県主(あがたぬし)は、律令制が導入される以前のヤマト王権の職種・姓(かばね)の一つである。
県主は、国造(くにのみやつこ)や伴造(とものみやつこ)の「ミヤツコ」よりも古い「ヌシ」の称号をもち、名代・子代の制よりも古めかしい奉仕形態をとることから、3ー4世紀(古墳時代初期)に成立したと考えられている(県主制の成立時期を伝承の上に位置づけようとした場合、崇神天皇の治世が妥当とみられ3世紀後半から県制、大和王権の拡大過程の5、6世紀にかけ、国造制に代わり、県は実質的な意味を失い、遺制となったとされる(新野直吉, 1974, pp20-21。))。「国」が日本氏姓制古代国家の行政目的で作られた行政制度であるのに対し、「県」は発生と発展がもっと自然の性格をもつ(新野直吉, 1974, p28)。
現在の「県」という言葉に残っているように「県(あがた)」とは古代の地方の行政区分であり、「県主」(あがたぬし)とは地方行政の長官のことを指したのであろう。後の「国造」と同じで地方の有力豪族の首長が任命されたものと思われる。
県主の一覧(あがたぬしのいちらん)は県主の一覧である。
倭(大和)†
- 菟田県主:菟田首(うだおびと)の本拠地。兄猾は、神武天皇に逆らい、亡くなってしまうが、弟猾は、神武天皇に従い、やがて、菟田県主となった(古事記)。弟猾は主水部(もひとりべ)の祖ともなった。宇太水分神社、祭神:天水分神、速秋津比古神、国水分神。八咫烏の伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていた(伝承地、うだ記紀・万葉(最終閲覧日:25-01-01)、菟田首、國學院大學 古典文化学事業)。
- 春日県主:大日諸神(おおひもろかみ)。『多神宮注進状』によると、綏靖天皇2年春に神八井耳命が、春日県主の遠祖を祝(はふり)として奉祀したと記録されている。春日大社。祭神:武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神。
- 猛田県主:弟猾は猛田邑(たけだのむら)を与えられ、「猛田県主」となった(日本書紀)。皇大神社、祭神:神速須佐之男命、櫛名田姫命、磐裂神。
- 曾布県主:倭の六県。大王の直轄地。添御県坐神社 (奈良市三碓町、歌姫町)。祭神:建速須佐ノ男命、武乳速之命、櫛稲田姫之命。武乳速之命は天児屋命の別名とされ、『新撰姓氏録』では津速魂命(中臣氏の祖)の子で添県主の祖とされる。三碓町の神社では武乳速之命とは長髄彦のこととしている(Wikipedia:添御県坐神社 (奈良市三碓町)(最終閲覧日:25-12-26))。
- 山辺県主:倭の六県。大王の直轄地。山邊御県坐神社。祭神:建麻利根命。「先代旧事本紀」に、「饒速日命六世孫、石作連(ヤザコノムラジ) 桑田連 山邊縣主等の祖」と記される。垂仁天皇皇后 日葉酢媛のために石棺を作り献上、大連公の姓を賜る(山邊御縣坐神社 (天理市別所町)(改定)、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:25-12-26))。
- 十市県主:倭の六県。十市県主大目(十市県主の祖)。十市御縣坐神社、祭神は豊受大神、配祀:市杵島姫命。社伝では『孝霊天皇記』に見える十市県主の祖の大目を祭神とする(Wikipedia:十市御縣坐神社(最終閲覧日:25-12-27))。十市部首等の祖・富々侶(ほほろ)は、饒速日命が天降りした際に供奉したとされる。物部氏系か(Wikipedia:猪名部神社(最終閲覧日:25-12-27))。
- 高市県主:倭の六県。高市連。天照大御神の子、天津日子根命の後裔氏族とされる。高市御県神社、祭神は天津彦根命、高皇産霊神(Wikipedia:高市御県神社(最終閲覧日:25-12-27))。高市県主神社(高市御県坐鴨事代主神社)、祭神は鴨八重事代主神。河俣神社、祭神は鴨八重事代主神。『出雲国造神賀詞』に皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」とあり、この「宇奈提(うなせ)」は「雲梯(うなて)」のことであるとして、延喜式神名帳に記載される式内大社「大和国高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社」に比定されている(Wikipedia:河俣神社(最終閲覧日:26-01-09))。賀茂氏(高市県主、國學院大學 古典文化学事業(最終閲覧日:25-12-27)
- 志貴県主:倭の六県。志貴県主神社:大阪府藤井寺市にある神社。祭神:神八井耳命。ただし、『河内名所図会』では祭神を「磯城県主黒速」としている。 磐余彦は神武天皇として即位した(『日本書紀』神武天皇元年1月1日条)。翌年の2月2日、恩賞を定める際に、弟磯城は「磯城県主」となった(『日本書紀』神武天皇2年2月2日条)(Wikipedia:志貴県主神社(最終閲覧日:25-01-01)、Wikipedia:弟磯城(最終閲覧日:25-01-01))。多氏系。
- 葛木県主:葛城縣主(葛城主殿縣主)の祖神は劔根命の兄にあたる生玉兄日子命である。剱根命は高魂命五世孫。葛城直、荒田直の祖。神武天皇の時、葛城国造となった、と言われている。葛城御県神社、祭神は天津日高日子番能瓊瓊杵命。賀茂氏(Wikipedia:葛城御県神社(最終閲覧日:25-01-01)、Wikipedia:剱根命、玄松子(最終閲覧日:25-01-01))。
凡河内(河内・和泉・摂津)†
- 三野県主:美努連(みぬのむらじ)、三野縣主一族の祖神。御野縣主神社、祭神は角凝魂命、天湯川田奈命(角凝魂命の4世孫)(Wikipedia:御野縣主神社(最終閲覧日:25-12-27))。
- 茅渟県主:茅渟神社、祭神は天忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理比賣命、多岐都比賣命(田寸津比売命)、市杵嶋比賣命、恵比寿(戎)大神、菅原道真公、神倭磐余彦命(神倭伊波礼毘古命)。神武天皇の東征の途中、白肩津にて天皇の軍が登美毘古と戦った時、神武天皇の兄の五瀬命が敵の矢を受けて手を負傷した。この手の傷を洗った場所が「血沼海」であり、このために「血沼海」と名付けられたと『古事記』は伝える。賀茂氏?(茅渟神社、國學院大學 古典文化学事業(最終閲覧日:25-12-27))。
- 猪名県主:為那都比古(いなつひこ)一族。猪名部は木工建築の匠の技術を持っていたことが伺われ、新羅から来た工人が先祖という伝承もある。猪名部神社、祭神:猪名部氏祖、伊香我色男命、建速須佐男命、天照大御神。上げ馬神事が伝わる(Wikipedia:猪名部神社(最終閲覧日:25-12-27))。物部氏か。
- 志幾県主:志紀県主神社、大阪府藤井寺市にある神社。祭神:神八井耳命。ただし、『河内名所図会』では祭神を「磯城県主黒速」としている。 磐余彦は神武天皇として即位した(『日本書紀』神武天皇元年1月1日条)。翌年の2月2日、恩賞を定める際に、弟磯城は「磯城県主」となった(『日本書紀』神武天皇2年2月2日条、Wikipedia:志貴県主神社(最終閲覧日:25-01-01)、Wikipedia:弟磯城(最終閲覧日:25-01-01))。多氏系。
- 葛木県主
- 河内県主
- 紺口県主:神八井耳命を祖神とする。咸古(こんく)神社など。祭神:神八井耳命、天太玉命。古くは八坂大明神。
- 三嶋県主:三島鴨神社?。祭神:大山祇神、事代主神(Wikipedia:三島鴨神社(最終閲覧日:25-12-28))。賀茂氏。
山背(山城)†
- 栗隈県主(くりくま):宇治市大久保付近の地名が栗隈の名を含む。木津川(久津川)の付近にある。宇治上神社、祭神:菟道稚郎子命(応神天皇皇子)、仁徳天皇などを祀る。宇治上神社の境内には「天降石」・「岩神さん」と呼ばれる巨石がある(Wikipedia:宇治上神社(最終閲覧日:25-01-01)、『日本の神々』宇治上神社・宇治神社項。)。旦椋神社(あさくらじんじゃ)、祭神:高皇産霊神、神皇産霊神、菅原道真(Wikipedia:旦椋神社 (宇治市)(最終閲覧日:25-01-01))。賀茂氏?
- 鴨県主:岡田鴨神社(木津川市加茂町北)。北に木津川が流れる。祭神:建角身命。岡田の地は秦氏の居住地でもあったと云う。「秦氏本系帳」によれば、賀茂氏と秦氏が姻戚関係にあったとの伝承があり、「大西家系図」では稲荷神社を創祀した秦伊侶具は鴨県主久治良の子で、松尾大社を創祀した秦都理は鴨禰宜板持と兄弟だとされる。また、山城賀茂氏の原郷は上記の通り葛城とされるが、一方秦氏は応神天皇の時期に渡来し、大和朝津間腋上に居住したとされ、これは現在の御所市にあり葛城である。「山城国風土記」逸文の賀茂社の条に、゛賀茂建角身命、神倭石余比古(神武天皇)の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし。彼より漸に遷りて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまひ、(中略)彼の川より上りまして、久我の国の北の山基に定まりましき゛と書かれ、八咫烏の子孫であるとされる上賀茂・下鴨神社の祭祀氏族賀茂氏が、葛城→岡田→賀茂と移動した由緒となっている(岡田鴨神社(木津川市加茂町)~賀茂氏と同時に山城へ移ったらしい秦氏のこと、摂津三島からの古代史探訪(最終閲覧日:25-12-30))。賀茂氏。賀茂氏は古くから秦氏とつながりがあったことが分かる。
東海道†
伊勢(伊勢・伊賀)†
- 佐那県主:佐那神社:三重県多気郡多気町仁田にある神社。主祭神は天手力男命、曙立王命(Wikipedia:佐那神社(最終閲覧日:25-01-01))。賀茂系か?。
- 度逢県主:度会氏は明治初期まで伊勢豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の祠官を世襲した氏族(Wikipedia:度会氏(最終閲覧日:25-12-31))。天牟羅雲命を祖神とする。賀茂氏系。
- 川俣県主:川俣神社。主祭神は大比古命。川俣県主の祖神である。口碑によれば垂仁天皇の御代天照大御神を伊勢に遷座の途次、鈴鹿郡小山宮において大比古命(川俣県造の祖)が味酒を奉ったとの伝承がある(川俣神社、延喜式神社の調査(最終閲覧日:25-12-31))。
- 壱志県主:波多神社(津市一志町八太)。「龍天宮」と称した。祭神:水分神。『神名帳考証』に埴安姫神とある。庄村にも論社がある。壱師君は天押帯日子を祖とし、波多郷の宮古に居住していた(和邇氏?(賀茂氏))。その波多郷の氏神が波多神社とのこと(波多神社、延喜式神社の調査(最終閲覧日:25-12-31))。波多氏。
- 飯高県主:飯高氏(和邇氏)。祖先・乙加豆知命が、垂仁天皇の皇女・倭姫命を出迎えた際、「汝の国の名は何と申すか」という質問に「意須比飯高の国」と奉答したという。松阪神社(意悲神社(おいじんじゃ))。現在の祭神は誉田別命、宇迦魂命、建速素戔鴫命。神名帳考証に云く、「意悲神社、在下村神館社乎、此東川下樋小川也、悲與樋音訓通、大御食津姫命、古事記歌、伊勢能宇美能意非志爾、石見國大食彦命神社、出雲国飯石神社、和泉國石津大社神社、伊毘志郡幣命也」(松阪神社、延喜式神社の調査(最終閲覧日:26-01-01))。祭神を見るに賀茂氏と考える。
- 阿野県主:阿野県主の祖・真桑枝大命(まくはしおほのみこと)。倭姫命が国名を尋ねると「草蔭(くさふか)阿野(あの)国」と答えた(日本武尊伝説 日本武尊の足跡を追いかける(最終閲覧日:26-01-01))。
- 邇波県主:丹羽氏は神八井耳命の子孫とされる。大縣神社:祭神は大縣大神(Wikipedia:大縣神社(最終閲覧日:24-01-01))。大縣大神とは大荒田命(日本武尊の三世孫で迩波縣君の祖)などとされる。国縣神社:祭神は御歳神と玉姫神(Wikipedia:田縣神社(最終閲覧日:24-01-01))。東之宮社:尾張針名根連命荒魂(東之宮社、八百万の神(最終閲覧日:24-01-01))。多氏系。
- 中島県主:天背男命(あめのせおのみこと)を祖神としていた。この神は尾張中島直・海部直らの祖とみなされていた。久多神社(稲沢市稲島石畑)の祭神。中島直の子孫は久田氏と称し大国霊神社の神官を務めた(久多神社、延喜式神社の調査(最終閲覧日:26-01-01))。物部氏系。
- 島田上県主:島田氏。神八井耳命を祖とする多臣氏族の後裔。成務天皇の頃、子孫の仲臣子上が尾張国海部郡島田郷を領して、島田臣を賜わったのが始まりといわれる。大和国添上郡の島田神社は、この島田氏の氏神とされている(島田氏、姓氏と家紋(最終閲覧日:26-01-01))。『阿蘇家略系譜』は大荒田命(神八井耳命の九世孫)を祖とし、やはり神八井耳命の後裔氏族を称する尾張丹波臣らと同族関係にあったとする(尾張丹波臣、國學院大學「古典文化研究」プロジェクト(最終閲覧日:26-01-02))。島田神社。祭神:事解之男命、速玉之男命、伊邪那岐命、伊邪那美命など(島田神社、名古屋神社ガイド(最終閲覧日:26-01-02))。多氏系。
- 島田下県主
多氏系の氏族が関わったとされる神社には、尾張戸神社(おわりへじんじゃ、愛知県瀬戸市/名古屋市守山区)や石作神社(いしつくりじんじゃ、愛知県長久手市)などがある。
- 浜名県主:濱名惣社神明宮:静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある神社。元伊勢の伝承がある神社。現在の祭神は天照皇大御神。境内掲示によると、上古三ケ日地方を統治した浜名県主が、祖神太田命(宇治土公の祖神)を祀り(宝賀寿男「甲斐国造の系譜と一族の続き」『古樹紀之房間』、2016年。)、その後天慶三年(940年)に三ケ日地方が伊勢神領になるに及んで天照皇大御神が主祭神となり太田命は従的位置になったものと推定される(Wikipedia:濱名惣社神明宮(最終閲覧日:25-01-01))。賀茂系あるいは多氏系。
- 印波県主:印波国造と同祖と思われる。神八井耳命の八世孫・伊都許利命を国造に任じたとされる。丈部氏(Wikipedia:印波国造(最終閲覧日:25-01-01))。麻賀多神社(まかたじんじゃ):千葉県成田市台方にある神社。伊都許利命が稚日霊命、和久産巣日神を祀ったのがはじまりとされる。この2神を「真賀多真の大神」と呼んだ。伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が現在の地に神社を移し、和久産巣日神を祀った。それまでの社殿は奥宮とされた(麻賀多神社(最終閲覧日:25-01-01))。伊都許利神社:成田市船形にある神社。麻賀多神社の近傍にある(伊都許利神社、神社探訪・狛犬見聞録・注連縄の豆知識(最終閲覧日:25-01-01))。多氏系。
東山道†
- 犬上県主:犬上神社:滋賀県犬上郡豊郷町にある神社。犬上県主。犬上郡の地名にもなっている犬上氏は、天日槍(あめのひぼこ)とともに百済から渡来した豪族であり、犬上郡の県主(あがたぬし)だったといわれている(犬上(いぬがみ)神社、来福@参道(最終閲覧日:25-01-02))。豊郷町には他に阿自岐(あじき)神社:豊郷町安食西(祭神:阿遅鉏高日子根神)、天稚彦(あめわかひこ)神社:豊郷町高野瀬(祭神:天稚彦)がある(阿自岐(あじき)神社、豊郷町HP(最終閲覧日:25-01-02)、天稚彦(あめわかひこ)神社、豊郷町HP(最終閲覧日:25-01-02))。「大滝」という神社の名前が見える。賀茂系。→イヌ
- 美濃県主:縣主神社 (美濃加茂市(旧太田町)):祭神:彦坐王命。加茂神社(美濃加茂市、祭神:賀茂武角之身命、玉依日子、玉依姫命(加茂神社、岐阜県神社庁(最終閲覧日:26-01-03)))、坂祝神社(加茂郡坂祝町、正鹿山津見神(斬り殺された軻遇突智の頭から生まれた神(Wikipedia:坂祝神社(最終閲覧日:25-01-03))))とあわせて、三加茂神社(三賀茂神社)と称する。社説に当地を治めた鴨県主が祖先の彦坐王を祀ったものという(『神社名鑑』、神社本庁、昭和38年)。祈雨に霊験があるとされる(『式内社調査報告』。)。なお、彦坐王は美濃国本巣郡の豪族と思われる本巣国造の祖である神大根王の父王とされ(『古事記』開化天皇段。)、その神大根王は美濃国造ともされる(『日本書紀』景行天皇4年是月条。但しそこには神大根王を「神骨(かむぼね)」に作る。)(Wikipedia:縣主神社 (美濃加茂市)(最終閲覧日:25-01-03))。賀茂氏。
- 鴨県主(美濃)
- 刀支県主:現在の土岐市あたりを支配していた。
信濃国では八県が存在したと言われている。八縣とは内縣(諏訪)外縣(上下伊那)大縣(南北佐久)小縣(小縣)南縣(東筑摩)北縣(更級・埴科)高位縣(上下高井)水内縣(上下水内)である(『上高井歴史』)(高杜神社あれこれ、久保の家の爺ちゃんと婆ちゃんのくだもの畑(最終閲覧日:25-01-02))。
- 高井県主:高杜神社。上高井郡高山村大字高井字大宮南にある神社。現在の祭神は建御名方命、高毛利命、豊受姫命、武甕槌命、市杵嶋姫命、天照大御神、大山祇命、伊邪奈美尊、稲田姫命、大鞆和氣命、菅原道眞、菊理姫命である(高杜神社、玄松子(最終閲覧日:25-01-02))。金刺氏?。
正式な記録にはない縣†
- 内縣(諏訪):諏訪大社上社・下社。祭神:上社:建御名方命、下社:八坂刀売。小井川賀茂神社(岡谷市加茂町)?:祭神:別雷命(賀茂別雷神)、誉多別命(誉田別尊)。上社は諏訪氏、下社・小井川賀茂神社は金刺氏。
- 外縣(上下伊那):大宮諏訪神社。祭神:建御名方富大神、八坂刀売大神。外県の大社として別格とされ「外県大宮諏訪神社」と称せられる(大宮諏訪神社、長野県神社庁(最終閲覧日:25-01-02))。阿智氏?
- 大縣(南北佐久):大縣神社(佐久市伴野・縣神社(神社庁HPには縣神社とある))。祭神:大国主命・誉田別命(八幡神)・建御名方神・八坂刀売命。大神社(南佐久郡佐久穂町)。祭神:天照大神。新海三社神社?:祭神:興萩命(Wikipedia:新海三社神社(最終閲覧日:25-01-05))。鼻顔稲荷神社?:祭神: 宇迦之御魂命(Wikipedia:鼻顔稲荷神社(最終閲覧日:25-01-05))など。滋野氏あるいは海野氏?
- 小縣(小縣):縣諏訪神社(東御市常田字伊豆宮)。祭神:健御名方刀美命、八坂刀自神、久留須命(縣諏訪神社、玄松子(最終閲覧日:25-01-05))。金刺氏。
- 南縣(東筑摩):縣宮社(松本市県)。祭神:大己貴命。合祀:八意思兼命、草野姫命、金山彦命。神紋は一本梶(縣宮社、ホトカミ(最終閲覧日:25-01-05))。
- 北縣(更級・埴科):安坂(あさか)神社(東筑摩郡筑北村坂井)。祭神:建御名方命?。古くから諏訪大社とのつながりがあり、近世以前のものとみられる薙鎌が所蔵されているとのこと。安坂(あさか)神社は名前からみて、往古は金刺氏系の女神を祀っていたのではないだろうか(安坂神社と大吉原神社の薙鎌、長野県立歴史館(最終閲覧日:25-01-05))。「姥捨伝説」で有名な冠着山の山麓にある。武水別神社と関連が深いと考えるのでここに書く。武水別神社(千曲市八幡)。祭神:武水別大神。「水分(みまくり)」の神は一般的に多氏系の神社で、「県」に多い神と考えるので挙げる(Wikipedia:武水別神社(最終閲覧日:25-01-05))。雨宮坐日吉神社。祭神:大山咋命。配祀:大己貴命、少彦名命。金刺氏にゆかりがあると伝わる神社(雨宮坐日吉神社、玄松子(最終閲覧日:25-01-05))。「雨宮の御神事」「獅子踊り」という奇祭がある。須須岐水神社:祭神:大国主命、生魂命、事代主命、罔像女命。摂社・祝神社に建五百建命(初代信濃国造)を祀る。近くに「県神社」という神社もある。また、金刺氏の遠祖を埋葬したと思われる森将軍塚古墳(長野県で最大級の前方後円墳)が近くにあり、「金刺氏の本拠地」にふさわしい神社群が並ぶ。(でも上野の「赤城大明神の事」には更科次郎という人物が登場する・・・。彼の所業はまさしく「シシオドリ」・・・。)余談だが、このあたりと水内郡には干ばつに際して人身御供を立てたという伝承が多い。埴科郡には埴科縣神社(祭神:玉依比賣命)がある。金刺氏。
- 水内縣(上下水内):水内坐一元神社。祭神:建御名方神、天照皇大神、猿田彦大神、太宰府天満宮(曹原道真公)(雨宮坐日吉神社、いきいきわがまちやなぎはら(最終閲覧日:25-01-05))。健御名方富命彦神別神社 (長野市箱清水):祭神:健御名方富命。健御名方富命彦神別神社 (長野市信州新町):祭神:健御名方富命彦神別神(Wikipedia:健御名方富命彦神別神社(最終閲覧日:25-01-05))。金刺氏。余談だが、更科に「次郎」という人がいたなら、水内郡には「太郎」という人がいたのではないか、と考えてしまう。小泉小太郎とか。
- 会津県主:石背国に属した会津郡には会津県主があったという説もあるが中世史料によるもので実在が疑わしい(Wikipedia:信夫国造(最終閲覧日:25-01-02))。会津郡の神社は、伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)であう。福島県大沼郡会津美里町宮林。陸奥国二宮。会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である(伊佐須美神社(平凡社) & 1993年)。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が国家鎮護神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。現在の祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと、武渟川別)。『延喜式』神名帳では祭神を1座とする(伊佐須美神社(式内社) & 1986年.、Wikipedia:伊佐須美神社(最終閲覧日:25-01-02))。多氏系。
私的考察†
砂山祭(神官の一人が鶏冠を被る)、御田植祭(若者が田をかき回す)という神事が行われる。摂社・斎神社の祭神:大毘古命、建沼河別命。「伊佐須美」とは「いざなみ」の名の転化でも良いし、類似した名の女神のことでも良いと考える。斎神社も古くは、女神に使える神女、いわゆる「斎宮」が詰める場所だったのではないだろうか。「会津」という地名も伊邪那美命に由来するかもしれないと考える。
北陸道†
越(越前・越中・越後・加賀・能登・出羽)†
- 三国県主:三国県主は定かでないが、三国国造は蘇我氏とのこと(三国国造、『福井県史』通史編1 原始・古代(最終閲覧日:25-01-04))。対応神社は三國神社と思われる。福井県坂井市にある神社。九頭竜川河口付近にある。現在の祭神は大山咋命(山王権現)、継体天皇。継体天皇の出身地である。延喜式神名帳記載の三國神社は中世までに廃絶しており、現在の三國神社と祭祀や祭神において連続性は乏しいと思われる(Wikipedia:三國神社(最終閲覧日:25-01-04))。氣比神宮:祭神:伊奢沙別命(いざさわけのみこと)。「気比大神」または「御食津大神」とも称される。須佐之男の別名と考える。仲哀天皇、神功皇后。角鹿氏。角鹿氏国造の祖。林神社。祭神:林山姫神(はやまひめのかみ)。社伝では延暦7年(788年)に参詣した最澄が林神社の霊鏡を比叡山に遷したとして、比叡山鎮守社の日吉大社で祀られる気比神は当社にあたるという(ただし、現在の日吉大社では祭神を仲哀天皇とする)(由緒書, 2013)(Wikipedia:氣比神宮(最終閲覧日:25-01-07))。おそらく物部氏。→神社/鹿蒜神社(氣比神宮の祭神について)、神社/秋鹿神社参照の事。
9世紀後半、平泉寺の白山権現が衆徒の前に現れ、その尊像を川に浮かべたところ、九つの頭をもつ龍が現れ、尊像を捧げいただいて流れを下って黒竜大名神社の対岸に着いたといい、それ以降、この川を九頭龍川と呼ぶようになった(毛谷黒龍神社、昇龍道(最終閲覧日:25-01-04))、とのこと。九頭龍神とは白山権現(女神)のことで、黒竜大明神と夫婦である、という意味だろうか。この伝承からは、多氏に近い勢力があったことがうかがえる。少なくとも氣比神宮の角鹿氏は多氏系と考える。林山姫神(はやまひめのかみ)とは元は「ハヤヒメ」等の名前で、総母神として祀られていたのではないだろうか。しかし、それが伊奢沙別命(いざさわけのみこと)に置き換えられているように思う。こちらは須佐之男の別名のようなものではないだろうか。
山陰道†
丹波(丹波・丹後)†
- 旦波県主:丹後国竹野郡・丹波郡を本拠とした氏族。『古事記』においては、由碁理の娘・竹野比売(丹波竹野媛)が開化天皇の妃となり、比古由牟須美命(彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと))を産んでいる。また、『日本書紀』は四道将軍のひとりである丹波道主王を彦湯産隅命の子とする異伝を載せる。丹波国造(野田川水系)の勢力拡大に押され、旦波之大県主(竹野川水系)は5世紀後半には衰退したことが、丹後地域における大型古墳の分布状況から推測されている。そのためであろうか、後裔氏族を史料上から確認することはできない(旦波之大県主、國學院大学古典文化事業(最終閲覧日:25-01-04))。斎宮を立てる慣習がある点、「須美(墨)」という言葉に関連する点など、長野県の金刺氏の古い文化との共通点があるので、旦波県主は多氏系の氏族ではないだろうか。中心となる神社は竹野神社であろう。祭神:天照大神。
山陽道†
吉備(備前・備中・備後・美作)†
- 三野県主:伝承によれば、崇神天皇の時、吉備津彦命が四道将軍として、山陽道に派遣され、その子孫は吉備医として繁栄し、川島・上道・三野など7つの県の県主を同族で占めていたと言われている、とのこと(三野臣(最終閲覧日:25-01-04))。対応するのは吉備津神社。岡山県岡山市北区吉備津にある神社。備中国一宮。祭神は大吉備津彦命。四道将軍の将の一人である大吉備津彦命は、吉備氏の祖と言われている。別名を比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)という。記紀神話は他に吉備武彦という人物が吉備氏の祖だと述べている。吉備武彦の子に御友別(吉備臣祖)がいる。御友別(吉備臣祖)の兄弟として『日本三代実録』元慶3年(879年)10月22日条では、浦凝別(苑臣祖)(苑県に封)、鴨別(笠臣祖)(波区芸県に封)、兄媛(応神天皇妃)がいる。子の中に弟彦(三野臣祖)(三野県に封)がいる。鴨別の名が見えるので賀茂氏系。
- 苑県主
- 波区芸県主:縣主神社(井原市)。主祭神:鴨別命(岡山旅①:吉備氏の祖先を祀る縣主神社、古代史好きなサラリーマンのブログ(最終閲覧日:25-01-09))。
- 上道県主:高蔵神社(岡山市北区)。主祭神:天香具山命(あめのかぐやまのみこと)、天火明命(あめのほあかりのみこと)。上道県主の一族は、上道国造に移行したと考えられているか? 現在の高蔵神社の祭神を見る限りでは、海部氏(高蔵神社、牧石学区の見どころ(最終閲覧日:25-01-09))。
- 川島県主:賀茂氏。上道氏と吉備国造を争う。
鴨別命のミヅチ退治。縣主神社。
* 日本書紀†
『日本書紀』の巻十一〈仁徳天皇紀〉の67年(西暦379年)にある、「大虬(ミツチ)」の記述で、これによれば吉備の中つ国(後の備中)の川嶋河(一説に現今岡山県の高梁川の古名)の分岐点の淵に、大虬が住みつき、毒を吐いて道行く人を毒気で侵したり殺したりしていた。そこに県守(あがたもり)という名で、笠臣(かさのおみ、笠国造)の祖にあたる男が淵までやってきて、ヒョウタン(瓢箪)を三つ浮かべ、大虬にむかって、そのヒサゴを沈めてみせよと挑戦し、もし出来れば撤退するが、出来ねば斬って成敗すると豪語した。すると魔物は鹿に化けてヒサゴを沈めようとしたがかなわず、男はこれを切り捨てた。さらに、淵の底の洞穴にひそむその類族を悉く斬りはらったので、淵は鮮血に染まり、以後、そこは「県守淵(あがたもりのふち)」と呼ばれるようになったという(鳥越, 1974, p130, http://www.maff.go.jp/chushi/kj/okayamananbu/2/colum1.html, コラム―高梁川(たかはしがわ), 中国四国農政局, 2012年9月2日)(http://www.j-texts.com/jodai/shoki11.html, 巻十一〈仁徳天皇紀〉の67年, 『日本書紀 』, 日本文学電子図書館 , 2019-07-24, 是歳於吉備中国川嶋河派有大虬令苦人時路人触其処而行必被其毒以多死亡...)(「ミツチ」と訓ずる(石塚晴通 , 尊経閣文庫本日本書紀本文・訓点総索引, 八木書店, 2007, https://books.google.co.jp/books?id=vMBY0qwe14wC&pg=PA38, p38, isbn:4840694117)、「水父(みづち)」、の訓あり?? 宇治谷, 1988(現代訳)、p.250では竜とつくる。)(Wikipedia:蛟(最終閲覧日:26-01-10))。→ヒョウタン
* 県主神社の案内板†
今から1500年程前、木之子の岩ヶ市の鳴尾の渕に大蛇に似た蛟がおり、人々を苦しめていた。この地方を守護していた鴨別命が人々を守る為に退治した。鴨別命は縣守として神社に祀られ、又、退治された蛟も竜神様として祀られ、秋祭の御神幸で鳴尾の渕の近くで鎮魂の祈りをしています(Wikipedia:木之子(岡山県井原市)、すさまじきもの ~歌枕★探訪~(最終閲覧日:26-01-10))。
* 私的解説†
岡山県には、化氣神社の項に書いたように、「鹿の太陽女神」の信仰が古代においてあったと思われる。退治された蛟が「鹿」に変身した、というのはこの蛇女神が、鹿女神であり、太陽女神かつ水神であることを示しているように思う。化氣神社の祭神が、鹿の太陽女神から伊奢沙別命に置き換わってしまったのは、「鴨別命が悪い蛟として退治してしまったから」と言っているも同然の神話である。福井県では、女神をイルカに変えて食べてしまっていると思われるので、岡山県でも退治した後食べてしまったかもしれないと思う。ヒョウタンは伏羲の象徴なので、伏羲と祝融を足したような神が鴨別命といえる。鴨別命と伊奢沙別命は「同じ神」で、賀茂氏の神と考える。ちなみに応神天皇と名前(真名)を取り替えた、という伝承があるので、まさに「俺が日本の天皇だ!」と言わんばかりの鴨別命と伊奢沙別命の神話だと考える。
- 沙麼県主(さばあがたぬし):岡県主の先祖の熊鰐(わに)が、仲哀天皇を周芳の沙麼(山口県佐波)の浦にお迎えした(仲哀天皇、古代史の復元(最終閲覧日:26-01-10))。筑紫神社(福岡県筑紫野市原田)。祭神:筑紫の神 、玉依姫命、坂上田村麻呂。奈良時代の「筑後国風土記逸文」によると、筑前・肥前国境に険しい坂があり、坂の上に荒ぶる神がいて通行人の命を奪っていたので、筑紫君と肥君が筑紫神を祀ったという説話が有名(筑紫、筑紫クロスロード(最終閲覧日:26-01-10))。高倉神社(福岡県遠賀郡岡垣町):祭神:大倉主命(おおくらぬしのみこと)、菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)、天照皇大神(高倉神社、岡垣町観光協会(最終閲覧日:26-01-10))。社記によると「「仲哀天皇が筑紫に行幸されたとき、岡の県主熊鰐はそれを聞いて、百枝の榊をとり、今の百合野で九尋の船のへさきに立て、上の枝に白銅で造った鏡を掛け、中枝は十握の剣をかけ、下枝に八尺瓊の勾玉をかけて、周防の沙歴の浦にお出迎えし、魚や塩、地図を奉献する。(これは八尺瓊の勾玉の美妙なように天下を治め、白銅鏡の明晰な如く山川海原をみそなわし、十握剣をひっさげ、天下の賊を平定くださいとの意で、神代の天照大神の故実に始まり、赤心を顕し、至誠を表現し、当時諸臣が天皇を奉迎する礼儀であった)熊鰐は海路を導いたが、山鹿岬より御船が進まなくなった。天皇は「熊鰐よ、お前は忠誠心があって出迎えに来たのだろう。それなのに船が進まないのは何故か、策略があってとめたのだろう」と吃問されると、熊鰐は「御船が進まないのは、私の罪ではありません。この浦の先に男女二柱の神がおられ、男神を大倉主命、女神を莵夫羅媛命といいますが、その神に挨拶をしないからです」と奏上した。そこで天皇は、大和の国の伊賀彦を祝部となし、祭とし祈願をされたら、御船は進むことが出来た」と。仲哀天皇は神功皇后と岡津に暫く駐まり、作戦を練られ、諸軍に命じて兵器弓矢を整備される、そこを矢矧という。熊鰐は皇后に奏上して「この県に高津峯という三面宝珠の山があります。この峯に国々を鎮護するため神々が天降っておられます。いそいであの峯に登られ、朝敵誅伐のことをお祈りください」と。皇后は悦んで高津峯に登られ、熊襲征伐のことを祈られる。間もなく岡津に帰られ、天皇と相談される。「ここは国の端で、暫くでも皇后をおく所ではありません。香椎の宮に移ってください」と。軍勢はお立ちになる。今度この九州に下られたのは熊襲征伐のためだから、敵国はまだ遠いとはいえ、隊伍を整え号令を厳格にされる。そして先ず御旗を立てられた所を旗の浦といったが、今は訛って波津の浦といい、■を残された所を小手の村といったのを、後世小の字をとり手の村という。こうして程なく香椎に入られたが天皇は宿陣されたとき海からの風が烈しかったので千本の松を植えられた。それを垣崎松原(三里松原)という。香椎で天皇は崩御されたので、皇后が代わって熊襲を伐ち平げ、朝鮮の新羅も伐ち従え、その年の十二月に御帰還される。
この西征で、天皇、皇后は各所で祈願をされたので、御帰還後それぞれお礼をいい祭りをされた。中でも大倉主、莵夫羅媛の二神は水神で、仲哀天皇が筑紫に下られた時も神異があり、皇后が三韓を伐たれたときも神助が浅くなかったので、皇后が摂政の二年五月、午の日に勅を下して、この高倉村に御柱を建てて祭りをされる。これが高倉神社である。だから今に至るまで午の日を祭日にしている。(岡垣風土記)」とのこと(高倉神社、神社探訪(最終閲覧日:26-01-10))。賀茂系かあるいは海部系と思う。鹿の神との対立神話、祭祀の主導がみられるため、賀茂系か。
南海道†
- 小屋県主(奈良時代には三木郡司):和爾賀波神社(香川県木田郡三木町)。祭神:豊玉姫命。式内社論社。社伝によると、豊玉比売命が鰐に乗って川を遡り、この地に上陸したという。その川は鰐川(鴨部川)という(Wikipedia:和爾賀波神社(最終閲覧日:26-01-10))。鰐河神社(香川県木田郡三木町)。祭神:豊玉姫命、応神天皇。社伝によると、豊玉姫命が亀に乗って讃岐国山田郡潟元(屋島付近)に上陸し、鵜葺草葺不合尊をこの地で産む。その後鰐に乗って川を遡り、この地に上陸したという。豊玉姫神が鰐に乗って遡った川は、後に鰐川となり、現在の新川と言われている(屋島城が築かれた頃の讃岐(最終閲覧日:26-01-10)、Wikipedia:鰐河神社(最終閲覧日:26-01-10))。賀茂氏。
* 伝承・田中広虫女†
『日本霊異記(にほんりょういき)』(下巻―26)。
讃岐(さぬき)(香川県)美貴(みき)(三木)郡の郡司小屋県主宮手(おやのあがたぬしの-みやて)の妻。強欲な財産家で、高利の貸し付けや残酷な取り立ての報いをうけて宝亀(ほうき)7年(776)病死したが、上半身が牛の姿で生きかえる。おどろいた家人が寺に財物を寄進し、貸し付けも棒引きにするなどして罪業をつぐなったため、まもなく死去したという(田中広虫女、コトバンク(最終閲覧日:26-01-10))。
* 私的解説†
強欲で残酷な者が、死後「牛の化け物」に生まれ変わる、という話。これは饕餮がどうして蚩尤に生まれ変わったのか、という話を女性に置き換えたものと考える。中国神話では、蚩尤は反逆の神であり、更に殺されて楓に生まれ変わる。苗族の伝承では、楓香樹は「盗賊」として責められるけれども「罪はない」という感覚の方が強い。彼は生まれ変わる前から楓香樹だった、とされている。楓(=蚩尤)が「生まれ変わったもの」である、という点だけが両者で共通している。苗族は「彼に罪はない」と先祖をかばう。賀茂系の人々は「罪はない」などとは言わないように思う。先祖がやった通りに、「(高名で裕福な)人と名や財産を取り替えて、何が悪い。」と開き直りに近い神話が残されているのではないだろうか。そして、「男性の先祖を悪者にしたくない」のなら「女に変えておけばいい」とそう実行しているように思う。もっとも、「悪い先祖」を「人間」ということにしたくなければ「楓の木」にしてしまえばいい、と、そういうやり方を遠い先祖の時代に覚えてしまって、それだけが一族の伝統文化であるかのように続けるべきと、考えているのかもしれないけれども。
ともかく、日本で「楓」というと「鬼女紅葉」という長野県長野市鬼無里の伝承が有名である。中国の蚩尤は男性なのに、なぜ「鬼女紅葉」は女性なのか、ということの答えの一つがこの伝承だと考える。男性を悪者にしたくないから、女性に変えてしまっているのだ。要は、田中広虫女は遠く鬼女紅葉の前身となる伝承といえる。
* 伝承・武鼓王の悪魚退治(三木郡外の伝承)†
武鼓王(たけみかづちおう)あるいは讃留霊王 (さるれお)とは、日本武尊の子とされる。
景行天皇の時代、土佐の海に出現したえびのような形の大魚が、あたりの人や船を飲み込み、さらに阿波の国鳴門、讃岐国槌途へと暴れ回った。これを知った天皇は日本武尊に退治を命じたところ、父からその役目を託された15歳の武殻王は、綾川に陣をしき、80余名の兵力で挑んだが、たちまち大魚に飲み込まれてしまった。すると武殻王は隠し持った道具で火をふき、大魚の腹を切り裂き脱出に成功、大魚の死骸は海岸に流れ着いた。しかし魚の毒気にあてられた兵士たちは虫の息となってしまった。
そこへ雲に乗って一人の童子が現れ、壺の水を兵士たちに飲ませるとみるみる蘇生した。この童子は横潮大明神という神で、80人の兵士が蘇ったという意味で、壺の水を汲んだ清水は「八十場(八十蘇)の清水」と名づけられた(「やそば」はJRの駅名にも残っている)。大魚退治の褒賞として讃岐の地を与えられた武殻王は、城山に館を構え、"讃岐に留まる霊王" という意味をこめて讃留霊王とよばれた(綾氏の祖)(武鼓王の悪魚退治伝説、Easilee(最終閲覧日:26-01-10))。
また、武鼓王の父・日本武尊が、死後白鶴となって舞い立ち、最後に留まったのが讃岐国大内郡鶴内の里といわれ、武鼓王が神陵を造営し、日本武尊を祀ったものが白鳥神社(東かがわ市松原)である(白鳥神社とは(最終閲覧日:26-01-10))。
讃留霊王は讃留霊王神社(丸亀市飯山町下法軍寺)に、建貝児王(たけかいこう)(父:日本武尊・母:吉備穴戸武姫の第5王子)として祀られている(讃留霊王神社(最終閲覧日:26-01-10))。横潮神社(坂出市福江町)には横潮大明神を祀る(横潮神社、きびのそらのしたで(最終閲覧日:26-01-10))。
現在の白鳥神社の社家は猪熊氏が伝えている。猪熊氏は卜部氏の一族で、中臣氏から別れた伊豆卜部氏の氏族のようである(白鳥神社とは(最終閲覧日:26-01-12)、Wikipedia:猪熊家 (卜部氏)(最終閲覧日:26-01-12)、Wikipedia:卜部氏(最終閲覧日:26-01-12))。
* 私的解説†
武鼓王(たけみかづちおう)には2つの意味があると考える。
- 建御雷神と「同じ神」であって、これを日本武尊の子神とすること。古代日本は「婿入り婚」であり、「婿」とは「婿入り先の家族」も同然であった。そう考えると、日本武尊は尾張氏の姫に婿入りしており、特に熱田神宮関連では、「熱田の英雄」という扱いが強いと感じる。建御雷神をその子神とすることで、日本武尊の「下位の神」ということにして、雷神の能力は調整可能である、と述べることが目的だったのではないだろうか。
- 建貝児王の「貝児」とは「鹿日子」と同じ意味であって、元は「鹿日(かひる)」という女神のことを指すと思われる。太陽女神であり、医薬神としての性質も持つ。これを建貝児王と横潮大明神に分け、男性化したものと考える。おそらく「女神信仰」というものが弾圧されたことがあって、女神のままにしておくと、それだけで「悪神」とされてしまうおそれがあったので、男性神に書き換えてしまったのだろう。物部氏あるいは阿波忌部氏などの神ではないだろうか。
西海道†
筑紫(筑前・筑後)†
- 水沼県主:『日本書紀』によると、景行天皇が熊襲征伐の帰りにあの山に神が有らせられるか尋ねたところ、水沼の県主である猿大海が、「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と答えたとあり、これが八女の名の起こりだとされる(八女津媛神社, 2023-05-29、八女津媛神社, 2023-05-29)。福岡県八女市には八女津媛神を祭神とする八女津媛神社がある(Wikipedia:八女姫神(最終閲覧日:26-01-12))。賀茂系あるいは多氏系か? 八女姫神とは八坂刀売と関連するのではないだろうか。
- 松浦県主 [#vda3ad91]
- 岡県主 [#j7033b70]
- 伊都県主 [#sae75ba9]
- 八女県主 [#uef3cfc5]
- 儺県主 [#sa5e1c95]
- 山門県主 [#x78a156f]
- 嶺県主 [#d9e18eb4]
- 上妻県主 [#a22e074f]
豊(豊前・豊後)†
肥(肥前・肥後)†
日向(日向・大隅)†
参考文献†
- Wikipedia:県主(最終閲覧日:24-01-01)
- Wikipedia:県主の一覧(最終閲覧日:24-01-01)
- Wikipedia:弟猾(最終閲覧日:25-12-16)
- 『國史大辭典』(吉川弘文館) [#ic1a2177]
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