個人的には
「ゴーストライター」よりも「コピペ」が気になるお年頃
なわけですが。学術論文なんて、みんなどんぐりの背比べというか、似たような研究をしている人たちは人たちで、
誰がどんな細かな発見を最初に発見した
とか、
どこのこういう点で新発見があった、と重箱の隅をつつくようなことする
とか、そういう世界の気もしないではないわけで、
似たような研究をしているけれども、目的とか成果がちょっと違うだけ
なんてレベルの論文では、「参考文献」的に、人様の論文をコピペしようが、自分で人様の文章を参考にしつつ新たに書き起こそうが
何か展開に違いがあるんですか?
とそう思うだけだと思うわけです。要するに大事なのは結論と、そこに至るまでの理論とか、実験結果なら手段とか手法が正確であるか否かであって、
コピペかどうかなんてむしろどうでもいいんじゃ?
とか思う私もけっこう理系社会脳なのかもしれませんがーー;。(でも、コピペしたら参考文献には挙げるべきだと思いますけどね。というか、そんな文章をチェックもできずに雑誌に載せる編集側も恥さらしだ、とか思ったら手厳し過ぎるでしょうか? だって、ああいう論文って、雑誌側にも専門的にチェックする人はいるんだよねえ?? 漫画雑誌だって投稿作品を無制限に載せるわけではないご時世だというのに? とか思うわけでーー;。)
比較神話学とかやっていると、
神サマのコピペ
に目が点になったり、新たな発見が日々あったりするわけですが。朱蒙って炎帝神農関係者なんだ? まるっきり
羌族神話
の関係者なわけだーー;。というわけで、東アジアにおける、比較神話学の偏りさ加減に愕然とすることもあるわけです。でも、そういうこともせっせと「資料をコピペ」しないと発見できないわけで。現代社会においてはどんな分野であれ、知識や情報を収集するためにはある程度の「コピペ」は必須だと思うわけです。
日常生活は日常生活で、ちょっと出かけると
平日の昼間だったら、普段車なんか通りそうもない田舎の鄙びた国道で、対向車が数珠繋ぎに出る
とか、「日常生活の方が超常的」みたいな感じなわけですがーー;。無事に乗り切れていけたらいいな、と思います<(_ _)>。