矢尻を調べれば持ち主が分かる

再び「天河ネタ」になりますが、確かこの漫画の中で、主人公が矢で射られて暗殺されそうになる場面があるわけです。ともかく、主人公はそういうことをされかねない物騒な状況にいるわけです。で、犯人を公の場に引きずり出したいわけですが、なにせ古代のヒッタイトを舞台にした歴史モノですから、証拠を写真に撮るとか、録音するとかできないわけです。で、証言だけだと信憑性が弱いというわけで、主人公は
「公の場に出るまで矢を抜かせない」
わけです。何故なら当時は矢も手作りですから、矢尻を箆に止めるやり方にもそれぞれの個性があるから、それを調べれば誰の矢で射られたのかが分かって、犯人も分かる、とそういうことらしいです。
で、昨日は、イナンナ女神について書いている内に一日が終わってしまったのですが、今日は今日でエジプトの獅子女神達についてせっせと書いていたわけです。で、最後に資料を纏めて、アップすれば一段落、というところまで来たわけですが、資料の方になんか「妙」なことが書いてあるわけです。
なんというか、「某神に矢のようなものが刺さった図」があるわけですが、それはどうも私の考えでは「矢」ではないわけです。だって、その図の他の場面にも「矢」の絵が描いてあるわけですが、通常描かれている矢と「矢羽」の形が違うわけです。っていうか、そこんちの「矢」には「矢羽」なんてついてないんじゃん? と思うわけで、なにせ古代の絵だから、まだ矢羽なんてつける習慣が無かったんじゃ? とかそんな気持ちになったわけで。だいたい、そこに描かれている矢の形が「投げ槍」みたいで、弓矢の原型なんてそんなもの? とかそういう感じなわけです。
矢羽を見ても、それが「誰の持ち物」なのか分かることもあるんだ? ということで、「天河」を思い出したわけです。軍神のユーリ・イシュタルの背に「矢がささってる図」そのものが非常に象徴的というか、まるで
「その矢が本当は誰のものなのか見つけて欲しい」
とでも言っているかのように思えたわけです。ハヌマーンの絵を描いていれば、ナルニア国物語の「さいごの戦い」のヨコシマなタシランとか思い出すわけですし。神話的な作り替えのヒントはあらゆるところに溢れているように思われます。そこも書いていかないといけないとすると、ますます本題をアップするのが遅れる訳ですねーー;。

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