ギリシア神話の主神ゼウスは、Diosと綴ります。「o」という音は「u」「w」「v」という音に近くて、神名としては「b」という子音に由来しますので、Diosという綴りは
Di-os → D(i)-B
というのが本来の音であったと思われます。印欧語族的にはこれを
DivaとかDivi
として
「D-V」あるいは「D-W」あるいは「T-W」
とすることが多いのです。ということで、ローマのディヤウス、ギリシャのゼウス、北欧のチュール、インドのディーヴィー&ディーヴァとなるわけです。ここまではwikipediaにも書いてあります。
でも、そこで「不自然だな」と思うわけです。
ローマ、ギリシャ、北欧は同じヨーロッパの内ですから、各地に似たような名前を持つ神々がいても不思議ではありません。文化というものは、直接、間接に連続的に伝播していきますから。でも
ヨーロッパとインド
では遠すぎないですか? その間の中近東地域等を穴埋めするものは???
と思うわけです。せめてカフカスあたりまで連続性がないと、山を下りてイラン高原を抜けてインドに攻め込んだ、っていう歴史文化の連続性に繋がらないからです。イランにもDV男な神的存在はいますが、
どうみても名前どおりの悪神
ですので、ヨーロッパ方面の持ち上げ方と方向性は異なりますが、同系統の神々がいることは分かっているわけです。で、気が付いたのですが、
「D」は「T」と交通性がある
わけです。ということは
「T-U」あるいは「T-V」あるいは「T-V」
となる神々の群がいないかな、となるわけです。そうすると、うってつけのがいるわけでそれが
クレタ島のミノタウロス(Minotaur)
となるわけです。実際クレタ島はゼウスと縁の深いところで、父親のクロノス(Cronus)に食べられそうになった幼いゼウスは、この島に隠されて、山羊の
アマルティア(Amalthea)
の乳を飲んで育った、と言われているわけで、アマルティア(Amal-thea)という名前の前半は、コロン(Choron)の短縮形です。要するにゼウスを食べようとするのもコロンなら、育てるのもコロン、という具合にゼウスとコロンの縁は深いのですが、それはおいておいてミーノータウロスです。
この牛神の名は「Mino-taur」で、「Min」という前半部分はエジプトの月神ミン神の名ですから、この名は「ミンのタウロス」、要するに「月のタウロス」というような意味になります。このタウロスがゼウスと同じ語源ということになりますと、タウロス系の地名というのは、
アナトリア半島のタウロス山脈、クリミア半島の古名タウリカ、そして、カフカスの太陽鍛冶神トレプシュ
と繋がるわけです。これで、黒海の北を回っても、南を回っても、ヨーロッパの
神食いDV神
はカフカス経由で、イラン方面に攻め込んで「悪魔」と言われて嫌われ、かつインドを征服して「神」となった、と分かるわけです。しかも、クレタ島のミノタウロスといえば、ギリシャの若者達を生贄にして食べちゃったという伝説のある化け物ですし、クリミア半島のタウリカ信仰は、
そこにやってきた人たちの首を狩って、棒に指して飾って家の守り神にした
というすごい信仰で、しかもその祭祀を取り仕切った伝説的な女性の名が
イーピゲネイア(Iphigenia)
というわけです。この名は「I-phi-genia」とでも分解できるわけで、後半は「G-N」という子音、要するにコロンに繋がる子音を持つ、というわけで、月の女神と関連性の深いこの女性の名前にも「コロン」が住んでいるわけです。なんで本来男性神であったコロンが女神に変更されたかというと、少なくとも一つの要因として
月の男性神に仕える祭司者に女性を任命した
という歴史的事実がわるわけです。これはアッシリアのサルゴン大王が娘のエンヘドゥアンナ(Enheduanna)(紀元前2285年頃~2250年頃)を月神シンの祭司者に任命した、という事実に基づいているわけで、この女性の名は「En-he-duan-na」とでも分解できるわけで、女性の名ですが、前半はお魚エンキ(En-ki)に近い名なわけで、後半は「D-N」という子音になりますから、
西洋方面の月の女神の
ディナ、ダイアナ、テミス、アルテミス
という名は、「月の神に仕える女性祭司」であったこの女性の名から派生したものなのではないか、とも思います。本来祭司者であったものが、「月の神は女神」に変更された時点で、「月の女神」に変更されてしまったのかもしれません。だから、イーピゲネイア(Iphigenia)という女性も、本来はクリミア半島の男性形の月神であったかもしれないと思うわけですが、月神が女性に変化した時点で、女性に変更されたものなのかもしれないと思うわけです。
で、彼にしても彼女にしてもこのコロンの親戚の人物が仕えたのが
月のタウロス
という神で、これが人の首を狩る上に、それを守り神にするのが好き、という凶悪な人殺し神様だったわけです。エジプトのミン神はここまで凶悪な月神ではなかったのですが、エジプトを一歩出て、クレタ島からクリミア半島にかけては、このような凶悪な
タウロス・ゼウス・DV男信仰
があったようです。要するに、コロンというのは、古い形式ではお魚エンキや、クヌム・ミンという神々と同じものでそれほど凶悪な神ではありませんでしたが、
ヨーロッパ方面の首狩り族
の文化に取り込まれた時点で、凶悪で巨悪な悪神へと変わったものと思われます。エジプトやメソポタミアで元は高い地位にいただけに、取り込まれた先でも「重要な月神」としての一画を占めざるを得ないこととなったと思われます。一方語源的には、コロンとはやや方向性の異なる
タウロス・ゼウス・DV男
は、クレタ島において、「月神」つながりでミンと習合してしまいましたので、ミン=クヌム=コロンと同じもの、という扱いを受けて
コロン・ミンから変化したクロノスと、タウロスから変化したゼウス
は、良くも悪くも近い存在(クレタ島では同じもの)とされてしまっているのだと思うわけです。
ちなみに現代用語のDVとは
ドメスティック・バイオレンス(domestic violence)=家庭内暴力
の略です。古代の言葉と比較しますと
domesticは「Do-mes-tic」となるわけで、「ms」というのはメソポタミア的には「蛇」ということですので、いわば「蛇のD」とでもいうような意味になります。
一方、violenceは「Vi-ole-n-ce」とでもいうのでしょうか。これは厳密には、「B-ber-n」とでも変換して、「Bのペルーン」(ペルーンというのはスラヴ神話の主神かつ雷神です。要はギリシャのゼウスに相当します。)
ということで、超訳すれば、語源的には
「蛇のゼウス、輝けるペルーン」
という意味にでもなるかと。(Bという接頭辞は、メソの太陽神バッバル、フェニキアのバールなんかと同系統の言葉ですので、「輝く」とか「美しい」と意味にもなりえます。blightの「B」、beautyの「B」です。)
語源的にも意味的にも、「DV男」というのは、ゼウス、タウロス、ペルーンあたりを指すのにぴったりな言葉だと、個人的には思われるわけですが。
余談ですが、ユーピテルは「DBT」に分解できますので、「D-BT」とでもできるように思います。で、「BT」というのはそのままラテン語の「父」に変換されますので、これは「父なるD」ということになります。だから、バチカンというのは、「父なるコロン」ということになって、月神でかつ、コロンとゼウス(Dios)が同じものだと、「父なるD」と「父なるコロン(すなわち「バチカン」)は同じものということで、バチカンというのは、キリスト教前にはユーピテルの聖地であったと思われます。ユーピテル・コロンすなわち、人食いユーピテル・クロノスとなるわけです。こんな地名を変えもせずにそのまま使ってる「神経」そのものがどうなの、と思うわけですがーー;。
一方、古くにタウリカと呼ばれたクリミア半島は、古い名前と、そこにあった文化もろくなものではありませんが、今のクリミア(Crimea)という地名はおそらくタウリカと呼ばれた文化を形成したキンメリア人(Cimmerians)に由来すると思われます。どちらも「C-M」で構成される子音を持っており、コロン信仰を持っていた人々だと思われます。おそらく彼らの月神も、タウロス・コロンと言ったので、前半を地名に、後半を部族名にしたのでしょうが、後半部分が後に地名へと採用されたのでしょう。キンメリア人がその地を去って遙かに時間がたつのに、そこにも現在でも未だに不吉な神の名が地名で残され、人々は争うようにしかし向けられていないように思われます。
現在のクリミアの問題は、ソ連が穀倉地帯であったウクライナを支配していた時に、穀物を強硬に奪って地元住民を大量に餓死させたことに始まります。そのため、第二次世界大戦でウクライナは親独的な政策をとったため、戦後報復としてロシアは親独派だった人々を中央アジアへ強制移住させ、その代わりにロシア人をクリミア半島に送り込んだわけです。こうして、ウクライナ人の中には反露感情が生じやすい要因が重なったため、反露的な人々は現在では親欧米派になるわけです。しかし、かつてソ連から送り込まれた人々が親露派になるのは当然です。
農業を弾圧して穀倉地帯を破壊し、敢えて原子力発電所を作るような所業を繰り返す裏には、農耕文化に対する嫌悪というよりも憎悪と軽蔑心がかいま見えるように思います。彼らを餓死者が多発するという絶望的な状況に追い込んだ上に、カトリックと仲のよろしかったナチスと手を組むようにそそのかした者がもし仮にいたとすれば、それは
農耕文化を嫌悪し、憎悪し、軽蔑しているもの
だと思われてなりません。それはともかく、そのような者がもし存在していたとしても、彼の者の吹く笛に踊らされてはならないのだと思います。現在のウクライナの騒乱は、今に始まったものではなく、第2次世界大戦の前から、いつでも火種になれるようにと「仕込まれていた」ともいえる印象を受けます。ウクライナに住む者は全てウクライナ人であって、ウクライナ、ロシアを問わず、直面している問題を全体で協力して解決する問題として見れなければ、親欧米派が勝てば、西欧社会で一番貧しいウクライナ、親露派が勝てばロシアの中で一番貧しいウクライナ、から抜け出すことは難しいと思うのです。
だいたい、大規模なデモとか、公共機関の占領なんて、一日や二日で計画して実行できる問題ではありませんので、裏で纏めている存在は必ずあると思えます。でも全てのウクライナ人がそんなことを望んでいるとは思えません。扇動しているものに煽られず、平和と友情を保つのに何が必要なのかを冷静に考えてみて欲しいと願わずにはいられないのです。