要するに神サマの世界には「見合うこと」「見合わないこと」とあることのようですが、例えばこの私が「生の豊穣の太母」だとすれば、それを損なうようなこと、例えば地震に乗じて、原子力発電所を爆発させようとすることは、「私の取り分を冒すこと」に他ならないのだから、それこそが「僭越な行為」であり、私がそれを止めようとしたことこそが「当然の私の取り分」なのだから、それに対して敵がどうのこうのと言うことそのものも「僭越な行為」であり、こうした「僭越な行為」の連続が相手に「貸しを作る」ということなのであれば、この私がその「貸し」を取り立てて、何が悪いのか? ってそう考えただけなわけですが。だいたい「全て」が私に属するものなのであれば、どんなビデオだのアニメだのを見ようとも、それを「勝負」だのなんだのと言うことそのものが、「僭越だ」と思うだけです。今のところはね。