ええと、ついでに「ラピュタ」と「もののけ姫」の予告編を見たわけで。
「ラピュタ」はですねえ、要するに主人公のカップルの名前が「パズー」と「シータ」って言いまして、で二人併せて「破壊(とかつ再生)の力」を持つわけだ。「パズー」っていうのは、要するに「アメン・ベス・ネルガル系」の「伝統的な破壊(と再生)の軍神」なわけで。一方の「シータ」ってのは、蛙の女神の名前なので、要するに「破壊性を持つ蛙の女神」の象徴ということで、平ったくいうと、「エレシュキガル」というメソポタミアでイナンナと対を成す、いわば「イナンナ・エレシュキガル」とも言うべき「死の太母」の象徴なわけ。要するに、「パズー」と「シータ」っていう組み合わせというのは、「ネルガルとエレシュキガル」という「破壊と再生の夫婦神の象徴」であって、それを「取り分」として取るからには、その力を正しく使い、良くないものを破壊し、かつ残すべきものを再生できるような、強力な「力」と、それを使いこなせるだけの「人間性」が必要とされるわけで。だから、兄さんがラピュタが好きなのは、そしてそれを買い戻したいと願うのは、それができるのは彼が「伝統的な破壊(と再生)の軍神」として認められた時で、それだけの男だと認められたことになるからです。
で、一方の蛙娘はですねえ、「蛙の女神」っていうのは世界中見回すと、「生と豊穣の女神」から「死の太母」まで守備範囲が広いので、この私がどういう蛙娘か誰も良く分かっていなかった、ということで。ともかくつい最近に至るまで、みな、ラピュタが買い戻せるかどうかは兄さんの力量によるものと思っていたわけだ。
そして、現在のところ、「破壊(と再生)の軍神」としての権利は黙示録等で、明確に敵がその権利を主張しており、彼らはそれに乗っ取って、あちこちで争乱を起こして悪さをしてる。それだけに、それを「取り分」として主張できる力量には相当なものが必要なわけで、下手して負けちゃうと自分が潰されるか、自分の力を相手に利用されるだけになってしまう。
で、一方の「もののけ姫」。なんていうかですねえ、最後にいた病院と同じく、最初にいた病院でも「同じ事」が私に要求されていたのだと思う。「もののけ姫」は破壊性の強いアニメで、死の匂いが強いから、あれも買い戻すことはできない。しかも、何よりも私は「主人公サン」では無いと思うから取れない。たぶん1997年のあの時点では、みな私が「人ならぬ所に住んで、死者の世話をさせられていて、人ならぬ存在とされている」だけの存在にしか見えていなくて、ともかくそこを抜け出して「生きて生きて生き抜いていって欲しい」と思っていたんだと思う。それだけでもできたら、私には上等だ、と。だからみんな言ってた。「医者じゃなくたっていいじゃない。生きていくのに最低限必要なお金さえ稼げて、それでささやかにつましく生きて行ければそれでいいじゃない。」と、呼びかけてた。その方が、例え何の力もなくてもせめて「人として生き残れる可能性は高い」とみな思ってたわけだ。まあ、おかげさまで次の年には、蹴り入れてやめちゃったわけですが。そして、兄さんの方にはあくまでも「お前のあの娘の不幸が癒やせるのか?」と突きつけられていた。神としての力をほとんど持っていないのに、その立場になってしまった娘の不幸を、癒やし守れるだけの存在になれるのか? と。まあ、兄さんもちょっと前くらいまでは、そういう気持ちでいてくれたように思うんですけどねえ? と言うしかないわけで。
それが何だか、今になると「魔」から突きつけられた勝負には、「そんな風に妻の力を自分の道具として使うような男が許せるのか?」とか言われてるようですので、なんだかね、皆様の中で、ずいぶんと私も出世させて頂いたというか(苦笑)。たぶんね、「もののけ姫」の登場人物の中で、誰が一番私に近いのかといえば、それは主人公のサンではなくて、烏帽子であるのだと思う。だいたい「烏帽子」という名前が遊女を連想させる名であり、かつ物語の中の烏帽子は、そういうこともやったかもしれないけれども、自分の守り育てる小さな健全な村を守る情熱と優しさは人一倍であり、それなのに彼女自身はそれを守るために何でもやってのける、という矛盾した存在として描かれる。そして、彼女の目も、「そうするためなら何でもやる」という魔的な情熱に溢れている。どうにもね、私もそういう性分ですのでね。だから、私は「力」を好むのだと思う。そうできるだけの「力」が欲しい、と常に欲しているからだ。そういう私の欲を満たしてくれる男がいるのであれば、彼が妻の力を道具としてどしどし使うような冷酷な男でも全然結構である。戦いに必要なのは、どんな戦いでも「力」であって、「人間性を失わないで居て欲しい」なんてのは、結局勝ったあとの綺麗事な話に過ぎないのでね。まずは勝つことが先である、と。それだけのことですともさ? 味方からならともかく、敵から余計な世話を焼かれるようなことでは全くないですともさ。
(でも兄さんはすごく男気のある良い人だと思いますけれども? 個人的にはね。)
たぶんね、2番目の子とつきあっていた時に、私は彼が何か私には言えないような悩みを抱えていて、何か「戦わねばならないものがある」とは気が付いていたと思う。だから、そのことを正直に言って欲しいと思っていたし、彼が言ってさえくれれば、彼を支えて、共に戦っていくのに、といつも思っていた。彼にそれを言うだけの力がなかったのか、言えても言えなかったのかは知りませんけれども、そうしなかったから、結局蛙の人たちは、自分達の太母を自分達だけのものとして取り戻すことが永遠にできなくなったんだと思います。言ってくれてたら、私だって烏帽子のように、あなたたちを守り抜こうとしたと思うんですけれどもね。
ネルガルとエレシュキガルで結構。それでラピュタを買い戻せて兄さんを喜ばせて上げられるなら、それだけでもそう名乗る価値はあると思いますけれどもね。