36の秘密

ええと、昨夜は蛇の兄さんへのお手紙を書いていたわけで。でも、「NEWS ZERO」での翔君と周りの人達の「目」がどうにも気になって。いろんな人の敵意が、いつにも増して強い気がしたわけです。で、7月の歌番組の出演者はまだ発表になっていないわけですが、なにかヒントがないかと思って石井のHPを見に行ってみたわけですが、なんの情報も得られず、ということで。

で、また続きでお手紙を書いていたら、ふっと「36とは弥勒」って言われたわけで@@。そういうこと?? って思うわけで、それで天井の上に36の数字が詰め込んであるんだ? と思うわけで。つまり、当初の予定では床下に「88」、天井裏に「36」を詰め込む予定だった?? って思うわけで。やってくれるよ、って思うわけですが、蛇の兄さんからは、「味方の目の力に教えられたのではなくて、タケミカヅチの目から情報を喰いきってきたな?」って言われたわけで。要するに、私が「T-STONE」を見に行ったから、鹿島の神のご当人から直接情報をもぎとってきたってこと? ということで。日本の古代仏教界では、弥勒菩薩はほぼ原始キリスト教の「隠れ蓑」的存在な気がするわけですが、その起源はミタンニ・ヒッタイト時代にまで遡る古い印欧語族の神であって、仏教においては、かなり早い段階で、釈迦の次に現れる「未来仏」とされているわけで、少なくともその当初期においては、原始キリスト教団とは関係のない神であったわけで。

要するに、仏教と近縁性の高いヒンドゥー教においては、釈迦の次に来るのはカルキという「時間と蛙の神」ですけれども、仏教においては「弥勒」であることこそが正しいわけで。その名前を「敵の手から取り戻した。」って言われるわけで。敵からその名を奪ったからには、私がその名を使ってもいいってこと? とは思うわけですが。どうやら、そうしたことで、「数字に関する呪い」は総じて今までよりもやや緩和されるであろう、って言われるわけで。そして、古き印欧語族の神の名を取り戻すことは、印欧語族と仏教徒の悲願って言われるわけで。まあ、そうなってくれれば少しはありがたいわけですが。(最近では、蛇の兄さんと、5,6,7番目の4人の力の強い蛇の人達を、仏教を守護する四天王になぞらえる人が、どうやら多いらしいのですが。でも、仏教的なネタになると、蛇の兄さんは「善光寺め」とかってそういうことしか言わないわけですが。)

で、夜はなんだか曖昧な夢だったのですが、1番目の子とドライブをしてデートする夢を見て。きっと、学生時代にそういう機会が一度でもあったら良かったんだけれど、とは思ったのですが。そして、目が覚めたら「Dear」がかかっていて。

今日は、午前中やや飛行機が飛ぶ音が目立って、かつヘリが飛んだりしてちと心配でしたが、午後は比較的静かだった気がします。たぶん話を進めても良い? のかと思うわけですが。