大而天下之収乱盛衰、小而一事之得失成敗。非レ史不レ能レ観固也。傍史之於二正史一、猶二分泒之与本流一、正史本而傍史末、是亦不レ待レ論也。然而彼略而此詳、彼逸而此存者、間亦有レ之、此傍史之不レ可レ捨也。諏訪社大祝。金刺連今井信吉、故家也、多蔵二古写書一、内有二大塔物語者一。記下応永年中小笠原長秀、為二信州守護一事上、嗚呼
後小松帝之代、年紀綿邈、事跡難レ審、信州僻遠、載籍不レ具、且其抗命荷戈之家、率就二斯滅一、宗祀不レ在、当時信州擾乱之情状、及著姓甲族、拠二有土地一者之名姓、除二此書一外、絶不レ聞レ有二記レ之者一、雖二小冊子哉一、実可レ謂二空谷足音一矣。
大は天下の収乱盛衰、小は一事の得失成敗。史にあらず観固すること能はざるなり。傍史之正史に於いて、猶ほ分泒之本流のごとし、正史は本、傍史は末、是亦論を待たざるなり。然るに彼略す此詳、彼逸(うしな)う此存者、間にまた之ある、此傍史之捨てるべからずなり。諏訪社(下社)大祝。金刺連今井信吉は故家なり、多く古写書を蔵す、内大塔物語者有り。応永年中小笠原長秀、信州守護と為る事記す、嗚呼
後小松帝の代、年紀は綿邈(めんばく)、事跡審(つまび)らかにし難し、信州は僻遠、載籍(さいせき)具わらず、且つ其抗命荷戈の家、斯滅し就す*1、宗祀(そうし)在らず、当時信州擾乱の情状、および著姓甲族、有る土地に拠る者の名姓、此書を除くほか、絶して之を記す者有るを聞かず、小冊子なりと雖(いえど)も、実に空谷の足音と謂うべし。
重大事は天下が平和であるのか乱世であるのか、栄えているのか衰えているのかであり、一時の損得や勝ち負けは小事である。記録にないことは元より見ることができない。傍史とは正史にとって、まるで本流から別れた末流のようなもので、正史が本流、傍史が末流であり、これは論じるまでもない。れなのに人は傍史の詳細を略し、傍史の存在を忘れてしまうが、正史の狭間に傍史は存在し、之を捨ててしまってはならない。諏訪社(下社)大祝。金刺連今井信吉は旧家であり、古写書を多く所蔵している。その中に大塔物語がある。応永年中に小笠原長秀が信州守護と為った事が記されている、嗚呼
後小松帝の時代、年紀は遙か昔のことで、事跡を細かくはっきりとさせることは難しい。信州は僻地で、書物に書き載せることも充分ではない。幕府の命に逆らう武門の家は、次第に減って付き従うようになった。幕府を敬うこと無く、当時の信州は騒乱状態だった。及び名門名家といった、所有する土地に拠る者の姓名は、此の書以外には、これを越えて書き記した者があるとは聞いたことがなく、小冊子であると雖も、実に思いがけない悦びというべきである。