山は秘密を隠している

昨夜はとっても眠かったわけですが、「SmaSTATION!?」を見なければ、と思って起きていたわけです。でも、眠いのでちょっと仮眠していたら、すでに番組が始まっていて;。で、慌てて見たわけですが、昨夜は「最新のウェディングソングランキング」ということで、結婚式で良く使われる曲のランキングをやっていて。見ていると「結婚契約の神サマは誰?」って聞かれるので、きっと福山君の「家族になろうよ」もランキングに入っているんだろうな、とは思ったのですが。この曲は2位に入っていて、で曲紹介のVTRは5大ドームツアーの時のものが使われていたのですが、最初に福山君の背中が映し出されていて、「おや」と思ったわけで。この頃のことは、せっせと心の中にやってきてプラカードを持って口説いてくれた白鳥兄さんのことを、今も懐かしく思い出して、「背中の君」のお歌ですねえ、と思うわけですが。「SmaSTATION!?」は香取君の番組ですので、親切ですねえ、と思って。

で、なんというか、夢で大学の寮みたいなところに住んでいて、でも「寮」というほど大規模なところではなくて、8人くらいで暮らすシェアハウスみたいな感じなところに住むという、そういう夢を見て。で、3日連続でそういう夢を見たわけです。で、あまり毎日見るので、ふと、「8人で一つ屋根の下に住みたい」って思っている人達が7人いるのかな? と気が付いて。別に私はいいんですけれどもね、あなたたちさえ良ければね? というか、住む場所はそちらで用意してね、と思うわけで。

そして、朝起きて、早速メインの神明社へ出かけたわけです。なんというか、ここだけは最優先で、できるだけ早く行って欲しい、って言われたから。で、聖の山というのは、山岳修験道の聖地ですので、そこの中心地にも行っておくように、って言われて、昨夜はせっせと調べていたわけです。で、福満寺というお寺を見つけて。どんな山の中なんだろう? と思ったら、割とそれなりに車で上れる程度のところにあって。で、あのあたりというのは、「聖」という名前の通り、過去に誰か高名なお坊さんでも住んでいたのかも? とか、あとは山岳修験道の聖地とか、月神信仰の地とか、そういう漠然とした印象を持っていたのですが、具体的に何がどうあるのか、ということはよく知らなくて。で、そういう情報も割と調べにくいというか、あんまりネットにも載っていないわけです。で、天台宗の古刹で、檀家がいなくて村の人が守っているお寺、ということは分かったわけですが、行ってみたら「薬師如来」がご本尊と言うことで、平安時代のご本尊で、東日本最大級の薬師如来であることを謳っていて、「薬師」ということがものすごく強調されていて。で、なんとなくその点にまず違和感を感じたわけです。だって、「薬師」というのは薬師寺とかに見られるように、誰かの病気平癒を祈ったり、疫病の流行を鎮めたりする際に重点的に祀られるものであって、山岳地で修行するお坊さん達が通年で信仰するものとしてはちょっと違和感を感じる、というかそんな風に思うわけで。で、普段はご本尊はしまわれているらしいのですが、事前に連絡すれば拝観できる、ということで、連絡も無く行ったのですが、丁度管理人さんらしき人に会いましたので、お願いしたらものすごく丁寧に案内して頂いて。で、ここがこのお山で最初に開かれた修行のためのお寺と言うことで、「聖」という地名の由来、みたいな説明をして頂いたわけで。で、ご本尊を安置しているお堂が「瑠璃殿」といって、「瑠璃」というのは「青」のことですし、堂内に入るためのスリッパがことごとく青いのに、二組だけ赤いのがあって、で、お賽銭を上げるのにもお賽銭箱と仏様の前に直接上げるお皿があって。非常に意味深だったように感じたわけですが、「久須斯(くすし)神」の名前を貰ったということで、ここの薬師様に結縁するのが、まず久須斯の神の初仕事? って思ったわけですが。管理人のおじさんからは「当代の久須斯神は青い目の人喰い女」って呟かれた気がするわけで、「それはいったい誰のこと?」って思うわけですが、まあ言うも虚しい話なわけでーー;。で、久須斯神というのは、割とあちこちに祀られているわけですが、それに相当する神は諏訪神であったり、天照大神であったり、大国主命であったりして、一柱には定められていないわけで。「なんで?」って思うと、ともかく「医師免許を持っている神サマで一番力の強い人がなるものだから。」って言われるわけで。じゃあ、青い目の久須斯神がその地位を奪取するまでは、久須斯神の地位は誉田別命のものだったらしいのですが。同じ医者でも誉田別命と天之日矛ではどちらの力が強いの? って思うわけで。そうすると、「私学出は、私学出の馬鹿って言われて、力が強くても認められにくい。」って言われるわけで@@。「何それ?」というか、そういうものなんだ? というか、結局職能的な神サマは、いろんな人がその地位を「認める」って言ってくれないと認められないもののようでーー;。そうなんだ、月読命と大国主命は私よりもヤブ医者ではないだろう、と思うわけですが誉田別命よりも力が無いんですね? と思うわけで;。妙なこともいろいろと言われるわけで。そして、戸隠でも見た通り、護摩を焚いて加持祈祷を行うということは、薬師如来を煙でいぶして調伏しようとしてるんですよねえ? と思うわけで。とても親切にはして頂いたし、興味深い場所でもあったのですが、不思議なところでもあって。

で、その次に「天王社」というところに行ったわけです。ここで祀っているのは祇園の牛頭天王なわけで、牛頭天王は元々インドの雷神インドラの一形態らしいのですが、東アジアに入ってきていろんな神々と集合した結果、医薬の神としても扱われるわけで、日本では武塔天神や須佐之男と集合しているわけで。そして、牛頭天王(武塔天神)と妻の頗梨采女(はりさいじょ)というのは、朝鮮における弥勒と鉢里公主(ばりこうしゅ)のことでしょ? ということで。新訳聖書に「医師としてのイエス・キリスト」の奇跡の話がたくさん載っているように、牛頭天王はそっち系の神サマなのが、須佐之男に取り憑いているのが「問題」なわけでーー;。祇園とは繋がっていなければいけないところだから、行ってこいって言われるわけで。行ってみると、地元の人しか知らないような細い道が入り口で、きっと単独で行ったのなら入り口が分からなかったと思うのですが、その付近に、いかにも「道を聞いて」って言ってる風情で立っているおじさんがいて、教えて貰えたわけで。そして、神社を出てくると「遠いご先祖と正しい結縁ができて良かったですね。」って、誰だか知らないですけれども言ってくる人がいるわけで@@。良くないですよ? その先祖のおかげで2000年の間、世界は混乱し続け、子孫の私まで大迷惑、って思うわけですがーー;。そして、家に帰ってくると「ヤブ医者のくせに久須斯神なところは2000年前の先祖にそっくり」って毒を吐く人達がいる、って言われるわけで;。大きなお世話というか、その先祖は目の力が強いだけの嘘つきの詐欺師で、私は一応医者の免許を持ってるのに;、と思うわけで。(でも、お味方は「医者としては運がなかったけれども、真面目に一生懸命仕事してたのはみんな知ってる」って言ってくれるわけで;;。)

で、本日のメインの目的地の神明社ですが、ここはかつて伊勢神宮の荘園であって、麻績氏が荘官を務めていたところ、ということで、伊勢の麻績部と強い繋がりがあり、私は一度伊勢神宮に行ったことがありますし、斎宮の宮も伊勢に参拝したばかりなので、私が結縁したら、伊勢神宮から直接強い力が流れ込んでくる、って言われるわけで。で、丁度そこを参拝している時にウォークマンでかかっていたのが「青空の下、キミのとなり」であって。そして、「水内の神」は所詮一地方の土着神に過ぎないけれども、伊勢神宮の力はその比ではない、と言われるわけで。

そして、帰りにとても気になった「桂宮」という小さな鳥居もない神社が気になって寄ってみたわけで。で、そこは「聖山権現」の雨乞いするための祈祷所って書かれていて。「聖山権現」って何だろう? と思ったわけです。一応、山岳修行の霊山なわけですから、かつては名のある神の聖地であってもおかしくないのですが、その本態がなかなか見えてこないわけで。「桂」という言葉は「月」に関連するものですが、月読命を大々的に祀っている神社もないのも不自然に感じるわけで。で、家に帰ってきて調べたわけですが、「聖山権現」というのは、おそらく神社的には山中にある樋知大神社のことであろうと思うわけで。ここは、延喜式の武水別神社に相当すると言われていると言うことで、千曲川のほとりの八幡サマが里宮とすれば、奥宮に相当するのがここなのか、とも思うのですが、祀られているのは諏訪系の武水別命と水神の女神であって。で、この山も麓の住民のとっては、水源の山なわけですが、結局深い山ではあっても万年雪を頂くほどの高山でもないので、地元の人達は「水源」としては「降雨」が非常に重要であるということを知っていて、「雨乞いの聖地」みたいな扱いになっているらしくて。だから、古くは縄文古来の水源の女神と、蛇の月神の夫婦神が君臨していた山だと思うわけです。でも、そこに後から入ってきた諏訪系の男神が、先住の月の蛇神の地位を奪ってしまったので、「月神信仰」は名残程度にしか残っていないわけで。でも、水内郡下では、「月神信仰」は名残程度にもあんまり残っていないくて、犀川流域の男神はほぼ諏訪神一色なわけですが。更級郡の武水別命はそこまでの力は持たず、古い「月信仰」が微妙に残されていて、で、東信の生島足島なんかに至ると、地主神の夫婦神と諏訪神は今でも別々のものとして扱われるわけで。東信に行くほど、縄文古来の石神信仰が強く残されているわけです。で、聖の山は、縄文古来の信仰と、諏訪系の信仰が微妙に絡まり合っている中に、山麓に36の寺院があるという複雑怪奇な状態なわけで。「山麓に36」なんて駄洒落ではなくて「弥勒」でしょ、と思うわけですが、要するにこれらの寺院が本来の水源の神を封印しているのでは、と思うわけで。聖の山は、南側は麻績の水源なわけですが、北側の水は犀川に流れ込んで「犀竜の頭」の一つになっているわけで。薬師如来と犀竜は一見して何の関係もないように見えるのに、なんで平安時代の人は犀竜であり、かつ久須斯神である者の到来を知っていたんだろう? っていつも不思議に思うわけで。

そして、縄文古来の「月の蛇神」と、水源の女神に対する信仰というのは、羌族の穏やかな日月信仰ではなくて、エンリルとニンリル型の、夫が妻を食い殺す信仰であって、実際両者の起源は、「東洋の遊牧民の信仰」ということで「同じ」なわけです。だから、縄文古来の文化を受け継ぐ人達の考え方は2つに別れて、1つはローマも自分達の信仰も起源が同じなのだから「同じもの」と考える人達で、もう1つはトラキアの如く、いくら起源が同じでもローマはローマ、自分達は自分達って考えるって言われるわけで。だから、独自の道を望む人達は神官長家のように、在来の縄文の女神信仰と、諏訪信仰の混合並立で良い、と思うこともあるようで。まあ、どんなに敵の力につかまっていても、1番目の子に私を食い殺す力なんかないでしょ? って自分でも思うわけで、その点については誰の意見も同じことのようでーー;。だいたい、縄文古来の「雨乞い」なんて、池のほとりでどんな祭祀をしたのか、何の記録も残って無くたって想像つくでしょ? って蛇の兄さんにも言われるわけで。まあ、そういう血なまぐさい祭祀を禁止して、せいぜい動物の犠牲に留めたことが、当地における諏訪神の大きな業績の一つですものねえ? と思うわけで。(エンリル・ニンリル型の信仰であれば、だいたい女神を水の中に放り込むのが「お約束」ということで、実際「黒姫伝説」とか、その手の信仰の名残を残す伝説・民話はあちこちにありますのでねえ、と思うわけで;。)というわけで、いろんな人達は、私が動けばどこへ行って、何を見て何を知って、何を選ぶのかを見ている、と言われるわけで。親切にしてくれる人も、そうでない人もそういうことのようで。それにしても、「聖」という名が「樋知」でも良いのであれば、「日知」でも良いのではないかと思うわけで。で、いろいろと調べていたら、山中に「小聖神社」という神社もあって、そこでは湧き水が湧いていて、で某酒屋さんもそこの水でお酒を仕込んでいるってあったわけで。はっはっはっ、人はあんまり「無駄」なことはあんまりやらないものだから、その酒屋さんがそこの水源から水を取っているということも「意味があること」なわけで。その山はかつては、日輪の女神の山で、かつ水源の山だったと思うわけですが。それこそが、羌族の伝統的な太陽女神信仰、ということで。聖の山の名前の由来を知りたい、とは子供の頃からずっと思っていたわけですが、一応ヒントは一族郎党がくれていたわけで。それでも、その意味を知るのにこの年までかかったわけですから、同族の人達はことがここに至るまで、その意味を気づかせるだけの力もなくて後悔しているって言われるわけで。もっとも、年の若い人達は、どうせ私の目は水内郡の小さな水の女神で終わってしまう目ではない、って言ってくれるわけで。神々の「境界」は弥生の人々が定めたものだから、そんなものがなかった縄文時代の神の気質が強ければ、境界の力の効力が弱まるのも必定、ということで印欧語族と手を組んだ6番目の子は、馬ならぬ自動車を駆って、水内郡の神域の外にまで女神を狩りに出向かせる、ということで、どちらかというと水内郡よりも更級郡の人々の方が、こちらの動向に興味津々だって言われるわけでーー;。おかげでこちらは疲れ果てているわけです。