お勉強の成果

ええと、いろんなビデオを見て勉強した結果、兄さんという方は、弱い人を巻き込んで犠牲にするのを避けるために、力の強い自分自身を駒にして使う傾向が強いし、そうすると自分で直接代償を支払わなければならなくなるので、私が「見てはならない番組」がいろいろあって、それを見てはならないとされているのは、そこで自ら「代償を支払っている」からで、そこで私の耳に入ったら二人の信頼関係にひびが入るようなことをどしどし言ってるのだと思います。ええと、「MUSIC MONSTER」で目が泳ぎながら言っていることのように。
私自身にも、もし万が一それが目に入ったときに、信頼感を続けて持てるようになるのか、壊れてしまうのかは本当には自信がないです。というか、狡猾な相手は、私が禁忌を平気で破っているとなれば、やっきになってひびが入るようなことを兄さんに言わせようとするでしょうし、それに見られていると分かって、言わねばならないことを言わされる兄さんは、それだけで「無様な姿を見せてしまった」と苦悩するでしょうから、私はその姿を見る気もないし、見たくもないです。
彼のファンになって、表に出ている彼の姿を全て知りたい、とかそういうことにはなり得ないかと。

それから、嵐。彼らのライブの映像を見て思いましたが、彼らはステージの上で、それぞれの力が突出し過ぎないように、互いに力の使い方に気を遣い合っていて、それでバランスを取る力が優れているからこそ、彼らのステージは安定した強い力が出せているのだと思います。中でも力が突出しているのは松潤ですし、目の力が強いのは二宮君であると思うし、それぞれに個性はありますけれども、全体としてはすごくバランスが取れているように感じます。SMAPは逆に全員が全力全開って感じのライブですから、そういうところは兄さんと似ていると思います。

いわゆる「ジュリー派」の戦略は全体の動きを重視しているところで、どこかに余計な負担がかかり過ぎて犠牲者が出ないように、ものすごく気を遣っているのだと思う。力がある者の方が、支払わなければならない「代償」に耐えうる力も強いから、自らを駒にしても、力ある者を前面に据えようとする兄さんと、それは異なる戦略であるとは思いますけれども、どちらも弱い立場の者を守ろうとしているという点では一致してるのだと思います。そこのところの違いは、それぞれの個性として認めてあげても良いのではないかと思いますけれどもねえーー;。

そして、今日、死の匂いがする所に近づきすぎて、「死」に触れた代償に、一人の歌姫を死においやった3人を裁け、と悪魔に要求された気がするわけですが、どうも私は「死の太母」の名前でそれを蹴り飛ばして追っ払ったようでーー;。なんですかね、魔の力を「魔の力」を持って追い払うことができるのは、相手よりも「上位の力」を持つ「悪魔」であって、そうでない限りは誰でも代償を支払わずにはいられないものなのだ、となんだかそんな風に言われるわけで。っていうことは、私も「悪魔」なんだ? (というか、「底なし」って言うお目付役がいるような気がするわけですがーー;) さんざん蛙の女神がどうのって言われて、とどのつまりはペルセポネーなんだ? それってまるっきり「アリーズ」の世界じゃん(泣)。と思うわけですが。
別に私だって、そんなに自分が全能とは全く思わないし、敵の気を浴びれば辛いと思うこともけっこうあります。でも、私は東京のあのとんでもない病院でも、いつでも代償などそれほどには支払わずに、それほど狂いもせずに、今日やったみたいに生きてきただけな気がするわけで、それが「悪魔」の力だのどうのと言われても自分でもさっぱりというか(苦笑)。
「参謀」をつけろ、彼女はただ純粋無垢なままに守られているだけの蛙の女神ではない、正しい戦い方さえ知れば負けない力を持っているから、「参謀」を取れ、と特に蛇の皆様はおっしゃるような気がするのですが。もちろん彼らが推す参謀とは、私のドゥムジしかいないでしょうから、誰もがそれで良いと言ってくれるのであれば、私もまた是と申し上げましょう。どのみち兄さんの力なくして、乗り切れないものはたくさんあるような気がするわけですが。

(だけど、本当は予定では、私はMステでお歌を送ってくれた麻衣ちゃんの曲だけで、3番目の婿のことを決めて、本人から直接お歌を送って貰うような機会を得るのはもっとずっと先だったような気がするわけですがーー;。だから、本当の意味で彼から正式に送って貰ったお歌は生き抜いてくれるように祈りと願いが込められた「生きてる生きてく」だけのような気もしないではないですが。互いに牽制し合って、そんな漠然とした状況でしか物事を進められない方が、どちらかといえば危うかったのではないでしょうか。特に私のような目しか持たない者にとっては、と思います。)