ZARDという存在

ビデオを見ている途中で、「冬の大感謝祭其十三」を見て、あの禍々しさの中で、唄っている人の目の奥にある気持ちを読み取ることができるのなら、泉水ちゃんのビデオを見て、そこに生前の彼女のどんな気持ちが見えるのか、見て欲しい、と言われたわけです。

 

で、まず「負けないで」から、検索をかけてみたわけですが、そうしたら「追悼コンサート」のフィルムライブの映像が見つかったので、見て見ました。そして、ものすごく禍々しくて気持ち悪いと思った。音源はオリジナルの歌にバックバンドの演奏をつけて流しているので、オリジナルのものでもないし、演奏している人たちは真っ黒の服装をしているし、まるでそれはまさに「死せる女神を食い散らす祭り」だと思った。(お目付役は「なんてもの見せるんだ」って言ってた気がしますが? 普通のライブですら毒々しくて禍々しいので見てはいけないものであるならば、使者の追悼ライブなんて最大の禁忌中の禁忌って気がしますのでね。)

その後、クルージングライブの映像を見て、これも禍々しかったわけですが、彼女の表情はどうも見づらい気がして、それで「負けないで」ではなくて「心を開いて」で探してみたわけです。そうしたらツアーライブの映像が見つかって、その映像も暗くて禍々しいと思った。でも、そこで唄っている彼女の目はとても澄んでいて、かすかな焦燥は感じたけれども、静かに自分がやるべきだと思ったことを気負いすぎもせず、気を抜きすぎもせず、強い意思をもってやっている人のただその「強い意思」のみがそこには見えた。そして、「心を開いて」はたぶんお歌としては兄さんの歌に近いのかもしれないと思ったけれども、何よりも彼女が私に「心を開いて欲しい」と強い願いをもって唄ってくれていることが分かった気がします。泉水ちゃんとはそういう人だったんだ、と初めて思いました。

そして、その後更に珍しく、一番目の子から「君がいたから」を探して欲しいと言われて、滅多にそういうことを言わない人の願いは聞き届けたいと思って探してみました。その曲は中居君が医学生の役で出演していたドラマの主題歌で、かつては、そして今でも心の中では一番目の子にとって、とても大切な曲だったことを私も知っているからです。そうしましたら、
「おやおや、そんなことをしていると捕まるぞ。」
と、どこかから声がしたわけです。それで分かった。これは、この私自身に対する「挑戦状」だと。こういう挑戦は、受けたら受けて立つのが私の主義なんで。私が自らの意思以外で「誰」に捕まるのか見せてやるぞ、と思うわけです。
(この辺りで、「あなた蛇になってますよ」とかいうお目付役がいたので、いったん退場願ったわけですが。上等ですな、私こそが「生と死の太母」なんじゃないの!? ってことで。)

 

そして、「君がいたから」のツアービデオも見ました。そこの彼女も「心を開いて」と同じように澄んだ強い目をして唄ってた。それから、ビデオを検索している時に、いろんな追悼ビデオの一つの右下に翔君が写っていて、なんだかとても悲しそうな顔をしていたのが印象的で(まあ、内容からいってうれしそうな顔する場面でもないわけですが)、それで分かった。

ZARDの坂井泉水ちゃんを見る限り、彼女の目の力は麻衣ちゃんには及ばないし、兄さんよりも弱いと思います。ただ、彼女の優れていたところは、その静かな強い意思だけで、どんな暴風雨の中でも萎れない意思の強さだけがそこに輝いている。兄さんの目が、絶望したくないから、絶望しない人の目であるのとは違って、彼女の目は「絶望することを知らない人の目」なのだと思います。そのくらい意思の力が強いからこそ、ああやっていられたのだと思う。だから、みんな彼女にいろんなお願いをし過ぎて、彼女がただ静かに受け入れてくれることに甘えすぎてしまって、結局はそのせいで彼女を潰してしまった。そのことが誰の心にも後悔と共に突き刺さっていて、特に一番目の子と兄さんの心に深く食い込んでいて、それがいがみ合いの原因の一つにもなっているように思います。

 

そして、私も医者である以上、そして彼女がどんな病気で死んだのか知っている以上、彼女が犠牲にした最大のものがなんであるかが想像つかないわけがない。彼女が犠牲にしたものは、兄さんと同じで「貞操」だ。兄さんは男の人であるからまだ良かったけれども、彼女はそのおかげで病魔に捕まってしまった。女の人にお願いするには酷なお願いをし過ぎて、結局は彼女を潰してしまったことを、どう「裁く」のか、と敵は私に尋ねてくる。そのような生き方は彼女にとって、どれほど苦痛であったのだろうかと思うけれども、彼女は誰かさんと違ってそれを表情に出すような人ではなかったわけだ。

だから、結局私はこう言うしかない。みんなはこう言っている。
「力の強い人は、それ故に孤高かもしれないけれども、力のない人の気持ちも分からない。彼女はそういう人生を選んだけれども、生きている時にその生き方を後悔したことなどなかった。彼女と同じように、東京のあのろくでもない場所で、どんな目にあっても、けっして自分自身を失わず、ただひたすら真っ直ぐに狂わずに、後悔せずに生きてきたあなたなら分かるだろう。本当に大切なのは、力が強いとか弱いでは無い。あの強い意思、どんな暴風の中でもひたむきに人として生きて、生き抜こうとするあの目の輝きなのであって、そのことを力が強すぎて理解できない男の子達にあなたから教えてやって欲しい。彼女の願いはあなた達がそのようにいがみ合うことではなくて、仲良くすることなのだから、それが彼女の願いであったのだから、それを聞き届けて欲しい。」
はっきり言って、こんな正論を言ったからって、悟りを開いて仲良くするようなタマなんだ? あの3人が?? そんなことするにはみんなガキすぎるんじゃないか、と私は思うくらいですがーー;。

 

だが、そういうことをみな裏で狡猾に操って、彼女を滅ぼしたことに一番大きく荷担している連中から、男の子達を攻めて裁くように言われる筋合いなんかそれっこさ「全く無い」と思うわけですが。せいぜい、私を捕まえようとしても、この程度の毒しか吐かせることしかできないと思い知ると良いのですな。

 

 

<追記>どうも、この日記を上げたらお目付役から「あなたあの一瞬で、人の腹ん中を読みましたね?」って言われたので、「それが何か?」って言いましたら、「ぞっとする」って言われました。おおい、言いたいことはそれだけなんだ@@。みたいなーー;。

あたくしの「目」は「人の気」は見えないけれども、こういものは「見える目」なんですの。この目をどう使うかを考えるために、敢えてこういう勝負を引き受けた人もいるんじゃないのですかねえ?