ものすごい良い動画を見かけたわけです

それは、2012年3月18日に福山君が宮城県石巻市にある住吉中学校の体育館(1000人規模)でライブを行って、当日全国の民放FM52局同時生放送番組『MEET THE MUSIC LIVE』で全国放送された時の、ライブの動画ということで。

 

その約20日後の4月6日に、福山君はMステで「生きてる生きてく」と「Around the world」を歌って、我が家では何もかもが始まったわけで。まさに、決行直前のライブなわけです。しかも、会場全体から「ありがとう」って言葉が伝わってきて、みんなが「あの人に『ありがとう』ってあなたから伝えて。」って言ってくれてるのが分かるし、みんながこれから福山君がやろうとしてることを知っていて、良い曲を唄っても、悪い曲を唄っても、応援してくれているのも分かるわけで。そして、福山君の方も、普段のライブだったらその目の力を会場を操るのに使っているのですが、このライブではみんなが応援してくれている気持ちを、できるだけ目の中に、記憶の中に焼き付けておこうとしてその力を使っているわけで。

動画になっているライブのセットリストは「虹」「HELLO」「Around the world」「fighting pose」「家族になろうよ」「生きてる生きてく」「桜坂」「蜜柑色の夏休み」「少年」「道標」。
「虹」は、「これから君の空に飛び立つのさ」という歌。
「HELLO」は、好きな子に対して「誰にも負けたくない」という歌。
「Around the world」は「世界一周」の歌。
「fighting pose」は「どんな勝利も栄光も無傷じゃないとするなら 痛めた心は意味があると言ってよ」とか「真っすぐさとか正直さとか それだけじゃ勝てなくて 切り捨ててきた人や閉じ込めた無邪気さを 嘆く夜もあるんだ」とか「流した汗を涙を知って欲しいわけじゃない」とかっていう歌詞が出てくるわけで、でも、みんな本当は、そういうことを福山君の好きな人に「知って欲しい」と思ってくれていることが伝わるわけで。
何か言ってよ? って言われるのであれば、まあ「痛めた心」には意味はあるのではないでしょうかねえ? そうやって大人になっても、だいたい昨日のあの程度なのだから、若い頃の情熱をそのままぶつけられたら、本当に2日くらいで潰れちゃったと思うと、彼の「好きな人」は正直そう思うのではないかと思うわけですがーー;。

で、その後MCで、あの地震のことに触れられていて、で、「一週間くらいは何をしてよいのか分からなかった。」と福山君が言っている時に、みんなが「あの時、火の玉のようにすぐさま飛び込んできて、『できるだけのことをできる限りしよう。』と言ってくれた人のことは忘れない。敵が『日本の国は終わった。』と言ったときに、強い言霊で、『黙れ、まだ終わっていない。』って言って、敵を追い払い、この国を守ってくれたことは忘れない。」って言っているわけで。あの、地震以来、確かに身の周りでの、私自身に対する評価や期待みたいなものが高まっているみたいなことはうすうす分かっていたわけですが、それは「原発に水をかけたことだけじゃないんだ?」って、これを聞いて始めて知ったわけで。
あの頃は、deviantArtという英語圏のSNSサイトに自分のページを持っていてですねえ、地震の後、アメリカのCNNのケーブルテレビのニュースで「日本は終わった」って言ってるジャーナリストがいる、っていうことを教えてくれた人がいたわけですよ。あのゲイのジャーナリスト、なんていう名前だったっけ? って思ったわけで、そういえば、アンダーソン・クーパーって名前でしたねえ? と思い出したわけで。じゃあ、あの男が「日本は終わった」って言ったのも、あれも「勝負」の一つだったんだ? と思ったわけで。どうも、正確な日時が思い出せないのですが、mixiの資料もどこかにとってあると思うので、調べれば分かるかもしれないと思う。でも、あの状況では、他に言いようがないじゃないですか? と思うわけで。

要するに、あの地震で、私は「大洪水で人類を救う神」(要するにヒンドゥーのヴィシュヌ、仏教の釈迦)の資格を得、もともとKBの神の資格は生まれながらに持っているわけだから、その2つの力を結集して、敵の殺意をかわしながら、キリスト教に挑め。彼らの中にも正々堂々と勝負を受けて立つ人々はいる。だから、彼女に足りない分は、あなたが導いて、そのステージまで引き上げていけ、と、みんな兄さんにそれを期待していたように感じるわけですが。「彼女はただ家の中にいて、畑で種を蒔いて生きるだけの器じゃない。」と、みんなそういう、蛙さんたちの期待を損なうようなことを考えてらっしゃったようで。で、地震のMCが終わった後に、
「家族になろうよ」
「生きてる生きてく」
「桜坂」
と続くわけで、良くも悪くも、兄さんの趣味が全開のライブだと思ったわけです。そしてアンコールが「蜜柑色の夏休み」で、これはまあ良い曲。
「少年」は「名も無き この歌」と歌詞に出てくるのですが、私には「名も無き 子の歌」と聞こえるわけで、「名も無き子」とは、「誰でもないもの」という意味のアメン神のことですから、要するに兄さん自身の歌だと思うのです。
そして、「道標」はですねえ、平ったくいうと、「お母さんは家の中にいて、畑で種を蒔いて生きるだけであるべきではない。」という、要は「蛙さん達を呪う歌」に聞こえるわけですが@@。(この曲、テレビで歌っているのも見たことある気がするのですが。fighting poseもですが。)

 

要するに、この2年というのは、私がMay.J嬢との勝負に勝つか、負けるかという、そのためだけに準備されたものだったんだ? と思うわけで。その道筋をつけて突っ走ってきたのが、ライブをやっている人なわけだ。いや、でも、まあ、当時からいろんな人が私のことを知っているであろうことは分かっていましたので、どこの誰にどんな手紙を書けと言われても、あんまり抵抗がないわたしではあるのですが。(しかも、近所の人を見かけるたびに、兄さんは背中に視線を打ちこむ。部屋の中では、「誰も通さない」という勢いで倉木さんとジャニーズの皆様の目が光ってる、ということでそちらの方は、なんとかなりそうだと思うわけですが。)

 

で、「桜坂」という曲を、この騒ぎが起きてから、ものすごく改めて見て見たわけですが、どうみても「一番目の子と二番目の子」をセットで「呪っている歌」にしか見えないわけで。要するに、誰かさんは、この曲で「自分が本当に欲しいものを手に入れるまでは、彼女はお前らには、必要以上に絶対に会わせない。」って呪いをかけたわけだ。この狡猾な毒蛇めが? ってそれは思うわけですが(苦笑)。「本当に欲しいもの」とは? それは「愛」でしょ? ということで。しかし、私も「必要な釘」は刺しときましたし、その言霊の力を忘れるような兄さんではないと思いますけれどもね。お望み通りに「雅治さん」っていっぱい書いておきましたし? と思うわけで。

この動画を、私が今日見ることになったのも、けして偶然ではないと思うわけで。まあ、だいたい世の中というのは、こんな風に動いていくものなのだと思うのです。

しかし、どうも「よろしくない目」の方達の一部に懐かれてからは、蛇でも蛙でも無いような異形な人たちもちょこちょこと遊びに来るようになったわけで、兄さんのことを見ては「要するに、あんたは『食い物』として石井よりも固くてまずそうに見えたんじゃないのか。」とか、今更なことを言ってくれたりするわけですが(苦笑)。どうも、勝負にはとりあえず勝ちましたが、兄さんにとっては朝から微妙に楽しくない一日だったのではないでしょうかーー;。(是枝さんとかもちょこっと来られてましたよね? 他の人たちよりもかなり大きい蛇さんだったように思うのですが。)

 

でも、このライブはとても良いライブだったと思いますし、最後に中学校に福山君の方から「桜の木」を一本進呈していまして。桜も私の象徴ですしね? ということで、応援して頂いた皆様に対しての、兄さんのお礼の気持ちだったのだと思います。本当に長い2年だったよね? と思ったわけですが、でもまだ終わったわけでもありませんのでね。大勢の皆様に応援して頂いて、本当にありがとうございました<(_ _)>。

火の悪魔と氷の悪魔

どうにも昨日は、ラブレターの下書きを書くのに忙しくて、ともかく兄さんが「自分が満足するもの」をせっせと書くのに燃えているものですから、私の方もずいぶんと体が熱くなってしまって、疲れて消耗してしまったわけで。寝るときには、もうただただ何の理由もなく、縮こまって泣いてしまいたいようなそんな気分だったわけで。

 

で、寝る前にMay.J嬢の「ありのままで」を見ましたら、「その男の熱気が耐えられなくなったら、いつでも私を呼んで下さい。熱を冷ますような冷気を送り込んで上げます。」というわけで、なんというか、彼女自身が「雪の女王」みたいに感じられたわけです。なんというか、彼女は、勝負に勝った私のことは認めてくれているようですが、兄さんのことは好きではないようで。

 

それで寝てしまったのは良いのですけれども、夜中の2時頃に福山君の曲から、ものすごく私を呼ぶようなすごい気を感じて目が覚めて、しかも兄さんの気持ちが昂ぶって、ものすごく熱くなっているものですから、その熱気がこちらまで伝わってきて、そうすると私も疲れているのに目が覚めてしまって、気持ちが昂ぶってしまうものですから、こんなことを続けられたら3日くらいで、疲弊して潰されてしまう、と思って。「助けて」と思いましたら、May.J嬢がスタスタとやってきて、氷の鞭で兄さんを思いっきり引っぱたいてくれましたので、それで誰かさんもびっくりして正気に戻ったようでーー;。兄さんは、彼女があまりにも簡単に入ってきたことにも驚いたようですが、ともかく私を疲弊させていることに気が付いて、後は歌に載せる曲に載せる気を調節しようと気を遣ってくれていましたが、なかなか寝付けなくて、朝方4番目の子がやってきて、しばらく膝枕をしてくれて、それでやっと少し眠れたわけで。朝、起きてからは、いろんな人から、「あの女に奥様を助けられるなんて、あんたいったい何やってんですかね、ガキじゃあるまいし。」って兄さんはいろんな人から怒られていたようなーー;。正気に戻れば「ごめん」って謝ってくれる良い兄さんなのですが、その炎のような情熱をもろにぶつけられたら、本当に私は3日くらいしか保たないと思うわけですが。

 

そして、分かったことなのですが、メソポタミアの冥界神にして、軍神であるネルガルは、砂漠地域の何もかも焼き尽くし、乾燥させ尽くしてしまうような、「死の太陽」の象徴でもあって、ともかく兄さんは、その名にふさわしい情熱家でもあると思うのです。だから、兄さんのことを「火の悪魔」と呼ぶ人たちもいるわけで。

 

一方、略奪主義の文化を持つ印欧語族の故地は、コーカサス地方であって、そこは気候風土が厳しく、人が住むには厳しい地域です。そこにいただけでは、生活していけない人たちは、古代において、南にある肥沃なメソポタミア地方や、西にあるヨーロッパへ侵入・略奪・定住を繰り返しています。要するに、彼らの冷酷さは、本当に極限状態になったら、たとえ親や兄弟や愛する人でも殺し尽くして「自分だけが生き残る」ということがあり得た環境で形成されたものであって、それゆえに真から凍り付くような冷酷さを持っているのだと思います。だから、彼らは「力」あるものは、「生き残れるもの」として尊重しますけれども、それだけではなくて、意思の強さとか、人間性とか、何でもよいから「人より優れたもの」を持っていて、それを土台にして「生き抜ける人」をこそ何よりも重んじるのだと思います。そして、結局どんなに親しい人であっても、「自分以外の人は食い物」なのだと思う。そういう苛烈さがないと、かつてその地方では人は生き残れなかったのではないか、というくらい環境は厳しかったのではないかと思います。そして、それは北部ヨーロッパなどでも同様なのでしょう。どうも、私に好意を持ってくれている「よろしくない目」のお嬢さん達の言い分によれば、「男なんてみんな食い物なのに。」と言うわけで、要するに表向き多情に生きようが、貞淑に生きようが、根本的には「異性は食い物」というのが彼らの、もはや「良い」とか「悪い」とかいうレベルではなく、本能的に遺伝子の中に染みついた「常識」なのだと思います。彼らから見れば、石井も兄さんも私の「食い物」であって、「食い物同士」がやきもち焼きあうのは、「ウザイ」と映るらしいです。ううむ。というか、それこそが、まさに「夫神達を次々と食い尽くすイナンナ女神」の姿ということで、おそらく印欧語族の太母である「アン女神」の古い時代の姿というのは、そういうものだったと思うのです。そして、その凍てついた心こそが、「氷の悪魔」とも言うべき姿なのだと思うわけで。どちらかというとMay.J嬢の方が、私よりもかつての「アン女神」に近い気性をお持ちなのではないかと思うくらいなのですが、彼女が何故仏教の秘密を知っているかといえば、仏教とその前身のバラモン教は、コーカサス地方からインド方面に侵入した印欧語族の宗教とインドの土着の宗教が習合して成立したものですから、そこにはただ「力がある」というだけでなく、それも含めてどう生きるのか、どう生き残るのか、という点にまで苛烈な精神が求められる、印欧語族の文化の奥底にあるものと連続した思想の先に仏教があるということを、お母さんの方に白人の血を強く引く彼女は知っているのだと思うのです。そして、彼女の目もちょっと使わせて頂いたのですが、彼女の目は蛙8割、蛇2割くらいのハイブリッドなのだと思います。要するに、過酷な気候条件の中で育まれた苛烈な文化は、蛙の目を持とうが、蛇の目を持とうが、それはどうでも良いことで、それを持って「どう生き残るか」ということしか問題にしないということなのでしょう。
そういう凍り付くような冷酷さが本能的に板につくほどになってしまっているから、技術が進み進歩して、もはや「誰が生き残るのか」というほど過酷な状況ではなくなって、人々が共存しやすい状態を作れる時代になっても、彼らの本能の方がそういう状態になることを邪魔するようなのです。そういうことをするのには、向かないほどその苛烈な精神が身につき過ぎてしまっているということで。だから、彼らは「いつか、穏やかな春の日差しを持って、私たちを迎えに来て下さい。」と私に言うのです。本能的に凍てついた心を溶かして、雪と氷の世界から、暖かい春の世界に移ることを誰よりも望んでいるのに、その道が見つからないのが彼らなのだと思うのです。だから、逆に砂漠地帯の強烈な死の太陽の化身のような兄さんは、彼らの気候風土にとっては、現実的でなくて、あまり「お呼びでは無い」存在でもあるような気がするのですがーー;。

そしてモラル感が強くて、他人(特に愛する人)を食い物にすることが嫌いな兄さんのような人から見れば、彼らの凍てつくような本性には嫌悪感を抱くようです。要するに、同じ世界に生きているのに、価値観という言葉よりも更に深く、人の「本質」という点に至るまで、この世界にはいろんな人が生きているのだな、と思うわけですが。

 

あとは、ニュースサイトのネタですが、韓流のJYJというグループのメンバーの一人が、韓国の映画祭の舞台挨拶で明るい笑顔をされていて。JYJはお味方ですから、まあ、だいたい良い方向に動いているのかな、と思うわけですが。

 

それから、昨日ニュースサイトで、「同棲生活がうまくいくコツ」みたいな記事があって、その中に「2週間に1回は客を呼ぶ」みたいなことがあったのですが、兄さんが「そういうのはやだな。ずっと二人でいたい。」と呟きましたら、すかさず「うちの相葉と謁見するお約束があるのを忘れないで下さい。」と突っ込まれる方々がいらっしゃいまして。私の目は、兄さんが使っている分にはそれで良いのですが、自分で使えるようになるには、やはり「蛙の目のことは蛙の人の方が良く分かるだろう」ということで、4番目の子は、とりあえず「目の使い方の家庭教師に」と兄さんはお考えのようですが。(その間に「口説けるものなら口説いて見ろ」とか思っているようなーー;。)

 

それから時間的にちょっと余裕ができたので、いろいろなHPを見ていましたら、STRATA DESIGN 3DのHPを見ている時に、「あの白黒の子を恐れないで下さい。私たちは彼を応援しているのです。」と聞こえてきまして。3Dのレンダリングが美しいSTRATAのソフトは、かつで私がMacを使っていた時には持っていたのですが。今はちょっと値段が高すぎて手が出せないのですが、こういう形で応援してくれている方々もいるんだな、と思ったのです。

ええと、今のところ、日記に書けば良さそうなネタは、このくらいだと思います。

下書き終わり

ええと、兄さんが朝からものすごく熱くなって、せっせとラブレターを書くものですから、それに付き合わされて、とても疲れました。しかも、昼食を食べてウトウトしていると「想」がかかって、「愛が欲しい」ってところで起こされるわけですし。

 

たぶん、便せんに5枚以上になると思いますので、嵐のみなさまにはちと申し訳ないですが。兄さんのCDのジャケットは、昼間の内は表に出せませんので、部屋の中にはジャニーズの視線と、麻衣ちゃんの視線がまるで火花を散らしているように感じるわけですが。「OVER THE RAINBOW」のジャケットの麻衣ちゃんは、昼間兄さんの顔を出せない分までをも含めて、非常に兄さんの応援をしてくれているようで、すごいと思います。

 

そして、どういうわけか手紙を書き始めると、柴咲コウちゃんが、「とっとと手紙書いて、あの男を引き取って下さい。」って強力に言ってくるわけで。兄さん、ある意味、共演者キラーというか、仕事場で何してるんですか? というかーー;。ということで、ちゃんと書き切れて出せるとは思うのですけれども。というか、書かないと兄さん以外にもいろいろ言ってくる人が多すぎな気もするわけですが(泣)。

とりあえずまとめ

要するに、ムスリムの人たちにとっては、「KBの神」とは、彼らの寛容な宗教の象徴であって、例え力などなくても、「豊穣と寛容さの象徴としてのKBの神」であってさえくれれば、神や信仰とは、彼ら自身が「戦って守っていかなければならないもの」であって、それが彼らにとっての「聖戦」という概念なのだと思います。だから、神自身が先頭に立って戦うことを、そもそも想定していない穏やかな宗教といえます。

その一方、仏教とは、軍神であることが求められるけれども、その全てを投げ捨てて、尚且つ自分を律して、人々を救う「力」を神というよりは「釈迦」という存在に求めているわけで。でも、その姿は、仏教の前身といえる、バラモン教の神ヴィシュヌの姿(ヴィシュヌとは大洪水から人類を救ったとされる神です。要するにこの場合の「大洪水」とは地震後の「大津波」も含まれるわけで。)をも投影しています。ヴィシュヌは、様々な姿をとって人間の世界に生まれてくる神と言われており、ヒンドゥー教では釈迦もまたヴィシュヌの化身の一つと考えられています。そして、釈迦の次の時代に化生してくるのはカルキ(Kalki、時間、救世主)という名を持つ存在で、世界の秩序が完全に失われた時代に現れて悪から世界を救い、新しい時代を始めるといわれているらしいです。「時間」という名を持つから、時計の正しい管理が必要なわけで、電池の交換はしっかりやった方がよろしいようです。しかも「KK」という子音を持つその名は「蛙」を意味しますので、その点からも、純粋な蛇の人である兄さんには「対象外」な存在になってしまうようで。

そして、最期にキリスト教。この宗教は、それまでの時代の「残虐な行為を好む神々」に対する信仰の集大成みたいな宗教であり、根本に「残虐な破壊的行為を好む」という狂気を含んでいます。そしてその信者の大部分は蛇の人たちですが、彼らの中には、兄さんや麻衣ちゃんのように、ちゃんと自分を律していける「人間」になりたいと願っていている人たちも大勢いるわけで、でもその「キリスト教」という枠の中にいるだけでは、自分達のどこがどう狂っているのかも分からないから、正すこともできず、その秘密を私に見抜いて欲しいと思っているわけです。
そして、本質的に「力」を好む「蛇」の人たちである以上、自分達と戦って勝てる相手しか「認めない」わけで。要するにアナ雪のMay.J嬢は、よろしくない映画の、よろしくない主題歌を唄う、よろしくない歌姫と何拍子も揃っている人であるので、彼女に打ち勝って、彼女を従わせ、心酔させることのできる人でなければ「認めない」ということのようです。
でも、私は彼女の歌に巻き込まれず、逆にその目の力を見抜いたので、それで私の勝ちということになったようです。要するに、私は彼女と戦って勝ち、真に人として救われたいと考えている人たちの「キリスト教」というものを手にいれたわけで、要するに、ここに「三大宗教」というものの権利が全て、手に入ったということになるようで。
で、キリスト教徒の人たちは言う。「赤毛のアン」の主人公で、幼なじみの医者と結婚したアン・シャーリーとはあなたのことです。あの小説はよろしくないものですが、作者のモンゴメリーは次に人として生まれ変わってくる時には、キリスト教の狂気から逃れて、普通に人として生きて、普通に恋愛して、普通に愛する人と共に生きたいと願っていました。どうか、彼女の夢を忘れないで、私たちにそのような生き方を与えて下さい、と。

ということで、今度は「ファンじゃないけどファンレター作戦」ということで。

 

稲葉さんは、「誰よりも一番愛してる」って書いて欲しがっているのなら、そのくらいは甘やかしてやっても良いんじゃないかとおっしゃる。
そして、AKB48の「プリンス&プリンセスバージョン」の演出は、最初に出て来た男装の女の子達は、外で兄さんと戦っている時には、私も紫色の服を着た戦士であって欲しいという兄さんの気持ちを示していて、で、家にいる時は太陽の色の服を着た太陽の女神でいて欲しいという、これも兄さんの気持ちの現れである、と、まゆゆ嬢だけでは伝えきれなかったことを教えて下さるわけで。(しかも「ultra soul」の歌詞の中に出てくる「底なしのpain」っていうのは、「底なしにイタイ男」のことですよ、っておっしゃるわけですが。こういう状況で、そういう駄洒落ですか? っていうか、重要な局面を「楽しむ」ためのエッジの効いた洒落がすごすぎる、と思うわけですが。@@)

蛙の人たちは、「ラブレターなんだから、少しは可愛げのあることを書きなさい。」って言う。思わず
「そんなに『可愛げ』って言われても、私ってそんなに福山君のことを愛してるんでしたっけ?」
って呟くと、
「あんた、愛してもいない相手に大事な神様の力を丸投げするんですか? いい加減過ぎる!」
って怒られるーー;。

 

嵐の人たちは、2番目の子へのお手紙は便せん3枚だったんだから、あの男には5枚程度で充分、だって言う。

 

1番目の子と2番目の子は、「可愛げのあることを書くよりは、ののしった方があの男は喜ぶんじゃないの?」って言う。

こういう人たちをバランスとって調整していくのが「神サマ」ってものなんだ? と思うわけですが。なんか確かに、「神サマ」って思っていたのと全然違う、とは思うわけですが(しかも、どさくさに紛れて「救世主」の称号まで貰ったような??@@)。兄さんは兄さんで、私が福山君の曲を聴いているのに、微妙にせつない気持ちになっているらしくて。それはいいのですけれども、表の仕事があるのだったら、そちらもちゃんとやってくれないと、私のところに直接苦情が来るのですけれども?? と思うわけでーー;。(そして、兄さんのことが好きでない人たちは、「とっとと手紙を書いて、話を進めて、あの男を早く引き取って下さい。手紙が届かないと、怒ったあの男がこちらに八つ当たりしてくるんで。」って言うわけでしてねえ?)

兄さんが、ここに来て「目」の訓練を始めて1ヶ月。やっと、私の「目」と「耳」もここまで「開いた」ということで。どうも「乙女座のシャカ」って呟く兄さんがいるわけで。なんだかんだ言って、兄さんも「聖闘士星矢」って好きだったんじゃないですかねえ? だいたい、龍星座の紫龍と春麗ですし? って思わずマニアックなことを呟いてしまう私がいるわけですが(苦笑)。(原作者の車田正美氏は、「いつか笑って読める日が来たら、続編を読んでやって下さい」っておっしゃっているような? たかが漫画、されど漫画ということで、兄さんと私を繋いでくれた貴重な作品ではありますのでね、機会があればいずれまた、ということで。<(_ _)>)

 

 

<追伸>兄さんはですねえ、小蛇の姿で、「絶対にお手紙ちょうだいねえ」って泣きついたりとかですねえ。「石井にだってさんざんいろんな手紙を書いたんだから自分にだけ書けないとは言わせねえ。」って言って、熱くなっているわけですが?? そういや、石井にもいろんな手紙を書き散らしましたねえ? って思い出したくないことまで思い出したわけで。まあ、あのノリを思い出せば、たいていの人にたいていな内容の手紙は書けそうな気は確かにするわけですが(苦笑)。

朝からいろいろと

どうにも、夢の中で福山君に「手紙を書かなければ」と思ってじたばたしている自分がいたわけで。で、どうも福山君の「美しき花」という曲の中で「誰かが君を待っている」という歌詞が気になったわけで。話がここまで進んで「待っている」とはどういうことだろう? と思うわけで。
で、雅治さん(て、こう呼んで欲しいわけですかねえ? 誰かさんはさ? と思うわけで)のHPを検索してファンレターの宛先を探してみましたら、確かにその宛先も載っているわけで。

 

で、いろいろな人が、いろいろと言うわけですが。一番心に残るのは、福山君の「背中を追いかける」時には2番目の子のブログに「龍神の背中」の写真が載ったわけで。

 

で、今回は某ニュースサイトに、蛭子能収さんが載っていて、「今の奥さんを探し出すときには、独り身で寂しくて、ものすごく必死で奥さんを探していて、ファンレターに連絡先が書いてある時には連絡をしていた。」というようなことが書いてあってですねえ。「蛭子」さんっていうのは、要するに「1番目の子の代理人」ということで。あー、じゃあ、あらゆることの下地がこうやって決まった時点で、次にすべきことはこれなんだな、と思ったわけですが。

 

私に取り憑いている小蛇な兄さんは、朝っぱらから「誰よりも一番愛してる」って書いてくれる? って言って、キュンキュンしてるわけですし。しかも、どうもですねえ

 

「お願いです。石井にばっかりファンレターを書いているあなたから、結局一通も手紙を貰うことのなかった子のことを考えて下さい。宛先が間違っているって、悲しくて、寂しくて、ついには女狂い」

 

って言われたところで、「おおい」って怒鳴って、言ってることを切ってしまって、

 

「一番肝心なところなのに、みっともなさすぎ。」

 

って言っている兄さんがいるわけですが。要するに、兄さんが私を探し出せるように、連絡先を彼に直接教えて、そして他の二人についても、できるだけ正確な位置情報を与えて上げて欲しい、ということだと思うわけですが。なぜなら、全員を纏めて、娶せることができる力は兄さんにしかないから、ということで。

稲葉さんは「あれもこれも本当だらけ」って言って下さるわけですしね。

今日は新しい週刊誌の発売日だから、私の部屋の中での「ダブル嵐」の効果は消える。それまでにってことで、それこそ総力を挙げて頑張ってくれた皆様がいたようで。さすが、ジャニーズ、という感じなわけですが。

 

その報酬ですか? ともかく翔君は中でも一番若くて、そしてしっかりしていますから、中でも一番長生きすると思いますので、誰の最期をも看取って欲しいと思いますし、特に兄さんが後に残されたなら、どんなにご当人が嫌がっても、しっかり面倒を見て上げて下さいな、ということで。あなたなら、力もそこそこあるし、人間的にもしっかりしていますから、最後に一人残っても自暴自棄になって自滅するようなことはけして無いでしょうからね、ということで。それだけの「信頼感」を私はあなたに与えてあげます。

 

そして、兄さんはスタッフがちょっとぐらい失言したからといって、八つ当たりしないように。結局誰でも、自分でやったことのツケは「自分で払うしかない」ということで。本当に私は睡眠時間3時間というような強行軍で昨日から来たわけですが、共に頑張って下さったみなさま、どうもお疲れ様でした<(_ _)>。