福山君のライブビデオを1個買うべし、ということで、今年初めの5大ドームツアーのDVDを買ってみたわけですが、感想の話を回収するには伏線がいくつも必要なわけで。
だいたい、ピアノが抜けたあたりから、どうも心の中の自分の羽根が「コウモリ」の羽根に変わってる気がするわけで、それと同時にタケミカヅチの背にもコウモリの羽根が見えるようになったわけで。だいたい、その頃から誰かさんは、私の力を抑えている大きなものが減れば、その内に「角」も生えてくるようになるんじゃないか、と思ってた気がするのですが。
で、ソファーが抜けた時もけっこう大きな勝負だったわけで、そもそも兄さんが私を呼ぶ声というのは、男の人が女の人を呼ぶ声であって、兄さんは私と仲良く暮らしたいから呼ぶわけですが、一方、タケミカヅチが私を呼ぶ声も、男の人が女の人を呼ぶ声ですので、どちらも似ていて、今までは私のところに届くときは混線しちゃっている傾向があったのですが、タケミカヅチが呼ぶ声は、別に私と仲良くしたいわけではなくて、奴隷のように私を押さえつけて支配したいと思って呼ぶ声であることが、だいたい、この頃にやっと区別がつくようになったわけで。で、ソファーが抜けると、みんなが「あれは牛魔王」って言うわけで、孫悟空ネタですか? って思うわけですが、あれが抜けて私もずいぶん楽になりましたし、兄さんの声も届きやすくなった気がするわけで。で、今週の初めに兄さんがお国入りした理由は、力が足りていないところをいろいろと、てこ入れしに来てくれたようなのですが、だいたい兄さんがてこ入れしてくれれば、私の力も安定しますが、安定すればだいたいろくな形はとらない、ということで、ソファーが抜けると、心の中の私の姿は、捻れた山羊の角を生やして、山羊の足を持った姿に変わってしまうわけで、いろんな人から「山羊の太母・ニンフルサグだ」って言われるわけで。そして、心の中の姿が蛙でもなく、蛇でもなく、異形の姿をとる者は「印欧語族だ」って言われるわけで。(そして、蛙の姿をとる時には、蛇の尻尾を持って、鹿の角を生やした蛙の姿をとるようになったわけで。兄さん的には、まあ、そっちは「許容範囲」って言われるわけで、そもそも「太陽」の「太」は鹿のことだから、鹿の角を持っているくらいは許容範囲らしい? わけですが。)
そして、コウモリの翼を持つ者は、「悪魔」だということで、誰かさんからは「悪魔の花嫁」じゃなくて、「悪魔が花嫁」とか言われるわけで。確かに、年が近いと、そういうネタも一発で通じていいですよねえ? とは思うわけですが。で、自分の姿がはっきりしてくれば、敵の姿も良く見えるようになってくる、ということで、タケミカヅチの姿は、コウモリの翼を持っていて、尚且つ、黒い死神の鎌を持っている姿に見えるようになってくるわけで。で、みんな彼のことを「サタン」だと言うわけで。で、「魔の姿をとるならとるで、自分の名前を知らなければならない。」と兄さんに言われるわけで、結局ちょこちょこと調べた結果、「ルシフェル」という名が妥当であろう、と言われるわけで。堕天使ルシフェルとサタンってどう違うんですかね? 確かに、ルシフェルとは「蛙」から出た名前だとは思うのですけれどもね? と思うわけですが。
そして、ソファーが出た後は、「今の目で石井を見に行こう」って言われるわけで、久々に「t-stone」とか見に行ったわけですが、こっちはこっちで背景が真っ黒な上に、気味悪い目っぽい意匠なんかがあって、私が出入りしていた頃に比べて、更にオカルト的な嫌な感じがパワーアップしているわけで。で、石井って今何やってるんだろう? と思いましたら、「GROUND ANGEL」という東日本大震災の復興のためのチャリティーライブをやっているらしいのですが。石井の得意技は、ライブをやるだけではなくて、いろんなオブジェを造るところにもあるわけで、今のライブ会場では「GROUND ANGEL」という名?の、「女の子の天使の像」を持ち歩いているらしくて。その像の女の子は下を向いて、目を伏せているわけですから、「それは標的の目が開かないように呪いをかけてるんだ?」と思うわけで。で、いくら力を押さえ込んでも、神である兄さんに悪魔の気は喰い切れないから、今の私の目で、その像の力を喰いきれるだけ食い切っといて、って言われるわけで。兄さんは私の目をできるだけ開かせようとしていますけれども、こっちはこっちで私の目をできるだけ開かせないようにしているんだ? と思うわけで。
そして、印欧語族の皆様からは、コウモリの羽根を持っているからには、今までのことは、単純に兄さんの声が届かなかっただけではなくて、私の本質が悪魔に近いから、本質的な相性が世界で一番合っているのは、兄さんではなくて、タケミカヅチの方だろう、って言われるわけで。でも、たとえ右目だけでも印欧語族の目を持っている者は、容易く完全に敵に巻き込まれたりはしないから、相性が悪くても兄さんや自分達と手を組んで勝ち残るべき、と言われるわけで。
FNS歌謡祭の録画を見ていれば、ポルノからは「世界にただ1対しかないコウモリの羽根を持っている男女なのに、何故、二人は手を組めないのか? なんで、あなたの右目だけが蛙の目なのか? その目が悪魔の目であったら、世界はどんな風になっていたのだろうか?」と呟かれるわけで。でも、最近では、「よろしくない目」を持っている人たちの中でも、割と特定のところに荷担していない人たちは、頂点に立つ者は二人はいらない。最終的に勝ち残るのは、兄さんと手を組んだルシフェルなのか? それともサタンなのか? と言うわけで。誰かさんは、「コウモリの羽根を持った黒山羊のニンフルサグなんて、旦那はなんの力も持ってないお魚のエンキだって、世界中から言われるぞ。」って呟くわけですが。そもそもの始まりの「蛙の太陽女神」の話はどこへ行ったんですかね? と思うわけですが、大抵のお味方は右目だけでも蛙なら、それでいーや、って思っているらしくてですねえ? まあ、あんまりいろんなこと期待されるよりはいいんですけれどもね? とは思うわけですがーー;。
で、もう一つの伏線は、最近の週刊誌で読んだのですが、イングランド出身の映画監督リドリー・スコットが、エクソダス(出エジプト記)の映画を撮って、最近公開ということで、なんで、この時期にエクソダス? と思うわけで。この方は、ちょっと前にハリウッドで、「グッド・ワイフ」という女性弁護士のテレビドラマを作っていて、その主人公はアリシアという名前の人妻であって、丁度、日本で放送されていた時期に、私は裁判をやっていて、裁判所にズボンを履いていっていたわけですが、ドラマの中でも主人公のアリシアが裁判所にズボンを履いていって、裁判長からスカートを履いてこいって言われるシーンがあって、だいたい、その頃から何も分かっていなくても、私のことを知っている人はあちこちにいそうだとは、もはや慣れっこになるくらい思っていたわけですが。「グッド・ワイフ」は丁度、今の騒ぎが始まる直前に第2シーズンが終わったところで、けっこう間際まで見ていたドラマだったわけですが。今、改めてこのドラマを振り返れば、ヒロインの名前の「アリシア」って「蛙神」っていう意味なので、なんというか、もう笑うしかないという感じなわけですが。まあ、それはともかく、リドリー・スコット監督の得意な作品は現代劇ではなくて、むしろ歴史モノで、キリスト教モノが多いわけで、エクソダスを題材に映画を撮る方が、彼の仕事としてはありがちなものだと思うわけですが。出エジプトを題材にした映画は、戦後に公開された「十戒」が有名な気がするので、それに継ぐ大作とも思うわけですが。まあ、別に見る気はないので、その程度に気にとめた、ということで。名前からいえば、スコットという名も「蛙」ということなので、この監督はお味方なのだな、というくらいにしか思っていなかったわけですが。で、これだけの伏線があって、やっと本編のDVDなわけですが。
だいたい、アリーナクラスでの福山君のライブの映像というのは、YouTubeとかで、けっこう見慣れていたわけですが、ドームクラスの映像を見るのは今回が初めてだったわけで。ともかく、箱がでかくなって、収容人数が増えると、客席の気を抑えるために使う力も倍増するんですか? っていうことで、福山君がすごい力を放出してるんで、正直いって「げっ」と思うわけで。お客さんは兄さんに魅入られたような顔をして、巻きこまれてのっけから泣きそうになってる人とかいるし、しかも、背景のセットも、今までのツアーに比べて気合いが入って禍々しいですよねえ? と思うわけで。花道は馬蹄形だし、セットのあちこちに三角とか六角形とかあるし、正面に白雪姫に出てくる「魔法の鏡」みたいな気がする丸くてでかいスクリーンがあって、どうにも「目」にしか見えないわけですし。正直言って、こういうところにお金を払って行って、兄さんの力に押さえ込まれて楽しいと思える人っているんだ??@@ という気がするわけですが。確かに、石井のライブには行ったし、ある程度は踊るのも好きだったですけれども、それだってこちらが踊ってもいい、と思った程度以上に踊ることを要求されるのは不愉快だったわけで。そして、ともかく、石井のライブの客っていうのは、なんというか、うっとりとした顔でステージの上を見ている人が多くて、なんとなく男性のアーティストのお芝居とかライブを見に行く女性ファンというのは、そういう表情をしている人が多いモノと思い込んでいたわけですが、それに比べると客席の人たちが虚ろな目をしている人が多い気がして、それも怖いんですけど? と思うわけで。
唯一の救いは、台湾・香港ツアーの映像も含まれていたことで、アジアツアーとか大仰に銘打っていても、アリーナクラスで1万人くらいが収容できる箱でのライブなら、今の福山君の実力からいえば、けっして「大きすぎる箱」とは言えないわけで、こっちはそれほどすごい力を使っていないのが、目に見えて分かるので、それほど見ていても怖いとは思わないわけで。余談ぽくはなりますが、福山君は商売に関しては、けっこう手堅い仕事をする人に見えますのでねえ? いきなり無謀に大きな箱でライブやるようなタイプには見えないわけで。それだけに、「横浜メンズ館」については微妙に思うところがあるわけですが、まあ、誰かさんがその点に触れられるのを嫌がるから、敢えて手紙には書きませんけれどもねえ? と思うだけであって。
しかし、タケミカヅチの方だって、兄さんに負けず劣らず、人を巻き込む力があるように思うわけですが、兄さんはこれだけの人気者っぷりなのに、なんであっちの人気はそれほどでもないのですかね? と思わず思うわけですが。まあ、そうすると、誰かさんからは「こっちは仕事でやっているけど、あっちの目的は標的がライブ会場に来れば良いだけのことだから、箱の大きさなんて関係なし。」って言われるわけで。なるほどねー、そんなものなんですね、って思うわけで。
そして、全体的に見て分かったことですが、このライブツアーは先行して発売されたアルバム「HUMAN」の内容に準じるもので、要するに長崎の山王神社の被爆「クスノキ」に大きな焦点が当たっているわけで。クスノキっていうのは、大きな八幡神社のご神木にされることが多くて、要するに「魔」の象徴であるので、要は「魔を称えるツアー」ってことで、発売されたDVDのジャケットは真っ黒、あちこちに六角形の模様がたっぷり。ライブのセットもご同様の禍々しさ、ということで。私を助けようとする代償に、こういうライブをやってたわけなんだ? と思うわけで。でも、だいたいにおいて、兄さんは「ここまで来たんだから、絶対に女心を捕まえてみせる。」って思ってる気がするわけで。ただ、「最愛」を歌っている時は、二番目の子と私の絆のことを考えて、どうやってその間に食い込もうか、と考えている気がするし、「暁」ではなんの力もないのに夫に決まっている子のことも微妙に忌々しく思ってる気がするわけですが。
兄さんは、諏訪神の名を書くときには「建御名方神」と書かずに「建御名方富神」と書いて欲しいって言ってくるわけで、出雲の富の王家の軍神であることに強い誇りを持っている人なのだと思うわけで。1600年前に、出雲の王家は敵に取り憑かれて滅ぼされ没落してしまい、その時に総本家を見限った大和の王家と大和に拠点を置いていた蛙の王族は、出雲を見限って主力を温存したまま東国に退去したわけですが、その時から、各地に四散した富の王家の末裔の蛇の人たちにとっては、かつての羌族との同盟の絆を取り戻すことが悲願であったのだと思う。一方、蛙さん達は富の王家の裏切りと没落を今になっても許していない、ということで、「力なんぞどうでも良いから、一番目と二番目は蛙の子」って決まっているわけだと思うわけですが。兄さんは無駄なことなど言う人ではないので、「SONGS」で樹齢1600年のベニヒノキについて言及した時にも、そのことは当然考えていたと思うわけで。まあ、基本的には「結婚なんて同盟の産物」なわけですが、兄さんはそういうところが印欧語族の人たちみたいに割り切れるタイプでもないみたいですのでねえ? という気がするわけで。
そして、兄さんが被爆クスノキを称える歌を唄えば唄うほど、いろんな人たちが私に対して、何故長崎と広島が原爆の標的とされたと思うのか? と尋ねてくるわけで。それは、各地に四散した富の王家の末裔達が大勢住んでいて、この家を応援してくれていたから、って言うわけで。やってるライブの禍々しさも気合いが入っているわけですが、多くの蛇の人たちの悲願を受けて兄さんが背負っているものもヘビーだな、と思うわけで。でも、兄さんは私に対して、そうやって自分が背負っているもののことで泣き言なんか言ってこないで、ただ「一通の手紙」のことだけ言ってくるような人なわけで。
でも、私が兄さんの呪いのDVDを見て、ヒロシマとナガサキがなんのためにあったのかをいろんな人が私に知って貰いたいと思うとおりに知ることは私の自由でしょう? 一応「蛙の人」であっても、私もまた富の王家の末裔なのではないのですか? と思うわけで。
そして、「暁」を見ていて、兄さんは「自分が再び太陽を昇らせてみせる」って思っているのがなんとなく伝わってくるわけで。そうえいば、出エジプト記の後に来るヨシュア記には、モーセの後を継いで、ユダヤの民の指導者となったヨシュアが、戦いの際に「日と月を天空に留めて」民を勝利に導いた、というエピソードがあるわけで、今になってエクソダスの映画なんかが出回るのは、古い故事に倣ってヨシュアのように、日と月を自在に動かして欲しい、という願いが込められているのだ、と言われるわけで。それは、十支族の末裔である兄さんに対して、「ヨシュアのようであれ」って応援してくれているんだ? と思うわけですが。太陽はきっと、動くであろうと思うわけですが。とりあえずは、飛行機もバンバン飛んでないですし、昨日は「嵐にしやがれ」と「smaSTATION!!」を見たわけですが、もうすでに気が付いていること以外に、特に緊急に貰わなければならない情報もなさそうですので、まあ、良かったかな、と思うわけで。こちらはこちらで、けっこう薄氷を踏むような思いで、毎日頑張ってますのでねえ? と思うわけで。
で、悪魔の姿をしているということで、誰かさんから時々、「喪黒福子」とか言ってつつかれるわけで。「笑ゥせぇるすまん」ですか、そういえば喪黒福造って、名前に「福」が入っているわけで、これっていやがらせのアニメだったんだ? 「ギミア・ぶれいく」って昔わりとよく見た記憶があるわけですが、あれっていつ頃の番組でしたっけ? と思うわけで。調べたら1989~1992年の番組なわけで。私が兄さんのことを知る前から、巷ではこういういやがらせも横行していたわけだ。たしか、FNS歌謡祭でとんねるずが出たときにも、途端に「ガラガラヘビがやってくる」(1992年)のことを持ち出して、「人を愚弄するような歌を唄いおって」って呟いていた誰かさんがいたわけですが。(この歌、唄ってましたねえ、そういえば。)兄さんは兄さんで、虐められて苦労してたんですね、と思うわけで。
で、今日になって、いろんな人から、兄さんの力を恐がっていないで、DVDをせっせと見て、兄さんの力の使い方に慣れるべき、って言われるので、見ていたわけですが。で、「最愛」とか見てると、やっぱり2番目の子のことが忌々しいのですかねえ? と思ってしまうわけで。誰かさんには、結果的に私を石井の方へ追いやるようなヘマしかしなかったのに、蛙だと言うだけで2番目に決められているんだから、面白いわけがない、って言われるわけで。まあ、兄さんの気持ちも分かるわけですが、今年の6月になってもまだそういう状況だったんだ? と思うわけで。そして、兄さんからは、今日のことをいろいろと言われたわけで、「自分に風邪をうつすために差し向けられた相手に『お大事に』って言ったでしょ?」って言われるわけで。あれはね、東京や埼玉で暮らしていた時にも同じようなことは何度もあって、わざと病気の人を差し向けて、こっちに風邪とかひかせようとするのですよね、おかげで何度か寝込みましたけれどもね? と思うわけで。だから、よくない名前の娘さんで、わざと風邪ひかされて、接客して私たちに風邪をうつすように差し向けられた子であることはすぐに分かったし、たとえ敵であっても、力が弱くて、そうやって酷使されるしかない子のことを同情したらいけないの? 「お大事に」ってただの一言の言霊すらも使ってはいけないの? と思うだけであって。風邪は感染力が強いから、2週間もすれば私も発症するかもしれないわけですが。でも、きっとそれでは死なないでしょ? と思うわけで。兄さんは、悪魔の姿を持っていても、心の底まで悪魔な者は、そんなこと思わないでしょ、って言ってくれる。そして、「恋の魔力」を見せてくれて、自分だったら、たとえ遠く離れていても、寂しい思いなんかさせない、って言ってくれるわけで。いい人だ、とは思うわけですよ? (というか、このすごいDVDをこれだけ使いこなせるようになれば、きっと倉木さんにも大満足して頂けると思うわけですが。) まあ、「女心」というのは、こうやって捕まえておくものなのではないのでしょうかねえ? ということで。これで、とりあえずいろんな伏線は回収できたかな、と思うわけですが。要するに、このツアーは、表向きは、「クスノキ」を称えるツアーで、しかし、「最初と最後」を大事にする兄さんの好み通り、DVDに収録されたセットリストは最初が「Beautiful life」、最後が「家族になろうよ」なんで。その点に福山君の趣味が現れている、と思うわけですが。まあ、何にせよ、泣きそうな顔をして歌を唄ってなくて、良かったな、とそれがやはり一番の感想なのではないでしょうか。(でも、私は兄さんの力に巻き込まれると言うよりは反発しちゃう性格なので、はっきりいって見に行くのは勘弁して、っていう感じなわけですが。大金払って、頭痛を引き起こしそうなものを見にいってもしょうがないでしょうが、という気しかしないような。きっと3月のMステスペの通りに、頭痛と吐き気で気分が悪くなること請け合いかとーー;。)