夜は夜で、兄さんに華原朋美ちゃんの「LOVE BRACE」を探して欲しいと言われましたので、探してみたわけです。この曲は、どこかどうと説明はできないのですが、これを聴くと兄さんがうれしそうなので、兄さんのお歌だと思うのです。
で、探して見て見たわけですが、なんというか朋ちゃんは歌は上手ですけれども、目の力もそれほどたいしたことないですし、全体の力もそれほど強くないと思うのです。そして、彼女は「蛇」の性質だと思う。
彼女は、闇の中で信念を持って歌い続けてくれていた泉水ちゃんと違って、なんというか、兄さんを応援したくて、「LOVE BRACE」を歌い続けてくれていたと思うのです。それは泉水ちゃんのような「信念」に基づくのではなくて、彼女がただそうしたいからやっているだけであって、そのために彼女がもし潰されてしまったとしても、彼女としてはやりたいことをやっただけだから、結局は後悔しなかったことであろう、と言うしかないのですが、でも、そっか、こうやって応援したい人のために「自分のやりたい」と思ったことを一途に計算も無く、むしろ「やってしまう」のが蛇の人たちの一途さなのだと思うのです。そして、それは蛙の人たちから例え、使い捨ての駒みたいな扱いを受けても、私を守りたいと思ってくれる兄さんの一途さと同じものなのだと思う。そういうとこ、似たもの同士だから、兄さんは朋ちゃんの曲が好きなわけだ。
原発の件の私の「一途さ」については、別にこういう「一途さ」でやっていたんではないと思います。私は何故自分がそれをできるのか分からなかったけれども、自分に何かできることがあるなら、自分しかそれができないのであれば、自分がやるべきだ、「人として」。と思ったからやったわけで、それはむしろ泉水ちゃんのような「一途さ」に近いものであって、自分がそうしているのが好きだからしているわけでもなかったし、だいたいこういう結果が待っていたと知っていたのであれば、やったかどうかは定かではないと思う。
だったら、そういう点ではやはり私は「蛙」なのであろう、と兄さんは言うわけで、私の中の両極の性質の一方は、誰がどうみても「残虐な蛇」なのだけれども、もう一方は「蛙」ならしいです。朋ちゃんのような蛇的一途さは、若い頃であれば私の中にあったかもしれない、と言えますが、なんでそれが無くなっちゃったかっていうことについては、今となってはいちいち兄さんに吠え立てられるのがちとうざいんで考えたくないって、そんな感じなわけですが(苦笑)。まあ、兄さんもちと精神的な弱さが意外なところで露呈してしまって、兄さんがへろへろになっちゃってる時に何かあれば、2番目の子はとても役に立ちますのでね。もうそれだけでもありがたい限りかとーー;。
そして、私はやっぱり、朋ちゃんが泉水ちゃんのように潰れてしまっていなくて良かったなと思います。朋ちゃんにとっても、これまでの道のりはとてもたいへんだったと思いますけれども、でも一番大切なことは「生きている」ということだから、そうしてきていてくれただけで、もうそれで充分だと思うのです。