善光寺

美和神社に行ってきましたら、

「善光寺七社で、行ってない所を廻って、最後に善光寺に来い。」

という要請がきまして。自分のことだけでも手一杯なのに、それもするんだ?? と思ったわけですが、

「呼び出しが来たなら、時間のあるときに行ってくれば。」

と皆様がおっしゃるので、行ってきました。

「ついでに西宮神社にも行ってきて。」

と言われたので、そこにも行って、で、以前にも行ったことがあるのですが、湯福神社も蛇の兄さんにとって縁起の良さそうな名前ですので、ついでに行ってみました。調べてみましたら、行ったことのないのは木留神社と、柳原神社(笹焼神社)ということで、どちらもありがちですが主祭神は諏訪神なわけで。木留神社も、柳原神社(昔は笹焼神社)も、名前は悪くないと思うのですが、特に柳原神社の方は明治時代に八幡神が合祀されていますし、微妙な感じになっていたかな、と思うわけで。

西宮神社は、武井神社のほぼ真北にあって、江戸時代初期に勧請されたとのことですが、場所が場所だけに、武井神社の本来の祭神である武井恵比寿になにかよからぬ作用を与えてるでしょ? とか微妙にそう思うわけですが、本殿には恵比寿の神像が山盛りにあって、境内の稲荷神社には狐の神像がたくさん奉納してあって、「目だらけ」であったわけで。本殿に山盛りにある恵比寿の神像は全て南側を見ているわけで。「どこを睨んでいるのですか?」と思うわけですが、だいたい、そういう所に行くときには、邪魔もすごいわけで。一方の武井神社は、隠れた祭神はともかくとして、現在の祭神は諏訪神と八坂刀売と水内神ですので、まあ、そういう目で睨まれても困るかな、と。(最近では蛇の兄さんですら、妻神の名に「八」という文字がつく意味について思うところがあるらしいですが。だいたい、「八」の日に出動要請が来るっていうのは、どうみても、その日に強まる邪眼の力の方が期待されてるんじゃないの? と自分でも薄々思うわけでーー;。)

で、善光寺は、裏側から入りましたので、正式にお参りと言うことで南大門まで下ったわけですが、あそこの石畳には「十字」が山のようにありますし、本堂にも十字の格子はたくさんありますし、そもそもお寺のマークは「卍」ですし、参道には俗な土産物店が山のようにありますし、「来るモノは拒まず」の精神の結果、いろんなモノがこれでもかっていうぐらいに入り込んでるでしょ、ここ? と思うわけで。しかし、そういうものが山ほどあるにも関わらず、本堂の奥津城にある強烈な精神は今も生きていて、強い力を放っているわけで。だいたい、境内を歩いていると、私を通り越して兄さんの方に直接いろいろと言ってくるらしくてですねえ?? 兄さんからは、「気持ち悪いから、やることやったらとっとと出よう。」とか言われるわけで。あのお寺は金刺氏の血を引く私にはそこそこ親切でも、そうじゃない兄さんとはあんまり相性がよろしくないようで。私に「呼び出し」が来たということは、兄さんにも「呼び出し」がかかったも同然のことのようなのですが、誰かさんは「自分は善光寺に行っても、絶対に仏舎利と結縁なんかしない。」って思っていそうな気がするわけで。あのお寺は力が強いので、むしろ、自分達が神々を酷使する立場だと思ってそうな気がするわけですが。私に対しては、ただ、門をくぐった後には、「参道の真ん中を真っ直ぐに来い」と言っただけであって。善光寺の香炉には獅子がついているわけで、その獅子は誰のことなのだろう? メヒト女神のことなのだろうか? それともネルガルを意味するのだろうか? とふと思ったのですが。

それはともかく、長野市内の諏訪系の古社には、ケヤキ(槻)の古木が多いなあ、と思ったわけで。ケヤキの木にもなにがしかの神霊が宿るというのであれば、古き「大槻」の精霊神にして、偽の月神が「どこの誰なのか」ということを、今では私も分かるようになった気がするわけで。古い時代の「諏訪大明神」に巣くう「大槻」の力を掃除して、善光寺を守護する七社の力を取り戻して持ってこい、ってことですよねえ、今日のことはねえ? と思うわけで。美和神社は、延喜式神名帳における水内郡の筆頭の神社ですので、格式的にも力的にも相当強い力の神社であるようで。しかも、今大物主は、諏訪氏の眷属で、当然金刺氏の血も引いているから、その力には善光寺も敬意を払わなければならなかったようなのですが、その本性を見抜いた者に、ついでに「他の神社も掃除してこい」っていうお呼びがかかったらしくて。そうなんだ、それじゃ今後は、神名帳の水内郡の最末尾にその名が載る水内神が筆頭ってことになってくれるとうれしいのですけれども? と個人的には思うわけですが。

 

(いや、でも、「来るモノは拒まず」って言っても、あの空間は普通じゃない。境界にはきっちり結界が張ってあって、入ってくる者はみな「見られている」って、言われるわけで。確かに、独特な所ではあるのかも? とは思うわけですが。水内神とは、「水」に関する神だとは誰でも思うと思うのですが、もしかして、それは延喜式神名帳の水内郡の項の最末「尾」に載る沢の神のことなんだ? と思うわけで。個人の名前の方は、その気になれば変えることも捨てることもできるかもしれませんけれども、名字の方を捨て去るのは至難の業で有り、それこそが「宿命」であると善光寺あたりからは、なんだかそう言われそうな気がした一日だったわけですが。要するに、元々、水内神を出す家系であったのに、よろしくない魔眼の要素を持つ家系であったのに、医師免許を取るような高みにまで昇ったら「仔羊」となる運命しか待っていないのに、叔父の一人はそうやって亡くなったのに、そういうことは全て隠されていて、そして、そういったことから全て逃げ切るには、私自身の「見る目」の力は弱すぎて、しかもお味方が必死で届けようとしている声も届きずらいことは皆様、痛感されてらっしゃるようで。「なんとしても、医師免許は取らせるべきではなかった。医学部は中退させるべきだった。」と兄さんが私には見せまいとする心の奥底で、日々、激情と後悔にさいなまれていても、今となっては私たちはできるだけのことをするしかないし、だいたい私自身が自分の部屋の天井に「米」の字が山のように張り付いている今のところから出たくてたまらないわけで。どんなに呪いまみれのところに引っ越したとしても、ここまで頑張ったなら、ここよりはマシ、兄さんにも、他の人たちにも一生会えなくても、自分の力で何とか生きていけるところまで逃げ延びたいと、もはや、ただただそんな気持ちなわけなのですが。まあ、お互いにできるだけ頑張りましょう、ということで。こういう時には、嵐の人たちが送ってくれる「迷宮ラブソング」が非常に心に染みるわけですが。(というか、兄さんは「徹子の部屋」でけっこう強い目の力を使ってますので、結縁の力が強力になるのは良いのですが、副作用でけっこうな本音も聞こえてきますねえ、と思うわけで。まあ、私もこれからもできるだけ頑張りたいとは思うわけですが<(_ _)>。))

三輪山の大神

今朝は、朝からけっこう忙しくて、飛行機があからさまな二本線の飛行機雲を曳いて飛んで行ったりしていたので、

「カーテンレールをWにしろ」

ってことなのなかー、と思ったわけですが。どうもね、蛇の兄さんがテレビの画像の中から送ってくれる力は強力なのですけれども、その分「よろしくない目の力」が強い人の番組に出たりするものですから、けっこう敵の目の力で私も振り回されてしまうことが多いので、そういう「反動」をせっせと飛行機を飛ばすことで、兄さんの方も解消しようとしてるのかな、と思うのですが。

で、土曜日ですので、見積もりが来ることもあり得ないので、美和神社に行ってみたわけです。ここも割と不思議な神社であって、「大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣しそのまま当地に留まった、このとき大神神社の神体を奉納したので大神神社には神体がない」という伝承があるそうで。しかも、当地の大物主命は、水内神の父神と言われる伝承があるとのことで。一方、水内神こと「健御名方富命彦神別神」とは、諏訪神の子神だという伝承もあるわけで。(そして、朝鮮的解釈からいえば、「別神」とは、諏訪神と対を成す「女神」と捉えるべきであって、実際水内にある神社は「斎宮遺跡」と呼ばれる、女性に縁があると思われる地名の場所にあるわけで。)

何故、水内神の父神に二重の伝承があるのかな? と思いながら、有名な三ツ鳥居を見に行ったわけで、私の拙い知識で知る限りでは、三ツ鳥居って、ここと大神神社と出雲の長浜神社しか知らないわけですが。行って、有名な六〇社以上の石祠とか、でっかい六角形の灯籠とか見ただけで、すでにげんなりするわけで。

しかも、ここには「中風の神」として、「青麻神社」というのがあって、鳥居には青麻彦神社とあったわけですが、そもそも仙台にある青麻神社は、天照、月読、天之御中主(星神)を祀っていますので、この三神が主祭神も同様なわけですが、名前がそもそも嫌な名前ですし、境内にある山のような末社群が形成されたのが江戸時代、青麻神社が勧請されたのが明治時代ということで、その頃には、この地に将来どのような神々が集うことになるのか、知っていた人もちらほら出だしたのではないのか、と思うくらいなのですが。蛇の兄さんですら、先に起こることの全てが分かるわけではないんだよ、と言うわけですが、でも、人によって差があっても、かなり先のことまで分かる人も、中にはいるような気がするわけで。ともかく、青い六角形の麻の紋に、念入りに葬式用の生き生きとした菊の花が供えられているわけで、死者に手向ける菊の花を、青い月と星と太陽に捧げるなんて、「気が利きすぎている」と思うわけですが。

そして、家に帰る途中、仔羊たる水内神が「イエス・キリスト」であるのであれば、その「父親」は「大工」なんじゃないのか? と言われるわけで。では、水内神の「父神」としての伝承を持つ「大物主命」とは、「聖ヨセフ」なんだ? と思うわけで。父神に対して二重の伝承が存在すると言うことは、「父なる神」として、大物主命を選ぶのか、それとも諏訪神を選ぶのか? ってそういうことなんだ?? と思うわけで。それで、「建築設計士」なんだ、「大工の親玉」がその本性だから?? ということで。

家に帰って、大神神社の神紋を調べてみましたら、「三本杉」ということで、三本の杉の木が並んでいるのが神紋なわけで。「三本の杉の木」、要するに「三樹」ということで。言葉にも、名前にも全て意味があり、大神神社に「無い」と言われる「大物主のご神体」がどこに「在る」のかは、これで分かった、とそういうことになるようで。その神紋は「紋」ではなくて、「言葉」に代わって、私が良く知っている場所に掲げられている。これだから、祟り神の大物主が入れたものをせっせと引っこ抜いて、兄さんと選んだものをせっせと入れなければいけない、とそういうことになるわけだ。でないと、大物主命を「父なる神」として認めたことになってしまうから。なるほどねー、建設会社の社長さんは、イエス・ミトラス・弥勒の父なる「聖ヨセフ」に忠誠を誓っているわけだ。それで、「採光基準」について、嘘を言っているわけだ。「呪い」を一つでも多く残しておきたいから。

それに、インターネットでは、野地板は「構造用合板」が使われることが多い、と書いてあるわけで、構造用合板というのは、いわゆる「ベニヤ板」かもしれませんが、それだけに水にどれだけ耐えられるのか、という耐水性の基準がきちんと決められているわけで。で、なんで、野地板をサワラなんかでやることになったのかなあ? と思って、最初の方に貰った資料を見てみると、最初から「サワラ板他」って書いてあるわけで、そういえば従兄弟の説明では、サワラとか米松とか杉とか使うって説明されていた気がするわけで。それから、水回りはわざわざ「耐水合板」って銘打つような特殊なものを使うって強調していたわけで、要するに普通の「構造用合板」を使うのを少しでも阻止しようとしていた節があるわけで。窓も取って、「問題なし」ですな、少なくとも、法令的には。なるほど、兄さんが「とっとと行って、撮ってこい」と言うわけだ(苦笑)。

本日のMステ他

ええと、昨夜はパラッと雪が降ったので、ちょっと寝苦しい夜でした。それもあって、夜中に何度か目が覚めたのですが、3時14分頃とか、4時半頃にも目が覚めて、で、目が覚めてしばらくすると飛行機がゴーッと飛ぶので、

「あー、わざわざ起こしてから飛行機を飛ばしてるのかな-。何かあるのかなー。」

と思っていたのですが。で、目が覚めるのは「you」のサビとか「milk tea」がかかっている時とか、福山君の曲が流れている時ばっかりだったな、と思うわけで。なんだか福山君が出てくる夢もちらっと見た気がするのですが、内容は全然覚えていません。

で、昼間は「アブナい夜会」の録画とかちょこちょこ見ていましたら、急に屋根の確認をせねば、という気になりまして。で、調べましたら、どうも選んでいる色が悪そう、ということで、まだいくらでも間に合う状態ですので、変えてみることにしました。というか、今日はこれをやるつもりで、深夜帯から飛行機を飛ばしてたのかなー、と思いまして。「徹子の部屋」の福山君が登場している部分も何回も見ましたので、目の力だけはたくさん貰えた気がするのです。

そして、昼寝をしていましたら、ふっと兄さんのイメージが湧いてきまして。だいたい、兄さんのイメージは白黒の白鳥さんか、黒一色のイメージなわけですが、「紫」もそうだよね? っていう話になりまして。「Calling」の頃とか、ごくたまに福山君も紫色のシャツとか着るわけで。

で、夜。Mステが始まる前に、とても福山君の「幸福論」が聴きたくなったので、聴いたわけで。兄さんに「ハニー」って言われたら、誰だってドキドキするよね、と思うわけですが。そして、Mステ。弘中さんが、白黒でハートのいっぱいついたドレスを着ていて、「おおー」と思ったわけで。それからSMAPが紫色の衣装を着ているのを見て、昼間のことも思い出して、「おおー」と思ったわけで。それからピンクの衣装を着て、白黒の羽根みたいな飾りをつけて唄っていたJUJU姐さんは、ベースとギター2人の、計3人の男性を割と目立つ感じで従えて歌っていたので、ちょっと意味ありげだなー、と思って見ていたのですが。(親が言うには、姐さんは緊張している感じであった、とのことで。別に「ラストシーン」を歌うときみたいに思い切り歌って頂いて構わなかったわけですが。やっぱり、兄さんのお誕生日だから、緊張したのかしら? と思うわけで。)

福山君とこの公式Twitterを見ると、あちこちから「おめでとう」を言われたらしい様子が伝わってくるわけですが。そういえば、去年はこういう書き込みを見た記憶がない、と思うわけで、確か3月の春分の時は、Mステの放送が終わった後に、「My VOICE」を歌ったファンキー加藤君とエールを交換し合ったりして、暗に「『My VOICE』って僕の歌なんだよ」って示唆されてたような気がするのですが、当時のTwitterは「期間限定」ということで開設されていて、今のものとはアカウントが違うので、申し訳ない話なのですがいつから開設されていたのか私には全然思い出せないわけで。当時は、神話のことをいろいろと勉強するのに忙しくて、で、春分の1~2日くらい前に、ちょっと気分が滅入った時があって、「無力な自分に何ができるのだろうか?」という気持ちになってちょっと落ち込んだことがあったのですが、そのほぼ直後の春分の日に「暁」を聴いて、歌詞を見てはっとして、しかも「最初から最後までしっかり見ろ」って言われて大びっくりして、そしてタモリさんとか、福山君とか、SMAPとか、なんでみんなそんなに大緊張しているんだろう? って不思議に思っていて。福山君のことを「すごい」と思って強く意識するようになったのは、この時からだった気がしますので、それ以前の兄さんの動向ってあんまり記憶に残っていないのですが;。今、当時の映像を見直すと、「暁」の「ここにいるから」だけが、ものすごく強調されているように感じるわけで。そっかー、それをしっかり伝えたかったのかー、って今ならそう思うのですけれども、当時はあらゆることに、ただただびっくりしていただけなわけで。

で、あとはMステで、昔の歌を今の若い人に聴かせよう、みたいなコーナーがあって、今日は1984年の曲ということで、中学2年生の頃の曲か~、と思って聴いていたのですが、ふと、そういえば、干支で一回り年下の子は、当時いくつだったのかしら? という気持ちになりまして? 2歳? とかって思うと、微妙な気分にはさすがになるわけですが、まあ、こういうときはたいてい「大きなお世話」って言われてしまうわけでーー;。

香取君は相変わらず、割と「目の力」を使ってくれていた気がします。そして、SMAPと香取君には最後に、「明日もSmaSTATION!見てね。」って言われた気がするわけで。SMAPは来週もMステにご出演とのことで。来週は来週で、誰か別の人の誕生日な気がするわけですが。ともかく、福山君の目の力にはいつも、とてもお世話になっていますので、「お誕生日おめでとうございます<(_ _)>」とここにも書いておこうと思います。

きっと、どこかには、好きな女の子から生まれて始めて誕生日に「おめでとう」って言って貰えて、「この年になって、始めて経験することもあるんだよ。」って言って、喜んでくれている人もいる気がするのです。きっと、その人は、今のところ、好きな子に「幸福論」ばっかりヘビーローテーションで聴かせたがる気がするのですが。

徹子の部屋

割と朝早く、5時頃に目が覚めて、ちょっとドキドキしてしまうというか、そんな感じであったわけで。で、「何かあるのかなー?」と思いつつ、起きたわけですが、「暇な内に、WOWOWの無料視聴の申し込みをしておけば?」と言われるので、まあ、2週間無料で見れるわけですから、そろそろ準備しても良いのかな、と思って、申し込んでみたわけです。で、首尾良く見れるようになった、と。

で、昨晩は「徹子の部屋」のスペシャルがあって、福山君のコメントVTRが出るということで、録画しておいたので、「次は福山雅治を探しに行こう。」って言われるわけで。それで、録画したものをDVDに焼いて、ちょっとずつ見ていたわけですが、長時間テレビを見るのはきついですし、他にもいろいろとやることがあったので、なかなかたどり着けないわけで。で、朝から見始めて、夕方になってやっと番組の終わりの方の福山君のコメントまでたどり着いたわけですが、全体にカメラに向かって目の力をバシバシ使っているな、と思って。でも、何かお話したい感じでもない気がするわけで、言いたいことは良く分からないわけで。ともかく、兄さんの姿を見るのは久しぶりですので、嬉しかったわけです。で、その後、たまたまSMAPの動画を見ましたら、ふと、「三輪山の神に関する神社を撮ってくれば。」って言われまして。で、兄さんからは「どこにあるか知ってるはず。」って言われまして。それはきっと、この間、ぐるぐる回った時に、線路の手前にあった古そうな神社のことでしょ? と思うわけで。町中にあんなに大きな神社があるということは、古くて力のある古社だと思うわけで。

平安時代初期の記録に「水内郡の三和・神部の両神が怒って兵乱や病気を流行らせる」とあるそうで、この二社の内、神部神社がどこにあったのかは現在では分からないわけで、時代が下ってから名前だけを貰って、某所に神部神社はある意味再建?されたわけですが、三和神社は今も昔と変わらない場所にあるわけで。ここは、江戸時代に境内末社が60作られたとかで、だいたい、そもそも、三和・神部の両社は水内郡では立派な「祟り神」なんだ? と今更ながらに思うわけで。所在不明だった神部神社がわざわざ再建されたことにも、「祟り神の復活を求める」という意味が暗にあるんだ? と思うわけですが。

まあ、それはともかくとして、昔の私であれば、こういう古社を巡るのが好きだったわけですが、最近は「余計なところに行くな」と言われているものですから、あまり出歩かないわけで。行って、撮って来いと言われれば、行ける範囲で、どこへでも行きますとも? と思うわけですが。

あとは、「幸福論」をウォークマンに入れてみたりとか、そんな一日でした。兄さんも目の力を全開にするとすごいな、と思ったのでした。

 

そして、建設予定の会社に所用で電話したら、用件を話し終わらない内に、つっけんどんに切られてしまいました。たぶん、米米関連の数字と十字を抜いた辺りで、怒っているのだと思うわけですが。だいたい、人のこだわりには「迷信だ」みたいなふりをするくせに、自分達は六角形と八角形と弥勒のオンパレードなんだ? (しかも、打ち合わせに指定してくるのはだいたい4とか6とか10のつく日) と思うわけで。そんなに米米を入れたければ、自分の事務所に更に山盛りに入れれば良いのに、と思うのでした。

夢その他

夢の中で、私はまだ学生で、学校でキャンプみたいなところに行って、夜、大勢で一つの部屋で寝る、という段になったら、唐突にMr.Childrenの桜井君が現れて、みんなにミスチルの曲を解説してくれる、ということになって。で、朝になって帰る支度をしていたら、桜井君が兄さんからのお手紙を手渡してくれる、という夢を見たのでした。

起きてからは、Mr.Childrenの「抱きしめたい」とか福山君の「幸福論」の動画を探して見て見たわけで。で、今日は某所に打ち合わせに行く日でしたので、「ともかく、冷静に落ち着いて。」っていろんな人に言われるわけで。

かつて、旧約聖書の時代に、ヨルダン川東岸では、モレクという神に子供の犠牲を捧げる習慣があったと言われており、神に捧げられた子供は生きたまま祭壇の上で焼き殺された、と言われているわけですが、だいたい古代のあのあたりの「人身御供」は凶悪な牡牛信仰と密接な繋がりを持っていますので、おそらくこのモレクという神も「牡牛」がトーテムであったのではないか、と思われるわけです。で、モレクという名は子音でいうと「MK」ということになりますので、これに古代エジプト的な女性形の名を示す「T」をつけると、「MKT」となって、メヒト女神の名へ変換されるわけで、それが更に時代が下るとラーと集合して、ミトラスの名へと変化する気がするのですが、このミトラスも聖牛供儀の祭祀を持つ神ですので、要するにモレクもミトラスも「ほぼ同じ」な神であって。

今朝、とあるニュースを見て、「これではまるで『誰が真の蛙女神か』なのではなくて、『誰が真のミトラスであるのか』と行っているも同然」と呟く人がいたわけですが。要するに、何故今になって、あのニュースが表に出るのかといえば、それは某宗教の上辺の教えの通り、「罪無き人を犠牲の祭壇に捧げたくなければ、イエス・キリストの自己犠牲の精神よろしく、自分が祭壇の上に戻ってきて犠牲になれ。」って言ってるんじゃないの? 要するに、平ったく言うと、「打ち合わせに行って、呪いを解くな」ってことでしょ? と思うわけで。こういう話に私が耐えられなければ、兄さんは全てが済むまで、ニュースを見るのは禁止、って言って、見せまいとするでしょうけれども、耐えられれば耐えられるで、それがどういう意味を示すのか知って欲しいといろんな人は思うでしょう、ということで。そして、こういうことに冷静に「耐えられる」のであれば、それはまだマシですけれども、それを平然と冷酷に見るようになってしまったら、それもまた「悪魔の所業」ということで、人間的な冷静さと、悪魔の冷酷さの感情的な差異はそれこそ「紙一重」であることを知っている人たちにとっては、それはそれで悩みの種にもなるようでして。それで、今朝はせっせと兄さんがお歌を送ってくれたんだなー、と思って。

なにせ、私もこういう現実にはけっこう鈍麻していて、人の死を見ても、それで自分が前に進むのを止めるようなタイプでは「無い」ですし、自己犠牲の精神とかとっくにどっかに吹き飛んじゃっている性格なのは否定できないわけでーー;。

で、某所に打ち合わせに行って、十字も、呪いの数字もできるだけ抜きましたし、ついでに土台の鉄筋に予定していた会社の「8」の字にも気が付いたので、最終的に、他の会社の指定に切り替えたわけですが。なにせ、打ち合わせに行った会社の壁紙には六角形が溢れていますし、トイレの前の床には八角形の床板が使われていますし、応接室の壁には、ふと見上げましたら、秦氏の本尊とも言える広隆寺の弥勒菩薩の写真が飾られているわけで。広隆寺の「牛祭り」って、そういえば「聖牛供儀」の一種ですよねえ? と思い出したわけで。ミロクもモレクも「子音的にはほぼ同じようなもの」って、ふと気が付いたわけで、打ち合わせに行った先の社長さんは、まあ、そんなところで働いている割には、「神」でないぶん、従兄弟よりはよっぽどマシな人なわけですが、今でも「MK」の神に人を焼いて捧げるようなことがもしあれば、それを目の当たりにしたら、この人でも恐れおののくのだろうか、と、ふと思ったりしたわけで。そして、六角形とか八角形とか、弥勒菩薩の写真とか、そんなものが当たり前のようにある事務所の中にいる時に、自分の身に起きていることは全て「夢でも冗談でもない」と痛感するわけで。

真のミトラス=メヒト女神がいずこにいるのかなんて、言うも虚しい話で、こちらは呪いを解くのに必死、ちゃんと解けてるのかが一番に心配、ってそういう毎日なわけで、飛行機を飛ばす神サマに頼り切りなわけですが。(そして、写真に撮ったものは、送って欲しい、と言われたところにきっと送ると思うわけですが。)

家に帰ると、「あんなにあからさまに弥勒の写真が飾ってあったりして、あの社長さんは、良くも悪くも神頼みに頼りすぎ。」って言われるわけで。まあ、従兄弟と組んで仕事してるくらいですからねえ? とは思うわけですが。近所にある某八幡神を祀る神社は、現在のところ、石清水の八幡神ではなくて、鶴岡の八幡神と諏訪神に抑えられてる気がするわけで、誰が真のミトラスなのかはどうなのかはともかくとして、あの社長さんの目には「ミトラス」とは誰のことだと映っているのだろうか? とはふと思ったのですが。(しかも、あの人は私が福山君の曲を聴いていると嫌がる気がするのですけれども??)今日も低空飛行で、でもけっこう頑張った一日だった気がします。