水別神

昨日は部屋の整理をして、残っていたチェックの生地なんかをほとんど部屋から出してしまったので、寝るときに「これでちょっとでも声が良く届くようになるといいな。」って言われたわけで。

で、経済的にけして余裕がある時期ではないので、来月に入ってからにしようと思ったのですが。でも、来月になると工事が始まるので、曲を始末している余裕もなくなるかも? ということで、いくつか曲を新たに買ったわけです。特に前倒しで急いだ理由は、印欧語族の神の名を貰うからには、その名を「神」と崇める人達との「契約」が必要、ということで、その「契約」とは具体的に何かと言えば、彼らの「お歌」を買うこと、ということで。で、「心のプラカード」と「糸」と「麦の唄」を買ったわけです。これらはどうせ本来的には蛇の兄さんのお歌、ということで。(もちろん、嵐の新曲も買ったわけで。)

で、夢ではたぶん、高校生くらいで、文化祭で松本君とデートしてる夢を見て。で、柱関連の数を数え直して、修正して差し支えないようなら修正して欲しい、って言われたわけで。(あとは、間柱の数に気をつけるように、とかそんな感じであると思うのですが。)そして、目が覚めたら「暁」が流れていて。

で、起きてから、ふと「清水神社」というものが気になって。インターネットで調べてみましたら、以前に行ったところの他にも、諏訪神を祭神として祀っている神社があることを知って。水神ヴァルナの名を得るのであれば、そこに行ってくるべし、と言われたということで、朝ご飯を食べてから出かけたわけで。で、行ってびっくりしたのは、石灯籠の窓という窓に漏れなく十字がついている上に、神社の屋根についている1枚梶の葉の審問の前にも十字が塞いでるよ@@! ということで。しかも、神社は東向きで、正面に四神が全部寄せ集められている、という妙な印象を受ける神社であって。この間行った清水神社といい、あの辺りの山の中には、日本の他のどこにもないような妙な神社が隠れてるよ@@、と思ったわけで。でも、小さくても延喜式に名前が載ってるような、いずれも強者の古社ではあるわけで。

で、そこに寄って、ついでに近くにある小さな「諏訪大明神」の祠に寄りましたら、祠の扉が半分開いていて。しかも、草とかがきれいに刈られていて、最近手入れをしたばかりといった風情であって。扉は意図的に開かれていたもので、まるで諏訪神が外に出られるようになったと告げているかのようで。で、そこを出た直後に工務店さんから、わざわざ契約について電話がかかってきて。そんなこと、もう決まっていることなので、わざわざかけてくるまでもないことなだけに、びっくりしたわけで。車に乗ったら。カーステレオから「365日」が流れてきてしんみりしてしまったわけで。

で、車を発進させたら、「あと一つ、山を下りたところにある八幡を落としてこい。」って言われましたので、行ってきたわけで。で、地元の人に「八幡様」って言われる神社ですから、当然「八幡宮」とかそういう名前なんだと思っていたら、「武水別神社」という名前で「あれ?」と思ったわけで。その名前はそもそも諏訪系の神社なんじゃないの? と思うわけで。で、どうも総合すると、千曲川の流域にあるこの神社は、基本的には千曲川とその下流域の善光寺平の治水の神さまということで、だいたい今の神社のある場所は、昔は川の氾濫域にあったので、あんまり人が住むような場所ではなかったらしくて。で、そういうところに、治水の神を祀ることは良くある話であって。で、境内の看板を読む限りでは、古くからの神社であって、平安時代中期から末期にかけて、石清水八幡宮から八幡神ご一行を勧進したものということで。で、家に帰ってから更に調べてみたところによると、記録的には平安時代に、あの辺りが石清水八幡宮の荘園であって、八幡神を勧進したもの、ということで永らく「八幡宮」と呼ばれていた、とのことですが。でも、明治時代になって神仏を分けるときに、かつて武水別神を祀っていたという伝承があるため、延喜式に載っている武水別神社であろう、ということで、社名を武水別神社とした、ということで。で、周囲からは「八幡さん」と呼ばれるにも関わらず武水別神社という名前になったということで。で、この武水別神というのは、どうもここにしかない神というか、はっきりしない神であって、表向きは単純に「水神」扱いされているようなのですが。でも、神家党の系図では、この神は諏訪神の子神の「水別彦」とされているということで。往古における千曲川流域と善光寺平の開拓者達が、金刺氏を中心とした諏訪氏の眷属であるということを併せ考えれば、これはけっこう正しい説なのではないか、と思うわけですが。現在では八幡神が全面に出ている神社で、境内の祠には天穂日とか鹿島神とか、わりと「オールスター」が揃ってる感のする神社ですが、それでも地元の人達は本来の「武水別神」の名を忘れなかったんだなあ、と思って。(しかも、境内で売っていたうずら餅を売ってる旅館の主人の名字は「武井」だってあって。神職が変わり、支配者が変わっても、尚もまだ忘れ去られないものはあったように思うのですが。)

で、蛇の兄さんからは、「正規の入り口から入って、そこからは出るな。そうすれば、中に入ったまま出ていないことになって、そしてあの神社の本殿の扉は開かれているから、そこから「外」へと出て行けるから。」って言われたわけで。車に乗ったら、カーステレオからは「My VOICE」が流れてきて。おととしの春分の日に、福山君と加藤君がTwitterでエールを送り合って、この曲が蛇の兄さんのお歌だって、私に教えようとしていた時のことをふいに思い出したわけですが。

で、帰りの車中で、「主祭神を誰にするのか?」と聞かれたので、当然「八剱社」の「日本武尊」と答えておいたわけですが。(手前味噌ですが、「大日孁貴神(天照大神の別名)」って言っても良かったわけですが、さすがにそんなことを言う気にはなれないわけでーー;。)

ミトラとヴァルナの名を得るための契約を結んだら、千曲川流域の主要な水神の宮を落とすことができた、ということで。これが印欧語族とミトラ・ヴァルナの信者の「力」なんだ? と思うわけですが。あそこが水神の宮だとは行ってみるまで知らなかったわけで。何もかも偶然ではないし、すごいな、と思ったのでした。