テレビ番組を見るのであれば、兄さんのものでも、何か適当なものがないかな、ということになりまして、いろいろ考えた末、「龍馬伝」はどうかな? ということになったわけです。石井はドラマに出ない人ですので、私がこれを見切れることができれば、その分は全て兄さんの勝ちにできるということで。
で、昨夜、寝る前にちょっと探してみたわけですが、なんとか見つかりましたので、第1話の最初の方だけ見て見たわけです。そして、ドラマというのは、歌番組とは違って、いろんな役者さんが出ていて、で、誰もが決まった台詞を言って、決められた状況のドラマを作らなければならないわけですから、これはこれですごい世界だな、と思ったわけで。大河ドラマの第1回ですから、最初の方は主人公を子役が演じるわけですが、子役はまだ子供ですから、完全に踊らされている子もいるし、子供でももう自分の目の力が分かっていて、そうやって踊らされている子を可哀想に思っている子もいるのが分かるわけで。で、いろんな「目」を持っている人が出演しているわけで、敵もお味方も入り乱れて一つのドラマを作っているわけですから、それぞれに思惑もあるし、その中で台詞だけが言われている、みたいな感じに見えるわけで。
そして、「良い役者さん」というのは、敵であっても、味方であっても「目」の力の強い人で、その場、そのシーンを仕切れる人が、一番強いのが目に見えるわけで。敵の人が目の力を全開にしていると、それこそ鬼気迫るものがあって怖いわけです。そして、お味方の方が数は少ないですが、そういう敵の人たちの目の中にいても、凜として負けない人でないと、ダメなんだな、と思うわけで。
で、話の内容はというと、坂本龍馬の母親というのは、体が弱くて、龍馬が子供の頃に死んでしまって、彼は姉の乙女に育てられた、という史実がありますので、ドラマの中でも第1回で母親は死んでしまうのですが、そもそもこの設定そのものが、「母たる女神に死ね」と言っている、「誕生日には真白な百合を」みたいな呪いの設定なんじゃないの? と思うわけで。で、ドラマの中では、龍馬の母親は甘えん坊で泣き虫な龍馬のことを「今に立派なお侍さんになる」って言ってくれる優しいお母さんなわけです。そして、身分の低い下士の出である龍馬が、子供の頃、雨の中、上士の子に踏み殺されそうになった蛙を助けようとして逆に手打ちになりそうになって、お母さんはそれを助けようとして雨の中をかけずり回って死んでしまった、というドラマではそういう設定になっているわけで。要するに、龍馬が母親の死の原因になった、みたいな展開なわけです。
今となっては、蛙を助けようとして、逆に小さな龍馬が泥沼にはまってしまうという話の展開そのものに言葉も出ないわけですが、その子供を助けようとして逆に母親が死んでしまう、という展開には更に何を言ったらいいのですかね? と思うわけで。「私にしかできないことがあるなら、私がただやるのみ」って言ってるだけで突っ走ると、どうなると思いますか? って皆に言われるわけで。
で、昨夜はこのあたりまで見て寝てしまったわけです。で、朝、兄さんの動画を見て欲しいと言われたので見てみましたら、とある名前の入っているとある貴金属を換金するように、と言われるわけで。「捨てなくていいんですか? 珍しいですね?」と思ったわけで。そうしたら、「捨てなくてもいい、龍馬伝を見てくれればおつりが来るくらいだから。特に第1話を見て欲しい。」と言われるわけで。それで、大抵の人もそれで良い、と言ってくれるわけですが、潔癖な倉木さんなんかは微妙にいやがっていたわけで。で、龍馬伝の続きを見て見たわけですが、途中から子役から大人の龍馬に切り替わって、早速福山君が登場、ということで。で、福山龍馬が母親の死を回想する場面があったのですが、その時に誰かさんから
「このままいけば私はあなたを殺さなければなりません。」
ってはっきりと言われたわけで。「げっ」と思ったというか、龍馬伝の第1回は、本当は蛙の子を助けたいのに、このままいくとどうなるのか、という警告だったんだ? と思うわけで、4年前のドラマなのに、そこにいる人の思いが強く残りすぎていて、今でも聞こえるようで。で、要するに換金可のかわりに、この感想を兄さんに書いて送って、しかも残りの呪いまみれなドラマも全部見ろ、とそういうことのようでーー;。
まあ、でも、4年前の話なので。結局、いろんな人たちに助けて貰ったとはいえ、勝ったのは私なのですか? それともあなたなのですか? ということで。今、福山君が、蛙の子を助けることができて、「男と言えば」の動画の中で「一番のお侍さんになったよ」って言ってニコニコできているのであれば、そういうことになることができて良かったね、と思うだけなわけで。
だいたい、この頃からドラマというものは、どんどん面白く感じられなくなって、見なくなっていっていたわけですが、要するに敵とお味方の目のせめぎ合いがものすごくなってきていて、口で言っている台詞とは別に、兄さんに向けて「お前なんか勝てるもんか」って言っている人の声も聞こえるわけで。そういうのを少しでも感じ取れば、ドラマとして楽しめない雰囲気を感じるのは当然なわけで。世の中を変えるのは、私のように飽くなき復讐心を持つものや、兄さんのように誰にも負けたくない負けず嫌いな人や、人として持ちうる限りの野心を持っている松本君のような人や、要するにそういう人たちであるのが、現実なのだな、と思うわけで。ドラマというのは、台詞の一言一言に虚実が入り交じるような複雑な構成の言霊の上に成り立っていて、その中のどの言霊にも巻き込まれずに見切っていくのはけっこうたいへんなことなのだな、と思ったのでした。