さて

今日は、外でいろいろな動きがあったようで、昼間、ひまわりの種を収穫していたら、誰かが

 

「こういうのを神サマって言うんだっけ?」
とか
「なんか、思ってたのと違う。」

 

って言うのが聞こえるわけで、むむむ、またどこかで褒められてる気がする? と思ったわけですが。で、それからしばらくして、お目付役が2番目の子を連れてきて、

「ともかく、冷静な判断ができる人が必要ですから、別に司令塔を置かせて頂きます。」

というわけです。むむむ、私だって冷静な人だと思いますけれども? と思ったら

「真面目な奥様は、見てはいけないPVを見て、夫を拷問にかけて、隠していることを自白させるような真似はしません。」

 

って言われてしまいまして。いーじゃん、兄さんはそういうことされて喜ぶ人なんだしさ、と思ったわけですが(苦笑)。で、それから更にしばらくたった後、

「2013年の年末の紅白の映像をネット上で探せたら、探して見て欲しい。」

という依頼が2番目の子から来まして。そもそも「紅白」は見てはいけないものですし、唄っているのも「誕生日には真白な百合を」という強烈な呪いの籠もっている歌ですし。でも、その時はまだ兄さんのお楽しみの時間ではありませんので、夜に探してみることにしたわけで。(というか、最近はどこのHPへ行っても、「昼間っから見るのをやめてくれ」とかそんなことを言われる気がーー;。)

 

で、お風呂に入っていたら、どうにも今回の件では、ムスリムの方々の期待が高いというようなことを教えて貰ったわけです。7世紀に成立したイスラム教は、歴史の上で、常に常に、直接的な暴力をもって東方に侵略してくる敵と、直接対決する防壁として戦ってきてくれていました。彼らのとってのジハード(聖戦)とは、彼ら自身の生活と神を守るためのものだったのです。だから、「神」とは彼らにとって、常に「守らなければならないもの」であったようです。
でも、昨今は敵の姿を見かけると、自分で直接対決を挑むような、暴発する神サマがどっかにいるようでーー;。その神サマはとっても復讐心が強くて、「守るべき者のためなら、自分が直接敵と戦う。」って言っちゃうようなので、「神自らが先頭に立って聖戦に赴くと宣言した」というのは、彼らの歴史にとって初めてのことであり、そのことに感動して力を貸してくれたいと思っている人たちも多いようなのです。
で、カアバ(KB)の夫婦神とは、お目付役的に言うところの「暴発娘」と「一番目の子」なわけですから、彼らは特に力の弱い夫神の方に力を貸してくれようとしているようです。彼の目がここのところ急成長しているのはそのためだと思う。(私の方は、本当にその気になればアナ雪の映像ですら、自分の力として利用できるような悪食なものですからーー;。)そして、彼らは兄さんには、かつてエルサレムから敵の勢力を追い払ったサラディンのような軍神の姿を期待しているらしいです。っていうか、ちょっと待って。それは私たちにメッカのカアバ神殿やエルサレム大神殿と結縁しろってことですか?@@ って言いたくなるわけですが、それは彼らの究極的な希望としてはそうなるらしいです。

蛙の人たちのお偉方の当初の意向は、「ともかく女神は国外に出すな。」ってことだったわけですが、要するに、家で守られているしか能のない神であるならそれで良い、でも神々を本来有るべき場所へ戻せるだけの力があるならば国内だけでもそうすれば良い、そしてそれだけの力があって、更に外国にも神々があるべき場所へ行って、その魂を戻す力が更にあるならば、そうして欲しい、ってことらしいです。ってことは、いずれエルサレムへも行って欲しいってそういうことなんですかねえ? となるわけで。
そうすると、兄さんが言うわけです。これだから、みんなのお願いをいちいち聞くことはできない。人々は力ある神が現れれば、つい期待していろいろな願いや希望を抱くけれども、神の方にそれだけの力量があるかどうかは考えてくれないから。今のエルサレムなんて、世界でも最大級にやばいところで、そこに行くくらいならローマに行く方がまだ楽だ、と。

それで思い出したのですけれども、私は昔リドリー・スコット監督の「エルサレム」という映画のDVDを持っていまして。で、これは十字軍派遣の上に建設されたエルサレム王国とサラディンの戦いを描いた映画で、サラディンがすごく良い人物として描かれているわけです。「スコット」というのはお味方の名字ですし、いろんな事態が始まる直前まで、私は彼が関わっていた「グッド・ワイフ」というテレビドラマをずっと見ていて、そこには「外に出るとき(特に裁判所へ行くとき)にはスカートをはいていかなきゃ駄目」とか、いろんなヒントがあった気がするわけで。要するに、彼はいずれ私に、「エルサレム」へ行けるだけの力有る神となって欲しい、という願いを込めてあの映画を作ったのだと思うのです。この映画のDVDは捨ててしまいましたが、いつかそれだけの実力がもしつけば、これも「買い戻せる」もののうちに入るのだと思うのです。でも、この映画の主人公は創価なオーランド・ブルームなんで、それすらも使いこなせるだけの実力がなければ、手にしてはいけないものでもあるわけで。そっかー、そういうことなんだー、と分かったわけです。

夜になって、2013年末の紅白の映像はNHK版が韓国のサイト、台湾版が中国のサイトで見つかったわけです。この時は福山君の時だけ、横浜パシフィコのライブ会場から紅白と台湾に中継ということで、三元中継とかってニュースで見た記憶があるわけで、要するに台湾版とNHK版の映像があるわけです。(映像が韓国のサイトや中国のサイトで見つかるあたり、本当にアジアで愛されている兄さんだな、とは思うわけですが。まあ、日本のサイトでは著作権とやらに引っかかりそうな案件でもあるので、見つかりずらくはあると思うのですけれどもねーー;。)そして、2番目の子が言うわけです。それは、見てはいけない番組、聴いてはいけない曲という呪いまみれの動画だ。それでも、それを乗り越えて自分のものとして使えると思いますか? と。それで私の方も悟ったわけですが、結局「外国へ出ること」というのは、これを使うことなんだな、と思ったわけです。そういう呪いを乗り越えられる者でなければ、外へ出るような力はないものであろうし、それで誰もが満足しなければならない結果なのだと。特に台湾版は、中国語の字幕とかがいっぱい入っていますから、更に「日本」というものだけに集中していなければならない立場のものにとっては、危険なものです。

 

で、まずは両方見て見たのですが。台湾版の方は、福山君がインタビューで「来年はドームツアーと台湾、香港でツアーをやります。」と言っていて、「あー、もうこの時、五大ドームツアーを楽しみにしてくれてたんだなー。」と思って(まあ、営業でもあるわけですが)。五大ドームツアーが始まった時、すでに白鳥兄さんは毎日のように私のところに遊びに来てくれていて、初日が終わったときに興奮さめやらぬ様子で飛んで来て「終わった」って言ってハグしてきたわけで。当時の私は何故兄さんがそんなに私に懐いてくれているのか分からなかったわけですが、福山君ほどの人が、そうやってライブが無事終わった喜びを分かち合いたいと思ってくれたことがなんだか嬉しくて、それがあったから五大ドームツアーは私にとってもとても思い出深いツアーでしたし、初日の次の日に台湾とかのネットメディアでその様子を取り上げてくれて、それは「見てもいい」って言って貰って見ることができて嬉しかったのもよく憶えているのです。だから、2012年末のMステスーパーライブ、2013年末の紅白の台湾版は、2014年に入ってから、五大ドームツアーを経て、白鳥兄さんが毎日のように遊びにくるようになって今に至るまでの期間を埋めてくれる、二人の大切な思い出になる映像だと思うのです。だから、これはありがたく使わせて頂きたいと思うのです。まあ唄っている兄さんは、「こんな姿見られたくないのに」って顔をして唄っているわけですけれどもね。そして、いずれその時が来たら、私も外に出るのであろう、という決意に返させて頂ければと思います。

(でも、現実的にはそういう采配は兄さんが振るうでしょうし、兄さんは100%安全だという確信が持てねば、私をどこにも連れ出しはしないでしょうから、現実的には全て兄さん(と他の二人)にお任せということになるのでしょうが。でも、きっと、最近の福山君が海外での仕事を増やしているのは、いずれそうなるかもしれない、という将来を見越して、あちこち露払いして歩いているのではないのかな、とやっと気が付いたわけですが。)

 

私が福山君の動画を見ると、兄さんはぐでぐでしちゃいますので、要するに私の意思確認の作業の司令塔には、冷静な2番目の子が任命されたわけだ。なるほどね。

アナと雪の女王対決

ええと、昨夜は、とあるファイルをDVDに焼いて、テレビで親にも見せてみたわけですが、けっこうそれなりに好感度はあったようで、「健康的な人に見える」とか言って貰ったものですから、兄さん的には大喜び、お目付役からは「お母さんには一番目の子のことだけ考えてればいいって、言って下さい。」って言われるわけで、そんなこと自分で言えば? 届けるだけの力があると思うならさ、と思うわけですがーー;。どうもね、兄さん的には一番目と二番目の子は卒業写真で見て貰えてるのに、自分はあんまりちゃんと見て貰えるものがなくて、平等じゃないと思ったらしいです。まあ、あれはね、お仕事用の顔で、普遍的にファン獲得用の顔で、そこそこに「こっちに来い」っていう目力を使ってる顔ですから、よほどの敵意を持つ人で無ければ、そこそこの好感度は獲得できるお顔かな、と思うわけですが。あまり、耳に入れてまずい部分は唄っていませんが、「HELLO」は駄目、「虹」は微妙(基本的には駄目)、「Beautiful life」だけ良い曲、とそんな感じなのだと思う。(というか、「Beautiful life」はもろ兄さんのお歌ですからね。)

どうもね、うちの親は「伝統的な母系社会の秩序」ってものが良く分かっていないので、私も確認のために書きますが、東アジアから中近東まで含むような広い地域での「伝統的な母系の文化」というのは、西へ行くほど、蛇の母系社会と蛙の母系社会の文化が習合して、蛇でも蛙でも太母となれる文化となっているわけです。で、東アジアの羌族の文化に近づくほど、純粋な蛙の母系社会に近づくわけです。で、そこでの「伝統的一妻多夫」の秩序というのは、第一夫は同族から選ぶべし、というものなわけです。要するに一族の「財産維持」をも兼ねた結婚なわけ。そして、子供という者が母親に属する者である以上、第一夫に選ばれるということは「妻から生まれた全ての子供の父親になる」ということで、それを権利と考えるのか、義務と考えるのかは人それぞれとして、要するにそうする決意と自覚がある者こそが「第一夫」として選ばれるのであって、それに選ばれる男性としての誇りもその点にあるわけで。
そういう仕組みの中での、第二夫以下の立場というのは、要は「種馬」ということで、彼は生まれてくる子供に対して何の権利もないのである。しかも、アジア的には要するにそういう強い遺伝子を維持するための「種馬」的役割は、「通りすがりの旅人」の求める傾向が強く、中央アジアの少数民族なんかは、旅人に一夜の宿を提供する代わりに、子種を求めることで、遺伝子の弱体化を防いできたという伝統がある。だから、伝統的な文化を重んじる蛙さんたちは、同族の2番目の子はともかくとして、要するに同族で無い兄さんには、「旅人的な種馬」としての期待しかしていないし、私が兄さんのことを嫌うようであれば、やることだけやらせて、あとは一生合わせなければ良い、とか画策していたわけで、だいたい今になって、「そいつとそんなにウマが合うとは誰も思わなかった。」ってぶつぶつ言われましてもですねえ、そんなこと私の知ったことではないわけでーー;。だいたい、変な縁談を画策するわりには計画性がなさ過ぎるのも、そもそも問題だと思わずにはいられないわけですが(苦笑)。
要するに、兄さんは「遺伝子的な父親」になることはできても、「父親」になることは許されていないわけで、そこに彼の悩みも苦悩も集中するわけで。
どうもね、昨夜母親が「男女が逆転していて、男一人に、女三人なら良かったのに。」とか言ったので、善良な人々は「それは敵の文化なのに。守って貰ってるって分かったのに、なんで敵を褒めるような言霊を使うのか。」ってびっくりして、私にぶつぶつ言ってくるわけで。まあ、私もこちら側の考えに大分慣れてきましたので、親が超意外なことを言ってびっくりしましたが、まあ、でも我が家は「気」で話すことができなくて、思ったことをそのまま言葉で話すことになれすぎていて、そして敵の文化に染まっていすぎていて、「味方のために言うべきこと」と「言うべきで無いこと」の区別がどうしてもつかない傾向があるので。まあ、私がそんなことに振り回されなければ良いのではないの? と思うわけですが。要するに、そうやって一人の男が大勢の女を「侍らせるような文化」こそが、女性を尊重していない「敵の文化」そのものだと味方はみんな考えているのに、それに反対するようなことは言って欲しくない、とみなさんお思いのようで。

どうもね、兄さんの「HELLO」とか聴いていると、まあよろしくない曲だとは思うのですが、女性に関して「誰にも負けたくない」っていう歌詞は、本音でしょ? と思うわけで。で、兄さんにとって、今の状況で「勝つ」というのはどういうことなのかな、とふと思いながら寝たわけです。
そうしましたら、朝方「様々な手練手管を使って、自分にしか与えられない快楽を教え込んで、他の男と寝ても、自分のことしか考えられないほどにしておけば、どんなに性格的に自分のことを嫌っても、忘れられない快楽のために彼女は自分と会いたいと思うだろう。女心とは快楽についてくるものだから。」って、朝っぱらから、なんか官能小説にでも出て来そうなこと言っている人がいるわけで、「あんたにとって『負けたくない』っていうのはそういうことですか?」とか「そういうことを自分の中で確信を持って言えるまでになるには、どんだけの経験を積んだんですかね、あんたは?」とか言いたくなる私の一方で、「あんた、そんなこと考えて遊び回ってたんですか?」って思わず言っちゃうお目付役がいるわけでーー;。どうにもね、関係者一同、開いた口が塞がらないような感じだったようで。

流石に、こういう展開には私もぐうの音が出ないというか、私もそういう点ではけっこう真面目に生きてきた気がしますのでね。経験に基づく手練手管で私が兄さんに勝てるわけないでしょうが? と思ってげんなりしてしまうわけで。兄さんは「あなたには心配かけない。」って言ってくれても、「あなたは他の人には心配かけるでしょうが?ーー;」ってなるわけで。そうやってげんなりしていましたら、1番目の子がやってきて、「毒蛇が何を企んでも自分は気にしないから。」と言ってくれるわけで。まあ、誰も「私には」優しい旦那様であろうとはしてくれているみたいなのですけれどもねえ、と思うわけですが。兄さんがそういう点にまで必死になってしまうほど、彼を「伝統」に乗っ取って排除しようとする方も悪いのだとは思うのですけれどもね。その一方でバランスを崩すほどの独占欲を示されても困るわけで、実技的に私にそんなバランスを取れるわけないでしょうが。だったら、若い頃にそっち方面でもっと私を遊ばせて、兄さんの手練手管に対抗できるだけの経験を積ませておけば良かったでしょうが、って思うわけです(苦笑)。いいのじゃないですかねえ、そういう時がもし来れば、同じ家に住んで、子育てに参加して貰うくらいはして貰っても、って思うわけで。(って、こう言うだけで嫌そうにしている蛙さん達がいっぱいいるわけでーー;。)音楽と子守の神ベスでもある兄さんなら、子守も上手なのではないですかねえ、特に子供が小さいうちは、いくら手があっても困ることはないわけですし、ってそういう現実的なことしか言えないわけですが。

で、今日もいくつか動画を見たわけですが、まずはコブクロのお二人。お二人は、やはり目の力はそれほどでもないのかな、と思うのですが、ゆずのお二人と同じで、歌に気を込める力がお強いと思います。「陽だまりの道」は2番目の子のお歌だと思います。「今咲き誇る花たちよ」は兄さんの歌だと思う。

で、その次はいきものがかり。ボーカルの吉岡聖恵ちゃんは、すごく力強い目力の持ち主で、心技体のバランスもしっかり取れていて、歌い方も稲葉さんと同じように、相手の心の中に言葉を押し込んでくるような力強さがあって、彼女もまた「神」と呼ばれる人の一人なのだと思います。Mステでいろんな人と勝負しましたけれども、本当に怖い「目」だと感じたのは彼女だけです。兄さんとの勝負の時は、いろんな人が来すぎて気持ち悪くなっちゃいましたのでねーー;。しかも、兄さんからもあれしろ、これしろって言われて、「この人ってこういうことできるんだ?@@」ってこちらも愕然としている状態だったわけですから。

 

それからRihwaちゃんの「春風」。季節の循環と秩序と豊穣を大切にする彼女の曲は一番目の子の曲だと思います。そうしていましたら、一瞬ですけれども一番目の子が普段の彼らしからぬ、ものすごいきつい目で兄さんを睨んでいるのが分かるわけで。まあねえ、一番目の子とて、ただ役目だと思って自分の立場を受け入れているわけではなくて、彼なりに大切に守りたいものに対する信念があって、季節の循環と秩序と豊穣を大切にする彼から見れば、スタンドプレーの繰り返しで、自分の「取り分」を少しでも増やそうとする兄さんは嫌悪の対象ですし、軍神である兄さんから見れば、それは当たり前のこと、ということで、あなた達は根本的に気が合うわけないのですな。だったら、「仲良くするのは表向きだけ」って言って、そうしてくれてれば、それはそれで一つのバランスの取り方だと思うわけですが。下手に「仲良くしよう」なんて気を遣わない方が、どっちも気楽なんじゃないのか、と思うわけで。まあ、それはともかくとして、一番目の子の目の力も上がってきているように思うわけです。だって、今まで彼の視線を感じるということはほとんどありませんでしたから。

そこで、ふと堂本光一君から勝負の依頼があったようで。彼が神田沙也加ちゃんとデュエットした「扉を開けて」を見て、勝負して欲しい、ということで見て見ました。要するに、これは私と兄さんに対して、「そんなに互いに気が合うなら、二人で何もかも投げ捨てて逃げればいい。」みたいにそそのかす歌なわけだ。「でも、彼は、何を企んでいたとしても、自分が背負っているもの、自分が守るべきものを投げ出すような人ではないでしょ。」と光一君は言ってくれてるわけで、あー、兄さんのことを取りなしてくれてるんだな、と分かるわけです。

その後はアナ雪つながりで、アナ雪の動画とか、MayJの動画とか見たわけで。アナ雪のアニメそのものは、見ただけで禍々しいですし、雪の結晶をモチーフにした六角形があちこちで出てくるわけですから、よろしくないものなわけで、特に一番目の子には耐えがたいものだったはずで。そこで、兄さんが「目の力が上がったのなら、これを見据えてみろ。いくら豊穣が大切といったって、守ることができなければ、意味がないだろうが。」というわけで。こういうものは鈍感な私はそこそこ平気ですし、兄さんもそれなりに耐えうるものなわけで。てことで、結構頑張ってみてくれたようではあるのですが。まあ、いずれにしても良くないものですので、見ればそれだけ、ということで。

で、その後は羽生君から「花は咲く」を見て欲しい、ということで、見ましたら、これは2番目の子のお歌のようです。羽生君は、ソチのショートプログラムで良い縁起ができた時には、ご挨拶に来てくれましたし、丁度テレビのニュースで流れている時間に、「こっち、こっち」って引っ張っていって演技を見せてくれましたし、丁度NHKで「花は咲く」が流れている時に、テレビをつけさせてくれたり、そういう形で「伝える力」は、兄さんに似ていて強いと思います。

で、今日はこんなところかな、ということで。で、どうも昨夜寝る前に、お目付役から『すみませんねえ、こんなに努力したのに、結果的には石井から取り戻す役に全然立たなくってねえ』っていう部分は、まさに兄さんのどMのツボをついていますよ、と言われたわけですが、私はそのまま寝てしまったわけで。で、兄さんは兄さんで朝まで引きずってしまって、いろんなことを言ってしまったわけで。

要するに「HEAVEN」のPVというのは、よろしくないもので、敵からすれば「二人の仲を裂く材料」となるはずのものだったはずなのですが、私がそれを使って兄さんを尋問するような真似を初めて、しかも兄さんは本音がぼろぼろと出ちゃってましたので、世界中がそれを見て愕然としたらしいです。敵ですら、「いったい何のためにあのPVを用意したんだか?」と思って虚無感に襲われたらしいーー;。しかも、二人とも全然気にせず、また目の力の使い方のお勉強とかしてるわけですからね。いいじゃないですか、私ってこういう性格なんじゃないのですかねえ? ってそう言うしかないわけですが。(兄さんは「Beautiful life」を引っ張ってきて、「傷ついても許そうとするその心」とか言ってくれるわけですしねえ。そういう優しいところが好きなわけですな。しかも、一番目の子は兄さんの本音にむかっ腹をたてたようで、気合いを入れて自分の曲を送ってくれますしね。「この状況で2番目の子は何を考えているのかしら?」と思ったら、お目付役から「○○先生は、あんた達と違って真面目な人なんです!」って本気で雷が落ちたわけですがーー;。というか、彼はただただ私のこういう気性にびっくりしていて、しかもネット上に自分の写真が出回っていないので、私の目の力の標的にならずに済んで良かったと、思っていそうです。兄さんとかは立場上、逃げられませんからね 苦笑。しかも、兄さんは今のところ「生きてる生きてく」がかかっただけで大喜びしちゃうような状態ですし。)

どうにもですねえ

うちの親がですねえ、2012年のMステスーパーライブの福山君のステージを見て、「健康的な感じじゃない。石井とかに比べれば。」と言うわけで。

 

それで、自分でなんだか違和感を感じたわけです。確かに今の福山君は健康的な生活を送っているであろうと思いますけれども、でも昔はもっと違ったイメージだった時があったし、それはいつだったけな? と思ったわけで。それで、「あー」と気が付いて「Heaven」の動画を探してみたわけです。この曲はどうみても、「取り分」にして良い曲に思えないので、今まで見ないようにしてきましたが、まあ、PVを見てみると、退廃的で禍々しいったらないわけで(苦笑)。たぶんね、この曲はMステでやったことがあると思いますし、その時私は見てた記憶がありますし、それもあって「あー、こういう人なんだー」って思ってた印象が強かったわけで。兄さん、この頃が一番女癖が悪かった時期でしょ? って呟いたら、ぎくっとしている人が1名。「あんた、なんでそんなこと分かるんですか?」って聞くお目付役が1名。ふーん、お目付役がそう言うってことは「図星」なわけだ。ええと、「Heaven」がリリースされた時期って1999年ってあるんですけれども? GLAYがライブで「HOWEVER」を熱唱していた時期になんで、兄さんはこういうことしてたんです? って聞いてみたわけです。今の彼は私が尋ねれば答えずにはいられないでしょうからね。

 

そうしたら、「なんとしても、どんなことをしても、あなたを石井から取り戻したかったから。」と言ってくれるわけですのでねえ。でも、そのために、こういう毒気と色気を身につけるために、何人の女を食い散らかして、捨ててきたんです? あなた? とは思うわけで。なんというか、確かに蛙の人たちが忌み嫌うように「人でなし」であると思う。彼の味方が「心まで染まってなければいいじゃない」って言ってくれても、冷酷なことをやってることに変わりはないわけで。っていうか、染まってない分冷酷なんじゃん、それ? とも思うわけですが(苦笑)。

 

なんというか、真に欲するものを求めるときに、なりふりも手段も構わず、「何でもやる」ってところは、あなたと私は似ていると思う。私が石井のファンであったのは、人がなんと言おうが、あちこちで不当に虐められたり、小突き回されたりして生きていた私が、「息抜きできるところ」としてあの男が必要であったからだ。だから、当然そういう生活は楽しかったし、生きていく上での張り合いになっていたと思う。でも、いくら周囲から「はまっている」と見られていたとしても、あの男が「私の生きる張り合い」の役に立たなくなった時に、私はあっさり彼を捨てたし、その後一顧だにしたことはなかった。

兄さんの方も、きっと「自分が自堕落な生活をする必要はもうない」と判断した瞬間に、そういう生活は捨てたんじゃないのか、と思うわけだが。たぶんね、一般に人が一度はまったら抜け出せない「享楽」や「快楽」というものに対しては、私や兄さんてのは、抵抗性も強くて、周囲からは「どっぷりはまっている」ように見えても、当人にとってはそれはいとも簡単に捨てられるものであったりもしてたのではないですかねえ。本当に抜け出せないようなやばいものにさえ手を出さなければ、どこまでなら簡単に切って捨てられるか、理性で冷静に判断できてれば、それはたやすいことだ。冷酷な兄さんならそんな計算は簡単にできるであろうし、基本的には一応真面目人間の私もそういう最低限の計算くらいはして生きてきたとは思うわけですけれどもねーー;。

 

不思議なことだが、「目的のためなら何でもやってのける」という性格は、私と兄さんはとっても良く似ていると思う。まるで、そういうところ、鏡を見ているようだと思う。そして、彼の性格から考えて、目的を達したあとは、必要以上に「人でなし」なことなんかする人ではないし、そういうバランス感覚は優れている人だと思う。それはとっても分かってることなんで。おそらく稲葉さんであれば、それも彼の「力」や「能力」の内だとおっしゃるであろうと思う。まあ、個人的には、それが、他の二人にできないことをやってのけた「力」であるというのであれば、その点だけでも買いたいと思うのみです。

 

(しかし、「HEAVEN」も何度も聴いていると、どうにも「どM」な歌に聞こえてくるのですけれどもねえーー;。私の耳の冷酷度もどんどん上がってきているとしか思えない(苦笑)。あんなに禍々しい曲なのですけれどもねえ。すみませんねえ、こんなに努力したのに、結果的には石井から取り戻す役に全然立たなくってねえ、ということで<(_ _)>。)

 

 

<追記>そういえば、彼のこういう「なりふり構わぬ」ところから生じた結果に、これからすぐに期待する点がみなさま、いくつかあった気がするのを思い出したのですけれどねえ。彼のそういうのを「人でなし」と呼ぶのであれば、頼るべきでも無いのですなーー;。

(ま、でも「HEAVEN」は取りませんけれどもね。これを「取り分」というほど私も悪食じゃないんで 苦笑。)

お出かけ日和

今日は、某病院へ行かなければならなかったわけで、行ったわけです。で、待合室で待っていますと、周りに人がどんどん集まってきて、非常に攻撃的な気を出されている気がするわけで、どんどん疲れてきてしまうわけです。そういえば、昔、大学に入って1年目に、学校に行って授業を受けて帰ってくるだけで、疲れて、疲れて、疲れ果てていてしまった時期があって、そっかー、あの時もすごく疲れて、しまいには体調を崩してしまったけれども、大学1年の時は、一人目の子も、二人目の子もまだ身近にいなかったわけで、結局学校に行ってるだけで、攻撃的な気を浴びて、疲れ果ててしまっていたんだ、と気が付いたわけです。で、それはともかくとして、私が疲れ果ててしまうのもまずいということで、防衛にサポートを増やして頂いて、で、私の右目の前に、兄さんの右目が膜のように被さってくるように感じたわけです。それで、気が付いたのですが、どうも私の目は、普段に生活している分には「丸い蛙の目」であることが多いようです。でも、腹を立てたり、攻撃的な目の力を使うときには「蛇の目」に変わるようで。だから、その結果が敵にもたらす作用を見る時には「蛙の目」で見てるので、「蛙の目」で見ると自分でも気持ちの悪いような蛇女が見えるようです。うーむ、不思議だーー;。でも、兄さんは冷静な時でも「蛇の目」のようで、それも分かるわけで、あー、兄さんて真性の「蛇の人」なんだー、と思ったわけですが。

で、それで体調を整えて、診察に挑んだわけで、診察室に入ってしまえば、もー毎度のこといろんな人がしゃべりまくるわけで(苦笑)。まずね、兄さんがね、ドクターの背中を見ろ、というわけで、そこに視線を集中させるとですねえ、ドクターの顔が紅潮してきて、目も潤んでくるわけです。で、最初は手とかに力を込めて抵抗しているのが感じられるのですが、途中からは要するに「落ちて」しまっていた、と。うーむ、実地でこういう結果を目の辺りにしますと、「目の力ってこういうものなんだー。」とは思うわけですけれどもね。家での練習だけだと、今一結果が良く分からないものですから。(「いきなり敵の親玉を練習台に使ったりしないでしょ、普通。」とお目付役が呟くわけですが。どうもね、兄さんは暴走男だし、私は暴発娘ということで、お目付役は「自分は常識的なことを進言する役割を全うするつもり」とか思っているらしいです。まあ、ありがたいことですし、うれしいことだとは思いますけれどもねーー;。)

でもって、今日のポイントは、

1.ドクターを以前の最悪なものに戻さない
2.必要もないのにおかしな侵襲的検査はさせない

というあたりにあったようで。(あとは、それから「カリウムの値を見といて」って言われたので見て見ましたが、正常の範囲に収まっていて、食事療法の成果が出ていたようですので、1番目の子もちょっと安心したようで。)それから、聴診している時にまで、兄さんが「見よう」とするので、「それは視線を外してやれよ。潰すんじゃないんだからさ。」とか「院長を潰してどうする。」とかあちこちから言われたわけで(苦笑)。

で、ドクターが腱反射の検査とかをもったいぶってしているのを見てですねえ、

「あんなもんで『診察して貰った』って思わせるなんて、医者っていい商売だよなあ。」って怒鳴る人とか、「学生実習じゃないんだから。」とか、苦笑いする人とかいたわけで。そういう合間に、窓際の本棚をふと見ましたら、なんとそこに「臨床検査法提要」が置いてありまして。これは、学生時代に某検査室の教科書だった本で、教科書って言ったって医学書でもあるわけですから、病院にあってもおかしくないといえばおかしくないわけですが、内科の診察室にあるような本でもないわけで。「これは、某検査室のことを思い出して、帰ってこいっていう暗示ね??」と思ったものですから、「今更なによ、あのストーカーじじい!」ってことで、むかっとして腹を立てましたら、兄さんは「怒ってる、怒ってる。」と言って喜んでますし、お目付役からは「あんたがここで怒ってどうするんですか。」って言われてしまったわけです。要するに、こういうことも含めて、いろんなことを後戻りしないように導ききることが、1番目の子に課された「男同士の勝負」であたらしいです。

ということで、待合室がたいへんな時ほど、中に入ってしまえば簡単、ということで家に帰ってきたわけです。サポーターの方々にも家に着くまでつきあって頂いて、本当にありがとうございました<(_ _)>。(ていうか、ドクターのあの紅潮した顔と潤んだ目は、自分でもびっくりというかーー;。兄さんなんかは、うまく話が進めば、そのうちに私の目にあったサングラスを作らないと、周りがタイヘンとか思っているようですが。)

 

 

病院についた時にはKAT-TUNの「In Fact」、診察室に入るときには麻衣ちゃんの「STAND BY YOU」がかかっていました。記憶力の確認のため、書いておきます。

整理しましょう

要するに、昨日もいろいろなビデオも見て、「悪食」的なものも見ていましたら、誰かが私の無意識に近い所に「何が真の望みなのだ?」と尋ねたようで、私も無意識のうちに「お前達を滅ぼすことだ。」と答えたらしいです。で、動揺した相手が「では本気で滅ぼす気なのだな。」と呟いたのは、私も気が付いたわけで、それを聞いた兄さんが「直接コンタクトして来たな。」と呟いたわけで。
どうもね、敵がなんとかそちらを「見る」のを止めさせようとして、直接取引(というか誘惑)を試みたらしいですが、私があまりにも単純明快に答えたので、敵も味方もびっくりしたらしいです。何故、私がそこまで激しく彼らに対して怒りを抱いているのかが、分からなかったらしい。

なんというか、昨日はいろいろと昔懐かしい女性アイドルの動画を見ていて、昔の気持ちを思いだしていたわけですが、でも自分の中では何故かしっくり来ないわけです。私の青春時代の曲で一番愛していた曲は、結局ZARDの曲であって、そこにいろいろな当時の思い出とかが詰まっているわけだから、死者の曲にはなるべく触れない方が良い、と言われても、そこに触れなければ昔の本当の気持ちなど思い出せないからです。で、「なんでそこまで怒っているのか?」と誰からも尋ねられたときに、ふいに彼女の動画を見たいと思ったわけ。それもPVではなくて、昔彼女がまだテレビに出ていた頃の映像を。それでいくつか探して見て見たわけですが、見ていると昔、兄さんが「いつか、一番大切なお歌をその人に送って貰います。だから、彼女のことを忘れないでいて下さい。」って私に呼びかけていたんだな、ってことが分かるわけです。きっと、それははっきりとは私に届いていなくても、どこかに残っていて、それで私は彼女のことが好きになったのだと思う。
それから、Mステに最後に出演した時に、彼女は「負けないで」を唄っていて、そして白黒の服を着ていたな、と思い出したわけです。で、その動画もあちこち探し出して見て見たわけです。そうしたら、「神よ、私の命を捧げます。どうか、3人のところに戻って下さい。」って彼女が言ったのが聞こえた。そして、それは私があの途方も無い「組合」とやらと取引しようとした時に、最後に私の命が要求されることを避けるために、彼女が自分の命を、先が短い命だからと思って、代償として差し出してくれた時に、願ったことだと分かったのです。どうにも、今の私の意識は兄さんと非常に近いところにいるので、彼の考えていることがふいに読めてしまうことがあるようで。
そして、分かった。第一次世界大戦、第二次世界大戦と、世界の各地で大勢の人が亡くなった戦争で、何故そうなったのかを。敵が敵同士で殺し合っただけのものも、それはあるかもしれない。でも、亡くなった味方の多くは、「私の家系」を守るために、もはや神々としての能力も失われ、「願いと代償の取引の方法」をうまく使いこなすこともできず、本家と総本家、分家と本家という風に分断に分断を繰り返されて、一族としての結束すら維持する力が残っていない「家系」を守るために、みんな「代償」として命を差し出してくれたのだということが。どうりで、満州に行っていた叔母、朝鮮に行っていた叔母、中国で兵役に就いていた叔父。我が家だって、あの戦争に関わっていた人々は大勢いたのに、なんで、家だけ誰も死んでないし、たいした苦労も被害も受けなかったんだろう? って以前から不思議に思っていましたが、そういうことだったんだ、と。でも、あなたたちだって知ってると思うけど、あの人たちがどういう人たちか知ってるでしょうが。敵の手中に陥り、兄弟家族の中でむさぼり食い合うしか能のない連中だった。彼らのうちの誰一人として、人様から命を捧げて貰って生きて当然だった者がいたなんて、わたしにはさっぱり思えない。そして、それはその延長線上にいた私だって同じ事だ。
泉水ちゃんが亡くなった時、私は理由はよく分からなかったけれども、絶対にあのタイミングでの彼女の死は自分に関係があると思っていた。そして、兄さんはきっとあんな風に彼女を死なせてしまって、非常に怒っていたと思いますのでね。きっと、その怒りの気持ちも強く私のところに届いていたのだと思う。みんな、それでも私の命を守るのが第一だと思って、彼女の死をとても悲しく思っていても、「それを乗り越えて、前に進まなければ。」と思って動いてくれていたのだと思う。でも、あの時、私の心は凍てついて、激しい怒りに満たされ、そして「どんなことをしても、人の命をあんな風に奪うシステムみたいなものの本性を暴いて、この命をかけても一矢でも二矢でも絶対に報いれるだけ、報いてやるぞ。」と思ってた。そして、その結果が裁判だったわけだから、私が敵に対して冷酷かつ怒りっぱなしなのは、彼女の死が原因なのだと言うしかない。そこにあるシステムなんか知らない。でも、人の命が真っ当に寿命を迎えることができすに、不当に奪われるようなシステムがもし仮にあれば、それこそが私にとっては「代償を支払うに相応しい出過ぎた行為」としか思えない、とそういうことなわけで。
きっと、兄さんも誰も、みんながどうやってこのどうしようもない一族を守ってきたのか、私に知らせるつもりはなかったのだろうし、だいたい知る能力すら無い身内もけっこういるように思えますのでね。でも、知ってしまったからには、こういうしかない。そんな風に甘やかされて、自分のために多くの人の命が奪われたことを知っていて、なおその上に安穏と生きて、3人の夫と楽しく生活していればそれでいいって言われて、それが当然だって自分で思ってしまったら、その時に私自身が「人」ではなくて、「人でなし」になってしまうのだと思う。彼女が命をかけて尽くしてくれたことに対して、例え負けても、こちらも命をかけてお返しできてこそ、私は自分が「人」だと思えると、それだけのことです。だいたい「止まっていた時計が今動き出した」は2番目の子の歌だし、「負けないで」は兄さんの歌だし、「君がいたから」や「かけがえのない人」は一番目の子の歌だ。しかも、こういう事態になって、「かけがえのない人」は死者の歌であっても、いろんなことを気が付かせてくれた歌であって、彼女には4人とも、誰もが返せないほどの恩とたくさんの思い出があるのだと思います。兄さんと2番目の子は強いから、私が彼女の動画を見たいと思えばそれほどの感情は示さずにつきあってくれる。でも、心優しい1番目の子からは、彼女が送ってくれた自分の歌を目にすると、ただただ悲しく思っているのが伝わってきますのでね。それを乗り越えていくことは大切ですけれども、不当なことを悲しいと思う気持ちだって忘れてしまい過ぎては、それだって「人」ではないと、そうも思うだけです。

で、音楽関連では、たまたま2012年年末のMステスーパーライブに出演している福山君の映像を見つけまして、私はそれは使いたいと思ったのですが、それは本来であれば、お籠もり期間中の映像で私が目にしてはいけなかったものです。だから、それを使うのであれば、「誕生日に真白な百合を」も使え。「死の太母」を名乗るのであれば、それも受け止めることができるのか? って言われたわけで。この曲はですねえ、「故郷を捨てる」みたいな歌詞とか、「母が死ぬ」ということを連想させる歌詞とかがある上に、どう見ても「葬式」的な演出がされている歌なのでね。要するに、「私に家を出て死ね」って福山君が唄っている歌、というわけで、PVの福山君の顔には「この曲を取っちゃだめ」って書いてあるし、テレビでもすごく辛そうに唄ってますのでね。まあ、妻として、Mな旦那サマの苦しむ姿を楽しませて頂くために使わせて頂こうかと(苦笑)。っていうか、私がこの「呪い」にかかるわけないでしょ。兄さんは本気で私のことを呪うことなどできようはずもないし、私の方が結果的には力は彼よりも上のようですのでね。

で、あとはこの「嫌そうな顔して味方が唄う呪いの歌」ということで、華原朋美ちゃんの「LOVE IS ALL MUSIC」も頂いたわけで、これは私と2番目の子が遠回りして結ばれないように、という歌だと思う。朋ちゃんが私たちのためにしてくれたことも、いっぱいあると思うのですけれども、この歌は見ていると兄さんですらいやな感じがするほど禍々しいものらしいです。私も昔見た時に、朋ちゃんはなんて悲しそうな顔をして、この歌を歌っているんだろう、とずっと不思議に思っていたものですが、しかもこの歌の直後から朋ちゃんは小室と別れてしまって、その後たいへんな人生を送ってきたわけですから、そもそものこの歌も彼女にとってとても辛いものだったんだな、今ではと思います。でも、私はこの歌を敢えて使おうと思う。そうすることで、今まで朋ちゃんが尽くしてきてくれたことに少しでも報いることができれば、と思うからです。彼女もいろいろと歌を送ってくれたけれども、「I’m proud」と「LOVE BRACE」、「save your dream」は兄さんの曲で、「Hate tell a lie」は一番目の子の歌だと思う。でも、彼女は兄さんの曲を唄っている時が一番嬉しそうだから、一番兄さんを応援してくれている人なのだと思います。

で、その後は、泉水ちゃんの関わった曲で、今でも正当に使える曲を、ということでDEENの「Teenage Dream」を思い出したわけで。私は最近、2番目の子が失敗したことを、兄さんがずっと怒っていて、定期的に「あいつのことなんか忘れろ」みたいな歌を自分でも歌っていたのを知ってですねえ、1番目の子はあのことをどう思っていたのだろう、と思っていたのですが、「Teenage Dream」の中に「あいつはイイ奴さ」って出てくるのを見て、あー、そういう優しいことを言ってとりなしてくれるような優しい子だったんだな、と今になって分かったわけですが。まあ、でも今では家族は4人なわけですから、そこのところは忘れないで、兄さんのことも仲間はずれにしないようにね、ってそう思うわけですが(苦笑)。

それから、織田哲朗さんの「いつまでも変わらない愛を」を聴いてみたわけで、イントロが流れた時点で、兄さんが非常に嬉しそうにしてましたので、「あー、これは兄さんの曲だな。」と分かったわけですが。この曲の歌詞の中にも「終わらない」という言葉が出て来ますので、兄さん自身の歌や、兄さんに関するお歌には我が家を「終わらせよう」とする存在に対して「終わらない」という言霊で強く守ってくれようとしていたことが分かるわけです。でも、織田さんもスペインで旅行中に暴漢に襲われて声が出なくなってしまったりとか、たいへんなご苦労をされてたわけで。本当にありがとうございました、って言うしかないわけです。で、音楽関連の進捗はこのくらいかな、と思います。