どうもですねえ

私が大勝負?もそうそうに、「いいとも」の動画とか見てるのをみて、「図太い」とか言う声が聞こえてくる気がするわけですが。いーじゃん、今夜は私は、いいとも(3月)と魂のラジオ(9月)の福山君の表情の違いを比較して見てみたかったんですってばさ。なにせ、いいともの直後から、白鳥兄さんはしょっちゅう遊びに来るようになって、今に至るわけで。確かに、この半年でずいぶん表情が変わりましたよねえ、と思うわけで。しかも、最近のは「目を二重に使ってる」気がしますよね。どうにも彼の目は、同時に二つのものを見ている気がしてならないわけですが。(まあ、「魂のラジオ」の時間は私は寝てますけどね。)今の方が、ちょっと言葉に込められてる「気」も弱くなってる気がします。まあ、その分、面倒を見て貰っている私は有り難い限りなわけですが。

 

 

ということでねえ、今夜の妙な大勝負の報酬として、私は福山君が「魂のラジオ」でカバーした尾崎豊の「I LOVE YOU」を使わせて頂くこととしたいと思う。(他の曲はあとで気が付いたら消去しとくわ。)

 

これは死者の曲で、しかもカバーな曲だから、けっこう悪食な禁忌な曲であることは分かっているのだが。でも、私がこれを「使う」ということは、誰のため何のために使うのかと言うことは、誰にも分かることだと思うのでね。これは、2番目の子が、いつも一緒にカラオケに行った時に歌ってた曲だ。要するに、彼との思い出の曲ということで。

 

兄さん的には、自分が歌ってるこの曲が、私にそんな風に使われることは非常に不本意であろうと思うけれども、私が兄さんに「踊らされていない」ということの証明のためには、このくらいの荒療治が必要であろうと思う。だいたい、死者の曲であろうが、なかろうが、誰だって若かりし頃の「思い出の曲」の一つや二つあると思うのだけれども。人に向かって「人間らしくあれ」というのなら、まず禁忌だのなんのという前に、そういう、昔の曲を聴いて、昔好きだった人を懐かしむというような、当たり前の生活をさせて貰いたいものですな。(しかも、オリジナルの尾崎は私がどうにも好きではないのですのでねえ。だいたい、この曲を「禁忌」のものとするために、尾崎は死んだんじゃないのですかね? 2番目の子の力を削ぐためにさ、と思うわけで。結局、泉水ちゃんの時と同じだ。ただ、「禁忌」とするためだけに歌を作った人を殺すのであれば、それを止めるためには、そんな「禁忌」を無くせばよいだけのことだ。)

ていうか

どうやらこれも「勝負」でがあるらしい。兄さんが「呼ぶ声」が強くて、私がそちらに引きずられれば、こちらの負け、私が「こっちに来い」と言って兄さんを引き込めれば、私の勝ち、と。

っていうか、こういう「勝負」に対して、何を言えと? って思うわけだが。たとえ、誰がどこでどれだけ呼ぼうとも、そっちからちゃんと正式に迎えに来ない限り、私は絶対にここから出る気なんかないわけだが?@@ だいたい、客観的に見て、そうするしかない状況だって誰の目から見ても明らかなのに、他にどんな選択肢があるのか、むしろそれを教えて欲しい気がするわけだが(苦笑)。

 

しかも、小蛇の兄さんは「ここに居てねえ」って言ってますが?

お勉強の成果

夜になったので、福山君の動画とか、いろいろと見ているわけですが。

 

2002年のライブ:ええと、カメラに向かって、すごい目力使ってますね? みたいな@@。顔で笑って、お腹の中で「俺、何やってるんだろ」って思ってそうな気がするわけですが。確かに、こういう子は、そこから連れ出して上げないといけないという気分にはなりますねえ(苦笑)。

 

2007年のライブ:どうにもね、この頃までなんか微妙に女癖の悪い生活してた気がする。っていうと、思わず小蛇兄さんの全身が総毛立ってるのが分かるわけですが。別に、言いたくないことは聞かないですよーー;。「HEAVEN」のPVでいじめすぎてすみませんでした、ということで。

 

2008年のライブ:ともかく、何としても、「家に引っ張り込まなきゃ」って聞こえてくるような気がするわけですが。どうもこの頃は、そうすれば何とかなると思ってたようで。

 

2009年のライブ:どうも、表情が今一冴えないというか。「頑固者が裁判なんか起こして困ったことになった。」って顔してるわけで。しかも、周囲から「このまま潰れてしまえ」っていう圧力的な気がものすごく発されていて、禍々しくてすごいな、と思う。確かに、なんというか、そこから出て、私の手を取りなさい、って言いたくなる風情です。(なにせ、あの時は上空にヘリ5~6台飛ばしてましたものねえ。確かに、「何で?」とは思いましたが、それでもとっとと裁判には突入したわけですが。)

 

2010年:ちょっといいライブ映像が見つからないというか。でも、この頃(龍馬伝)の写真を見るとなんというか、さすがの兄さんも無力感に打ちのめされている目をしている気がして、なんか気の毒になるのですがーー;。

 

2011年:冬の大感謝祭。「もっとそばにきて」。歌詞の中にある「終わらない」という言葉にものすごく力が入っているのが分かるわけで。兄さんの表情も、ものすごく鬼気迫っていると思うわけで、会場とか周囲からの気に「有無を言わせない」っていう態度で挑んでいるのが分かる。2012年はもうすぐって時ですからねえ。

ええとですねえ、この曲は、私が買ってあげるべき曲だと思うので、速攻で注文しておきました。私に対するお歌だと思いますのでね。でも、私から兄さんのそばにいくというのは、現段階ではするべきことではないのでね。あなたは、そこを抜け出して、私のそばに来て私の手を取るべきです。ただ、そうするべきだと思うだけだ。そして、あなたはそこに居るべき人でもないとも思うからだ。

 

そして、「もっとそばにきて」の収録アルバムは、「LION」というらしいので、そこから「らいおんハート」に繋がるわけだ。そして、今回の騒ぎが起きる直前までdeviant artで私が使っているハンドルネームは「獅子」だった。だから、結局私たちは似たもの同士なんだと思う。基本的には戦って生きてくのが好きな性分ということで。それに、兄さん、とても男らしくて、頼もしくて良い人だけれど、子供の頃に、お母さんにものすごく甘えて、甘やかしてもらった経験て少ないでしょ? と思うわけですけれども。それが満たされなくて、お母さんのそばにいて、ずっと一緒にいて甘えたいと思っている小さな男の子がいて、それを私に満たして欲しいと思うのであれば、それは別に全然構わないので。(もちろん、私の身の周りの世話はして貰うつもりですがーー;)なんか、この曲を唄ってる兄さんを見ると、ちょっと切ない気がしますので。何というか、曲ごと買い上げてあげたい、という風情な気がします。

 

 

<追記>どうにもね、お目付役から、「あなた、あの男の深層心理までほじくりまくりですね?」とか言われるわけですがーー;。こう見えても、伊達に医学部を出ているのではありませんの。(っていうと、他の2人からは、「嘘つけ。それはあんたの特殊能力だ。」とか言われるわけですが。あんたたちだって医者なんだから、ちったあ人の気持ちも分かっててもいいでしょうがーー、って私からすればそんな感じなわけなんですけれどもねえ??@@)

さて

あれから、適当にいろいろな動画を見てみましたが、一番「うーむ」と思ったのは安全地帯でしょうか。玉置浩二という人はあまり目の力は強くないようですが、昔はともかくとして、最近の動画は、笑っていても目が笑っていないというか、しかもその目が辛そうと言うか。彼もむしろ「踊らされる」タイプだと思います。現在のバンドの構成を見ると、ドラマーと、後ろでギターを弾いている人一人が怖い感じかと。玉置浩二氏は元々奇行が何かと話題になる方ですし、何だか、マッキーと同じような危うさを感じるというか。

で、動画鑑賞は切り上げて、CDからいろいろな曲をウォークマンに移してみました。中でも感慨深いのはFIELD OF VIEWの「君がいたから」、織田哲朗さんの「いつまでも変わらぬ愛を」「揺れる想い」でしょうか。また、新たな形で「揺れる想い」に出会えるとは思いませんでしたが。「いつまでも変わらぬ愛を」はともかく兄さんがうれしそうですし。「君がいたから」はもっとずっと早くに入れてよかった曲だったのかもしれませんが。今からでも入れられて良かったです。

更に続き

T.M.Revolution。曲は「WHITE BREATH」、「HIGH PRESSURE」、「THUNDERBIRD」。朝倉大介がプロデューサーをしていた頃の初期のレボレボのヒット曲をいくつか見て見ました。彼は目の力はそれほど強くないと思います。でも、声は大きいですし、大介君の曲はノリが良くて憶えやすいですから、それが良いところ? といえばそうなのかもしれませんが。タイトルからいって、全てよろしくないお歌です。ただ、私の中では、どうにもレボレボは「お笑い担当ロッカー」ってイメージが強いので。あまり、曲に興味はないような。確か、この間のMステでも無駄に派手な演出をしてた気がするわけですが。

で、兄さんの方からは「シャ乱Qは?」って聴かれましたので、「いい男じゃないのは見たくない。」と言いましたら、「えっ? じゃあ、T.M.Revolutionは?」って聞かれましたので、「この人は『お笑い担当』」って言ったら、「きっつー」と言って笑われたわけですがーー;。いいじゃないですか、今のところ私の中で「一番いい男」は一週間前の福山君ということで。何かそれでご不満ありますか? 兄さん的には? と思うわけですが(苦笑)。

ええと、次は河村隆一。曲は「I LOVE YOU」「Love is…」。この人もなんというか、「人を踊らせる」いやな目をしていると思います。彼のCDは買ったことがあって、昔は「やたらとでかい口を開けて歌う人」っていうイメージしかなかったわけですが。目の力はレボレボよりはよほど強いと思います。でも、石井には及ばないかと。「Love is…」は争いや破壊を煽る歌でよろしくないですねえ。今見ると、歌い方もちょっときもいかとーー;。

次は、GACKT。ええと「Mizerable」とか見て見たわけですが、この人も目の力はそれほど強くないと思います。レボレボよりは強いと思いますが。どちらかというとパフォーマンスの派手さとかで売る方でしょうか? それから、声に気を込めることは上手いと思います。「声なんか届くな」と歌ってますので。どうも、この人はミュージシャンと言うよりは、役者としての仕事のイメージが強いのですけれどもねえ? と思うと、「風林火山」とか「琉球の風」は見たのに、「龍馬伝」は見て貰えなかった、と思う向きの方がいらっしゃるようですがーー;。そんなこと言われても、この人主役じゃなかったんじゃ? と思うわけですが。まあやっぱり顔立ちとか「華」がありますから、それに惹かれたんですかねえ? というか、何を言ってもあんまりフォローにならなくて、無駄な気がするわけですがーー;。確かMステでこの人と共演した時、誰かさんは物真似とかしてませんでしたっけ? とうっすらと思うわけですが。でも、「琉球の風」のこの人はけっこうキモイと思いましたけれども。なんとなく、昔の2番目の子のことを思い出して? って書くと、きっと蛙さんたちの視線が、「あんた昔何したの?」ってそっちに向くと思われるわけですが(苦笑)。兄さんはぐだぐだですし、2番目の子はそんなですし、1番目の子は初心者ですし、なんだか「男3人揃って、駄目すぎ!」って兄さんが何だか自虐的なモードに入ってる気がするわけですがーー;。

で、更にGacktとかレボレボの動画を見ていましたら、中にレボレボとGacktがデュエットしている曲がありまして、それを見ていると「だめだ、どんなに頑張ったって届くはずが無い。あの男とは力の差がありすぎる。」って二人が言っているのが聞こえてくるわけですが。確かに、ここのところは、兄さんの本気の気合いの入った「Beautiful life」とかばっかり聞いてますのでね。(あと、桜井君の咆哮するかのような「終わらない旅」とか。)どうも、そういうのに慣れすぎてしまって、上っ面だけで上手な歌とかは、もう私自身もわりとうすっぺらく感じるようになってきているのかな、と思いますが。
しかし、Gacktが歌う「離したくはない」(2001年)とか「君に逢いたくて」(2004年)を聴いているとですねえ、どうにも「石井竜也」のこととか思い出すのけれども? と思うわけですが。あの男は、あれはあれで私にお歌を送っていたんだ?@@ って思うわけで。内容は、当然よろしくない曲なわけですが。なんか、気持ち悪い気がするわけですがーー;。

槇原敬之君。ええと、今年に入ってからの映像で「遠く 遠く」を見たわけですが。彼も目の力はそれほど強くないと思います。でも、あまりよい目には見えないわけですが。彼も酷使されていると思う。お味方ではありませんが、ちょっと「大丈夫かな?」と思うような目をしているように思われます。それが一番気になったところかも。

KAN、「愛は勝つ」。よろしくないお歌です。この人は目の力はそれほど強くない人ですが、やはり強いのは「言霊」の力であると思うわけで。歌詞の中に巧妙に織り込まれている言葉がよろしくないのです。どうにもねえ、この曲を聴くと、誰かさんがぶすぶすと怒るわけで、それは昔、私が2番目の子と諏訪にドライブに行ったときに、私が諏訪神に興味を持ちそうであったのに、この曲をかけて、話もろくにとりあわずに勝手な「替え歌」ばかり歌っていたので、それを恨んでいる人が今でもどこかにいるようでーー;。なんていうかですねえ、蛙さんたちは、整然と秩序有る世界を愛しすぎていて、そうじゃない者は嫌い、排除する傾向にあるわけで。私の目が見えず、耳も聞こえないことも分からず、彼らは彼らで、結局「蛙の世界の道理」を知らない私を、攻めていたのではないかと思うのですけれどもね。「何で理解できないのか?」とね。だいたい「何度でも」なんて、結局はそういう歌なんじゃん? って思うわけで。

そういう「秩序有る世界」に慣れすぎている人には、それが当たり前だと思いすぎて、それを知らない人の気持ちが結局理解できないので、今となっては攻められるべきは、2番目の子だけではないと思う。「力」もないのかもしれないけれども、要するに「育ちが良すぎる」から、当人の気持ちはともかくとして、「一族の手前」とかそんなものにどうしても捕らわれてしまって、兄さんのように「負けを自分だけで引き受ける」という腹のくくり方は彼には立場上できないのです。まあ、でも私はそういう生き方はできないし、一族の伝統と秩序有る歴史を理解して、できるだけ受け継いでいって欲しい、と言われても、結局は「私は私」でしかないので。そういう私を受け入れてくれる気持ちが、1番目の子にも、2番目の子にもあるのであれば、それで良い、と今となっては言うしかないと思うだけです。