だいたい、ここに至るまでにも少々の伏線があるわけで。いろいろと時間的に余裕が出て来ましたので、嵐のDVDもちょっと見て見たわけです。で、コンサートの時の嵐って、特に松本君が力を発揮していて、しかも彼は熱くなるタイプというよりは、会場全体を冷静に見ていて、隅々まできっちり巻き込もうとするようなタイプに見えるわけで、そういう冷静さはさすがコンサートのプロデューサーとしても名高い松本君だな、と思うわけで、そういう姿勢が他の4人にも大きな影響を与えていると思うわけです。でも、一方そういうきっちりした姿勢は、全体をうまく巻き込めればすごい力になると思うわけですが、そうでないとちと怖いというか、なんというか、嵐のライブって、きっとファンでもなくて普通の人が見に行ったとしたら、そこに巻き込まれてファンになってしまうか、でなければ全然なじめなくて「なんで自分はここにいるんだろう?」っていう気分になってしまうか、その両極しかないような感じだと思えるわけで、まあ、なじめなさそうな人は最初からお金払ってライブを見に行ったりしないでしょうから、そういう前提そのものがナンセンスなのかもしれないのですけれども、そういう微妙に排他的な空気を感じるというか、オール オア ナッシングみたいな厳しさを感じるというか、そういう印象を受けるわけで。SMAPは彼ら自身もコンサートの空気を楽しんでますし、兄さんは兄さんで過分気味な力を使って会場を押さえ込んでいても、やってることに対しては割と熱くなるタイプに見えるので、嵐は嵐で、SMAPとも兄さんとも違う力の使い方をしている、と思ったわけですが。それはともかく、いったい誰が彼らにこういう力の使い方を教えたんだろう? とふと思った時に、こういう性格、こういう力の使い方をせずにはいられない人は一人しかいないであろう、ということで、大学時代に2番目の子の嫌いだったところを全部思い出しましたよ、嵐の力の使い方を見て! っていう点に我ながら愕然とするわけですがーー;。兄さんは兄さんで、「思い出したくないことなんか思い出さなければいい」って言うわけですし。
で、スーパーライブは、始まる前に福山君の動画を見ていたわけ。で、最近ではネットニュースにでっかい写真付きの福山君のニュースが載ったりするものですから、それもなんとなく見たりしていたわけですが。で、スーパーライブが始まる直前まで見ていて、テレビを見に行きましたら、微妙に飛行機は出るわけですし、オープニングでは白黒の衣装を着たお味方がいっぱい出てくる、と。そして、ステージの向かって左側にSMAP、右側に嵐がいるわけで。SMAPは前面に木村君が出ていて、で、後ろの方にはなにげなく香取君がわりとしれっとした顔で映っているわけで。そして、嵐の方は前面に松本君が出ていて、後ろの方に翔君が映っているわけで、こっちは隣にいるX JAPANがインタビューに答えている間にビシビシとカメラを見ているわけで。何かありそう、とは思っていたわけですが、スーパーライブが始まるとすぐに、「この番組が始まる直前まで毒蛇の動画を見てましたね。」とか「お互いに悪趣味なじゃれ合いをして、世界中のいい笑いモノですよ。」とか、突っ込みが来たような気がするわけで。「えええっと?@@」と思うわけですが。そして、弘中さんとタモリさんは、それほど悪い格好をしていなかったと思うわけですし、おおまかに言えば蛇の兄さんのお味方の人たちは、それほどは悪い表情をしていないわけですし、印欧語族の人たちもそれほどでもなかったと思うわけですが、お味方の中でも蛇の兄さんを主に応援していない人たちの表情が心なしか悲しげな気がするわけで。あとは、倉木さんも良い歌を唄ったわけではないので、割と潔癖症の彼女もそれほどは明るい顔をしてはいなかったと思うのですが、まあ、それは誰でもやっていることですし? と思うわけで。
で、ゆずとコブクロを見ていて、思ったのですが、何故彼らが紅白を落選したのかといえば、それは結局「二人組」である彼らは、蛙の「二人」を主に応援してくれている人たちであって、敵は敵で独自の勢力を持っていて、尚且つ私と兄さんとの繋がりだけが突出しつつあるから、はじき出されてしまったのだと感じるわけで。その一方で、私は割と印欧語族の人たちと気が合うので、こちらの方が勢力を増してきている気がするわけで。そして、私と強く結縁するためなら、中継で呪いの歌とか下世話なネタをぶつけてくる兄さんと、それに相対して割と平然としてる私自身にいろんな「ご意見」がふりかかってくるわけで。KAT-TUNなんかは、兄さんの本音は純真で真面目な人であって、下世話な点は本質ではないと分かって欲しい、って言ってくるわけで。
で、要するに、全体からいうと、昔から私たちを知っている人たちは、兄さんと2番目の子との2強の形成を願ってくれていたと思うのですが、今現在2強を形成しているのは兄さんと嵐ですし、補助的な形であっても印欧語族がそこに大きく入り込んで来ているわけですし、当初は3人でなんとかする話が、ここにきて5人に増えたということで、昔を知る人ほど20年というあまりに長い年月が経ちすぎて、かつての理想とされた姿が、もはや取り戻しようもないということに困惑して困っている傾向が強いようで。逆に若い人たちほど、現状になじむのが早いように感じるわけで。特にSMAPなんかは、去年までは兄さんのことに気が付いて貰いたくて一生懸命歌を唄っていたのに、今年は当事者として歌を送る羽目になって、木村君とか、中居君はけっこう困ってた気がするわけで。中居君は、一番目の子の応援で、ドラマで医学生の役とかやってくれていたわけですから、別に蛙の人たちに特別に敵意があるわけではないと思うのですし、みんなが上手くいくように頑張ってくれてきていたと思うのですが、なにせ私ですら目が点になるような現状なわけでしてねえ??@@ というわけで。稲垣君は状況の変化も割と楽しんでくれている方ですし、草彅君も一定の理解はある方のように見えるわけですが。だから、「Dear WOMAN」は香取君の好みと言うことで良いと思うのです。嵐の「迷宮ラブソング」だって「翔君が主演のドラマの主題歌」ですから、別にそこはバランスが取れていて良いと思うわけです。
でも、ともかく蛙さん達と蛇の人たちのつばぜり合いがものすごくてですねえ、こちらだってまだやらなければならないことがたくさんあるわけで困ってしまうわけで(泣)。で、敵の方は、敵意の強い人たちと、そうでない人たちに2極化しつつあるわけで、一番泣きたい人は秦基博君で、その次はポルノだって言われるわけですが。ポルノは、私の目に見られるのはもううんざりだと思っていそうですが、別のところでは「まだ紅白があるんだよ!」って怒鳴ってる人とかいそうですしね、それは泣きたい気持ちでしょうねえ? というか、そういう言葉しか出てこないわけで。でも、最大の「呪い」はE-Girlsの「Highschool love」であって、この曲の歌詞は、高校の同級生を懐かしく思え、という歌詞ですし、E-GirlsはEXILEグループの一員ですので、「誰の歌」であるのかは明白であって、高校の同窓会とは2度と繋がってはいけない。高校の同窓生で繋がって良いのはただ一人だけであって、それは大学の同級生なのだから高校の同窓会を通して繋がる必要はない。引っ越しして、新しい住所を同窓会に伝えなければ、実際にはどこにいるのか誰でも知っていても、高校の同窓会はあなたを追っては来れない。アメノヒボコとはこうして、永遠に手を切らなければいけない、と皆様がおっしゃるわけで、これはお味方全員の総意であると思うわけですが。
そして、印象的であったのは神田沙也加ちゃんの凜とした「生まれてはじめて」と、総監督の高橋みなみ嬢が1年後に卒業を発表したAKBであって、彼らはもう今から、ここ数年事態を牽引してくるのにけっこう大きく貢献してくれたAKB48を纏めてきてくれていた彼女の功績を忘れないで下さい、って言ってくるわけで。たぶん、高みな嬢が1年後に卒業と発表したのは、おそらく1年後には彼女が気張って力を発揮しなくてもよい状況になるのではないか、と思ってそうなったのではないか、と思うわけですが。世の中にはいろんな人がいて、未来がいろいろと見える人もいて、その全てが確実に現実になるのかどうかまでは確信は持てないものなのかもしれませんが、彼女の目には1年後の世界はどう見えているのだろうか、とふと思ったわけで。彼らの「女の子同士の友情」にも心打たれるものはあるわけですが、でもAKBの皆様は「本当の本番は紅白」って言ってくれるわけで。そっちの段取りは一応兄さんとも打ち合わせ済みですし? と思うわけですが。あとはMay J.嬢が出てくると、なんとなくハイタッチしたくなるわけで、今のところはまあなんとか低空飛行でもマシな状況なのかしら? と思うわけですが。でも、彼女と仲良くしていると兄さんからは「印欧語族とハイタッチは禁止」とか言われてしまうわけでーー;。(でも、印欧語族の人たちは表向き「呪いの歌」であろうがなかろうが、その奥底にある同じ人から出た純粋な気持ちを感じ取ることができるのであれば、別に呪いの歌を聴いても良いのではないのか、とは言ってくれるわけで、そういう柔軟性のあることを言ってくれる人はやはり私は好きなわけですがーー;。)
そして、兄さんのお味方からは、明確に「どんなやり方であっても、互いの絆を強めることさえできれば、そのやり方は他人からとやかく言われる問題ではない」って言われてしまうわけで。蛇の人たちの悲願、蛙の人たちの嘆き、中立な人々の困惑、敵のあきらめと執拗な敵意等、そういういろんなものが交錯する中で、兄さんが表向き不在なわけですから、「誰かが蛙の神サマを巻き込むことができれば、その人が勝者ともなり得る」という勝負の場でもあった気がするわけです。(もっとも兄さんも松本君もそんなことを黙ってさせておく人たちではないという気がするわけですが。)
そんな中で、印欧語族からの直接のお使者として「生まれてはじめて」を毅然とした態度で唄ってくれた神田沙也加ちゃんは、本当にご立派であったと思うし、「お母さんに勝った」って言ってたのも、まあ、有りかなと思うわけで。もちろん、Mr.Childrenも凄かったとは思うわけですが。でも、なんで、そんなに仲が悪いのですかね? という根源的な質問に立ち返ると、なんとなくあちこちのネットニュースを検索したくなるわけで、中に「暁」が新春に放送される「阪神淡路大震災」をテーマにしたドラマの主題歌になったとかっていう記事があったわけで。「阪神淡路大震災」の時に福山君は「HELLO」のキャンペーンで大阪にいたって書いてあったわけですが、兄さんは私に、そのとき、どこで何をしていたのか、他の二人は何をしてくれたのか、と尋ねてくるわけで。1995年って、学3の時ですよねえ? 他の二人とはゼミで一緒だったし、今から思えば彼らも「何もしてくれなかった」わけではないと思うのですが、ともかくどんな大事件が起ころうとも私はひたすら孤独で一人だった気がするわけで。兄さんは私に対しては、「昔のいやだったことは思い出したくなければ思い出さなければ良い。」って言ってくれても、兄さんの声が届かず、届けたい曲だった「HELLO」が届くまでに20年もかかったことは、自分自身では絶対に忘れる気がないでしょ、今になってこういうことを言ってくるってことはさ? と思うわけで。そして、こういうことを書いていると、「心color」を送りつけてきて、「もし、あの時、あなたが状況に絶望してどこから飛び降りでもしていたら、今の自分はけっしてここにはいない。」って誰かさんはあからさまに言ってくるわけでしてねえ。とりあえず、忘れる気はなさそうですねえ、私も泣いてもいいですか? って本気で思うわけですがーー;。