ええと、GLAYが一通り終わったので、米米の曲にいきます。GLAYと何のつながりもないのでは? と言われるとその通りなのですが、昨日の日記の
「ヘンなファンクラブ」
の応援されている側の人が、元米米のボーカリストだった人、ということで、一応そこから昨日のネタに繋がります。(あ、でも、米米も再結成されましたので、その人は今でも米米のメインボーカリストな人のような気もしますが。)
1992年にこの曲は発売されまして、月9ドラマの主題歌ということで大ヒットした曲です。丁度、この頃いろんな音楽を聴くようになったわけで、しかも、医学部での勉強が始まった年でしたので、思い出深い曲なのです。
私の出た大学は、最初の2年は「一般教養」といって、医学部の勉強とは余り関係の無い勉強をして、残りの4年で医学部の勉強をするシステムになっていまして、一般教養と学部の間には、なんというかちょっと隔絶感があったわけです。教養と学部では使用する校舎も違っていましたし。で、私は教養から学部に移る時に、物理で躓いて転んで、そのためだけに1年留年してしまったとーー;。
なんだか、妙に物理に厳しい学校でしたので、そこで引っかかって学部に上れない人はけっこういましたので、全くの孤独という感じでもなかったのですけれど、おかげさまで学部に上った時は、回りは知らない人ばかりですし、けっこう心細い状態だったわけです。そういう点でも、「君いる」は思い出深い曲なのです。
で、今でもこの曲を聴くと思い出すのが
解剖実習のこと
であると(苦笑)。やはり、大ヒットした曲ですし、なんというか学生ですから、解剖実習の間に、つまらないおしゃべりしたりとか、メスで自分の腹を切っちゃったりとか!? なんというか、そういうちょこまかとしたこともあった人はあったわけです。だから、実習の間に
「カラオケで『君いる』を歌った」
とかそういう話をする人もいるわけで、どうしてもそのことを思い出してしまうとーー;。
で、隣のテーブルで実習していた人たちは、そこのグループだけちょっと特殊な事情で、あまり勉強にならない状況に陥っていて、実習っていうと、そのことでブツブツぼやいていたことが、
超印象的
だったりとか。なんとういうか、勉強嫌いな人にはダベリの実習、勉強熱心な人にはボヤキの実習、って、人体の構造を知るために真面目に献体に感謝しつつ過ごすことが理想のはずの時間の、
実態なんてそんなもの
だったという。でも、まあ、その時代があるから今があるんですよ? というわけで、それは分かってても、やはり思い出さずにはいられない、学部の1年目の春だったわけです。
月別: 2014年1月
「BE WITH YOU」
ええと、1998年の11月に出された曲ということですので、丁度埼玉に住んで、東京の専門学校に通っていた頃の曲でしょうか。
当時、私は某芸能人のファンクラブに入っていたわけで、そこでちょこちょことライブに一緒に行く知り合いとかできたわけですが、そういえばそこもだいぶ
ヘン
なところでしたーー;。例えば、なんだか、個人的に問題を抱えてる人がいて、その人の相談に乗っていると、何故か
相手が急に自分の身の回りの自慢
とか始めるわけで、
あれ? その身の回りのことで私は相談に乗ってるんじゃないの?
みたいな展開になるわけです。
で、肝心のお悩みの元はどうしたの? とか聞くと、そちらの方はどうでもいいことであるかのように
「どうしたらいいのか分かんない」
とか、他人事みたいに言われるわけで、
あれ? 本当に悩んでるの???
と、こちらとしてはなるわけです。で、そんなこんなしている内に、唐突に
「学生というのは大学の教授を慕うものだ」
みたいなことを言い出すわけです。・・・・そういえば、どっかの職場でも
大学
に関することを言われなかったっけ? っていうか、この「お悩み相談」は
「就職前のネタ」
だから、職場で学歴についての嫌味を言われる前のことじゃん、となるわけで、どうも
大学を辞めた直後から、大学に関する嫌味っぽいネタ
が一見して関連のなさそうなところから、次々と出てくるようになったわけです。で、それはさておき
「何かヘン?」
と思いながらも、少々強い感じで、
「あなたはそういうお悩みとは関係のないことを並べ立てるよりも、ご自分の問題にもっと真剣に取り組んでは?」
みたいなことを少々キツメに申し上げましたら、その直後から何故か、一緒にライブを見に行っていたそのグループ全員から総スカンを食らうみたいな感じになりまして。で、思ったこと
1,どうみても、お悩み相談をしていた相手の言っていることが、ころころと変わっているし、悩んでいる、と言っているわりには、余計なことばっかり言っているし、「ヘン」なわけです。だから、
2,私のことをその人が仲間内にどう言いふらしているにしても、自分に不利になるようなことは言っているはずがない。(しかも、相談内容がかなり個人的なことですから、そんなことを大勢のファン仲間にあけすけに言っているはずも無いと思われるわけですし。っていうか、それならそれでわざわざ私に個人的に相談する意味ないですし。)
3,しかも、大勢の人が私の悪口を聞いていて、私を無視しているのなら、誰か一人くらい、私にその悪口の内容を確認しても良さそうなはずである、し。
4、誰もこのご当人が、何と言って私を仲間はずれにするようにし向けたのか教えてくれない。
で、なんで、ファンクラブでたまたま知り合って、たまにライブ見てその場で盛り上がるだけの仲の人々が、こんなに判子で押したように、統制の取れた動きをすることができるの? 誰かその状況を「ヘン」だと思う人はいないの?
という、最大の疑問点に突き当たったわけです。それはともかく「BE WITH YOU」ですか? 身の回りがこんな状況なわけですから、良い曲だと思っても心に響く余地が無いというか何というか(泣)。確か
「ひとり」
とかいう言葉が出てくる辺りの歌詞に、微妙にトラウマがあるわけです。だから、当時はその部分がちょっとひっかかったというか、そんな感じだったわけですが。
「BELOVED」
この曲が発売されたのは1996年の8月です。この曲も「Eternally」の前身であるらしいので、「DRIVE」を改めて買った機会に、WALKMANに入れてヘビーローテーションしています。この曲の歌詞には、「向日葵」という言葉が出てきますが、これもBellisと同様、太陽に関係する花の名です。
1996年といいますと、大学を卒業して最初の職場で働き始めた年です。いろんな人生経験を経て、ついでにいろんな職場を見聞きした結果、この最初の職場も
なんだかなあ???
みたいなところだった気がしますが、当時はなにせ
初めての職場
ですから
「初めてのおつかい」
みたいなもので、それをこなすまで、それがどういうものか分からない、ということで
今から考えれば、「おいおい」と思うよなところも、全部
「仕事ってこういうものなんだ」
と思い込んでいたよな、と、そんな感じがするわけです。職場に全然違う部署の人が、当然のように出入りしていても、というか、当然のように出入りしているからこそ、
疑問にも感じたことなかった
かも、とかそんな感じでした。ともかく、必死で状況を客観的に見る気もなければ、そんな余裕も無かった、と(苦笑)。
「HOWEVER」
この曲の歌詞のことは以前にも書きましたので(→「Eternally」)、
「何をか言わんや」
ですが、一応おさらいをしました。この曲が発売されたのは1997年とのことですので、丁度埼玉に暮らして働き始めた頃です。この職場についてもいろいろと思い出はあるのですが、割と暇なお仕事でしたので、休みの日にあちこち旅をする余裕があったのが一番良かったことだったかな、と思います。今ではいろんなことがありすぎて、とても一人で旅行するような元気はありませんが、当時は若気の至りもあって
ちょこちょこといろんなところを旅行して
いました。で、神社仏閣好きなものですから、神社なんかにもちょこちょこと行きましたので、そう数はこなしていないような気もするのですが、
少数精鋭
という感じで割と重要なところに行っていた気がします。インターネットでいろいろ調べて行っても、現地に行けば新たに見えてくるものとかあって、そういうフィールドワーク的な作業は好きでした。
が、それはさておき、「HOWEVER」でしょうか。最初に聴いたときから、ドラマチックな曲だなあ、とか思っていました。今聴いても、情熱的な曲だなあ、と思います。でも、この曲が出た頃から、
「どうも何か身の回りがヘン?」
というか、うまくは言えないのですが、
「何でこういうことになるんだろう??」
みたいなことが徐々に起き出していたみたいな気がします。(というかもっと早くから起きていたけれども、私が鈍くて気が付かなかっただけかもしれませんがーー;)
でも、新しい生活の中で、仕事もみつかって、その仕事もけっこう余裕があって、自分としては割と充実していた日々だったのです。
「SOUL LOVE」
1998年の4月に出された曲ということで、丁度私が「医学部」というところと縁を切った、まさにその頃に出された曲のようです。
なんだかんだ言って、どんなにたいへんな時期でも歌番組は比較的良く見続けていた気がしますので、この曲も発売された当時から知っていたと思います。今、歌詞を読み返してみると、結構タイムリーな曲だったかも? と思いますが、当時はそんなことを思う余裕は全くありませんでした。
当時は新しい場所で、自分の力でできる限り生きてみたい、とそう思っていて、
医者を辞めちゃったらどうなるんだろう?
とか、そんなことは
「これっぽっちも」
思っていませんでした。まあ、世の中の大半の人は、
「医者じゃなくても生活している」
わけですから。後から考えると、もっとやりようはあった気もするし、そうじゃない気もしますが、でも、あの時いろんなしがらみを全て蹴飛ばしきって思い切って私が辞めたことを、心の中で秘かに喜んでくれてた人たちは、実のところ当時思っていたよりも多かったような気もしないでもない気もするのですがーー;。