ええと、昨夜は寝た後、寝ようとするとウトウトとするたびに「首を絞められる」という夢を見て目が覚める、ということになりまして。2回くらいそんなことを繰り返した後、心配した兄さんが来てくれて、
「あなたが使いたいというなら、なんでも使わせてあげるけれども、力を使いすぎると、悪夢を見る、眠れなくなる。そうして精神のバランスを崩していく。みんな、それを心配しているんだよ。」
と言って、兄さんの曲だけを聴くように言って、それまで1番目の子が守っていたところにそっと割り込んできて、頭を優しくなでて優しく抱きしめてくれていたので、その後は朝までぐっすりと眠れたわけですが。
でもって、朝起きた後、とっとと問題満載の「I Love You」を、録音してウォークマンの中に放り込んでしまったわけですが。この曲を聴くと、結局は誰もがみんな悲しいのだと分かる。松本サリン事件というのは、あのマンションに住んでいて、私たちの味方をしてくれていた二人を標的したもので、その結果一人が亡くなって、一人が生き残ったに過ぎないのだということも分かる。尾崎豊、hide、泉水ちゃんらの死の意味も分かる。敵であっても、味方であっても、結局は目の力を使いすぎて亡くなってる。特に尾崎豊の「I Love You」は、明らかにその歌を「一番の歌」として送ろうとしていた子の妨害を意味している。彼はきっと、表面上はどんなに辛く当たっているように見えても、この曲があれば自分の気持ちは分かって貰えるだろう、って計算していたのかもしれないけれども、そこを敵に突かれたわけで。兄さんが、兄さん自身の「Beautiful life」、Mr.Childrenの重厚な「365日」、俗っぽさの塊の「心のプラカード」と、何枚もカードを用意して、保険をかけて話を進めてきたようなやり方は、それこそまだ若すぎてできてなかったんだと思う。
まあ、でも私は、本当に「情緒に訴える」ようなやり方は苦手であって、冷静に考える方が好きなタイプですのでね。今までに、私が知っている限りでも、この騒ぎに関連して亡くなった人たちのことを思えば、その死は、敵であろうが味方であろうが「間違っているもの」だと思うし、そこに纏わる悲しさを忘れてしまったままで、幸せになってはいけないと思う。そして、敵にあまり情けをかけてはいけないのかもしれないけれども、現在の槇原君とか玉置さんの目を見てしまうとね、彼らが味方ではないとしても、彼らの身の周りに、もし心ある人が少しでもいるのであれば、できるだけ彼らのためにも気を遣って上げて欲しい、とその程度のことは思わずにはいられないだけだ。どうせ、彼らの声は私のところには、今となっては届くはずもないのだし、無駄なことに力を浪費する必要なんか、彼らが誰であろうと「無い」と思うから。悲しいことは、乗り越えていかなければいけないけれども、忘れてはいけない、とそれだけのことなんだと思う。それに、本当に、この曲程度は受け入れられねば、そこにある禁忌と穢れを恐れてばかりでは、とうていエルサレムなんかには乗り込めないだろう、と囁く声がどこかでするのでね。ガザ地区では、つい最近も大勢の人が亡くなっているし、私たちが行こうと画策すれば、敵はなおさらその周辺で人の命を奪って「穢そう」とするであろうし、「行く」ってことは結局、それを乗り越えて「行く」ということだから。あの街は2000年の間の、嘆きと祈りと願いと、人の死と怨嗟がふきだまっているところだから、それをも受け入れられねば、結局は目的も果たせないのであろうと思う。
でも、ともかく昨夜は、私は兄さんの考えを読もうとして、「力」を使いすぎてしまったようで。「悪夢」って、そっかー、ああいう「悪夢」を見るんだ-、と思ったわけで。(しかも、敵もめいいっぱいそういう変な夢を見るような気を送ってたんじゃないのですかねえ。家人もなんだか「寝苦しかった」って言ってましたし。)
それで、結局学生時代のことを思い出したわけで。私は昔から、こうやって「人の考え」を読んでしまうところがあって、体力的な問題もあるけれども、それ以外にも臨床に行きたくない理由はあったわけ。診察している患者さんの考えが分かるのが嫌で、しかも病院というのは人が亡くなるところでもあるから、入院患者でとうてい助からないような人を受け持って、そういう人の「生きたい」という祈りや願いをぶつけられるのなんか、真っ平ごめん、そんなことしてたら、それこそ私の身が保たない、って思ってたなあ、と思って。だから、実習で患者さんを問診したり、診察したりするのも大嫌いで、できるだけ人に押しつけて避けてた。そういえば、そういう私のことを理解して、ゼミで患者さんを診察する必要がある時には、いつも進んで問診とか診察を引き受けてくれてた人もいたな、と思って。彼も立派なお医者さんになって、開業するんだよね? どうか、無理をし過ぎず、自分の人生を生きていって欲しいと思います。だって、あの事件で死なずに済んだんだから。あなたにはそうする権利があると思うのです。
(1番目の子なんかは、仕事だからやってるんで、いちいち患者さんの真の気持ちなんか考えたらやっていけないでしょ、って言うわけで。どうも私は、そういう点での「防衛」みたいなことができないのだと思う。だから、実際、臨床なんか「やってられなかった」わけですな。「人を生かすための仕事でもあるのに」って言われても、生きている人の方が、気持ち悪いのですよ。)
それで、こういう自分だから、死体をつついている方が気が楽だ、と思ってたところはあると思います。死体は、何も考えないし、願わないから、それを感じ取って自分が苦しむこともないしね。なんだか、当時はまだ、みんな若かったね。って今となっては思うわけですが。
(というか、お目付役からは、「あなたは何も知らない時にも暴走しましたけど、道理が分かれば分かったで冷静に暴走しますね。」って言われるわけでーー;。まあ、そういう性分なのではないでしょうかねえ。なにせ、自分の踊りは、自分で考えて踊るのが好きな性質ですのでね。)