星尾神社(ほしおじんじゃ)は岡山県井原市美星町星田にある神社である。
星尾神社は北辰信仰により隕石(明鏡)を御神体として祀り崇めてきた神社であり星にまつわる言われの多い神域地域である。平成元年、美星町の町おこしとして「星祭」を始めたとき その協賛事業として星尾神社にて七夕祈願祭を執行することにした。今では全国各地より多量の七夕短冊が奉納され、祈願神事の後、境内に七夕短冊を高く積み神火をつけ願いを天高く届けている。
祭神は、事代主命などである。
美作国が備前国から分国した和銅6年(713年)に、弓削庄27カ村(現在の岡山県岡山市北区建部町のうち旧久米郡福渡町の範囲、および久米郡久米南町)の総氏神として祭られたと伝えられている。
中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入で、各所に彫物が施されている。1848年(嘉永元年)再建(現地の説明板による。)。
三樹山は、鎮守の森としてこれまでほとんど手が加えられることなく、自然の推移にゆだねられてきた。このため、シイノキ、ヤブツバキ、シリブカガシなど原始的な植生型に近い常緑広葉樹が育っている。常緑広葉樹林では、四季を通じて熱い葉に被われており、林外に比べて気温の変化や湿度の変化が少なく、冬の寒さをきらう南方系と夏の暑さに弱い北方系の動植物が同居する珍しいところである。1976年(昭和51年)に、岡山県指定郷土自然保護地域となった。
通称「京尾御供」と呼ばれ、志呂神社の秋祭(10月20日)に、久米南町京尾の氏子から供えられる神饌行事である。だんごでつくった「フト」と称する女陰を形どったもの3個と、男根を象徴した「マガリ」1個、餅でつくった「丁銀」3個、それに米飯一盛、柚子1個、箸1膳、榊葉若干を三方に盛った7膳の熟饌が調整され、御幣を立てた唐櫃にいれて御供所に運ばれ、紋付袴に榊葉を口にした7人の頭人によって供饌される。1957年(昭和32年)指定。
祭神が事代主命なので、賀茂系の神社かと思う。三樹山という名称は「三本杉」に象徴される三輪山信仰を思い起こさせるが、大物主命は祭神ではないようである。
京尾御供の特徴は「御供」といって神に供するもののように見えて、いわゆる「人身御供」的な印象を受けない点と考える。人身御供の祭祀が崩れたものであれば、人身御供の伝承があったり、若い女性などが決まった年齢に神社に参拝して、身代わりになにがしかの供物を捧げる、とかそういう祭祀になりそうだが、この場合は「御供」を男女に見立てて食べている。月見団子と同じで、米で作った餅や団子は、それだけでも「死んだ神の化身」という意味がある。それをわざわざ「男女の神」として形作っているのだから、不特定の人身御供を捧げる祭祀、というよりは、元に「男女の神を食べる」という祭祀があって、その再現劇のように感じられる。それに「厄払い」の儀式が結びついたものに、中国のイ族の密枝(ミジ)と呼ばれる祭祀がある。
長野県などで行われる、お正月に火をたいて、お餅を焼いて食べる民間行事である、いわゆる「どんど焼き」に類する祭祀と考える。どんど焼きは祭祀といっても、子供が習字の上達を願って書いたものを燃やす、とかくだけた庶民の行事的な要素があるのだが、真面目に「男女の神を殺して食べる祭祀」をやられているところに、少しだけ背筋が寒くなる気がする。