「だれがこんな苦しみをわたしたちに与えたのでしょう?」

つい昨日のニュースですが、
「ナチス・ドイツによる第2次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲者を追悼する行事が27日、国連本部で行われ、映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏(67)が「この惑星上にはいまでも虐殺が私たちの身近なところに存在する」と警鐘を鳴らした。」(共同通信より)
そうです。ヨーロッパにおける「反ユダヤ主義」の思想は原始キリスト教とおおいに関係があります。ええと、この世の中には「新約聖書」という本があるわけですが、
まず、「テサロニケ人への第一の手紙」(パウロ著、紀元50年頃の手紙)という文章に
「ユダヤ人たちは主イエスと預言者たちとを殺し、わたしたちを迫害し、神を喜ばせず、すべての人に逆らい、 わたしたちが異邦人に救の言を語るのを妨げて、絶えず自分の罪を満たしている。そこで、神の怒りは最も激しく彼らに臨むに至ったのである。(第2章)」
とあります。また、「ヨハネの黙示録」(紀元1世紀後半)には、最後の戦いにおいて、子羊(イエス・キリスト)の御使いの動きとして、
「すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。 (第9章)」
となると書かれています。で、「マタイによる福音書」(紀元50~60年頃)には
「弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。(第10章)」
とあります。総合的に考えると
「主人」とは子羊であるイエス・キリストで、「僕」とは「御使」、
「師」はイエス・キリストで、「弟子」は信徒のことである
と思われます。要するに、キリスト(兼神)と、その僕と、その信徒は、同じようでなければならず、ええと、なんとかの第9章にあるようであれば充分であるらしいですーー;。
で、現実の初期のキリスト教の信徒が何をしたかというと、ヒュパティアという無抵抗の哲学者を虐殺したりとかしていました。そして、ローマの国教となり、その後西ローマ帝国が滅びると、カール大帝と組んで、キリスト教は大帝の武力による布教、大帝はキリスト教の後押しによる征服という道に乗り出しました。そして、ヨーロッパに布教が終わると、次は十字軍かな? みたいなことになったと思われます。
でも、師と同様なようにあるのでなければならない人々は、騎士や王侯だけではありませんので、上の方の人々は十字軍に出かけましたが、下の方の人たちは「反ユダヤ主義」にのっとって、身近なユダヤ人を襲うようになりました。キリスト教において、「従順」であることは、大切な信者の条件ですので、
ええと、みんな何とかの第9章の「主人」があるようにありたかったのか? みたいな? ことになったような気がします。
というか、この頃のヨーロッパというのは、「千年王国」といって、「キリストが支配する時代」の到来を求めるというか、予期するというか、そういう思想もあったのではないかと思います。
ところが、この後予期せぬ出来事が生じました。いわゆる王侯貴族達は、自分達の権力の強化のために、いわゆる「神の権威」と対立するようになりました。そうしたら、どういうわけか、ヨーロッパには、いわゆる「新教」とか、「ペストの流行」とか、「魔女狩り」とかが次々と流行るようになって、上は旧教徒と新教徒で戦争、下は疫病と魔女狩り、という時代が始まりました。おかげさまで、全てが落ち着くまでにけっこうな時間がかかったように感じるのですが、落ち着いた頃には
啓蒙思想 とか 革命
とかが流行るようになって、その結果、「神の権威」と対立していた王侯貴族は、あちこちで没落しました。そして、ヨーロッパにおける「共和国」とか、そういう国の上層部には、いわゆる
「フリーメーソン」
と呼ばれる結社の人達が多かったかのように言われるように思うのですが、この結社というのは、表向きはともかく、シンボルマークとして
三角形の中に目
という、要するに
「それってキリスト教のシンボル?」
というマークをシンボルにしていました。んでもって、新興勢力と、王制とかが残っている古い勢力との間でもすったもんだがあった末に、
ヒットラー
という人が登場して、
ユダヤ人大虐殺
ということを行ったと。
ヒットラー自身は、キリスト教に好意的ではなかった「かも」しれません。でも、彼の部下にキリスト教徒はきっといたことと思います。しかも、戦後SSが逃走する際にどうも裏で暗躍したのは?、みたいないわゆる 「隠謀説」 もあるわけで。
とにもかくにも
ヒットラーの 「我が闘争」 には、
彼がどんなにユダヤ人が嫌いかが書かれているわけで、彼が生前行った行為と、その思想を嫌って、
「我が闘争」

「悪しき本」
とみなす人は多いわけです。きっと
「テサロニケ人への第一の手紙」
も同じくらい忌み嫌われてますよね? それなくして、反ユダヤ主義が無く、それ故に「我が闘争」もないはずであったとなれば、
と思うのですが。しかし、こういうことにもし現実がなっていてくれれば、スピルバーグ監督は果たしてこの時期にこんな演説を国連でしただろうか? と個人的にふとそう思うわけです。もちろん、それだけのことですとも。


 お題は、「アンネの日記」(文藝春秋)より引用しております。
思い返せば、まだ小学生だった私が、ちゃんとした「大人の読む本」を読みたいと思って、最初に手に取ったのが、「アンネの日記」と「新約聖書」だったわけです。アンネの疑問の答えは、もう1冊の本にあったのではないかと、そう思うようになったのは、遂先日のことであったのに、更にそれに追い打ちをかけるかのかのような、スピルバーグ監督の演説なわけですから、この程度のことは書いても良いのかな? とそう思うわけです。
 そういえば、キリスト教徒っていうのは、長崎の諏訪神社を迫害したり弾圧したりしているのですよね。神家党の末裔の一葉として言わせて頂くならば、この世には
自分達が迫害された歴史
よりも
自分達が他人を迫害した歴史
をよくよく勉強した方がよい人々が存在するのかもしれないな、と、そういうことになるわけです。
>言っとくけど、「よくよく勉強する」のは、
「次にどんな迫害をするか考えるため」
とかそういうんじゃないから。お釈迦様が鬼子母神に言ったように
「人の痛みを、我が身の痛みとして知るために」
知る必要があるってそれだけのことですともさ。