス)として使われてきた」そうで、かつ「宗教的には聖三位一体の象徴であり、また特に受胎告知の場面では大天使ガブリエルを象徴する図像となっている。このようにフルール・ド・リスは聖母マリアとも関連がある。」ということで。これは要するに盛夏に咲く六弁の「百合の花」は、六芒星のイシス女神の花なんだ? ということで。まさに太母の花であり、王権神授の花、ということで。どうしますかね、その花? と改めて思うわけですが。その意味に気が付いたのなら持ってけば、って言われるわけで。縄文系の「山の太母」の象徴として山椒を、蛇のメヒト女神の象徴としてマシュマロウを持っていって良いことになっているわけですが(後は大国主の象徴であるニゲラとか、「金」の名のつく金魚草とか。)。で、逆に紫蘭とか撫子は入れてはいけない、ということで。

本日のMステ

ええと、昨日辺りから「MB」と「MK」の子音を持つ神々の違いをできるだけ、知るということで、あれこれ調べていたわけです。で、ギリシャにはムーサ(Musa)という女神群がいて、これが音楽とか、詩作とか一部学問とかも含む女神達であるわけです。で、これが英語ではミューズ(Muse)となって、音楽(music)の語源になるわけで。で、「MB」の子音を持つからには、元々はモレクとかモートと関連のある神々であったのだろうな、と思うわけですが、モレクの燔祭の祭祀では、「儀式には、シンバルやトランペット、太鼓による凄まじい音が鳴り響き、これは子供の泣き声をかき消す為のものとされている。」とのことで、西洋の「音楽」の起源ってこういうもの? と思っていたわけですが。だから、歌詞のない音楽なんてダメなの? と思うわけで。

で、今日はMステということで、昼間から出演者をチェックして、今日は近藤さんがゲストということで。「生放送なんだから、目のやり場に困るような格好をして見ないように。」って昼間から言われていたわけですがーー;。で、見ましたら、弘中さんは、六芒星が散りばめられている白いワンピースを着ていますし、「muse」という名前の外国のバンドがゲストに出てますし、「@@」という感じだったのですが。で、近藤さんは上下黒のスーツを着ていて、でmuseの人達もそんな感じであって。

それで、近藤さんがデビュー35周年、ということで「デビュー○周年」という人達の特集をやっていて、それを見た時にたぶん福山君のVTRも流れるだろうな、とは思ったのですが(今年デビュー25周年だから)。その紹介の前にデビュー30周年の人達の紹介があって、そこで「少年隊」と「米米CLUB」が紹介されていて、久々に米米のVTRも見たわけで@@。

で、museという人達は「mercy」という歌を唄っていて、これは「情け」という意味らしくて、「情けをかけてくれ」というような内容の歌だった気がするのですが。それを見ていたら「石井が泣いている夢を見たよねえ?」って言われるわけで@@。で、曲の最後に紙吹雪が舞っていたわけで、それが口に入りそうになったりしていたわけですが。番組の最後に近藤さんが、「お互いに紙を食べないように。」ってちらっと言っていたわけで。それって「紙」と「神」を引っかけていますよねえ? と思うわけで。この世界には2種類の人がいて、どちらも同じ名前の神を崇めていて、同じような姿をしているのに、一方は人食いを「悪魔の所業」として禁じている人達で、もう一方は人喰い、神喰いのデーヴァだ、ということで。「ギリシャはどうもね」ってあちこちで言われると思ったら、ムーサの名前を持っている人達を見たよ、ということで。今夜のMステはいつにも増して意味深というか、「何を見てるんだろう@@」という気分にさせられたわけですが。「mercy」という言葉もメヒトから出た言葉ですよねえ? ということで。古き太母の名前はあちこちで、いろんな一般名詞に変化しているようで。「情け」も何も、全ては近藤さんの言った一言に集約されているでしょうが? としか言いようがないわけですがーー;。

で、若かりし頃の福山君も格好良かったですよ、ということで。いろんな人達が、今のところ、蛇の兄さんがヴァルナ、6番目の子がバアル、7番目の子が古き海の神ダゴン(ダキニ系の名前)で良いのはないかと思っているようで。何故、7番目の子がダゴンなのかというと、ローマのダキニ系の神ヤーヌスの名前を彼が取るべきと思っている人が多いと言うことで。何故ならヤーヌスは「始まりと終わり」を意味する境界神であって、英語の1月「January」の語源と言うことで。「1月1日に生まれたのが運の尽き。」って蛇の兄さんには言われるわけですがーー;。でも、一番びっくりしたのは、弘中さんの「六芒星」ということで。

本日の日誌

今日も時間に余裕があったので、いろいろな動画を見ていたわけで。で、トラキアのお使者の動画を見ていた時に、「トラキア・ダキアはダキニ女神の国、マケドニアはメヒト・メドゥーサ女神の国、ではエトルリアは?」って聞かれたわけで。名前から見ると、それは「エト」ということで「KT」という子音になって、普通それは「蛙」のことなのですけれども、蛇神信仰の篤い向こうの人にとっては、それは蛇をトーテムに持つ「イシス」のことですよねえ? と思うわけで。(もっともイシスにも弱いですが「蛙」というトーテムもあるのですが。)で、エトルリアの主神はティニアと言って、その対になるのやユニという女神ですから、主神はダキニを男性系にしたもの、妃神は「BN」という子音ですので「輝けるもの」というような意味と言うことで、二柱併せて「輝けるダキニ天」というような意味を形成していると思うのですが。で、その別名が「イシス」であり、彼らを支える戦士階級の神が「ベス」であるということで。いろんな人に結縁すると、少しずついろんなことを教えて貰えるわけですが、トラキア・ダキア・マケドニアの人達はギリシャ人がなんだか嫌いな気がするわけで。兄さんからもけっこう「南ユダヤの人達はギリシャ人(ペリシテ人)との混血が進んでいてねえ。」って嫌がっている気がするわけで。なんで? って思うわけですが、そうするとギリシャ人は、祭祀としての人身御供は禁止したけれども、その代わりに神の名において敵対しそうな者を闇討ちにする、って言われるわけで。それって、結局は祭祀として人身御供を捧げることと、やっていることは全く同じということで。しかも、そういうやり方を「文明的な洗練されたやり方」みたいに思っている、ということらしくてーー;。で、特にギリシャの中でもスパルタを形成した人達は、ローマと同じ人達ですものねえ? ということで。古代の地中海周辺地域ではエジプトの文化が広い範囲で影響を与えていましたから、エジプトの外の人達でもイシスとかメヒトとか信仰してたのですねえ、と思うわけで。エジプトに攻め込んだヒクソスの人達も、「青い目のイシス」を信仰していたんだ? と思うのですが。

で、エフライムという名は? って聞かれるわけで。これは「KBIN」という子音になりますから、こちらは「蛙のイナンナ」というような名前になりますねえ? と思うわけで。エジプトに長い間暮らして、アセナテ(イシス・ネイト)を祖神とするようになっても、この部族の本来の故地はメソポタミアでイナンナ信仰の人達なのかな? と思うわけで。そして、紀元前15~16世紀頃にヒッタイトが勃興して、一つの王権が搾取を行うというよりは、各地の神々を対等なものとして習合しようという動きが起きますので、そうすると何かと口実をつけて邪魔な人達を生贄に捧げる習慣も止めよう、ということになるわけで、それがエジプトまで波及して、世界で最初の一神教と言われるアマルナ改革に発展するわけですが。アメンホテプ4世の母や妃はミタンニ出身と言われていますし、ミタンニはヴァルナ、ミトラ、インドラ等の各地の男神としての太陽神(かつ雷神、要するに軍神)を集めた習合主義の国、って言われるわけで。アメンホテプ4世はヒッタイトが太陽女神を全て一つに集めて「太陽女神」として祀ったようにアテン神を唯一の神としようとしたわけですが、その改革は失敗したわけで。でも、その思想を更に発展させてエジプトを後にしてきた人達もいるということで。

アフラ・マズダ

ちょっと前に、某所から「大姥サマの鎌」の気を貰ってきて、写真を蛇の兄さんに送りましたら、それは邪気が強すぎて、自分には直接取り扱えない、と言われてしまったわけで。で、紆余曲折の末、その「気」は「月型の髪留め」に変換して貰えたわけですが。その後も、古い同盟の約束に従って応援の気を送ってくれるのはいいんだけど、東国の縄文系の人々の「気」は雑気が多すぎて使いにくい、って嘆かれるわけで。どういうこと?? と思っていたわけですが。

で、ゾロアスターのアフラ・マズダがヴァルナのこと、ということはあちこちに描いてあるわけです。で、「アフラ」というのは「イシス」の名が変形したものですので、ゾロアスター教のヴァルナとかミトラは、アフラ神族(要するにイシス神族)のヴァルナとかミトラというべき存在なようなのですが。ではなんで、アフラ・ヴァルナと言わずにアフラ・マズダなの? と思うわけで。マズダとは「Mazdā」と書きますから、エジプトのメヒト女神、ギリシャ神話のメドゥーサに相当する名前ですよねえ、と思うわけで(ギリシャの北にあるマケドニアの名前の由来もメヒトですよねえ? と思うわけですが)。イシス・メヒトは同系統の女神ですから、習合して扱われていてもおかしくはないと思うわけで。そういえば、メヒトと同系統の名前を持つサイスの女神ネイトは、ほぼイシスと同じ扱いじゃなかったっけ? と気が付いて。この2神を習合させるような信仰がどこかになかったっけ? と思っていろいろと調べたのですが、答えは意外なところにあって。旧約聖書によると、エジプトに奴隷として売られたヨセフの妻は「アセナテ」という名前の、エジプトの神官の娘ってありまして。「アセナテ」っていうのは、「イシス+ネイト(メヒト)」を併せた名前ですよねえ? ということで、ヨセフとアセナテの息子とされるエフライムとマナセが、後のエフライム族とマナセ族の先祖とされるわけで。で、Wikipediaには「初代北イスラエル王国の王ヤロブアム1世はエフライム出身であったので、紀元前745年頃から、北イスラエル王国はエフライムと呼ぶようになった。」ってあるわけで。北イスラエル王国の歴史はクーデターに次ぐクーデターの連続ですので、初代の王の子孫がそのまま王家として残っているのではないわけですが、国名が「エフライム」というのは、それなりに意味があることであって、要するにそれは、「ヨセフの子エフライム」がユダヤの正統な「嫡子」であるっていう思想の表れだと思うわけで。そもそも旧約では、ユダヤの太祖アブラハムから、その息子イサク、そのまた息子のヤコブへと家督は受け継がれて、このヤコブが神と相撲を取って勝ったのでイスラエルという名前を貰った、という展開になるのですが。(そもそもよく考えたらイスラエルの「エル」とは「神」という意味ですから、イスラエルとは「イスラ神」とでもいう意味になるわけで、それは立派なイシスの別名、ってはたと気が付くわけなのですが。)で、ヤコブの父イサクには「イサクの燔祭」という有名なエピソードがあって、神がアブラハムの信仰心を試そうとして、一人息子のイサクを燔祭に捧げるように命じたところ、アブラハムがそれを実行しようとしたので、神はそれを止めて、アブラハムの信仰心を称え、子孫を繁栄させてあげよう、と約束した、という内容なわけで。で、イサク、ヤコブ(イスラエル)と続いて、ヤコブにはラケルという最愛の妻がいたのですが、その妻が産んだのがヨセフとベニヤミンなわけで、ヤコブがヨセフを寵愛するので、彼は兄たちに妬まれて奴隷として売り飛ばされてしまうわけで。それでエジプトに売り飛ばされたヨセフは逆にそこで出世して成功したので、故郷のカナンが飢饉に陥ったときに家族をエジプトに呼び寄せた、ということで。たぶん現実的な真実味はあんまりなくて、みんなエジプトに攻め込んだヒクソスの子孫なんじゃないの? と思うわけですが、これが十ニ支族の起源譚になっていますし、人間の燔祭禁止の起源譚にもなっているわけです。だから、後の時代にある意味、全部対等で平等でなければならないはずの、十ニ支族の中にも「誰が正統なイスラエルの後継者なのか?」という意識がもしかしてあったんだ? と思うわけで。で、ともかく北イスラエル由来の人々はゾロアスター教を興し、アフラ・マズダ(イシス・ネイト、すなわち彼らの伝説的な先祖である合成女神「アセナテ」)の名をとって、周辺の異民族と混血習合していったんですよねえ? と思うわけで。ということで、ゾロアスターとはエフライム族の末裔だったんだ? と思うわけですが。で、そこまで思うと、「ユダヤの正統な王家は、エフライム族の王家か、それともユダ族の王家か?」って聞かれるわけで@@。そんなことを今更論じることに意味はあるの? って思うわけですが。

そもそも、南の王国の人達がバビロンの虜囚から戻ってきて、長い時間をかけて纏めあげたのが「旧約聖書」ですよねえ? と思うわけで。でも、旧約というのはダビデ王家の正統性を強く謳っている書であって、それがキリスト教時代に入ると、「ダビデとソロモンの子孫」を自称するイエス・キリストの興したキリスト教の正統性へと変貌していくわけで。で、今になっても北と南の人達の間には、相容れない「何か」があるとしか言えない気がするのですが、それに気が付かなければいけないということで。

で、いろいろと調べていたのですが、旧約には「エステル記」というのがあることを思い出して。「エステル記」というのは「不思議なことにこの書の中には神、主という言葉が全く見られない。」という話なわけですが。これは、アケメネス朝の時代に、ペルシャに住んでいたユダヤ人モルデカイと、その養女エステルの物語であって。エステルはその美貌から、ペルシャ王クセルクセス1世の妃の一人になったわけですが、ユダヤ人であることを知られたくなくて(差別を恐れて?)、素性を王に隠していたわけです。で、王には悪い臣下がいて、ユダヤ人を皆殺しにしようとしたので、エステルは遂に自らの素性を王に明かして、同胞を助け、逆に悪い大臣とその一派を皆殺しにして、で逆にその大臣の財産をエステルとモルデカイが手にした、という話なわけで。どうにも史実ではないようなのですが、エステルはユダヤ人の危機を救った女傑ということで、彼女の故事に倣ってプリム祭というお祭りがあるわけで。で、彼らの名前を見るに、エステルというのは、アセトと呼ばれた「イシス」のことですよねえ? と思うわけで。で、一方のモルデカイというのは、バビロニアのマルドゥクに由来するということで、モルデカイというのは現在でも一般的な名前らしいのですが。で、マルドゥクのアッカド名は、「アマルトゥ」で「太陽の牛」を意味した、ということでマルドゥクは立派な「牛トーテム」の神サマなわけです。

また、ソロモン王はモレクの祭祀を行った、ということで。これは人間の子供の燔祭を伴う祭祀ですので、一応表向きはソロモン王はそのために神の怒りを受けたことになっていますが、旧約にはそれ以外にも、人間の燔祭を捧げた記載がいくつもありますし、全体の構成そのものがダビデ王家に連なる人々を褒め称える構成になっているわけで。そして、アケメネス朝はバビロン捕囚で苦しんでいたユダヤ人を解放した王朝であって、ゾロアスター教を信仰していましたが、宗教が自分達とは異なる異民族にも寛大な国家であったので、逆にユダヤ人を皆殺しにしようとした陰謀があったりとか、それを逆手にとって敵対者を皆殺しにした、とかそういう話の方が奇妙に感じられるわけであって。そして、ゾロアスター教の神話においては、牡牛をトーテムとする人間の燔祭を好むデーヴァの神々は、ダエーワという「悪魔」とされて善神と対立することになるわけで。これを「善悪二元論」と呼ぶわけで、この考え方が後の西洋の思想に大きな影響を与えた、と言われるわけですが、それまで「神」であったデーヴァの神々を「悪魔」として、人間の燔祭を行うことを明確に「悪」としたのがゾロアスター教なのだと思うわけです。そして、アケメネス朝の首都であったペルセポリスに残る壁画には、獅子が牡牛に食らいつく絵が描かれているわけで。こういう絵は「象徴」ですから、アケメネス朝の王権者は「牡牛トーテムの思想を敵と見做す」という意思表示なわけで。ゾロアスター教は時代が下ると周辺地域の神々を取り込んで多神教へと移行しますが、そもそもの始まりはアフラ・マズダーだけを唯一の神として信じる、というものだったわけで。ユダヤの民の信仰は、公式にはずっと一神教だったわけで、HWHYというのは、おそらくホルアクティのことですから、イシス女神の民の擁する唯一のホルス神といことで、おそらくその性質には夕日の神アテン神的なものも含まれていたことと思うわけで。彼らのHWHYの神は、父であるオシリスと、子であるホルスが習合したものであって、女神にしてかつ母神であるイシス女神を暗に隠し、守っているというものだと思うのですが。でも、カナンの地は本来多神教ですから、周辺地域の信仰とも接触があるわけで、聖書でも非難の対象になっているバアル(印欧語族のヴァルナ)とか、モレクの神とかが信仰の対象にされたわけですが。結局、どんな名前の神を信じようと、「牡牛トーテムの神を祀って人の燔祭を行うか否か」ということが大きな分かれ道になっていて、結局それが略奪主義とか搾取主義を容認するのか否か、ということに繋がっているわけです。何故なら、人食いの牡牛の神サマは略奪と搾取の神サマで、それを「悪魔」としたのがゾロアスター教の人々だから、ということで。だから、3000年も前に失われてしまった王国の真の後継者が誰なのかと言うことを人々は神に問い続けずにはいられない。牡牛トーテムを容認する人々の子孫の中から登場した過激な略奪思想を持つイエス・キリストが興したものが原始キリスト教であり、一方牡牛トーテムを否定したゾロアスター教の流れを汲むものが仏教とカアバの信仰だから、と言われるわけで。

で、旧約聖書はバビロン捕囚から故地に戻った人々が時間をかけて纏めたもので、ゾロアスター教の影響なんかも受けて成立した、と言われているわけですが、「そもそもそれはゾロアスター教に対抗して、ダビデ王家を正統化するために書かれたものなんだよ。だいたいアフラ・マズダ(イシス・ネイト)という名前はイスラエル(イシス女神)と同じ名前なんだから、十支族が失われた、なんて言うのがあり得ない話で、みんな誰がどこで何をしてたのかお互いに知ってたんだよ。」って言われるわけでーー;。それで家に旧約聖書も新訳聖書も入れてはいけないんですねえ? と思うわけですが。しかし、それならそれで非常にシンプルにこう言うしかないでしょう。アブラハムとイサクの末裔を名乗り、子牛に対する信仰を禁じたモーセの教えに従うと述べる者であれば、ただその教えのままに従うエフライムの王家を選ぶべし、と。ということなわけですが。

それにしても、デーヴァの目を持っている人の魂の姿は片目であったりするわけで。なんというか、西洋の人達は自分達の信じる神サマに併せて、それに特化した気を使うやり方を磨き抜くことで力をつけてきたから、デーヴァの神サマに併せた力ばっかり磨いてくるとそういう姿になってしまう、とそういうことのようで。で、一応西方社会では、「MK」の子音で現されるメヒト系の神々と、「MB」の子音で現されるモレク系の神々は厳密には区別される、ということで。その差を見つけて欲しい、と言われるわけですが。でも、この2群の神々は起源的にとても近くて、本来は「MKBT」という子音で現されていたと思うわけで、一番原型に近い名前の神はエジプトの女神ネフティスだと思うわけです。そして古代エジプトとメソポタミアの両方にまたがって、ムシュフシュという神獣がいるわけですが、これが「毒蛇の頭とライオンの上半身、鷲の下半身、蠍の尾を持つ。」という怪物なわけで。で、ナルメル王のパレットと呼ばれる古代エジプトの古い時代のパレットにその姿が描かれていて、それによると2体のムシュフシュが向き合って、その長い蛇の首が互いに絡まって「8」の字型になって「永遠」を意味する象徴となっていますので、これは他の神々が台頭する以前の古い時代の「始めと終わり」を意味する権威ある神であったと思うわけで。これが時代が下ると、阿吽の相を示す2頭の獅子神であるアケルとかに移行すると思うのですが。で、ともかく「ムシュフシュ」という名前ですので「MB」系の神だと思うわけで。で、この4つの獣を併せた合成神が、時代が下るとどうなるかというと、「死者を守護する4柱の女神」へと移行するわけで、それがイシス(鷲→鵄)、ネフティス(蛇)、ネイト(獅子)、セルケト(蠍)へと変化し、これらの女神達が「死者の復活と再生」に重要であると考えられていたわけで。みんな大雑把にいえば、ムシュフシュの名前や性質から分かれたもので、元はムシュフシュなんでないの? と思うわけですが。更に時代が下ると「MB」とか「DB」の子音を持っている神とか、牛をトーテムに持つ神々が「人喰い」の神々として特別な存在になっていくわけで。で、彼らの一部はなりふり構わずいろんな屁理屈をこねて自分達のやっていることを正統化しようとする、ということでーー;。だから、元は「MB」とか「DB」の神々も他の神サマ達と起源は似たり寄ったりなわけですが、デーヴァ信仰の人達はそれに合わせた目の力を磨いてきたし、そうでない人も自らの信じる力を使うように心がける、ということで、あまり自らの信じるところとは異なる「気」というものは使わないし、使えないし、そういうやり方を西方の人達は「洗練された気の使い方」と言うって言われるわけで。でも、縄文系の人々からみれば、ミサクチの神サマも、モレヤの神サマも「同じもの」ということで、しかも、古い時代の同盟によれば「漏矢の神(MBの神)も、諏訪神も同じものとするのがお約束」ということで、西方の人達がするように、「この神サマにはこういう気を送る」ということがなくて、いろんな気を送りつけてくるのでやりにくい、って言われるわけで@@。しかも、漏矢の神の気を送って来られると白鳥の姿を取れなくなって、ハゲワシのヌト女神の姿になっちゃう、って嘆かれるわけで@@。それは「MB系の神」である武藤天神を食い切れ、という陰謀では? と思うわけですが。そういう気を送って貰うのを止めて貰うと、また白鳥の姿を保てるようになるらしくて。しかも、昨日辺りから、白鳥の姿を取る時には「王冠」を被った姿で現れますよねえ? と思うわけで。みんなに「お前が王様だろ」っていう気を送られると、自分でそうなりたいと思わなくても姿が変わっちゃうんだよ、って言われるわけで@@。確かに3000年も前に無くなった王国の主権者が誰かなんて、今更言っても意味が無いことなんだけどねえ、とは言われるわけですが。なんだか、そういうだけでは済まされないことも世の中にはあるということのようで@@。

で、昨日辺りから、時間的にちょっと余裕ができたので、ネット上でいろんな動画を見ていたのですが、某所で「Heart」を出した頃の福山君の動画をみつけて。もっと若い頃の「Hello」とかを出してヒット曲をけっこう出してた頃の動画もけっこう見れる分は見たのですが、一時期2年くらい音楽活動をお休みしていて、で活動を再開して出した曲が「Heart」ということで。私が大学時代に出していた曲の頃は、まだ少年らしいあどけなさとか気楽さが表情に残っている気がするわけですが、「Heart」の頃はもっと大人っぽくなって、厳しい表情になっている気がして。この後もいろいろと大変なことが続いたし、たいへんな思いをしていた2年だったんだろうな、と思うわけで。で、今日は今日で、「Beautiful life」のPVを見たわけですが。アカペラのCMバージョンってまるでプロポーズしているみたいな感じですねえ、と思うわけで。「Beautiful life」は2012年の曲なわけですが、この頃もなんだか心配そうな顔してますねえ、と思うわけで。私の中の福山君のイメージって、パーマをかけていて、ちょっと飄々とした人という感じであって、だいたい「生きてる生きてく」をリアルタイムでテレビで見てた頃のイメージが強いわけですが。でも、「生きてる生きてく」の後は髪をストレートに戻しちゃいましたね、って思うわけで。でも、PVを見ていても最近福山君の目の力も強くなった気がして。それもなんだか不思議な気がするわけですが。

で、日本の国では、古来から6月末に大祓という祭祀があって「茅の輪」というものをくぐると、無病息災になるという考え方があるのですが。これは、神社の境内とかに大きな輪を作って、その中をくぐるというもので、しかもお作法があって「8の字」を描くように廻らなければいけない、ということで。蛇の兄さんからは「関わっちゃダメ」って言われるわけで。で、なんで? って思うわけですが、「8の字」を描くように茅の輪をくぐるというのは、ムシュフシュに代表されるような人食いの死神が永遠たれ、っていうことだからダメ、というか、それは「黄泉の国」に生まれ変わるという儀式なんじゃないの? という気がするわけで。

そして、ヤコブが神と「相撲をとって勝った」というエピソードは、古事記の建御名方富神と建御雷神のエピソードに流用されて、勝者である建御雷神の方が、「正しいから勝った」みたいな感じで使われていますよねえ? と思うわけで。これっていやがらせ? と思うわけですが。まあ、どうせそんなところだろう、ということでーー;。