去応永七年庚申九月廿四日、於二信州更科郡布施郷一、合戦次第事矣。
夫政者、天下泰平計略、国土安穏根源也。而近代御政務賞罰共直而、都鄙悉令二静謐一、上下誇二無事一、万民歌二歓楽一、然間、孰不レ貴二憲法之裁断一、孰不レ仰二廉直之御成敗一乎。
去る応永七年庚申九月廿四日、信州更科の郡、布施の郷に於いて、合戦の次第の事や。
夫れ政者、天下泰平の計略、国土安穏の根源なり。而るに近代御政務賞罰共直(ただ)しく、都鄙悉(ことごと)く静謐せしむ、上下無事に誇り、万民歓楽を歌ふ、然る間、孰(たれ)か憲法の裁断を貴はざん、孰(たれ)か廉直の御成敗を仰がざんや。
去る応永七年庚申九月廿四日、信州更科の郡、布施の郷に於いて、合戦の成り行きの事である。
そもそも政治を行う者が、世の中をよく治めて穏やかにするよう考えることは、国土が穏やかになる根源である。そうであるから、近頃(江戸時代)は政治、賞罰共に直(ただ)しく、都会も田舎も悉く穏やかに治められている。身分が高い者も低い者も、日々の変わりない生活を誇り、万民は喜び楽しむことを歌う。このような時に、孰(だれ)が国のおきてによる裁断を貴ばず、孰(だれ)が公正な裁きを敬わないだろうか。