昨日から、鉄筋の数を数えて数えまくって、それ以外に何もしていない気がするわけですが;。それでも、なんとかまとまりそうなところには落ち着いてきた気がするわけでーー;。(あとは、人通口の補強をどうするかを聞いてみないとなんとも数えようもないわけですが;。)
ええと、昨夜は、妙な夢を見て。3人目の人が、蛇の兄さんではなくて、全然知らない人だったわけです(名前も変な名前だったような)。で、その人から、「手紙をくれたら迎えに行く」みたいな手紙を貰って、でも、その手紙を無くしてしまって、宛先が分からないので、「あー、これはもう一生独身でいるしかないかも?」と思って、独身の知り合いを集めて、「独身パーティー」とかしていて。(何故かその中にレボレボとか居たわけですが。)で、映画とか見ていたら、ふいに3人目の人が尋ねてきて、結婚式ということになって。そして、その人はロイヤルブルーと黒の、なんだか牧師みたいな服を着ていて。で、やることが済んで、夫婦になったら「実は二人は異母兄妹なんだ。」って言われまして。「えーっ@@」と思って、「子供はどうするの?」って聞いたら、「他の婿に造って貰えばいい。」って言われて目が覚めたわけで。「どういう夢だったんだろう?」って思ったわけですが。
蛇の兄さんの写真を見た途端に、「古代の皇后が何故、皇族でなければならないかが分かっただろう?」って言われたわけで。そういえば、古代の継体天皇以降の天皇家は、ほぼ皇族が立后していて、大抵それは異母兄妹とかの近親間での結婚が多かったわけで。要するに、それはバビロニア式であって、兄妹で結婚するのは、家の財産などを守るためであって、近親婚からくる遺伝子的な脆弱性を避けるために、種は余所から貰ってくるってことなんだ? ってふっと気が付くわけで。もちろん、近親間の結婚でも健康な子供は生まれるかもしれないけれども、この場合「夫」の役割はほぼ名目上の「父」ということになって、古代の大王家のように、表向きは一夫多妻であれば、正式には夫の血を引く皇子女と妻の血を引く皇子女に分かれることになり、皇位継承権は「母系社会」の論理に従って、皇后の血を引く子供に与えられることになるってことですよねえ? と思うわけで。そして、母系が優先されるから、父親の血を引く「皇女」には相続権があっても、父親の血しか引いてない「皇子」には最初っから相続権が無いんだ@@。ということにも気が付くわけで。
そっかー、聖徳太子以下の上宮王家の人々が、最終的に皇位の継承権から外れてしまったのは、彼らの母方が蘇我氏であって、皇族ではなかったからなんだ? ってふと思うわけで。(だいたい、彼らの母方の蘇我氏が擁立したのが、皇族の女性を祖母に持つ舒明天皇と、皇族の女性である皇極天皇であるわけで。)そして、その後の動乱の古代史は、母系を取るのか、男系を取るのかで、揉めに揉めるわけですが。でも、それは単に「制度」を変えるだけではなくて、特に女性の生き方を大きく変えることになったはずで。バビロニア式の母系の相続制度であれば、女性は多くの優秀な男性と交わって、家のために優秀な遺伝子を残さなければならないけれども、男系の制度に変われば、特にその思想の根幹にあったのは中国から入ってきた儒教の思想であって、その中では夫以外の男性と関係を持つ女性は、「不貞」として激しく非難されることになるわけで。そういえば、持統天皇、孝謙天皇、井上内親王、酒人内親王といった、母系を優先して生きた人々は、特に平安初期あたりの歴史書で、若い男性を寝室に連れ込むような「多情さ」というものを往々にして非難される傾向が強いわけで。それは儒教的な倫理観から見た場合であって、母系社会的な考えからみればごく当然のことなんだ? って思うわけで。
そして、山部王が「儒学者」であったことも思い出したわけで。儒学者であるということは、それだけで「男系」の支持者も同然だから。だから、母系の倫理観に則って生きていた井上内親王は、儒教的な「不貞」とか、そういう名目で廃后され、殺された。そんなことは、本気で名目上の口実を強引につけて陥れる気でなければできないことで、実際、山部王と藤原氏の強引なやり方は多くの人々から反感を買っていたわけで。で、なんで今更そんな話を? と思うわけですが。それは、この年になって、鉄筋の数をせっせと数えているような状況であんまり考えたくないわけですが、真に後世に残すべき優秀な遺伝子の持ち主が誰なのか、よく考えておくようにって言われる気がするわけで;。誰もが、気の毒な鉄の子は、夫とはなっても「遺伝子的な父親」になるべきでない、っていう考えで一致してるってだけでも目眩がしそうであるのに、それ以外に何をどう考えろというのさ??@@ と思うわけですが。まあ、とりあえずは鉄の子の救出にできるだけ励まねば、ってそれだけのことだと思うわけですがーー;。