いろいろと

内容の濃い1週間だったわけですが。ええと、夏至には蛇の兄さん以外の「お婿さん達」にもご挨拶のお手紙を出すのがお約束、ということで。で、人によってとっととお手紙が欲しい人に、少しくらい遅くなってもいいから、あれこれ見てからお手紙が欲しいって言ってくれる人とかいるわけで。私の方も、ともかく今忙しい時期ですので、ごく短いお手紙を、早く欲しい人達にまず2通書いて出させて頂いたわけです。

で、5番目の子は、遅くなってもいいから、某おじゃマップを見てから感想を書いて送ってって言ってるって言われて。7番目の子は、少しくらい遅くなってもいいよって言ってくれたので、次の週に送ることにして。で、おじゃマップのスペシャルもちょっとずつ見始めたわけですが、なにせ一日に1分くらいしか見る暇がなくて;。で、北陸新幹線の特集ということで、長野から始まっているわけで、門前町のお店で出演者がいろいろと食べているわけで。門前町には食べてはいけなさそうな食べ物が一杯売っているわけですが、でも、そこで働いている人達には割とお味方の名前が多いわけで。で、おじゃマップを3分くらい見てから、弥栄神社のこととかに気が付いたわけですから、きっとそういう人達と結縁するために来てくれたんだな、と思うわけで。霊験あらたかな香取の神のおかげで、祇園に間に合うように参拝に行けたよ、と思うわけで。きっと、今日あたりはお天王下ろしで、来週がお祭りなんじゃないか、と思うのですが。そして、ふと自分の地元のお祭りを思い出して。なんで、八坂社もなければ、須佐之男も祀っていない神社で、「八坂大神」という旗を立てて、祇園祭をやるの? って思うわけで。(しかもそこの神社の御神輿は六角形だし、お祭りの時に神社の扉を開ける時には、日章旗を×十字に組んでいるわけで。)それって、原始キリスト教系のお祭り? ってふと気が付くわけで。この地を離れる時になって、始めて自分の足下で何が起こっているのかに気が付くわけで。これもいろんなことに気が付けたから? と思うわけで。で、いろんなところに行ったけれども、近くに経津主神を祀る手頃な神社がありませんねえ?; って思うわけで。石上神宮の布留主とは、本来布留川の精霊神だと思うわけですが、そもそも「布留主」というのは縄文系の川の神で「古主」というのが正しいのではないか、と思い始めたわけで。山の太母山姥は「大姥サマ」、昔からある古い川の主は「布留主」って単純明快な名前であるのが縄文系の神さまの特徴であって、それも「真名」の習慣に則って、本来の名前を隠しているのかもしれませんが。で、近場の文献をいろいろと調べていましたら、布津主を祀っている神社を見つけたので、近いうちに行かなきゃな、と思ったのですが。

で、おとといのお昼過ぎくらいに、4番目の子が、ハートマークを一杯飛ばして「お手紙が届いた」ってわざわざ言ってきてくれたわけで。そんな汚い字の短いお手紙を喜んでくれて、どうもありがとう、って思ったわけですが。で、昨日は6番目の子も「手紙は届いてる」って言ってくれていたわけで。

そして、いろんな人から言われることなのですが、人類というのは長い間雑食性の猿であったわけで、農耕や牧畜が始まり、「神」というものを敬うようになり、文明というものを持つようになって、始めて他の「動物」とは違う「人間」になった、って言われるわけで。それ以前は、猫科の動物と同じように「狩りをする動物」であったのだし、かつ同族を捕まえて食べる習慣が根強いので、自分の子供に対しては愛情深い猫が、狩りの獲物をなぶり殺すことを楽しくてたまらないように、狩りをする動物の本能がとても強いので、今でも「人を殺してはならない」という「取り決め」がなされれば、それは頭では理解できるけれども、何故それをしてはならないのか、ということが本能で理解できもしなければ、納得もできない人は大勢いる、って言われるわけで@@。蛙の目の人達は、そういう動物的な本能からいち早く抜け出して、文明というものを築き上げたけれども、全ての人類がそのようになるには更に長い時間をかけた進化が必要って言われるわけで。蛙の人たちの女神は、農耕や司法や各種技術といった文明の豊穣の女神であって、人殺しなんてとんでもない、と思う女神なわけですが、それ故に狩猟民の本能が強く残っている人達から見れば「狩りの獲物」にしか見えない、ということで。それで、お味方は仲間で協力し合って、自分達の身を守ってきたわけですが。でも、その一方で文明が西方に伝われば、各地に蛙の太陽女神を真似た神々が誕生するわけで、で、しかも狩猟民の神は蛙を狩る「蛇」の神サマなわけで。で、そういう人達の中にも、みんなで協力して助け合って行こう、という考えが興って、いろんな模索が行われた中で誕生したのが「大習合主義」のヒッタイトであって。で、ヒッタイトの太陽女神は各地・各民族の「女神」を集めて一つにしたものだから、蛙の女神から、蛇の女神までいろいろといるわけで。そもそも、蛇女神を擁する人達から見れば、蛙の神サマは「獲物」に過ぎないので、狩る側と狩られる側が習合しているような奇妙な形態を為しているわけで。それでも、人はそうすることで、いわゆる「人間らしい」人になろうと努力を重ねてきたって言われるわけで。で、歌番組とか見ていると、特に蛙の目の人達からは、「各地の蛇女神の名前を貰えるだけの目を持っているのはけっこうなことだけれども、自分が本当は蛙の太陽女神だってことを忘れないで。」って言われるわけで;。結局、それが一番矛盾していて困ることだと思うわけですが、きっと私が羌族の力の弱い蛙の目しか持っていなかったら、お味方はそれでもできるだけのことをして守ってくれただろう、と思うわけです。でも、そうでなければ、特に狩猟民の人達が求める、気性の激しい蛇女神に通じる「目」を持っていれば、そういう人達も血縁を頼って、自分達の「太母」を取り戻したいと思うであろうし、その代わりに強力に助けてくれようとしてくれるわけで。そのご要望に応えるには、ただの「蛙の女神」でだけではいられないわけで。ちょっと前に、「なんで人を殺してはいけないのか?」って聞かれたわけです。で、まあ、私は基本的にはハンムラビ法典の信奉者ですので、人の命は互いに対等であるのだから、人を殺す人は自分が殺されても文句言えないし、それが嫌であれば他人の命も奪ってはならない、と思うわけで。で、その次に「なんで人を殺して食ってはいけないのか?」って聞かれたので、「感染症が怖いから。」って言ったら、「人間味のカケラもない返事」って突っ込まれたわけでーー;。だって、世の中には死んだ人を親戚一同で食べちゃうのが正式なお葬式だと思ってる人達もいるんだし、誰でも納得できるような客観的な答えが必要でしょうがーーー、と思ったわけで;。そして、見直している時間がないのでうろ覚えなのですが、確か福山君が「COVERS」の後編で夏菜ちゃんに向かって、「天城越え」を唄って欲しい、って言っていて、で「さわやかな人にアクセントとして女の情念みたいな唄を唄って欲しい」みたいなことを言っていたな、と思い出して。人に横取りされるくらいなら、好きな人を殺したい、ってそういう歌ですよねえ、それ? っていうか、イナンナの呪いがかかってる歌なんだ? それ?? って思うわけで。普段は穏やかな太陽女神でも、そういうところだけおっかない女が好みなんだ?@@ って思うわけで。でも、私はいちいち好きな人が浮気するかどうかヤキモキしてるよりは、そんなことしそうな相手とはとっとと別れて、自分の食い扶持くらいは自分で稼ぐ方がマシって思う現代っ子なんですけど? って思うわけで。おかげで、「当代のイナンナは焼きもち焼きというよりは、冷酷さが勝る。」って言われるようになった気がするわけでーー;。豊穣の蛙の太陽女神であると同時に、凶悪なイナンナでもあって欲しいっていう気持ちは分かるし、ヒントとしても分かるけど、現実問題としてはそれはなんかヘンって思うわけで;。印欧語族や、よろしくない目の人達の一部が、そういう凶悪な太母の資質を私に求めるのは、裁判とかあの大地震で、私が敵の言霊をねじ伏せて、裁判長を押さえつけたりとか、ヘリを飛ばしたりとかしたからで、そうやって敵と戦う力があると思ったから、そういう女神であれば、彼らの太母にもなれると思ったから期待してくれてるんですね? と思うわけですが。でも、その戦う力の源は、解剖で人の腸をバラバラにするのが好き、とかそういう狩猟民的な本能を持っている目の力だって皆様思われているようで;;。

おかげで、神官長家の資料館に立ち寄ったら、狩猟民の文化を持った人達との縁が深まった気はするのですが。でも、あそこにはこれ見よがしに兎の串刺しが飾ってあって。それはどうみても、「兎年生まれの誰かをそんな感じで押さえつけておけ」っていう呪いがかかってますよねえ? って思うわけでーー;。写真を蛇の兄さんに送ったら、兄さんも面白がっていたわけですが。人食いの強烈な文化を持つ人々は、相手が例え親兄弟であっても情け容赦なしかい! って思うわけですがーー;。そのくらい強烈に「戦う力」を尊ぶ人達も世の中にはまだたくさんいるわけだ;。

で、コンクリートの丸セパレートについては、「細かいものだし、いいお品だし、切り込みも入れてあるから、数はそのままでもいいよ。」とは言われるわけですが。でも、昨夜見た夢では、なんだか自分が遺跡の発掘現場みたいなところで発掘していて、で、ローマの遺物が出て来て、「小さいモノだから家に入れていい」とはなったわけですが、でも、何故か自分の家の天井から外に出ようとしたら、天上に挟まって自力では出られなくなってしまって、親に助け出して貰った、っていう夢を見たわけで;。今日もでかい消防車に会ったわけですし、最低減の数の調整は気休めでもさせてね? という気がするわけで。一応交渉はしてみようかと思うのですが。

そして、今日お風呂に入っていたら、「タニトとは?」って聞かれたわけで。それはカルタゴの女神で、獅子頭のネイト・メヒトと「同じ神」だと考えられていて、幼児犠牲と引き替えに豊穣をもたらす人食いの女神なわけで。(そもそも地中海南岸とか東岸には動物や人の初子を犠牲に捧げる習慣が多いわけでーー;。)タニトってダキニのことですよねえ? 東のインドでも人食いの女神なら、西のチュニジアでも人食いの女神なんだ、って思うわけで@@。でも、いろんな動画を見ていると、「その名前を使えるのなら、カルタゴを取り戻せ。」って言われるわけで。なんか、その女神群の名前は西洋の神々の中でも折り紙付きの凶悪な方では? って思うわけで。そんなこんなで今日もいろいろとあった一日だったわけです。