現在<!-- See [[WP:DATED]] -->、ジャパンケネルクラブ(JKC)では、国際畜犬連盟(FCI)が公認する331犬種を公認し、そのうち176犬種を登録してスタンダードを定めている。 なお、非公認犬種を含めると約700 - 800の犬種がいるとされている。 また、頭数については世界全体では4億匹の犬がいると見積もられている。血液型は8種類と犬種の数に比べれば少ないがヒトよりも多い。
== イヌと人の関係の歴史 ==
=== 世界におけるイヌの歴史 ===
人間と暮らし始めた最も古い動物であるイヌは、民族文化や表現の中に登場することが多い。
古代メソポタミアや古代ギリシアでは彫刻や壷に飼いイヌが描かれており、古代エジプトでは'''犬は死を司る存在'''とされ(→[[アヌビス]]神)、飼い犬が死ぬと埋葬が都度になされていた。紀元前2000年頃の古代メソポタミアの説話『エンメルカルとアラッタ市の領主』では、アラッタ領主が「黒でなく、白でなく、赤でなく、黄でなく、斑でもない犬を探せ」と難題を命じる場面があり、この頃には既にこれらの毛並みの犬が一般的であったことがわかる。紀元前に中東に広まったゾロアスター教でも'''犬は神聖'''とみなされるが、ユダヤ教では犬の地位が下り、聖書にも18回登場するが、ここでも[[ブタ]]とともに不浄の動物とされている。イスラム教では邪悪な生き物とされるようになった。
中国の新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している<ref name="choukyou">張競『中華料理の文化史』筑摩書房〈ちくま新書〉、1997年9月。ISBN 4-480-05724-2</ref>。'''中国大陸に住む人々(たとえば長江流域の人々)は犬を食べる文化(犬食文化)を持っていた'''と張競は指摘する<ref name="choukyou" />。
[[中国の歴史#王朝・政権の変遷|古代中国]]では境界を守るための[[生贄]]など、[[呪術]]や儀式にも利用されていた。知られる限り最古の[[漢字]]である[[亀甲獣骨文字|甲骨文字]]には「犬」が「[[ファイル:犬-oracle.svg|26px]]」と表記され、「[[犬部|けものへん(犬部)]]」を含む「犬」を[[部首]]とする漢字の成り立ちからも、しばしばそのことが窺われる。古来、人間の感じることのできない超自然的な存在によく感応する神秘的な動物ともされ、[[死]]と結びつけられることも少なくなかった([[地獄]]の番犬「[[ケルベロス]]」など)。漢字の成り立ちとして、「犬」の「`」は、[[耳]]を意味している。
[[中央アジア]]の[[遊牧民]]の間では、家畜の見張りや誘導を行うのに欠かせない犬は大切にされた。[[モンゴル帝国]]の[[チンギス・カン]]に仕えた側近中の側近たちは、[[四駿四狗]](4頭の駿馬と4頭の犬)と呼ばれ讃えられた。
ヨーロッパ人に発見される前のアメリカ大陸では、犬は唯一とも言える家畜であり、非常に重要な存在であった。人間にとってなくてはならない労働力であり、[[猟犬]]、[[番犬]]、[[犬ぞり]]用の犬などに活用された。
また祭りでの生贄やご馳走として様々に利用された。[[ユイピの儀式]]など、祭りにおいて犬の肉は重要な存在である。また、白人によって弾圧されたインディアン諸部族の中で、[[シャイアン族]]の徹底抗戦を選んだ者たちは、{{lang|chy|Hotamétaneo'o}}([[ドッグ・ソルジャー]]、犬の戦士団)という組織を作り、白人たちと戦った。
[[中世]][[ヨーロッパ]]の時代には、[[ネコ]]が宗教的迷信により「[[魔女]]の手先([[使い魔]])」として忌み嫌われ虐待・虐殺されたのに対し、犬は「邪悪なものから人々を守る」とされ、待遇は良かった。
欧米諸国では、古代から[[狩猟]]の盛んな文化圏のため、[[猟犬]]としての犬との共存に長い歴史がある。今日では特に[[イギリス|英国]]と[[アメリカ合衆国|米国]]、[[ドイツ]]などに愛犬家が多い。英国には「子供が生まれたら犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。」という諺がある。世界で最古の愛犬家団体である[[1873年]]に設立された英国の[[ケネルクラブ]]([[ザ・ケネルクラブ]])および[[1884年]]に設立された米国のアメリカンケネルクラブ([[アメリカンケネルクラブ]])がそれを物語っている。ヨーロッパ諸国の王家や貴族の間では、古来、伝統的に愛玩用・護衛用・狩猟用などとして飼われている。特に[[イングランド]]王の[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]および[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]は愛犬家として有名である。英国の[[ヴィクトリア (イギリス女王)|女王ヴィクトリア]]は[[コリー]]などの犬を多数飼っていた。[[エリザベス2世]]も愛犬家で知られていた。英国王室は今でも犬舎を所有して飼育と繁殖を行っている。[[プロイセン]](ドイツ)の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王(フリードリヒ2世)]]は常に身辺に数匹の[[イタリアン・グレイハウンド]]を侍らせていた。大王は[[ポツダム]]にある墓所に愛犬達とともに葬られた。政治家では歴代の[[アメリカ合衆国大統領]]に愛犬家が多い。特に[[カルビン・クーリッジ|クーリッジ]]大統領と[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領は愛犬家として有名である。近年{{いつ|date=2013年2月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->では[[ジョージ・W・ブッシュ]]元大統領<!--WP:DATED=今しか通用しない略称禁止|WP:AWW=省略してわざわざ難解にしない-->も愛犬家として知られる。
一方、19世紀後半のイギリスでは[[狂犬病]]の原因を巡って大きな論争が起きた。狂犬病はイヌに噛まれることによる感染症であるという主張が流布し、不潔な下層階級の飼う犬、気性の荒い狩猟犬が特に疑いの目を向けられた。人々のヒステリックな対応により、何万匹ともいわれるイヌが狂犬病予防の名目で殺されたが、歴史家の{{仮リンク|ハリエット・リトヴォ|en|Harriet Ritvo}}によれば、19世紀に殺されたイヌのうち、精神に異常をきたしていたイヌは5パーセントに過ぎず、そのうちの四分の三は[[てんかん]]か風変わりな外見だったという<ref>ブライアン・フェイガン『人類と家畜の世界史』東郷えりか訳 河出書房新社 2016年、ISBN 9784309253398 pp.309-310.</ref>。
現在[[欧米]]諸国では多くの犬が家族同然に飼われている。[[日本]]では5世帯に1世帯がイヌを飼っているといわれている。[[イスラム圏]]では([[牧羊犬]]以外では)イヌが飼われることは少ない。
====イヌの文化的印象====
犬は[[欧米]]や[[日本]]など世界の広い地域で一般的に親しまれている。一方で、犬を忌み嫌ったり、虐げたりする文化圏や民族もある。[[サウジアラビア]]では一般に嫌悪の対象である{{Sfn|ハーツォグ|2011|p=67}}。[[コンゴ]]のムブティ族は、犬を狩りに必要な「貴重な財産」と見なしつつも忌み嫌っており、彼らの犬は馬鹿にされ殴る蹴るなどされる{{Sfn|ハーツォグ|2011|p=67}}。欧米では犬をペット・家族の一員と考えるため犬肉食はタブー視されるが、インドや中東で犬肉を食べる習慣がないのは、古代[[ヒンドゥー教]]や[[イスラム教]]では犬を卑しく汚らわしい害獣と見なしているため犬肉食をタブー視していると考えられる{{Sfn|ハーツォグ|2011|p=238}}。
[[イラン]]では犬をペットとして愛玩する人が増えているのに対して、イスラム保守派が「[[西洋]]化の象徴」と批判している<ref>[http://www.asahi.com/articles/DA3S13110312.html 【世界発2017】イラン、犬はタブー?友達?イスラム教では忌避するが…ペットで人気]『[[朝日新聞]]』朝刊2017年8月31日</ref>。
犬は一般に出産が軽い(安産)とされることから、日本では<!--WP:POV-->これにあやかって[[戌|戌の日]]に安産を願い、[[犬張子]]や[[帯祝い]]の習慣が始まるようになる。
「人間の最良の友 ({{lang|en|Man's best friend}})」と言われるように、飼い主やその家族に忠実なところはプラスイメージが強い。近代日本では[[忠犬ハチ公]]の逸話が多くの国民に愛されたほか、[[江戸時代]]以前にも主人の危機を救おうとした[[伝説]]・[[民話]]も多い([[秋田県]][[大館市]]の老犬[[神社]]など)。他方、東西の[[諺]]や、[[日本語]]にある「犬死に」「犬侍」「犬じもの」「[[負け犬]]」といったネガティブ成語・熟語に使われることも多い。また、忠実さを逆手にとって、権力や体制側に順従に従っている人物や特定の事物(思想や団体・有名人など)を盲目的に支持・信奉する人物や、[[スパイ]]の意味でも、人間以下であるという意味でも「犬」が用いられる。また「雌犬」は女性への侮辱語として使われる。[[植物]]の[[和名]]では、[[イヌタデ]]、[[イヌビエ]]([[:en:Echinochloa|en]])など、本来その名をもつ有用な植物と似て非なるものを指すのにしばしば用いられる。
フィクションにおいて、戦いを求めてやまない[[キャラクター]]に対する綽名としてよく使われる「狂犬」は、畏怖と侮蔑の両方を孕んだ表現である。
=== 日本におけるイヌの歴史 ===
==== 先史時代 ====
日本列島における犬の詳細な起源は不明であるが、大陸より家畜化された犬を飼う習慣がもたらされたと考えられている。[[縄文時代]]早期からの遺跡から犬([[縄文犬]])が出土しており、その一部は[[埋葬]]された状態で発見されているが、多数例は散乱状態で出ており、家族の一員として飼われた犬と、そうでない犬がいたと考えられる{{Sfn|松井|2005|p=184}}。縄文早期から中期には[[体高]]45センチメートル前後の[[中型犬]]、縄文後期には体高40センチメートル前後の[[小型犬]]に変化しており、これは日本列島で長く飼育されたことによる[[島嶼化]]現象と考えられている<ref>西本豊弘「イヌと日本人」西本豊弘編『人と動物の日本史1 動物の考古学』吉川弘文館、2008年</ref>。
なお、1990年代に縄文人と犬との関係の定説に再考を迫る発見があった。[[霞ヶ浦]]沿岸の[[茨城県]][[麻生町]](現[[行方市]])で[[発掘調査]]された縄文中期から後期の[[於下貝塚]]より、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土した。犬の上腕骨1点に、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調査報告では、犬を食用として解体していた物的証拠と評価されており、[[日本列島]]における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い<ref>[[袁靖]]「哺乳綱」、麻生町教育委員会編『於下貝塚 発掘調査報告書』1992年、154〜183頁。</ref><ref>[[袁靖]]・[[加藤晋平]]「茨城県於下貝塚出土の小型動物の切痕(英文)」『千葉県立中央博物館研究報告 人文科学』2巻2号、1993年。</ref>。
[[弥生時代]]に犬の埋葬例は激減する{{Sfn|松井|2005|p=184}}。また、墓に供えられた壺の中に、犬の骨の一部が入っていることがあり、犬が人間の墓の供え物になったことがわかる{{Sfn|松井|2005|p=186}}。[[長崎県]]の[[原の辻遺跡]]などでは、解体された痕のある犬の骨が発見され、食用に供されたことも窺える。遺跡からは縄文犬と形質の異なる犬も出土しており、大陸から連れてこられたと考えられる。
==== 古代 ====
『[[日本書紀]]』には[[日本武尊]]が神坂峠を超えようとしたときに、悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、一匹の狗(犬)が姿を現し、尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述がある。そして、『日本書紀』には[[天武天皇]]5年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]([[675年]])の条に、[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]から[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]の期間、[[ウシ|牛]]・[[ウマ|馬]]・犬・[[サル|猿]]・[[ニワトリ|鶏]]の、いわゆる[[肉食禁止]]令を出している。なお、[[長屋王]]邸跡から出土した[[木簡]]の中に子を産んだ母犬の餌に米(呪術的な力の源とされた)を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸では、貴重な米を犬の餌にしていたらしいが、[[奈良文化財研究所]]の[[金子裕之]]は、「この米は犬を太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。
[[奈良時代]]・[[平安時代]]には貴族が[[鷹狩]]や守衛に使う犬を飼育する職として[[犬養部]](犬飼部)が存在した。
平安京では、犬が人間の残飯や排泄物を食べていた。また、埋葬されない人の死体が放置され、犬に食われることが珍しくなかった{{Sfn|松井|2005|p=187}}。
==== 中世 ====
[[鎌倉時代]]には[[武士]]の[[弓術]]修練の一つとして、走り回る犬を[[鏑矢#種類|蟇目矢]](ひきめや。丸い緩衝材付きの矢)で射る[[犬追物]]や犬を争わせる[[闘犬]]が盛んになった。
肉食忌避の観念がある一方で、室町時代の[[草戸千軒町遺跡]]からは食用にした跡が残る犬の骨が見つかった{{Sfn|松井|2005|p=186}}。[[浄土真宗]]の宗祖[[親鸞]]は『[[大般涅槃経]]』を参考に浄肉(食べてもよい肉)・不浄肉(食べてはいけない肉)の区別を行った際、犬肉を猿肉などとともに不浄肉に分類するなど、犬肉食を忌避する考え方も生まれた。
南北朝時代以降には[[軍犬|軍用犬]]として犬を活用する武将も現れ、『[[太平記]]』には[[越前国]]鷹巣城(現・福井県高須山)攻防戦に於いて、南朝方の守将、畑時能が愛犬「犬獅子」と2人の従者と共に寄せ手の北朝方の砦を攻め落とす逸話が記述されており、江戸時代に歌川国芳が[[干支]]の動物と縁の深い歴史上の人物を[[浮世絵]]に描いた『武勇見立十二支』にて[[戌年]]に畑時能と犬獅子が描かれるなど、人々に広く知られる存在となった<ref>{{Cite web |url=http://www.oidenense.net/stories/hata/ |title=勝山物語(畑時能物語) |website= おいでねんせカッチャマ |accessdate=2019-05-05}}</ref>。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[武蔵国]]の武将[[太田資正]]が、[[岩槻城]]と[[松山城 (武蔵国)|松山城]]の緊急連絡手段として伝令犬を用い、[[北条氏康]]方の包囲を突破して援軍要請に成功し、度々撃退していた逸話が『[[関八州古戦録]]』や『[[甲陽軍鑑]]』に記述されている。太田資正の伝令犬戦術は「三楽犬の入替え」と呼ばれ、日本における軍用犬運用の最初の例とされている<ref>{{Cite book|和書|author=関根久夫|title=埼玉の日本一風土記: 埼玉が誇る自然・歴史・文化を訪ねる読み物ガイド|year=2010|publisher=幹書房|isbn=9784902615630 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-05-06}}</ref>。日本の中世で犬が軍用に利用されたことを伝える逸話はこれだけのようである。日本では犬を改良して「武力」のひとつとして使うという思想はなかった{{Sfn|谷口|2012|p=67}}。
==== 近世 ====
[[江戸幕府]]中期、江戸では[[野犬]]が多く、赤ん坊が食い殺される事件もあった。5代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川綱吉]]は[[戌年]]の戌月の戌の日の生まれであったため、彼によって発布された「[[生類憐れみの令]]」([[1685年|1685]]- [[1709年]])において、犬は特に保護(生類憐れみの令は人間を含む全ての生き物に対する愛護法令)され、[[元禄]]9年([[1696年]])には犬を殺した江戸の町人が[[獄門]]という処罰まで受けている。綱吉は当時の人々から「犬[[公方]]」(いぬくぼう)と[[あだ名]]された。
徳川綱吉は狆を愛玩したようで、綱吉は二人の大名に狆を飼わせたため、二人は高価な狆を求め百余匹も飼育していた。それらの狆は綱吉の命によって江戸城に納められたが、狆は役人に護送され、立派な乗り物に乗せられて登城したという(『三王外記』){{Sfn|谷口|2012|p=80}}。この法令が直接適用されたのは[[天領]]であったが、間接的に適用される[[藩|諸藩]]でも将軍の意向に逆らうことはできなかった。綱吉の後を継いだ[[徳川家宣]]の治世当初に生類憐れみの令は廃止された。[[天明の大飢饉]]により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、[[江戸北町奉行]]・[[曲淵景漸]]がイヌや[[ネコ]]の肉の価格を示して「米がないならイヌやネコの肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で[[打ちこわし]]まで引き起こす結果となった。
==== 近現代 ====
[[幕末]]・[[明治維新]]期には[[開国]]・[[文明開化]]により西洋人が日本へ渡り、西洋の文物ももたらされ[[洋犬]]を飼う習慣が流行し、ともに[[1873年]](明治6年)刊行の[[昇斎一景]]『開花因循興発鏡』や[[歌川芳藤]]『本朝舶来戯道具くらべ』など[[浮世絵]]にも洋犬が描かれている<ref>大木(1994)、p.250{{Full citation needed |date=2019-05-06 |title=大木氏を著者とする文献は本記事に載っていないようです。従って文献名などが不明です。}}</ref>。
1900年、警視庁は狂犬病の続発により、家犬の口網実施など、取締を告諭した<>5月11日 時事新報<>。1921年3月8日、警視庁は畜犬取締規則を施行した<ref>警視庁東京府広報大正10年綴</ref>。
==== 現代 ====
日本ではおよそ5世帯に1世帯がイヌを飼っている。ただし集合住宅では、ペット飼育ができない旨の規約に入居時に同意させるところもある。一般社団法人 [[ペットフード協会]]の調査によると2021年の「推計飼育頭数」において犬は710万6千頭とされ、ネコの894万6千頭(外猫の数は含まれていない)を下回る。
==== 日本犬 ====
[[日本犬]]とは国の[[天然記念物]]に指定されている6犬種を始めとする古くから日本に存在する犬種の総称である。また、[[土佐闘犬]]などの外来の犬種を日本で交配して作出した犬種も含める場合もある。
*[[秋田犬]]
*[[甲斐犬]]
*[[紀州犬]]
*[[柴犬]]
*[[四国犬]]
*[[北海道犬]]
== 分類 ==
イヌは最も古くに家畜化された動物であり、'''手に仔犬(イヌかオオカミかはっきりしない)を持たせて埋葬された1万2千年ほど前の狩猟採集民'''の遺体がイスラエルで発見されている。分子系統学的研究では1万5千年以上前に<!--各説ある東アジア/中東で-->[[オオカミ]]から分化したと推定されている。イヌの野生原種は[[オオカミ]] (Canis lupus) の亜種のいずれかと考えられている。イヌのDNAの組成は、オオカミとほとんど変わらない。イヌがオオカミと分岐してからの1万5千年という期間は種分化としては短く、イヌを独立種とするかオオカミの亜種とするかで議論が分かれているが、交雑可能な点などから亜種とする意見が優勢となりつつある。本項の分類もそれに従っている。イヌとオオカミの交雑に関しては、別項「[[狼犬]](ハイブリッドウルフ)」も参照のこと。
== イヌと人の関係の歴史 ==
=== 世界におけるイヌの歴史 ===
人間と暮らし始めた最も古い動物であるイヌは、民族文化や表現の中に登場することが多い。
古代[[メソポタミア]]や[[古代ギリシア]]では彫刻や壷に飼いイヌが描かれており、[[古代エジプト]]では犬は死を司る存在とされ(→[[アヌビス]]神)、飼い犬が死ぬと埋葬が都度になされていた。紀元前2000年頃の古代メソポタミアの説話『[[エンメルカル]]とアラッタ市の領主』では、アラッタ領主が「黒でなく、白でなく、赤でなく、黄でなく、斑でもない犬を探せ」と難題を命じる場面があり、この頃には既にこれらの毛並みの犬が一般的であったことがわかる。紀元前に[[中東]]に広まった[[ゾロアスター教]]でも犬は神聖とみなされるが、[[ユダヤ教]]では犬の地位が下り、[[聖書]]にも18回登場するが、ここでも[[ブタ]]とともに不浄の動物とされている。[[イスラム教]]では邪悪な生き物とされるようになった。
[[中国]]の[[新石器時代]]の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している<ref name="choukyou">[[張競]]『中華料理の文化史』筑摩書房〈ちくま新書〉、1997年9月。ISBN 4-480-05724-2</ref>。中国大陸に住む人々(たとえば[[長江]]流域の人々)は犬を食べる文化([[犬食文化]])を持っていたと[[張競]]は指摘する<ref name="choukyou" />。
[[中国の歴史#王朝・政権の変遷|古代中国]]では境界を守るための[[生贄]]など、[[呪術]]や儀式にも利用されていた。知られる限り最古の[[漢字]]である[[亀甲獣骨文字|甲骨文字]]には「犬」が「[[ファイル:犬-oracle.svg|26px]]」と表記され、「[[犬部|けものへん(犬部)]]」を含む「犬」を[[部首]]とする漢字の成り立ちからも、しばしばそのことが窺われる。古来、人間の感じることのできない超自然的な存在によく感応する神秘的な動物ともされ、[[死]]と結びつけられることも少なくなかった([[地獄]]の番犬「[[ケルベロス]]」など)。漢字の成り立ちとして、「犬」の「`」は、[[耳]]を意味している。
[[中央アジア]]の[[遊牧民]]の間では、家畜の見張りや誘導を行うのに欠かせない犬は大切にされた。[[モンゴル帝国]]の[[チンギス・カン]]に仕えた側近中の側近たちは、[[四駿四狗]](4頭の駿馬と4頭の犬)と呼ばれ讃えられた。
ヨーロッパ人に発見される前のアメリカ大陸では、犬は唯一とも言える家畜であり、非常に重要な存在であった。人間にとってなくてはならない労働力であり、[[猟犬]]、[[番犬]]、[[犬ぞり]]用の犬などに活用された。
また祭りでの生贄やご馳走として様々に利用された。[[ユイピの儀式]]など、祭りにおいて犬の肉は重要な存在である。また、白人によって弾圧されたインディアン諸部族の中で、[[シャイアン族]]の徹底抗戦を選んだ者たちは、{{lang|chy|Hotamétaneo'o}}([[ドッグ・ソルジャー]]、犬の戦士団)という組織を作り、白人たちと戦った。
[[中世]][[ヨーロッパ]]の時代には、[[ネコ]]が宗教的迷信により「[[魔女]]の手先([[使い魔]])」として忌み嫌われ虐待・虐殺されたのに対し、犬は「邪悪なものから人々を守る」とされ、待遇は良かった。
欧米諸国では、古代から[[狩猟]]の盛んな文化圏のため、[[猟犬]]としての犬との共存に長い歴史がある。今日では特に[[イギリス|英国]]と[[アメリカ合衆国|米国]]、[[ドイツ]]などに愛犬家が多い。英国には「子供が生まれたら犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。」という諺がある。世界で最古の愛犬家団体である[[1873年]]に設立された英国の[[ケネルクラブ]]([[ザ・ケネルクラブ]])および[[1884年]]に設立された米国のアメリカンケネルクラブ([[アメリカンケネルクラブ]])がそれを物語っている。ヨーロッパ諸国の王家や貴族の間では、古来、伝統的に愛玩用・護衛用・狩猟用などとして飼われている。特に[[イングランド]]王の[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]および[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]は愛犬家として有名である。英国の[[ヴィクトリア (イギリス女王)|女王ヴィクトリア]]は[[コリー]]などの犬を多数飼っていた。[[エリザベス2世]]も愛犬家で知られていた。英国王室は今でも犬舎を所有して飼育と繁殖を行っている。[[プロイセン]](ドイツ)の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王(フリードリヒ2世)]]は常に身辺に数匹の[[イタリアン・グレイハウンド]]を侍らせていた。大王は[[ポツダム]]にある墓所に愛犬達とともに葬られた。政治家では歴代の[[アメリカ合衆国大統領]]に愛犬家が多い。特に[[カルビン・クーリッジ|クーリッジ]]大統領と[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領は愛犬家として有名である。近年{{いつ|date=2013年2月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->では[[ジョージ・W・ブッシュ]]元大統領<!--WP:DATED=今しか通用しない略称禁止|WP:AWW=省略してわざわざ難解にしない-->も愛犬家として知られる。
一方、19世紀後半のイギリスでは[[狂犬病]]の原因を巡って大きな論争が起きた。狂犬病はイヌに噛まれることによる感染症であるという主張が流布し、不潔な下層階級の飼う犬、気性の荒い狩猟犬が特に疑いの目を向けられた。人々のヒステリックな対応により、何万匹ともいわれるイヌが狂犬病予防の名目で殺されたが、歴史家の{{仮リンク|ハリエット・リトヴォ|en|Harriet Ritvo}}によれば、19世紀に殺されたイヌのうち、精神に異常をきたしていたイヌは5パーセントに過ぎず、そのうちの四分の三は[[てんかん]]か風変わりな外見だったという<ref>ブライアン・フェイガン『人類と家畜の世界史』東郷えりか訳 河出書房新社 2016年、ISBN 9784309253398 pp.309-310.</ref>。
現在[[欧米]]諸国では多くの犬が家族同然に飼われている。[[日本]]では5世帯に1世帯がイヌを飼っているといわれている。[[イスラム圏]]では([[牧羊犬]]以外では)イヌが飼われることは少ない。
====イヌの文化的印象====
犬は[[欧米]]や[[日本]]など世界の広い地域で一般的に親しまれている。一方で、犬を忌み嫌ったり、虐げたりする文化圏や民族もある。[[サウジアラビア]]では一般に嫌悪の対象である{{Sfn|ハーツォグ|2011|p=67}}。[[コンゴ]]のムブティ族は、犬を狩りに必要な「貴重な財産」と見なしつつも忌み嫌っており、彼らの犬は馬鹿にされ殴る蹴るなどされる{{Sfn|ハーツォグ|2011|p=67}}。欧米では犬をペット・家族の一員と考えるため犬肉食はタブー視されるが、インドや中東で犬肉を食べる習慣がないのは、古代[[ヒンドゥー教]]や[[イスラム教]]では犬を卑しく汚らわしい害獣と見なしているため犬肉食をタブー視していると考えられる{{Sfn|ハーツォグ|2011|p=238}}。
[[イラン]]では犬をペットとして愛玩する人が増えているのに対して、イスラム保守派が「[[西洋]]化の象徴」と批判している<ref>[http://www.asahi.com/articles/DA3S13110312.html 【世界発2017】イラン、犬はタブー?友達?イスラム教では忌避するが…ペットで人気]『[[朝日新聞]]』朝刊2017年8月31日</ref>。
犬は一般に出産が軽い(安産)とされることから、日本では<!--WP:POV-->これにあやかって[[戌|戌の日]]に安産を願い、[[犬張子]]や[[帯祝い]]の習慣が始まるようになる。
「人間の最良の友 ({{lang|en|Man's best friend}})」と言われるように、飼い主やその家族に忠実なところはプラスイメージが強い。近代日本では[[忠犬ハチ公]]の逸話が多くの国民に愛されたほか、[[江戸時代]]以前にも主人の危機を救おうとした[[伝説]]・[[民話]]も多い([[秋田県]][[大館市]]の老犬[[神社]]など)。他方、東西の[[諺]]や、[[日本語]]にある「犬死に」「犬侍」「犬じもの」「[[負け犬]]」といったネガティブ成語・熟語に使われることも多い。また、忠実さを逆手にとって、権力や体制側に順従に従っている人物や特定の事物(思想や団体・有名人など)を盲目的に支持・信奉する人物や、[[スパイ]]の意味でも、人間以下であるという意味でも「犬」が用いられる。また「雌犬」は女性への侮辱語として使われる。[[植物]]の[[和名]]では、[[イヌタデ]]、[[イヌビエ]]([[:en:Echinochloa|en]])など、本来その名をもつ有用な植物と似て非なるものを指すのにしばしば用いられる。
フィクションにおいて、戦いを求めてやまない[[キャラクター]]に対する綽名としてよく使われる「狂犬」は、畏怖と侮蔑の両方を孕んだ表現である。
=== 日本におけるイヌの歴史 ===
==== 先史時代 ====
日本列島における犬の詳細な起源は不明であるが、大陸より家畜化された犬を飼う習慣がもたらされたと考えられている。[[縄文時代]]早期からの遺跡から犬([[縄文犬]])が出土しており、その一部は[[埋葬]]された状態で発見されているが、多数例は散乱状態で出ており、家族の一員として飼われた犬と、そうでない犬がいたと考えられる{{Sfn|松井|2005|p=184}}。縄文早期から中期には[[体高]]45センチメートル前後の[[中型犬]]、縄文後期には体高40センチメートル前後の[[小型犬]]に変化しており、これは日本列島で長く飼育されたことによる[[島嶼化]]現象と考えられている<ref>西本豊弘「イヌと日本人」西本豊弘編『人と動物の日本史1 動物の考古学』吉川弘文館、2008年</ref>。
なお、1990年代に縄文人と犬との関係の定説に再考を迫る発見があった。[[霞ヶ浦]]沿岸の[[茨城県]][[麻生町]](現[[行方市]])で[[発掘調査]]された縄文中期から後期の[[於下貝塚]]より、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土した。犬の上腕骨1点に、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調査報告では、犬を食用として解体していた物的証拠と評価されており、[[日本列島]]における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い<ref>[[袁靖]]「哺乳綱」、麻生町教育委員会編『於下貝塚 発掘調査報告書』1992年、154〜183頁。</ref><ref>[[袁靖]]・[[加藤晋平]]「茨城県於下貝塚出土の小型動物の切痕(英文)」『千葉県立中央博物館研究報告 人文科学』2巻2号、1993年。</ref>。
[[弥生時代]]に犬の埋葬例は激減する{{Sfn|松井|2005|p=184}}。また、墓に供えられた壺の中に、犬の骨の一部が入っていることがあり、犬が人間の墓の供え物になったことがわかる{{Sfn|松井|2005|p=186}}。[[長崎県]]の[[原の辻遺跡]]などでは、解体された痕のある犬の骨が発見され、食用に供されたことも窺える。遺跡からは縄文犬と形質の異なる犬も出土しており、大陸から連れてこられたと考えられる。
==== 古代 ====
『[[日本書紀]]』には[[日本武尊]]が神坂峠を超えようとしたときに、悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、一匹の狗(犬)が姿を現し、尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述がある。そして、『日本書紀』には[[天武天皇]]5年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]([[675年]])の条に、[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]から[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]の期間、[[ウシ|牛]]・[[ウマ|馬]]・犬・[[サル|猿]]・[[ニワトリ|鶏]]の、いわゆる[[肉食禁止]]令を出している。なお、[[長屋王]]邸跡から出土した[[木簡]]の中に子を産んだ母犬の餌に米(呪術的な力の源とされた)を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸では、貴重な米を犬の餌にしていたらしいが、[[奈良文化財研究所]]の[[金子裕之]]は、「この米は犬を太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。
[[奈良時代]]・[[平安時代]]には貴族が[[鷹狩]]や守衛に使う犬を飼育する職として[[犬養部]](犬飼部)が存在した。
平安京では、犬が人間の残飯や排泄物を食べていた。また、埋葬されない人の死体が放置され、犬に食われることが珍しくなかった{{Sfn|松井|2005|p=187}}。
==== 中世 ====
[[鎌倉時代]]には[[武士]]の[[弓術]]修練の一つとして、走り回る犬を[[鏑矢#種類|蟇目矢]](ひきめや。丸い緩衝材付きの矢)で射る[[犬追物]]や犬を争わせる[[闘犬]]が盛んになった。
肉食忌避の観念がある一方で、室町時代の[[草戸千軒町遺跡]]からは食用にした跡が残る犬の骨が見つかった{{Sfn|松井|2005|p=186}}。[[浄土真宗]]の宗祖[[親鸞]]は『[[大般涅槃経]]』を参考に浄肉(食べてもよい肉)・不浄肉(食べてはいけない肉)の区別を行った際、犬肉を猿肉などとともに不浄肉に分類するなど、犬肉食を忌避する考え方も生まれた。
南北朝時代以降には[[軍犬|軍用犬]]として犬を活用する武将も現れ、『[[太平記]]』には[[越前国]]鷹巣城(現・福井県高須山)攻防戦に於いて、南朝方の守将、畑時能が愛犬「犬獅子」と2人の従者と共に寄せ手の北朝方の砦を攻め落とす逸話が記述されており、江戸時代に歌川国芳が[[干支]]の動物と縁の深い歴史上の人物を[[浮世絵]]に描いた『武勇見立十二支』にて[[戌年]]に畑時能と犬獅子が描かれるなど、人々に広く知られる存在となった<ref>{{Cite web |url=http://www.oidenense.net/stories/hata/ |title=勝山物語(畑時能物語) |website= おいでねんせカッチャマ |accessdate=2019-05-05}}</ref>。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[武蔵国]]の武将[[太田資正]]が、[[岩槻城]]と[[松山城 (武蔵国)|松山城]]の緊急連絡手段として伝令犬を用い、[[北条氏康]]方の包囲を突破して援軍要請に成功し、度々撃退していた逸話が『[[関八州古戦録]]』や『[[甲陽軍鑑]]』に記述されている。太田資正の伝令犬戦術は「三楽犬の入替え」と呼ばれ、日本における軍用犬運用の最初の例とされている<ref>{{Cite book|和書|author=関根久夫|title=埼玉の日本一風土記: 埼玉が誇る自然・歴史・文化を訪ねる読み物ガイド|year=2010|publisher=幹書房|isbn=9784902615630 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-05-06}}</ref>。日本の中世で犬が軍用に利用されたことを伝える逸話はこれだけのようである。日本では犬を改良して「武力」のひとつとして使うという思想はなかった{{Sfn|谷口|2012|p=67}}。
==== 近世 ====
[[江戸幕府]]中期、江戸では[[野犬]]が多く、赤ん坊が食い殺される事件もあった。5代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川綱吉]]は[[戌年]]の戌月の戌の日の生まれであったため、彼によって発布された「[[生類憐れみの令]]」([[1685年|1685]]- [[1709年]])において、犬は特に保護(生類憐れみの令は人間を含む全ての生き物に対する愛護法令)され、[[元禄]]9年([[1696年]])には犬を殺した江戸の町人が[[獄門]]という処罰まで受けている。綱吉は当時の人々から「犬[[公方]]」(いぬくぼう)と[[あだ名]]された。
徳川綱吉は狆を愛玩したようで、綱吉は二人の大名に狆を飼わせたため、二人は高価な狆を求め百余匹も飼育していた。それらの狆は綱吉の命によって江戸城に納められたが、狆は役人に護送され、立派な乗り物に乗せられて登城したという(『三王外記』){{Sfn|谷口|2012|p=80}}。この法令が直接適用されたのは[[天領]]であったが、間接的に適用される[[藩|諸藩]]でも将軍の意向に逆らうことはできなかった。綱吉の後を継いだ[[徳川家宣]]の治世当初に生類憐れみの令は廃止された。[[天明の大飢饉]]により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、[[江戸北町奉行]]・[[曲淵景漸]]がイヌや[[ネコ]]の肉の価格を示して「米がないならイヌやネコの肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で[[打ちこわし]]まで引き起こす結果となった。
==== 近現代 ====
[[幕末]]・[[明治維新]]期には[[開国]]・[[文明開化]]により西洋人が日本へ渡り、西洋の文物ももたらされ[[洋犬]]を飼う習慣が流行し、ともに[[1873年]](明治6年)刊行の[[昇斎一景]]『開花因循興発鏡』や[[歌川芳藤]]『本朝舶来戯道具くらべ』など[[浮世絵]]にも洋犬が描かれている<ref>大木(1994)、p.250{{Full citation needed |date=2019-05-06 |title=大木氏を著者とする文献は本記事に載っていないようです。従って文献名などが不明です。}}</ref>。
1900年、警視庁は狂犬病の続発により、家犬の口網実施など、取締を告諭した<>5月11日 時事新報<>。1921年3月8日、警視庁は畜犬取締規則を施行した<ref>警視庁東京府広報大正10年綴</ref>。
==== 現代 ====
日本ではおよそ5世帯に1世帯がイヌを飼っている。ただし集合住宅では、ペット飼育ができない旨の規約に入居時に同意させるところもある。一般社団法人 [[ペットフード協会]]の調査によると2021年の「推計飼育頭数」において犬は710万6千頭とされ、ネコの894万6千頭(外猫の数は含まれていない)を下回る。
==== 日本犬 ====
[[日本犬]]とは国の[[天然記念物]]に指定されている6犬種を始めとする古くから日本に存在する犬種の総称である。また、[[土佐闘犬]]などの外来の犬種を日本で交配して作出した犬種も含める場合もある。
*[[秋田犬]]
*[[甲斐犬]]
*[[紀州犬]]
*[[柴犬]]
*[[四国犬]]
*[[北海道犬]]
== 人間社会との関わり ==