朝からやっていたこと

どうやらですねえ、兄さんのライブのニュースは、他にいろいろな思惑があっても、基本的にはそのライブに私を巻き込めるかどうか、という勝負であって、それに対して、私が言葉で「ライブの成功を願う」ということは「過分な好意」ということになるらしいです。要するに、勝負の場にいる時には、勝つことしか考えてはいけないらしい。

しかも、今の兄さんには、私の「過分な好意」にお返しできるだけの力がない、ということで、兄さんとしては、いつかそうできる時が来たら、私に聴かせても良い曲だけ集めて、得意のギターの弾き語りで小さな二人だけのライブをやって、そうして「あんなにライブが好きなのに、もう二度とライブを見にいけない子に、ライブをやってあげたい。」と思ってくれたらしいです。なんで、私がライブを見にいっちゃいけないかといえば、それはライブの毒気そのものも良くないわけですが、それよりもお客によろしくない人たちがいっぱい来るからで、そういう毒気が私に集中したらいけない、ということらしいですのでね。で、そういう優しい兄さんは私も好きですし、いつかそれも実現できたらいいな、とは思う。ということで、私と兄さんはそれで良いとしても、おさまらないのは周りの人々、というわけで、いろいろあったようです。

そうして、「見る目」を鍛えるために、またいろいろとビデオを見てみることになって、で、そういう「お勉強」の前には、まず味方の動画を見ると言うことで、KAT-TUNの「In Fact」と、B’zの「太陽のKomachi Angel」と、麻衣ちゃんの「Time after time~花舞う街で~」を見たわけです。「In Fact」は戦うために必要な力を送ってくれるし、「太陽のKomachi Angel」では、稲葉さんが「自分の目を使って勝てない相手に、女神の目を使って戦うのであれば、まず女神の目の力の使い方をしっかり学ぶように。そうできることも「力」だから。」って言ってくれるわけで、それって私の中にいる兄さんに対するアドバイスですよね?? さすが、稲葉さん、すごい! と思ったわけで。そして、麻衣ちゃんの動画は、彼女が兄さんの代理人として全力を尽くした姿なわけですから、敵の毒に私が惑わされないように、たとえ兄さん自身が何を言ったとしても、彼の本心を伝えられるように、とそういう思いと力が籠もっているわけです。だから、この3つは見ておいた方が良いもののようで。

 

で、その後サザンの曲を数曲と、米米の「ひとすじになれない」を見たわけです。
で、まずサザンから言いますと、私がけっこう好きであった彼らの曲は、割と私が高校生~大学生くらいの時の曲で、最近の曲ではないので、昔の曲を探すとなるとあまり「適切な動画」がない、ということで、「勝負しろって言うなら、適当な動画を、それこそ事務所に言って用意してもらっておけよ。こっちは買ってまで見るわけにいかないんだからさ。」と毒づく兄さんがいるわけで。で、何とか見つけた「Melody」の動画を見て分かったわけですが、桑田という人も「目の力」はそんなに強くないと思うのです。ええと、ゆずの北川君よりも、もうちょっと強いくらいに見えます。でも、彼は意味不明のヘンな歌詞を書くのが得意な人なので、そういうところに好ましくない言葉を詰め込んで、しかも曲を作る才能もありますから、ノリが良かったり、聴きやすい曲にのせて、そういう好ましくない言葉を流せば、それは相手の心にすっと入っていくことになりますので、彼の得意技はそこにあるようで、それも「歌詞の力」、要は「言霊」の力であるらしいです。だから、私の言霊の力の方が強くなってしまうと、サザンの言霊の力が届かなくなって、上っ面だけの言葉の羅列にしか聞こえなくなるようです。

どうもね、昔、何も知らずにいろんなCDを買ってたころ、ポリクリの班で卒業写真を撮りに行くときに、私の車で行って、そこでかかっていたのがサザンのCDであったので、せっかく大学という恐ろしいところを離れて、私と会う機会であったのに、あの言霊の力に邪魔されて、やりたかったことも充分にできなかったままに終わってしまって、そのことをずっと悔しく思っていた人がいたようで。そっかー、サザンのCDなんかかけて悪かったね。でも、行った先も「霊園」とか、ろくでもない場所だった気がするんですけど? と思う私がいるわけですが。だから、今、サザンの力に私が打ち勝てると言うことは、「能力を鍛える」ということ以外にもうれしく思ってくれている人がいるわけだ。

 

で、次に「ひとすじになれない」という曲を聴いたわけです。この曲は、要するに、つきあっていた男女がいたけれども、男性の方が自由に夢を追いかけたくて別れてしまって、愛には「ひとすじになれない」という歌なわけで。で、何というか私と兄さんは現実に会って、つきあったことはないわけで、何というか「兄さんの歌」としては受け取ることが難しい曲なわけです。でも、そのかわりに、「離れている間に専門医の資格とかを取って、夢を追いかけて生きてきた二人が、この歌の主人公だ」って聞こえてくるわけで、すっげー、石井の性悪な力ってこういうものなんだ@@。というわけで、米米の動画は、特に「初めて見る」ものに関しては油断がならないものなようです。でも、このすごい力の割には、人気はそれほどでもないと思うのだけれども? と呟きましたら、「そうはいっても、個人事務所で、芸能界で長い間あれだけの地位を保ち続けていられるのは普通の力じゃないでしょ。たいていは、みなどこか大きい所に所属して、守ってもらって生きているのに。」と兄さんが言うわけで、そういうものなんだー、と思うわけですが。

で、そうこうしている内に、敵も蛙の人たちもこういうわけです。朝の勝負で、私から受けた「過分の好意」に対しては、「はつ恋」で私と勝負しろ、そうして、お前の本性の狡猾さを私の前にさらけだして、彼女に見て貰え、と。そっかー、こういう場合には兄さんも私と戦わなくなるといけないんだ? と思うわけですが、ともかく昼間っから私に姿を見られたくない兄さんとしては、「曲を聴くだけにして欲しい」ということで、曲を歌詞サイトで歌詞を確認しながら聴くことにしたわけです。

で、兄さんの歌詞の特徴としては、「良くない曲」でも、ところどころに自分の気持ちを織り込んで、そこだけでも私に届けよう、という気持ちが強く込められていて、そういう傾向があることは分かるわけです。で、くだんの「はつ恋」というのは、不倫の匂いがする歌で、今はそれぞれに家庭を持っているけれども、やっぱり昔つき合っていた相手が好きで、それが「永遠のはつ恋」だっていう歌なわけです。はっはっはっ。

 

呪いその1。「友達でいられないし、恋人には戻れない」って、確かにですねえ、ここを聴いたとき、私は2番目の子のことを思い出したし、それで不倫みたいな内容の歌を聞かされて、そんなこと今更思い出したくないし、確認もしたくないって思いましたですともさ。要するに、兄さんは「2番目の子なんて、もう結婚しちゃってるだろうから諦めろ」っていう呪いの歌を、「敵に協力しなければいけない場面」にちゃっかり便乗して歌っていたわけで、私がその部分では確かに思惑通りにはまって、2番目の子に会いたくない気持ちの方を強くしたから、「3人のうち誰もでもいいから、繋がっていって欲しい」と思っていた人たちにとっては、「ひどい!」って思う内容だったわけだ。(しかも、こうやって書いていると「怒って、いじめて」って、すごい本音が聞こえてきてしょうがないんですけれどねえ。昼間っからなに考えてんですかね、Mな兄さんはーー;。)

 

呪いその2。ええと歌詞の「君が抱えていた~無意味さ」のあたり。これってまるっきり、1番目の子をののしっている歌詞にしか見えないわけで、私は1番目の子のことを長い間気が付きませんでしたから、歌詞の毒にも気が付きませんでしたけれども、「暁」にも似たような陰険なこと書いてなかったでしたっけ? と思うわけで。(しかも、どっかの病院では唐変木って言って椅子をガンガン蹴ってたでしょ。お目付役が青くなるくらいにさ、ということで。)

 

で、なんというか、最初にこの曲を聴いたときから、何かヘンな曲だな-、と思っていて、だいたいそもそも昔誰とつきあっていようが、結婚して家庭を持った人がいるなら、そちらを大切に思うのは当然で、昔の恋だけ「はつ恋」って大騒ぎするものヘンだと思ってたわけです。で、要するに「この真心を永遠のはつ恋と呼ばせて」ってところだけ、兄さんの歌詞なわけだ。要するに呪いの1曲の中で、他の二人をけなすような歌詞を書いて、自分の気持ちだけ伝えようとしていたわけで、しかもそれで2番目の子に打撃を与えることには成功したわけですから、蛙の人たちはそこを「狡猾」と呼ぶわけだ。
(彼らは彼らで、ちょっと前までは、私に「その毒蛇に巻き込まれないで下さい」って言ってたのが、今日あたりから「その男のことはそのまま踏みつけにしておいて下さい」って言ってくるわけで、なんですかねえ、あれだけ蛙の神様の勉強とか一生懸命したのに、結局みんな私のことは蛇女神のイナンナ認定なんだ? と思うわけですがーー;。)

まあ、私もですねえ、裁判の書類に本当のことも書きましたけれども、相手を蹴落とすためなら本当でないことも多少は書きましたし、そういう性悪さを「狡猾」って言われましても、蛇の性質を持つ人は、どんなに真面目に生きているように見えてもそういうしたたかさを持っているし、そうい面を発揮しても良心の呵責というものは感じにくいのではないでしょうかねえ。

でも、兄さんの「はつ恋」は2009年12月に発売されていて、その次の嵐の「MONSTER」は2010年5月に発売されているわけで、何故この時期から少しづついろんなことが届き始めていたのかといえば、それは私が「家に帰ってきてから」であったと思う。大学に入って家を出て以来、この家に帰ってきたいと思ったことは何度もあったけれども、結局そうはできない事情がいろいろとあって、帰還は2009年まで叶わなかった。そして、今でも私を家から出そうという勢力は、まず「家の中」にこそいるわけで、それを押さえ込むために、兄さんが来てくれてから、ここ1~2週間の間にしてくれたことは絶対に無視できないわけで。いいんじゃないですかね、結果オーライなら、多少狡猾でも、どMでも、と思うわけですが。