本日は金曜日ですので、これを書くのが妥当かな、と。見ていて思ったのですが、目玉は「Let it go」だったのでしょうか。その次が氣志團くらい? と思ったわけで、氣志團も長らく活動休止してた気がするのですが、いつの間に再開したのでしょうか、という感じです。
そして、思ったのですが、最近「アンと花子」という「赤毛のアン」とその翻訳者の物語とか、「アナと雪の女王」とか、なんだかメディアに「アナ」とか「アン」という言葉が目立つように思ったわけです。で、これは両方とも女の子の名前です。でも「アヌンナキ」の「アヌ」が男性で「コロン(エンキ)」を略したものだとすると、「アナ」とか「アン」も「コロン」の省略版ということになります。
で、May J版「Let it go」を聴いたわけですが、確かに歌は上手いと思います。でも、背景が真っ青の上に水色のドレスで「自由、自由」って言われるわけです。「青」は西洋では古代よりラピスラズリの色、ということで高貴な色でもあり、「太陽女神」の象徴にも使われる色で、それがまたいろんな意味へと変化していったのが西洋の神々なわけです。そして、西洋の「自由」という言葉の起源は「奴隷」の待遇をちょっとだけ良くして「奴隷じゃないと思わせる」ための方便に使われる言葉ともいえます。その象徴は円錐形のピレウス帽ですが、実際に「自由」「自由」と連呼だけするのは、ピレウス帽など被らず、高貴な青で身を包んだ人々だったわけです。May Jも当然帽子なんか被っていなかったわけで、どうも青い服でそんな歌歌われて、しかも主人公の名が「女コロン」というのは、倫理的にどうなのでしょうか? みたいなーー;。ともかく、いろんな言葉の意味を知ると、あんまり楽しくない歌な気がするわけです。
一方の「赤毛のアン」ですが、孤児のアンを引き取ったのは、マシュウ・カスバートとマリラ・カスバートという「M」のつく兄妹なわけですが、この「カスバート」というのはヒエログリフを見るに、古代エジプト語における「ラピスラズリ」のことのようです。「マ」のつくラピスラズリの蛇のシューとリラ(要するにフフやクク)が女コロンを育てるというそういう話ですか? これ? みたいな。作者のルーシー・モード・モンゴメリーって、牧師の妻だということは知っていましたが、なんというか古代エジプト神話の達人でもあったように思えてならないわけです。しかも大きくなったアンが結婚するのは幼なじみの「医者」です。なんでそんな展開にしたのか、モンゴメリがいたら聞いてみたいとか、本当にそんな感じなわけですが。(しかもアンは思い切り晩婚であった気がする。)
どうも最近は「コロン」的名前が多い上に、「青」とか「自由」とか「ラピスラズリ」という言葉がついて回っている気がします。でも、私が探しているのは、ラピスラズリなんか持てなかった庶民のシューであり、ヘケトであり、ヘパトなのです。
そういえばRihwaというお姉さんもMステに出ていましたが、これは「R-W」→「K-B」でヘパトに通じるお名前ですねえ、と思うわけです。だいたいJUJU姐さんが出たあたりから、アルファベットの名前の女の子のアーティストが増えた気がしますがMay Jの「J」ってどういう意味でしょうか? とか考えてしまうわけです。5月の「J」って、メイデイ(May Day)のこと? という気もしますが、なんというかたいていみなさん、神話的に意味深な名前な気がするわけです。miwaちゃんなんかは「三輪山」の「miwa」ですしねえーー;。
そして、最後に珍しく来週の予告が流れたわけですが、平井堅君が「家族になろうよ」を歌うとかで、え? とか思ったわけです。どうやらこの曲も入ったカバーアルバムを出すそうで、そのプロモーションの一環だと思うのですが、これは大抵の人は知ってると思いますが福山君の曲です。
ほぼ1年前にとあるところに、とある講演を聞きに行ったわけですが、それを聞いた次の日に、とあるお店で丁度背景に流れていたのが平井堅君の「いとしき日々よ」だったわけです。で、うちの親なんかが
講演の演者と平井堅君のイメージが似てる
とか言うものですから、相乗効果でどちらも覚えていたわけですが、今度は「家族になろうよ」を歌うんだ、へー、みたいな。気になってカバーアルバムの内容を見てみましたが、長渕剛の「順子」もカバーするとか。この曲は私の子供の頃に流行った曲ですが、「じゅんこ」という名前には純子とか淳子とか潤子とか、いろんな書き方があるわけです。個人の名前がタイトルになる曲も珍しいですが、なんでこの漢字の「順子」をわざわざ選んだろう? とかちらと思ったことはあります。こちらの方は堅君版を特に聴きたいとは思いませんが、なんだか不思議な選曲だという気がしたものですからーー;。(どうも曲順は「家族になろうよ」の次が「順子」であるらしい。なんでその順番? という気もしないでもないわけですが)
月別: 2014年4月
女々しいゼウス
ギリシア神話の主神ゼウスには2通りの綴りがあります。一つは「呼格」といって、要するに
「ゼウスよ!」
と呼びかける場合の綴りで、Zeûと書きます。古代ギリシャ語には格がいくつがあるようですが、それ以外の格はだいたい「Di-」で始まります。Diosというのは、属格(ゼウスの)を現す書き方のようです。格によって綴りが微妙に違うのは、
格によって起源となる神の名が違うのではないだろうか
という気はなんとなくしていたのですが、今回改めて真面目に考えてみました。ゼウス(Zeus)の「Z」という子音は本来「S」という子音が濁ったものと思われます。そうすると「Seus」とか「Sius」という綴りにも成り得ます。それで気が付いたのですが、ヒッタイトでは「神」を指す言葉を「Siu」というのです。それに太陽女神の別名を「Sius」という情報も一部にあります。あら、そこから来た名前なんだ、これ? と思うわけです。で、シウス(Sius)という言葉をインターネット検索してみると、どうもユーピテルとか、ゼウス(Dios)と同じ言語系統の名前だ、みたいに書いてあるサイトが多いわけです。
え、でも「S」は普通あまり「D」とは交通性が無い子音のように思うのですが、印欧語的には文法が崩れてなまってるのかしら? とか思うわけです。で、よくよく調べてみるに、どうやらフルリの「年」を現す言葉は「Siw」というらしいです。で、ヒッタイトで「神」を現す言葉は「Siu」というのです。
「年」を現す言葉は、エジプトで「Repit」ですから
レピト(エジプト)ーシウ(フルリ)
となるようです。フルリ人はパレスチナ方面にも進出していましたから、言語的にはエジプトと連続性があっても不思議ではありません。でウガリットの太陽女神を
シャプシュ(Shapash)
といいます。シウ(Siw)の「w」は「p」と交通性がありますから、シウとシャプシュは「同じもの」ということになります。
で、これがヘバト(Hebat)女神とおなじもの、ということになりますと、ヒッタイトにおけるシウ(Siu)というのは、「神」であり「年」であり「太陽女神」であり「シェン・リング」を持つということになります。古代エジプトのレピト女神とほぼ同じです。
要するに、ゼウス(Zeus)って、「Hebat」のことなんじゃん? と思うわけで、もう一つの名前の「Dios」がタウエレト女神由来だとすると
どちらも「女神」に由来する名前じゃん!!!
ということで、どうも頭の中で「某金爆」の
「女々しくて~」
という歌声がぐるぐる回るわけですーー;。だったら、ミノタウロスみたいに
シャプシュディオス
みたいな名前にすれば良かったのに。と思うわけですが、これが後にはけっこう冗談にも洒落にもならない事態を生み出すわけです。
それだものだから、「神が男である」と言い張りたい人々は、ヘバト女神が「女神」であることを隠すのです。自分とこの神サマがどこを向いてもオカマの河馬だとは言いたくないわけだ、やれやれーー;。
こぼれネタの回収
スラヴの主神ペルーンというのは、「PN」とか「BN」という子音でくくられる神の名ですので、ケルトの馬の女神エポナとか、トラキアの月女神ベンディース等と同系統の名前です。でもって、やっとたどり着いた、という感がしますが、フェニキアとフェニックスとも同じ系統である、ということになります。要するにペルーンがスラヴにおけるコロンで、フェニックスも男性形なら「コロン」と同じもの、ということになります。
本当にこれでやっとこさ、コロンとフェニックスとホルンの「ボス」にたどり着いたわけです。
「ボス」という言葉は英語では「上司」みたいな意味になりますが、ボスニアという地名とかに残されている起源の古い言葉です。「BS」で縮められるこの単語は、「B」が省略されると「OS」という言葉になりますので、オセット族とか、ゼウス(Di-Os)の後半部分にかかってくる言葉だと思われます。ユーピテルが「父なるD(DBT)」で、ゼウスが「オセット族(Ossetians)」要するに「Osse-tia」の逆バージョン「T-oss」ということになります。そもそも「ゼウス」という名が「オセチア」と同じ言葉なわけです。オセット族はコーカサスに住んでいる人々ですし、プロメーテウスの肝臓を食らうゼウスは「コーカサスの鷹」として現されますので、要するに
ギリシア人の先祖の中でもゼウスを主神に持っている人々は、オセット族の末裔
ということになります。そして、被征服者の帽子を被るイタキ島の王オデュッセウス(Odysseus)は「Od-sseusu」となるわけで、この場合は、後半部分の「セウス」が「ゼウス」と連続性があるのだと思われます。「Od」という言葉は、「Vd」の省略形で、北欧に行くと主神オーディンの名前、インド方面へ行くとヴェーダ(Veda)という「聖典」の名前に変化します。「ヴェーダ」という言葉は元々「知識」という意味ですが、オデュッセウスは「トロイの木馬」を考案した悪賢い王ですし、北欧神話のオーディンは「知恵の神」ですので、「Od」というのは「悪い方に賢い知恵」というような意味を持つ言葉と思われます。要するにオデュッセウスというのは「賢いゼウス」というような意味で、元は「賢いオセット」という意味でもあったのだと思います。どうやらギリシャでは、「賢い」という形容詞が取れた方が神サマになって、形容詞が残っている方が伝説上の王サマになったとーー;。
で、このオデュッセウスが、エトルリア人と一緒になってヒッタイトを攻撃したとすると、文化的にはアテナイを形成した人々よりは、元々エトルリア人に近い人々の王であり神であったと思われるわけです。距離的にもスパルタ・イタキ島の方がイタリアに近く、イタリア南部と文化的に連続性があると思われます。(それに加えて、スパルタを形成したドーリア人はアテナイを形成したのと同系統の先住アカイア人を非常に弾圧しましたから、そもそも元々同じギリシャ人である、なんていう意識はスパルタの側には乏しかったと思われます。)
で、後のローマ人は、ユーピテルとゼウスは「同じもの」と主張したわけですし、ユーピテルというのは「父なるD」ということですから、それが「オセット族」を意味する「ゼウス」と同じものであるということは、「父なるオセット族」と言っているも同然です。ローマ形成の中核となったラテン人がオセット族の直接の末裔であったかどうかはやや疑問ですが、ローマに同化したエトルリア人の先祖は、スパルタと同系統と考えればエトルリアの「父なる神」は「ユーピテル・ゼウス」でも良いのかな、と思います。(ただし、ローマは狼信仰なので、文化的にはトラキア・ベンディースに近い気がするわけですが)
一方、「オセット」の語源ですが、これが「T-oss」となって、「タウロス」となりますと、その直節の語源は古代エジプトの女神「タウエレト」になると思われます。どうも、古代エジプトにおいては、ミン神(男)とタウエレト女神(女)は別々の神であったのに、クレタ島で習合したら
牡牛の化け物の神サマ
になってしまったという操作が行われているようで、「オセット」という言葉の起源が「タウエレト」で、
馬鹿の神サマ ではなくて 河馬の神サマ
であった、とそういうことになるようです。ま、それはともかく、ミノタウロスとは「ミン+タウエレト」ということで、そもそもこの言葉はこの1対の男女神がクレタ島の祖神であった、というような意味を持っていたのかもしれません。それが広範囲に広がった後に、今度は「T」音が「D」音に変化して再びギリシャ方面に侵入したものが、ゼウスやユーピテルを擁する人々であったと思われるわけです。要するに
「タウロス」という言葉は、エジプトからクレタ島経由で広範囲に拡がり、
カフカスの山中で、「D」音に変化した後に、各地に攻め込んだ、
とそういうことになりそうです。だから、カフカス、クリミア、トルコには「タウロス」という古い言葉が残っているわけですが、「D」音に変化した後に攻め込んだ先では、ゼウスとかユーピテルとか、ディーヴィーとなっているのだと思われます。
で、ユーピテルの配偶神ユーノーもついでに書きますが、ユーノー(Juno)は「D-N」から変化した言葉ですので、要するにダイアナ・ディナ系の女神ということになります。ディアーナ女神は月神ですが、ユーノーに近い名は、ドン川、ドナウ川、ケルトの神デ・ダナーン、ケルトやインドの女神ダヌなどなわけで、あまり良い子音を持たない女神ではありますが、特に女神の場合
水源の神
という意味の強い神となっています。だから「ディアーナ殺し」ということに、なにがしかの宗教的意味があるとすれば
水源の女神を殺せ
という、そういうことになるわけで、蛇の女神であっても水源の女神である「D-N」の女神達は、首狩族の
「水源の蛙女神を殺せ」
という信仰の変形バージョンで、「水源の蛇女神を殺せ、というバージョン」の一翼を不運にも背負わされることとなってしまっているわけです。ということは、コロン神を
首狩族の神
に変形してしまっている人々の信仰においては、川の太母でさえあれば
「ユーノー」であろうが「順」であろうが、「川の太母」であるものを殺せ
と、そういうことにもなっていると思われ、非常に剣呑な思想に繋がっているということになりそうです。
ま、それはおいておいて、タウロスというのは元々「女神」なわけで、そういえば、誰か最後に「フェニックス」の役を
女の子に押しつけようとしてた人がいたな、
と思い出したわけで。夜中の11時に、「本日、ビデオ発売」って言われましても、
それを見て、その日のうちにビデオ買いに行く人はさすがにいないだろうと思われるのに、何故わざわざ「本日」をつけるの?
とか、思わず深夜に突っ込んでしまった私がいるわけです。深夜の「父なるコロンのボス」って、それは「バチカン」のことですか? って、ようやくここまでたどり着くのに1ヶ月近くかかったわけです。まあ、なんとか辿りつけたようですが。本当に世の中、無駄なこと、は言わない人というのもいるようですーー;。
DV男の起源
ギリシア神話の主神ゼウスは、Diosと綴ります。「o」という音は「u」「w」「v」という音に近くて、神名としては「b」という子音に由来しますので、Diosという綴りは
Di-os → D(i)-B
というのが本来の音であったと思われます。印欧語族的にはこれを
DivaとかDivi
として
「D-V」あるいは「D-W」あるいは「T-W」
とすることが多いのです。ということで、ローマのディヤウス、ギリシャのゼウス、北欧のチュール、インドのディーヴィー&ディーヴァとなるわけです。ここまではwikipediaにも書いてあります。
でも、そこで「不自然だな」と思うわけです。
ローマ、ギリシャ、北欧は同じヨーロッパの内ですから、各地に似たような名前を持つ神々がいても不思議ではありません。文化というものは、直接、間接に連続的に伝播していきますから。でも
ヨーロッパとインド
では遠すぎないですか? その間の中近東地域等を穴埋めするものは???
と思うわけです。せめてカフカスあたりまで連続性がないと、山を下りてイラン高原を抜けてインドに攻め込んだ、っていう歴史文化の連続性に繋がらないからです。イランにもDV男な神的存在はいますが、
どうみても名前どおりの悪神
ですので、ヨーロッパ方面の持ち上げ方と方向性は異なりますが、同系統の神々がいることは分かっているわけです。で、気が付いたのですが、
「D」は「T」と交通性がある
わけです。ということは
「T-U」あるいは「T-V」あるいは「T-V」
となる神々の群がいないかな、となるわけです。そうすると、うってつけのがいるわけでそれが
クレタ島のミノタウロス(Minotaur)
となるわけです。実際クレタ島はゼウスと縁の深いところで、父親のクロノス(Cronus)に食べられそうになった幼いゼウスは、この島に隠されて、山羊の
アマルティア(Amalthea)
の乳を飲んで育った、と言われているわけで、アマルティア(Amal-thea)という名前の前半は、コロン(Choron)の短縮形です。要するにゼウスを食べようとするのもコロンなら、育てるのもコロン、という具合にゼウスとコロンの縁は深いのですが、それはおいておいてミーノータウロスです。
この牛神の名は「Mino-taur」で、「Min」という前半部分はエジプトの月神ミン神の名ですから、この名は「ミンのタウロス」、要するに「月のタウロス」というような意味になります。このタウロスがゼウスと同じ語源ということになりますと、タウロス系の地名というのは、
アナトリア半島のタウロス山脈、クリミア半島の古名タウリカ、そして、カフカスの太陽鍛冶神トレプシュ
と繋がるわけです。これで、黒海の北を回っても、南を回っても、ヨーロッパの
神食いDV神
はカフカス経由で、イラン方面に攻め込んで「悪魔」と言われて嫌われ、かつインドを征服して「神」となった、と分かるわけです。しかも、クレタ島のミノタウロスといえば、ギリシャの若者達を生贄にして食べちゃったという伝説のある化け物ですし、クリミア半島のタウリカ信仰は、
そこにやってきた人たちの首を狩って、棒に指して飾って家の守り神にした
というすごい信仰で、しかもその祭祀を取り仕切った伝説的な女性の名が
イーピゲネイア(Iphigenia)
というわけです。この名は「I-phi-genia」とでも分解できるわけで、後半は「G-N」という子音、要するにコロンに繋がる子音を持つ、というわけで、月の女神と関連性の深いこの女性の名前にも「コロン」が住んでいるわけです。なんで本来男性神であったコロンが女神に変更されたかというと、少なくとも一つの要因として
月の男性神に仕える祭司者に女性を任命した
という歴史的事実がわるわけです。これはアッシリアのサルゴン大王が娘のエンヘドゥアンナ(Enheduanna)(紀元前2285年頃~2250年頃)を月神シンの祭司者に任命した、という事実に基づいているわけで、この女性の名は「En-he-duan-na」とでも分解できるわけで、女性の名ですが、前半はお魚エンキ(En-ki)に近い名なわけで、後半は「D-N」という子音になりますから、
西洋方面の月の女神の
ディナ、ダイアナ、テミス、アルテミス
という名は、「月の神に仕える女性祭司」であったこの女性の名から派生したものなのではないか、とも思います。本来祭司者であったものが、「月の神は女神」に変更された時点で、「月の女神」に変更されてしまったのかもしれません。だから、イーピゲネイア(Iphigenia)という女性も、本来はクリミア半島の男性形の月神であったかもしれないと思うわけですが、月神が女性に変化した時点で、女性に変更されたものなのかもしれないと思うわけです。
で、彼にしても彼女にしてもこのコロンの親戚の人物が仕えたのが
月のタウロス
という神で、これが人の首を狩る上に、それを守り神にするのが好き、という凶悪な人殺し神様だったわけです。エジプトのミン神はここまで凶悪な月神ではなかったのですが、エジプトを一歩出て、クレタ島からクリミア半島にかけては、このような凶悪な
タウロス・ゼウス・DV男信仰
があったようです。要するに、コロンというのは、古い形式ではお魚エンキや、クヌム・ミンという神々と同じものでそれほど凶悪な神ではありませんでしたが、
ヨーロッパ方面の首狩り族
の文化に取り込まれた時点で、凶悪で巨悪な悪神へと変わったものと思われます。エジプトやメソポタミアで元は高い地位にいただけに、取り込まれた先でも「重要な月神」としての一画を占めざるを得ないこととなったと思われます。一方語源的には、コロンとはやや方向性の異なる
タウロス・ゼウス・DV男
は、クレタ島において、「月神」つながりでミンと習合してしまいましたので、ミン=クヌム=コロンと同じもの、という扱いを受けて
コロン・ミンから変化したクロノスと、タウロスから変化したゼウス
は、良くも悪くも近い存在(クレタ島では同じもの)とされてしまっているのだと思うわけです。
仮面の女神その他
茅野市の中ッ原遺跡から出土し、国宝に指定された縄文時代後期前半の「仮面の女神」が話題のようですので、それについて書いてみます。
茅野市の周辺は縄文時代にいち早く農耕(水稲耕作ではない農耕)が始まった場所ではないかと言われています。また、八ヶ岳山麓の黒曜石、糸魚川の翡翠は太陽信仰を象徴するもので、あちこちに輸出されて、この辺りは縄文時代の「国際文化」の中心地域として栄えていました。これを確か「日本海文化圏」とか言ったと思います。で、これが山梨県や関東一円を中心に広がっていました。(北端は函館あたりであったらしいです。)
そもそも翡翠を珍重するのは遼河文明の特徴です。遼河文明の「首狩り翡翠文化」は割と早い時代から黄河文明と入り交じったわけです。一方黄河文明の方は、更に南の長江文明圏から「農業文化」の影響を受けています。でも、これも必ずしも水稲中心の農業ではなかったわけです。
要するに、水稲耕作ではない農業と、翡翠を珍重する文化は、黄河かつ遼河文明の影響を受けていて、縄文時代の国際センター諏訪盆地に持ち込まれたものはこれに相当するわけです。で、これらの文明は人間の首を狩って神サマに犠牲を捧げるのも好きでしたが、そもそも
長江文化圏の農耕神を殺して豊穣を得よう
というどうしようもないものだったわけです。
中国神話における、盤古、炎帝神農、蚩尤あたりが最終的に死ぬのはこの文化から派生したものと思われます。要するに、これは後に黄河&遼河文明の最初の集大成である殷が、炎帝神農の子孫羌族の首を狩るという
歴史的事実
につながるわけです。要するに、羌族は母系社会ですので、炎帝神農とは
女神
なわけです。この女神を殺して豊穣を得ようと言うのが縄文の首狩り文化ですので、それでこの女神の像は脚を1本取り外されて、基本的にはお墓に埋められて
殺されて
いるわけです。殷の祭祀でやっていたことの日本版といえます。で、日本にくるとこれらの
殺神神話
は、
安曇野の八面大王、戸隠の鬼女紅葉、八岐大蛇と奇稲田姫 等
に変化するわけで、弥生時代に入って羌族の末裔が大規模な水稲耕作をこの国に持ち込んで、奇稲田姫を救出するまで
各地で女神は殺され続けられていた
わけです。で、その祭祀は諏訪大社の「蛙狩神事」として現代でも残っているわけです。なぜなら、諏訪大社の祭祀は起源がとても古くて、縄文文化を割と色濃く残しているからです。
だから、どうも縄文の女神が
どういう女神なのか分かっていてもあまり語りたくない
わけですが。ただ、新聞に「仮面の女神が目玉」みたいに書いてあったものですから、
確かにその女神は「目玉」の女神ではあるのですけれどね
と思ったわけです。要するに「仮面の女神」の最古の姿は炎帝神農かつ西王母なわけです。コロンな耳の夫を回収するためにどうも私としては忙しいので、縄文の女神を語れるまでにはまだまだ時間が必要そうですーー;。