ローマの2つの頭

要するに多神教ローマに君臨する「対となる2神」はユーピテルとウェスタということで。でも、ウェスタは「処女神」とされているわけで、ユーピテルにはユーノーという妃神がいるわけで。なんで、そんな構成に? と思ったわけですが、印欧語族の神話をいろいろと調べて見ると、「B」の子音で始まる神を擁する部族と、「DB」の子音で始まる神を擁する部族が、同盟を結んで多神教を形成した痕跡があって、地方によって両者の関係は、夫婦であったり、兄弟であったり、はっきりと同盟関係にあったり、ということで、印欧語族が形成される以前の古い時代に、「B」の神を擁する部族と「DB」の神を擁する部族が同盟を結んで、彼らの子孫が印欧語族ということになるような気がするわけで。で、ユーピテルとユーノーのように、男女の1対の神が民族の祖神である、というのは割と広い範囲でみられるオーソドックスな「祖神」の形態なのですが、一方のウェスタは「ベス」から派生した神であって、嘘つきで邪なお猿をトーテムに持つ「ベス」は、何故か「岩から単独で生まれた」というような伝承が多くて。これは本来は「大地の地母神から生まれた神」という意味を持っていたのかもしれませんが、男系が主流の時代に入ると、「単独で生まれた」ということで、この神の「特別な神性」が強調されるようになるわけで。処女神であり、単独神として語られるウェスタは、単独神であるお猿のベスの変形な気がするのですが。

(ちなみに、お猿のベス信仰の人達は、「横縞」を着ていることが多くて。ベスが「邪」な神であることもその原因の一つではあるわけですが、C・S・ルイスの「ナルニア国物語」シリーズには、アスランというライオンの神サマが出てくるわけで。で、この神サマはキリスト教のイエス・キリストになぞらえて語られるわけで、物語の中では「善神」なのですが、このシリーズのうちの一つの「さいごの戦い」には、アスランの名を騙って、ナルニア国の住民に貢ぎ物を要求する「ヨコシマ」という名前の猿が出てくるわけで、これを知ってたら、「ヨコシマ」って言ったら、猿のヨコシマってすぐに出てくるわけですがーー;。)

で、ウェスタというのは、「BST」という子音からなるわけで、ガリアのケルトにはベレヌスとベリサマという夫婦の神々がいますので、彼らがウェスタに一番近い存在ということで。ウェスタというのは、本来は単独の男性神であって、彼に仕える処女の巫女達は、「神の花嫁」的扱いではなかったかと思うのですが。そして、巫女達が「処女」であるということは、「神に捧げられた生きた犠牲」ともいえるわけで。古代エジプトやメソポタミアでは、こういう形の「犠牲」は社会的には尊重されたし、わざわざ惨めに殺されたりする必要性のない上流階級の子女がその任に当たったということで、ローマにおいてもウェスタの巫女は、当初貴族の娘でなければ認められなかったわけです。で、ガリアのベレヌスとベリサマがどういう神かというと、火と炎の神であるわけで。そして、ガリアのケルトには「ウィッカーマン」という巨人の像を編んで作って、その像の中に生きた人を詰め込んで焼き殺すという「火祭り」があって、「ウィッカーマン」というのは「BK(ベス)」の男という意味ですから、この祭りがベレヌスの祭祀だったと思うわけですが。要するにローマのウェスタもこういう性質の神だということで。で、正式な「結婚」という形態を取らずに、「処女の巫女が男神に仕える」という形式は、原始キリスト教に引き継がれるわけで、原始キリスト教団の主役は、神に仕える「修道士」というか、いわゆる「坊主」ということになるのですが、古代の原始キリスト教団の修道院には女子修道院が併設されており、修道士と修道女には、表向きは独身で、純血であることが要求されていたけれども、実際には女子修道院は修道士達の性のはけ口として利用されていたという側面があるでしょ、って言われるわけで。ローマ・ギリシアの男系社会は女性を蔑視するあまり、「男同士で結婚する」というような異様な形態を取ることがあって、女性はあくまでも子供を産むだけの存在であったりしますから、そういう差別的な性質を原始キリスト教団は引き継いでいるわけで。で、彼らの悪しき「ウェスタ信仰」の最たるモノは、「中世の魔女狩り」って言われるわけで。ヨーロッパ中で非常に多くの人々が教会の手によって「魔女」の烙印を押されて殺害され、犠牲者は拷問の末「火刑」に処されて、あげく財産は教会に没収ということで。しかも、拷問にかけられますから、かける側からすれば好き勝手な自白をさせ放題、ということで、知っている人の名前を片端からあげさせて、そういう人達も「魔女である」という自白をさせてから処刑するわけですから、「魔女」の数なんていくらでも増え放題、ということで。犠牲者を「火刑」にするということがウェスタ信仰の証、って言われるわけで。要するに、ローマにとっては、ユーピテルが支配と搾取の神、ウェスタが虐殺と財産没収の神なんだ? と思うわけですがーー;。古き狩猟の神「ベス」は印欧語族以外の人々に取っても、狩猟と軍神の神であって、ヒクソスの神でもあるわけですが、ローマの神々の性質はそこまで凶悪になっているということで。

結局「死に神」、特に太母としての「死に神」の性質には古来より「幼児供犠」という問題がつきまとうわけで、これは要するに「口減らし」ということに尽きるわけだから。共同体において、供給よりも需要の「口」の方が増えれば、それを何とかして解消しない限り、全滅ということにもなりかねないわけで。避妊というものがない時代には、子供は自然のままに産まれてくるわけで、増えすぎた需要の解消のためにも「幼児供犠」は行われたわけだから、太母の役目は、生かされた子供が健やかに育つようにすることと、不幸にして殺された子供を自分の腕に抱いて慈しむこと、ということなわけで、「生と死を司る太母」という性質はそこから来ているわけで。でも、殺された子供からすれば、それは将来自分が受け取るべきであった財産や地位を奪われることになるから、そういう思想の延長上にウェスタやベレヌスの信仰の思想があるわけで、それは明確に「犠牲の財産を奪って、奪った側だけが裕福になって肥え太る」ことが正しい、とされるわけで。山の死に神の太母の思想と、ウェスタ・ベレヌスの思想には連続性があって、どこまでが「正しい思想」で、どこからが「悪い思想」なのかということを正確に線を引くことは誰にもできない、人の命を奪って残った人が生きる、という点では「同じ思想」だから、って言われるわけで。結局、互いに協力して大規模な農業を興し、食料の供給を増やし、安定させて「人身御供」というものを無くそう、という思想が現れるまでは、誰もがどこかで「線」を引いて、どこまでを行うべきで、どこからを行うべきでないかを模索していたわけだし、そういう模索は現代社会でも続けられているわけだから、って言われるわけで。それでも、誰もがウェスタの思想は行きすぎてるし、あんまりだと思うから、その名前を何とかできるだけ取り返して欲しい、と願うわけで。でも、ローマの神話の難しいところは、ユーノー女神よりもウェスタの方が位が高いので、ユーノーの名前を貰っている方が不利になるようにできている、って言われるわけで@@。ウェスタの名前を奪うためには、ベレヌスの名前、ラテン語で「Bellis」と呼ばれる名前とその意味を知らなければならない、ということで。それは英語の「fire(火)」に相当する「ヒナギク」のことで、かつては男性の狩りの神ベスとか、メソポタミアの古き太陽神バッバルといった「B群」の神々のことであり、縄文の「大姥サマ」のこと、と思うわけで。それは白髪の死の「白い太陽」であり、要するに漢字で表すと「婆」ということになるわけで。トランプのジョーカーのことだよねえ、それ? と思うわけですが。ジョーカーは、「JK」という子音を持ち、トランプの整然とした数字の流れからいうと、どこにも属さないけれども、状況に応じてどのカードにもなれる、という札であって。「B群」の「死神」達は、民族や部族、時代によって、その役割にあまりにも激しい差がありすぎるので、その名を取る者は、「どのような神」になるのか自分で選ばなければならない、って言われるわけで。要するに、牛とかトマトとかローマの人が食べるようなモノを食べると、「ローマのやり方を選んだ」ってことになっちゃうんですよねえ? って思うわけで。ローマの神サマに近い名前を貰えば貰うほど、ますます牛は食べちゃいけないモノになるようなのですがーー;。

で、話は全く変わるのですが、五十猛(いそたける)という植林の神サマは、渡来の神と言われていて、島根県の大田市というところに上陸したと言われているそうで。で、この神サマが木の多い紀州に祀られているわけですが、伊勢神宮には五十鈴川という川が流れているわけで、川の神も祀られているわけで。この神は人々のお願いを天照大神に取り次いでくれる神とされていて、特別な祭祀もあるらしくて。要するに五十と書いて「いそ」と読むのは「伊勢」と同じ意味であって、五十猛と五十鈴川の祭神はおそらく「同じもの」だと思うわけで。これは伊勢の地名を取った「伊勢津彦」と同じ神ですよねえ? と思うわけですが。伊勢津彦という神は、伊勢国風土記によれば「伊勢津彦命は大和の天津神に国土を渡すよう要求され、断っていたものの、最終的に追われ、今は信濃国にいる」とされている神であって、建御名方富神と同じ神であるとかない、とか言われる神なわけですが。そもそも、卑弥呼の時代には宮殿の奥深くに住んでいる女王と人々との間を「取り次いだ」のは「夫」でしょ? って蛇の兄さんに言われるわけで。まあ、昔の「背の君」は兄弟でもあり夫でもあるわけですからねえ、と思うわけで。五十鈴川の神も伊勢津彦も建御名方富神なんですねえ、と思うわけで。

で、伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、どちらも風の神である級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀っているわけで。この男女の神はおそらく「夫婦」の1対の神だと思われ(兄妹だとしても古代世界においては意味するところは「同じ」なわけですが。)、彼らは奈良県の生駒町にある龍田大社の主祭神とされているわけです。で、「戸辺」というのは「富部」ということですので、本来出雲系の神であって、「級長津(しなつ)」というところにある富部の神々、ということになると思うのですが、最近「津」という言葉は、海の近辺では「港」という意味でも、内陸では「野」という意味も持つのではないかという気がするので、そうするとこれは「科野」という意味になるので、「科野」という地名がここから来たのか、この生をとって「科野」と名付けたのかは良く分からないのですが、生駒の「級長戸辺」は信濃国に強い縁があるところ、ということで。で、この近隣には長髄彦の出身地と言われる富雄という地名もあるわけで。富雄の地は、今でも大阪から生駒山を越えて奈良に至る道の途中にあるので、昔から大和の防衛の拠点であって、軍事力を維持するための「富部」がこの辺りにあったのではないかと思われるわけです。そして、「富部」と名のつくところの神は、つきつめれば八束水臣津奴命と八坂刀売の夫婦神であるわけで。級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)も、とどのつまりは八束水臣津奴命と八坂刀売の夫婦神のことですよねえ? と思うわけで。で、その一方「龍田大社」の名前なのですが、守達神の名の通り、「達(たつ)」という言葉は「大太田井」に関連する言葉だと言う気がするわけで。「龍田の神」というのは「太田の神」というのと同じ事ですよねえ? と思うわけで。長野市には「安達」とか「宇達」という名の付く神社がいくつあるわけで、それらの神社も「太田」に関連する神社であり、それらの守護神も建御名方富神や級長津彦命、五十猛、伊勢津彦命が兼ねているということで(全部同じ神の名なわけですが)。持統天皇が龍田の神、水内の神を北信濃に祀ったというのも、理由があって、それらの神々は出雲系の中でも「大太田井(羌族)」に関連の深い神々だったから、だと思うのですが。「守田の神」も「龍田の神」の変形した名前なんですねえ? と思うわけで。要するに、諏訪神の名前のうち、「龍田の神」の名前を欲しがっている人がいるから、その辺りをちゃんと整理しておかなければいけない、ということで。「龍田の神」である級長津彦命というのは、「守達の神」に比定すべき神って言われる気がするわけですが。でも、現在のところ、五十猛が祀られているのが安達神社、級長津彦命が祀られているのが風間神社、伊勢津彦が祀られているのが風間神社と伊豆毛神社ということになっているということで。

ということで、デーヴァな人達と個別に契約を結んだら、こういうことが分かったわけで、敵側の木工の神・大屋毘古神とは、工務店さんの社長さん、って言われるわけですが。で、昨夜は夢を見て、なんだか学校の卒業式みたいな感じで、で、同じクラスに翔君がいて。で、例によって家に持って帰らなければならない荷物が多くて、一緒に持っていってくれたら楽なのになあ、と思っていたのですが、翔君はとっとと先に帰ってしまっていて。で、女の子の友達が荷物持ちを手伝ってくれたのですが、彼女達に「旦那は言うことをきくようにあらかじめ「躾」ておかないと。」って言われたわけで@@。ええと、実際にそういう場面になれば、関係者は誰でもあらかじめ「躾」てなくても荷物持ちくらい喜んで手伝ってくれる人ばかりだと思うわけですが、そういうことをそそのかすのがデーヴァの子達? って思うわけで。悪魔と契約を結んで情報を貰うとこういう夢を見るんだ? と思うわけで。その人の魂の本質の姿みたいなものは、蛇の兄さんは蛇の男の子であって、私は蛇の尻尾が生えた蛙なわけですが、デーヴァの人というのは本当に真っ黒なトカゲみたいに見えるわけで、しかも、目が左目しかないわけで。彼らは邪眼の力が強いから、目に見える人の姿では両目が揃っていても、本質の姿では左目しかないのが普通って言われるわけで@@。で、逆に両目が揃っている人は、邪眼が二つあるということで、彼らの中では力が強い人って言われるわけで。

そして、送った写真については、やっぱり狛天白社が面白かったらしくて。地元の人は、「あれは手に余る邪神なんで、ああやって封印してあるけど、あの力が仕えるなら好きに使っていいよ。」って言っているって言われるわけで。そして「星辰信仰で、もう一つ大事なものを忘れてるでしょ。狛(犬)って言ったら、古今東西、おおいぬ座のシリウスでしょ。」って言われるわけで@@。そっかー、それもありましたね、というか、シリウスって「ベス」ってことですよねえ? ということで、狛天白とは、邪な火の神ウェスタの星なんだ? ということで。(というか、シリウスは正確には「太陽に力を与える星」と考えられているから、ウェスタに力を与える禍つ星のこと、って言われるわけですが@@。)戌年生まれの太陽女神で、デーヴァの力も仕えるなら、あの力もまあ使えるでしょ、というか右目が邪眼のベスの目で、左目が青い水神ヴァルナの目でもいけるんじゃないの? って言われるわけで@@。

そして、「昔、飛鳥で性器むき出しの「猿石」ってのを見たでしょ? あれがローマのウェスタだから。」って言われるわけで@@。あれって、どう見ても「女神」じゃないですよねえ? って思うわけで。そして、「ローマのティニア(荼枳尼)ってヤーヌスのことだから。」って言われるわけで。「始まりと終わり」を意味するローマの境界神ヤーヌスが荼枳尼なんだ? って思うわけで。ローマには戦時の時にだけ開かれたという「ヤーヌスの門」というのがあったそうで、これはきっと戦争で死んだ人をあの世へ飲み込むための門だったと思うのですが。この神も「死に神」としての性質を持っていた、ということで。なんというか、こんなことがあった一日だったわけです。