これは日本でも有名な作品なわけですが、煎じ詰めていうと、ルイ13世から14世にかけて仕えた「ダルタニャン」という人物をモデルにした、フィクションで、ダルタニャンと彼の親友の「三銃士」との主に友情の物語なわけです。たしか、彼らの標語が
「一人は全てのために、全ては一人のために」
というもので、これも日本では有名だと思います。で、実はこれはフランスでも有名な物語で、「ダルタニャン物語」という、「ダルタニャン」の伝記物語なのです。要するに、フランス語版では、主人公ダルタニャンが人生という冒険に乗り出してから、死ぬまでが描かれている一大大河物語なのですが、何故か日本では、彼の最初の冒険の部分だけが「三銃士」として有名になっているように思います。確かフランスでは、話の全てが上下巻くらいに分かれて分厚い本で売られているとか、読んだことがある気がします。
この物語の全訳が昔日本語版でも出されていて、それを復刻したものがブッキングで出された時に買ってみたわけです。でも、買った当時は忙しくてあまり読んでいる暇がなくて、で、最近になって、全巻通して読んでみたわけです。で、そこで改めて目に止まった標語があるわけです。曰く
「イエズス会の総長になることは、全世界を動かす人物となることだ。」
で、この物語では、「イエズス会」というものが、西欧社会でどういうものと考えられているのかも書かれているわけです。なんだか、ずいぶん
おどろおどろしい感じ
です。この物語は西欧でも有名な物語で、昨日今日出たものでもないわけですから(デュマというのは日本でいえば江戸時代末期の人なわけですので)、西欧の人にとって、
この物語の中のイエズス会像って違和感のないもの
なんだと思うしかないわけです。おそらくダルタニャン物語の中で、一番衝撃を受けたのはまさに、「その点」だったわけです。そして、改めて、何故日本では、全巻通した出版ではなくて、最初の話である、「三銃士」のみであることが多いのだろう? 西欧で、「常識的」なものとなっている「イエズス会」の姿を知られたくないから??
と思ってしまうわけですね。そして、今改めて思うのですが、物語の最後では、ほとんどみな老いて死ぬわけです。まあ、主人公の一生の物語ですから。
アトスが死に、ポルトスが死に、一番若かったダルタニャンが死に、最後に
「世界を動かす力」
を手に入れて残ったものは、デュマの中で「死神」を暗に象徴していたのだろうか? と思います。きっと、彼は現代に生きている実在の人物だとしたら、イエズス会の総長に留まらず、ローマ法王にもなれたのであろうと思うのです。