そして一晩明けて

夜寝ている時に、いろんな曲が流れるのを聴いてうとうとしていたときに、「milk tea」がかかって、なんだか兄さんが唄っている姿が浮かぶわけです。で、最後にふっと「選んでくれてありがとう。」って言われたわけで、なんだか、うれしいなー、と思ったわけですが。

で、朝からまたいろんな動画を見て研究というわけで、嵐の「One Love」を見ていたわけです。で、Mステでない某音楽番組で唄っている彼らの姿を発見して、なんというかそこのセットってものすごく禍々しくて、まずそこに目がいくくらいすごいわけです。そんなところで唄っている嵐の姿は、一見したら平然と唄っているように見えますけれども、気の強い松潤とか二宮君もさすがに力を発揮しきれているように見えないのです。そんな時に、ふと大野君の表情に気が付いたのですが、松潤でさえやや萎縮してみえるような禍々しさの中で、彼だけが毅然として強い気を発してるのが分かるわけです。こういう姿はMステでは見たことがなくて、そしてあそこでは良くも悪くも見せる必要のない姿なんだな、と思うわけです。Mステは「私向け」ですので、結局良くない歌とか唄っていても禍々しさはそれほど強くないわけで、真に禍々しくて、彼らの力でも萎縮してしまいそうな場所では、大野君の力が全員を支えていて守っているのだと分かったわけです。グループの中での彼の真の役割はそこにあるのだと思う。それは本来であれば、私が見てはいけない映像だから、見なければ私が知り得なかった姿であって、だからやっぱり私としてはそれを見ることができて良かったな、と思うのです。

 

それから、SMAPの「たいせつ」を見ようと思ったわけで、ライブビデオを探したわけですが、見つかったのがちょっとというか、だいぶ禍々しくて、お目付役が「こんなん見せて怒られないかな」と思わず呟いてしまうようなわけだったのですが、だけど、そこで唄っている彼らの目力がすごくて、特に香取君とか、もう鬼気せまるような感じなのですが、一人一人がものすごく禍々しい中で、すごい力を放って輝いているわけです。兄さんが「あなたはこういう力強さが好きでしょ?」と聞くわけですが、全くその通りなわけで。確かに、全ての人が彼らと同じ力を持つとは思いませんが、そのようなたくましい力を誰もが持てるようになったらとは、思わずにいられないわけです。そして、彼らの力は、さすが兄さんが最大の信頼を置く人たちだな、と思ったのです。

 

というわけで、「死の太母」としての私は、死を捧げられればそれに纏わる人間的な願いや思いを叶えたいと思い、「生の太母」としては、どんな禍々しい状況の中でも、毅然として輝く生命力の強さこそを愛でる女神であるらしいです。

そして、朝ご飯の後、音楽を聴いていたら「Run to you」がかかった瞬間に、ふっと「僕が穏やかさしか送ることができないのならせめてそれだけでも送り続けたいんだ。」っていう誰かの思いが流れ込んで来まして、「あー、そういう風に思ってくれているんだな。」と思ったわけです。きっと平井堅君は、彼のそういうところに共感して歌を送り続けてくれてたんだな、と思うのです。(しかし、私はお目付役から「あの毒蛇男をてなづけおって」って言われちゃうような感じらしいのですが@@。)

でもって、今朝は何というか、家の周囲が非常に気味の悪い感じがして、私もちょっと背筋が寒くなってしまうような感じだったのですが、肝心の兄さんが新婚数日で開発されてしまった新たな快感にちょっとへろへろしてたようでーー;。これはまずいと思ったお目付役が、2番目の子とか、サポーターを数人連れてきてくれて、しばらく守ってもらって、落ち着いたわけです。

で、午後は買い物に出て、某週刊誌を買ったわけですが、表紙がSMAPで、彼らは白黒の衣装を着て、闇の中で毅然と立っているわけです。で、それを見ていると聞こえてくる気がするわけです。「立て、立て。闇の中に毅然と立つ彼らのように、太母の手を取って闇の中に毅然と立つ神となって欲しい、とあなたの中にいる人に伝えて欲しい。」と。それで、ああ、そっか、みんなが望んでいるのは「女神の再生と復活」だけでなく「父なる神」の再生と復活でもあったんだ、と気が付いたわけです。でも、今の兄さんはちょっとへろへろ状態なんで、そういう真面目なお願いはもう少し落ち着いてからの方が? とか思ったわけですが。
(兄さんとしては、そんなつもりがなくても、自分のポスターが貼ってあるところに私を引っ張っていって、シャツを引き裂くような視線で見て欲しい、と思わずにいられない状態のようで@@。なんか本気で「どM」な気がするんですけど、もうちょっと落ち着いて貰えませんかね? みたいなーー;。)

それから、家に帰ると、兄さんの方から「愛はふしぎさ」のビデオを探して見て欲しい、と言われたわけです。今更米米? とも思ったわけですが、まあ、この曲が良くないものであっても、それが兄さんの今の気持ちに一番近いものであるならば、聞いても良いのかな、と思って探してみましたら、1994年のLIVE UFOの映像が見つかりました。それで、見て見たわけで、曲順は「愛はふしぎさ」「君がいるだけで(イントロのみ)」「sure dance」「I CAN BE」「抱きしめたい」です。

で、「愛はふしぎさ」は良くない曲ではあると思うけれども、今の兄さんの気持ちにはぴったり合う曲であるようです。(まあ、でも、私としては米米のビデオはさんざん見たので、今更感があったわけですが。)で、それほどの禍々しさも感じなかった、と。で、「君いる」のイントロから舞台が暗転して「sure dance」になった瞬間に、うわーって思うほどステージが「禍々しく」なったわけです。曲も当然良い曲ではありませんでしたし。「I CAN BE」も同様で、最後の「抱きしめたい」はちょっと禍々しさも軽減されて、やっぱり兄さんの気持ちに少し近いところがある曲のようです。今となっては、そういうことは分かるようになっているわけで、そうしてると兄さんが言うわけです。「勝った、あの男に勝った! あの男の曲を自分の思いを届けるのに使ってやったぞ!」って。そっかー、米米と石井竜也が兄さんはじめ、芸能チームにとって、長い間その前に立ちふさがってた大きな壁だったんだー、と今になってやっと分かったわけです。

だとすると、これも兄さんにとって、「勝負」だったんだなー、と思います。たぶん兄さんはこう言われたのだと思う。「同じように女癖が悪くて、そこからくる毒気と色気をたっぶり身に纏って生きている良く似た二人。彼女が、そういうものを嫌って二人とも切り捨ててしまうのか、それとも自分だけが選ばれるのか、禁忌のビデオを見せるのであれば勝負せよ。」と。

そっかー、兄さんがそういう生き方をして来なければならなかったのは、敵がこういう時に勝負させるために、私にその事実を突きつけるために、させて来たんだ。って気が付いたわけで。そっちは、そっちで敵が私に挑んできた勝負なのであると思う。この事実に対して、私はどうするのか、と。兄さんに対する負い目を感じすぎて、バランスを崩してしまうのか、それとも自分を保てるのか、と。

でも、みんなは言ったと思う。「勝負しろ。彼女は強い。事実を全て知っても、彼女は全てを受け入れて立って、毅然としているだろう。」と。そっかー、相変わらずミもフタもないようなえげつないことばっかり仕掛けてくる連中なんだ? みたいなーー;。

 

ところで、兄さんが石井に勝ったことで、そんなにうれしいのなら、「福山エンヂニヤリング」で石井と共演している時に、私がそれを見ていると知って、どう思ったんですかね? とふと思ったわけですが、なんかそれに対してけっこう不穏当な返事を貰ったんで、ここには書きませんが。

まあ、でもね、何があったとしても、私だっていろいろと辛い思いをしたわけですから、特に誰にも負い目を感じないでいて欲しい、というのであれば、誰にも今更そんなことを感じるつもりもないわけで。兄さんが、ああいう毒々しい自分をあんまり好きでない人なのも知っているわけですから。兄さんにそんな生き方をさせてしまって、済まなかったと思う気持ちが私の中にあるのであれば、なんですかね、兄さんはごく最近けっこう不穏当な快楽を覚えてしまったばっかりのような気がしますのでね。せいぜい兄さんが望むときには、そういうお楽しみにつきあってあげようかな、と。まあ、それがなんて言うか、正しい新婚の夫婦生活というものなのではないでしょうかね(苦笑)。

昨日からの出来事

ええと、昨日は某所に出かけていたりして、いろいろとあってちと大変でした。(でも、この間よりは楽だったと思いますが。)

まず、休憩地点から出かける時に、かかっていたのが順に「家族になろうよ」「守ってあげたい」「明日に架ける橋」「君がいるだけで」でした。
で、待合室で、待っている時が一番きつくて、背筋がぞくぞくして吐き気がするかも、という感じでした。で、そこでサポーターに来て頂いて、楽になりました。
で、栄養指導は、なんというか、栄養士さんはパソコンと緑色の小さな手提げかばんを持ち込んできていて、そこに黒い猫の絵が描かれて(プリントかアップリケみたいなものかは不明)いました。

でもって、「先生から蛋白を○○g以下にするように指示を受けています。」と栄養士さんが言った瞬間に、誰かが「そんなん守らなくていいから。」ってぼそっと言ったわけで、「指示を出した人がそういうこと言うんだ?@@」と思ったわけですが、その後もいくつか毒をぼそぼそと吐いていたわけで、兄さんは「品行方正なあいつがああいうことを言うよ。」と大爆笑してましたし、お目付役が「あなたたち病院でなんて話してるんですか。これだから医者ってやつの本音って嫌なんだ。」とヒステリー起こしていたようなーー;。んー、でも、私の知っていた一番目の子は、そんなに大人しくて優しげなタイプではなくて、むしろ物静かだけれども芯が強くて、けっこう辛辣な人って印象を持ってましたので、何というか、「学生時代から全然性格変わってないでしょ?」と思ったわけです。で、この人と兄さんが楽しい毒を吐いてくれますので、お目付役からは「お願いですから、この件については誰にも巻き込まれないで下さい。一番まともなのはあなたです。」と言われたような。なんでしょうね? 関係者の中で、医者として人としてこうあるべきっていう高邁な精神を持っているのは私だけなんだ?? みたいなーー;。

で、終わった後は、「耳」でどう聴くことができるのか、再び実験というか、そんな感じであったようで、「目」でそこにいる人の気持ちが見えるのなら、「耳」ではどうなのかな、ということでいろいろと試された気がするのですが、一番すごかったのは「BELOVED」の時に、まるで唄っている人が慟哭しているかのような、激情を感じて「うわー」っと思ったわけです。そうすると、兄さんが「あの男の本性はああいうのだって知ってるでしょ?」と言うわけで、確かに、それはかつて私が知っていた2番目の子の性格そのまんまだと思います。
それから、TOKIOの歌を聴いていると、長瀬君の無念の気持ちが伝わってくるわけで、彼は全てが始まった時に、ドラマのロケで松本に来ていて、彼なりに何か手助けをしたいと思って来てくれたけれども、結局何もできなくて、その時の無念の気持ちをずっと持ち続けてきてくれてたんだな、と分かるわけです。
そして、不思議なことではあるのですけれども、ゆずの曲とかは、ものすごく強い「気」は感じますけれども、そこにある「感情」というものは皆無で、人としては彼らは私とは縁もゆかりもない方々ですから、お歌を届けるときに、個人的な思い入れは特に持たずに、良い気を送れるように、そこに心を込めて唄っていてくれてるのが分かるのです。

で、家に帰ってきてからは、ライブビデオとかはむしろ禁忌とせずに、見ても良さそうなものは見た方が良かろう、ということで、いろいろと見ていたのですが、GLAY 〜 ROCK AROUND THE WORLD(2010~2011年)の「BELOVED」を見ていましたら、なんというか、みんな歌を送ることを諦めてはいないけれども、でもその目には「力が足りなくて届けられない」という無念の思いが浮かんでいたわけです。
それから、2004年のGLAY EXPOの「HOWEVER」を見て見たわけですが、なんというかTERU君が感極まってしまって、「愛しているとどうしても伝えることができなかった」というところで、歌詞が出てこなくて、下向いてしまっているわけで、なんで、そこで言葉を詰まらせてしまうの、何故その歌詞が言えないの? と思うわけです。そうすると、兄さんが「共鳴しすぎて、憑かれてる。2012年の世界選手権の羽生結弦君の迫真の演技を見たでしょ?」 と言うわけです。あの演技もすごかったし、あの時彼は白黒の衣装を着ていて、その衣装は今から考えれば「白鳥」をイメージしていたと思うのですけれども、「ロミオとジュリエット」を演じていて、ジュリエットの覚醒を願うロミオの狂おしいまでの感情が良く表現されていたと思うのです。そっか、あそこに「憑いてた」のが兄さんで、言葉に詰まって歌詞が出てこなくなってるのが2番目の子なわけで、彼は今でもそこに一番の無念の思いを抱いているんだ、と分かるわけです。でも、それでほろっとなりそうになると、
「必要以上に情けをかけることはさせない。力が足りなくて伝えることができなかったのなら、彼女を泣かせることもしなければ良かったんだ。」
と吠える兄さんがいるわけで、はっはっはっ、あなた達、本当に仲が良いですよねえ? いったいこういう人たちを私にどうしろと?(苦笑)ということで、結果的には可愛らしい感傷に浸れない私がいるわけですがーー;。(逆にGLAYの人たちは「今からでも伝えることができて良かった。どうかその蛇に抱き込まれすぎないで下さい。」って言うわけで、なんというか、お気をさんざん遣わせてしまって申し訳ありません、みたいなーー;。)

それで、なんというか、こういうビデオというものは、こちらから見ていると相手も分かるものだし、そうやって縁をつないでいくと「結縁」してしまうものだから、本当はあまり多くのところにご縁を結ぶのも好ましくないものらしいのですが、まあ、私の目の力は特殊ですし、相手の力に負けて「巻き込まれる」ということは皆無であろう、ということで、見ようということになっているようです。でも、今のところ一番鑑賞しているのは兄さんのビデオなわけで、誰かさんは私の視線を感じるようにだんだんなっているらしいのですが、どうもお目付役によると(お目付役も毎日せっせと通っている内に、必要以上に私と「結縁」してるらしくって、他の人よりも私の視線を強く感じるようになっているらしいのですが)、私の視線を感じると「ぞっとする(特に背中に感じると)」ようで、「あんまり見ないで下さい」って言われるわけで、その一方で、誰かさんはそういう視線を浴びせられて、自分の発している強い気を超えて、私の視線を感じると、ステージの上で身ぐるみ剥がれるような気がするらしいのですが、どうもそれでけっこううれしいようで、「舐め回すような目で見て欲しい」とか言われるわけで、個人的には「あなたドMでしょ?」と思うわけですが。
(お目付役からは「変態です。」とか、「あなたがそいつに巻き込まれることをみんな心配してたのに、あなたが巻き込んでどうするんですか?」とか言われるわけで、そっか、こういうのを「巻き込む」っていうんだ?? と思うわけですが。まあ、でも「いいじゃないですか。新婚なんだから。」って言ってくれる方もいるわけですから、まあ、そんなもんなのかな、と。)

で、昨日は最後に「KAT-TUN」の「In Fact」を見たわけで、彼らが送ってくる気持ちはとても攻撃的で強いものだと思ったのですが、たぶん彼らが「女癖云々」で私に言いたいことは、「幾度染まっても偽れぬ心」ということで、彼がどんな生き方をしてきていようが、心まで染まっていなければ、それで良い、とそう言い切れる強さを私にも求めているし、そういう私であって欲しいと願っているのだと思います。

だいたい、この点については、お目付役は
「安心して下さい。今は3人とも清廉潔白です。」
と言うわけで、私としては
「ふーん、へー、そうなんだ。『今は』ね。」
と言いたくなるわけで、どうにも、この点はね、誰が何と言おうとも、だいたい、あんな毒気と色気に溢れたライブをやる人が若い頃に散々遊んでいないわけないでしょ。その人の本性しか見ない私の目には、そういう姿しか見えるわけない。と思うわけで、でも、そういう人と真面目なお話が来れば、それはその人の人生だと思って、私も全て受け入れねば失礼だと思うだけだし、それが知られてても兄さんはその実態がどんなものだったか、絶対に私に言おうとしないでしょうし、他の人も言わないでしょうし、だいたいみんな「言ったら兄さんに殺されちゃう」って思ってるんじゃないですかね? と思うわけですが(苦笑)。そういうオブラートに包み込まれるようなお気遣いも嬉しくないわけではないですけれども、KAT-TUNのように、率直にストレートに言って頂く方が個人的にはむしろ合っている気がするわけです。

本日は

疲れましたので、GLAYのライブビデオ他を見せて頂いたので、その感想だけ。

2004年のGLAY EXPOの「BELOVED」と「HOWEVER」を見せて頂いたわけで、なんというか、演奏している人たちと、歌の送り手がまさに一体化しているようなすごいライブだな、と思ったわけです。TERU君の目の中にあるものは、正直にあるものは渇望と激情であると思う。それは、一度ボロボロにしてしまって失った結果、自分をもズタボロにしてしまって、もう一度取り返したくて、激情にさいなまれている人の目だと思う。そうできるか否かなど、真の意味では考えずに、それしかできないからそうしているだけなのだと思う。

だから、今、その目を前にして何を思うかといえば、結局私たちは、同族は3人が3人とも歪んでいるのだと思う。一人は優しすぎて戦う力が乏しい。一人は、もちろん戦略の上では細やかな配慮も計算もできない人ではないけれども、彼の本質はあの「激情」であって、今日現在まで、彼が私自身のことを理解できていなかったことは否定できない。そして、私自身はといえば、強い目の力は持っているのかもしれないけれども、目が「見えて」いなくて、自分ではその力を使う能力は乏しい。誰もが本当の意味で、その持てる力をバランス良く使うことができないでいる。
何故、私たちはこんなにも歪んで弱体化してしまったのだろうか、と思う。それはきっと、清浄さを大切にし、穢れに触れないことを大切にし、閉じ込めるようにして守り育てていることしかしなかった内にそうなってしまったんだと思う。「神」というものにとって、「清浄さ」を保つのは大切なことなのかもしれない。
でも、私たちは結局は「神」じゃなくて、「人」だ。「人」にとって大切なのは、どんなに穢れた場所であっても咲ける強さであって、「清浄さ」が無ければ生き残れない「人」は、もう「人」として歪んでいて、「神」としても呼ぶべき存在では、もうあり得ないのではないか、と私はそう思う。

 

KAT-TUNの「In Fact」のPVも見せて貰ったけれども、彼らはすごいと思った。彼らの歌は兄さんのお歌でもあるけれども、彼ら自身が私に戦う力を与えたいと強く願っていてくれるのが分かる。かつて私が小さな諏訪神社で軍神に願ったものは、紛れもなくそれであって、そうして生き抜く力こそを私は望んでいたので、結局は彼らが、彼らだけが私が真に欲しいものを私のために願ってくれてたのだと思う。
私は2番目の子と再会すれば、彼を受け入れられるであろうし、昔と同じ気持ちを彼に対して取り戻せるであろうとも思う。(毒蛇兄さんがあんまり邪魔しなければねーー;)
でも、結局私が今、一番大切だと思うことは、私たちが「歪んだ神」ではなくて、どんな場所でもたくましくバランスとって生き抜いていける「人」になるべきだし、そういう努力を怠って清浄さしか追求してこなかったからこそ、私たちはこんなにも歪んでしまっているんだと思うのです。
そして、そうなるには戦う力が必要だし、それは3人だけでは足りない。KAT-TUNのみんなは兄さんの背中を指して、「彼を取れ。彼なら間違えないから。そして、あなたの目の力で一族を巻き込んでいけ。」と言う。彼らがそう言えるようになるまでに、脱退してしまった赤西君も含めて彼らがどんな犠牲を払ってきてくれてたのかも分かる。

それでも、私は彼らの言うことを全て鵜呑みにするつもりはないけれども、誰かを守るための力を得るためには、戦いというものが必定である以上、私の冷酷さと兄さんの力は必要で有る、とそう思うだけだ。冷静に客観的に判断して、彼のことは愛せると思うけれども、彼では駄目なのだとそう言うしかないのです。一族の人は、私の蛇の性質を非難するかもしれないが、しかしそうでなければ私は今まで生き残ってこれなかったし、一族にバランスを取って私を守る力はもはや無いのに、何を言うのか? それが分かってるからこその、兄さんとの政略結婚を画策したのはいったいどこの誰だ? ってそういうしか無いのだ。それだけのことだ。

さて

緊急の要請があったようなので上げますが、ついさっき家の上空を2機の飛行機が飛んでいました。でもって、私がそこから「飛んでいる」という以外に、何の「気」も全く見えてないので、そのことを大至急書いて上げて欲しいと、言われたので書いておきます。

 

お目付役が「本当に全く何も見えてないんだ!?」と言って、冷や汗書いてる気はするわけですが。なるほど、これでは確かに心許ない、と誰かはおっしゃっているようですけれども???

お勉強の成果

ええと、いろんなビデオを見て勉強した結果、兄さんという方は、弱い人を巻き込んで犠牲にするのを避けるために、力の強い自分自身を駒にして使う傾向が強いし、そうすると自分で直接代償を支払わなければならなくなるので、私が「見てはならない番組」がいろいろあって、それを見てはならないとされているのは、そこで自ら「代償を支払っている」からで、そこで私の耳に入ったら二人の信頼関係にひびが入るようなことをどしどし言ってるのだと思います。ええと、「MUSIC MONSTER」で目が泳ぎながら言っていることのように。
私自身にも、もし万が一それが目に入ったときに、信頼感を続けて持てるようになるのか、壊れてしまうのかは本当には自信がないです。というか、狡猾な相手は、私が禁忌を平気で破っているとなれば、やっきになってひびが入るようなことを兄さんに言わせようとするでしょうし、それに見られていると分かって、言わねばならないことを言わされる兄さんは、それだけで「無様な姿を見せてしまった」と苦悩するでしょうから、私はその姿を見る気もないし、見たくもないです。
彼のファンになって、表に出ている彼の姿を全て知りたい、とかそういうことにはなり得ないかと。

それから、嵐。彼らのライブの映像を見て思いましたが、彼らはステージの上で、それぞれの力が突出し過ぎないように、互いに力の使い方に気を遣い合っていて、それでバランスを取る力が優れているからこそ、彼らのステージは安定した強い力が出せているのだと思います。中でも力が突出しているのは松潤ですし、目の力が強いのは二宮君であると思うし、それぞれに個性はありますけれども、全体としてはすごくバランスが取れているように感じます。SMAPは逆に全員が全力全開って感じのライブですから、そういうところは兄さんと似ていると思います。

いわゆる「ジュリー派」の戦略は全体の動きを重視しているところで、どこかに余計な負担がかかり過ぎて犠牲者が出ないように、ものすごく気を遣っているのだと思う。力がある者の方が、支払わなければならない「代償」に耐えうる力も強いから、自らを駒にしても、力ある者を前面に据えようとする兄さんと、それは異なる戦略であるとは思いますけれども、どちらも弱い立場の者を守ろうとしているという点では一致してるのだと思います。そこのところの違いは、それぞれの個性として認めてあげても良いのではないかと思いますけれどもねえーー;。

そして、今日、死の匂いがする所に近づきすぎて、「死」に触れた代償に、一人の歌姫を死においやった3人を裁け、と悪魔に要求された気がするわけですが、どうも私は「死の太母」の名前でそれを蹴り飛ばして追っ払ったようでーー;。なんですかね、魔の力を「魔の力」を持って追い払うことができるのは、相手よりも「上位の力」を持つ「悪魔」であって、そうでない限りは誰でも代償を支払わずにはいられないものなのだ、となんだかそんな風に言われるわけで。っていうことは、私も「悪魔」なんだ? (というか、「底なし」って言うお目付役がいるような気がするわけですがーー;) さんざん蛙の女神がどうのって言われて、とどのつまりはペルセポネーなんだ? それってまるっきり「アリーズ」の世界じゃん(泣)。と思うわけですが。
別に私だって、そんなに自分が全能とは全く思わないし、敵の気を浴びれば辛いと思うこともけっこうあります。でも、私は東京のあのとんでもない病院でも、いつでも代償などそれほどには支払わずに、それほど狂いもせずに、今日やったみたいに生きてきただけな気がするわけで、それが「悪魔」の力だのどうのと言われても自分でもさっぱりというか(苦笑)。
「参謀」をつけろ、彼女はただ純粋無垢なままに守られているだけの蛙の女神ではない、正しい戦い方さえ知れば負けない力を持っているから、「参謀」を取れ、と特に蛇の皆様はおっしゃるような気がするのですが。もちろん彼らが推す参謀とは、私のドゥムジしかいないでしょうから、誰もがそれで良いと言ってくれるのであれば、私もまた是と申し上げましょう。どのみち兄さんの力なくして、乗り切れないものはたくさんあるような気がするわけですが。

(だけど、本当は予定では、私はMステでお歌を送ってくれた麻衣ちゃんの曲だけで、3番目の婿のことを決めて、本人から直接お歌を送って貰うような機会を得るのはもっとずっと先だったような気がするわけですがーー;。だから、本当の意味で彼から正式に送って貰ったお歌は生き抜いてくれるように祈りと願いが込められた「生きてる生きてく」だけのような気もしないではないですが。互いに牽制し合って、そんな漠然とした状況でしか物事を進められない方が、どちらかといえば危うかったのではないでしょうか。特に私のような目しか持たない者にとっては、と思います。)