古来、中国では日食は「天狗が太陽を食べる」ことで起こると考えられていた。日食が起きると、人々は太鼓や爆竹を叩いて犬を追い払う。
伝説によると、伝説によると、后羿が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘([[羿|后羿西王母]]が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘(西王母)は褒美に霊薬を与えたが、[[羿|后羿]]の妻である)は褒美に霊薬を与えたが、后羿の妻である[[嫦娥]]はそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から[[羿|后羿]]の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空のはそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から后羿の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空の[[嫦娥]]の後を追った。[[嫦娥]]は黒耳の吠える声を聞くと、あわてて月に飛び込んだ。そして、髪を逆立て、体を大きくした黒耳は、[[嫦娥]]に飛びかかり、月を飲み込んだ。
月が黒い犬に飲み込まれたことを知った玉皇大帝と王母娘娘(西王母)は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘(西王母)は月が黒い犬に飲み込まれたことを知った[[玉皇大帝]]と王母娘娘([[西王母]])は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘([[西王母]])は后羿の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と[[嫦娥]]を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。 == 私的解説・羿とギリシア神話 ==そもそもなぜ管理人は羿と黄帝が同一人物である、と考えているのか、である。 第一段階として、人身御供に関わる問題がある。ギリシア神話には[[テーセウス]]という英雄が[[ミーノータウロス]]という牛形の怪物を倒して同胞を人身御供の儀式から救う、という話がある。[[テーセウス]]を助けるのは[[アリアドネー]]という女神的な能力を持つ女性であり、[[ミーノータウロス]]の姉妹、というやや特殊な立場にいる。彼女は[[テーセウス]]の同胞ではない。そして、身分的にはテーセウスの同胞を人身御供に求め得るような強い権力を持っている立場なので、[[テーセウス]]よりは'''上'''とせざるを得ない。だから本来は[[テーセウス]]と敵対する立場なのだけれども、[[テーセウス]]と愛し合ってしまうので、[[テーセウス]]を助けるのである。ところが[[ミーノータウロス]]を助けた後の恋人達のその後は必ずしも幸せには描かれない。[[テーセウス]]が[[アリアドネー]]を故意に捨ててとある島に置き去りにしてしまった、とか、事故でアリアドネーが置き去られてしまったとか、ともかく二人は'''別れてしまう'''のである。 これをもっと簡略化した簡単な話にペルセウスとアンドロメダーの話があり、これは海の怪物の生贄にされそうになっていた王女アンドロメダーをペルセウスという英雄が助けて、二人は結ばれ、めでたしめでたし、となるというものである。「アリ」という言葉も「アン」という言葉も接頭辞とすれば[[アリアドネー]]とアンドロメダは元々「同じ語源」の「同じ名前」の女神と思われる。[[テーセウス]]とペルセウスの物語はどちらも人身御供に関する同じ話が2つに分岐したものといえる。そして、[[テーセウス]]もペルセウスも最終的にはどちらも「偉大な王」となる。 古代の思想には「兄妹婚姻」というものがあり、これには伝承的には「実の兄妹」の結婚までもを指す。文化的には、日本のように異母兄妹であれば結婚が認められたものや、バビロニアのように形式として兄と妹が結婚して家系を守り、近親相姦の弊害を避けるために子種のみは余所の男性に求めるものも含む。また、古代の「人身御供」の思想には「死者に妻や夫を与えて」その命と引き換えに死者の死後の世界での立場を良くしよう、という意味が含まれるものがある。エンリルの死に対して、冥界で彼の子を産むために妻として生贄に捧げられるニンリルや、川の神をなだめるために河伯に生贄にされた娘達も妻として捧げられた、という事例がある。とすれば、伝承的に[[アリアドネー]]と[[ミーノータウロス]]が兄妹あるいは姉弟であったと語られた場合、[[アリアドネー]]は[[ミーノータウロス]]の姉妹でもあったが、妻でもあったかもしれない。また、[[ミーノータウロス]]に対する生贄であったかもしれない、という可能性が生じてくる。[[アリアドネー]]が生贄であったとすれば、彼女の立場はまさにアンドロメダーと同じである。そして、[[アリアドネー]]はいったんは生贄から逃れたものの、最終的にその運命は何かの悲劇にみまわれている。 物語の全てがフィクションであれば、人々、特に庶民は「ペルセウスとアンドロメダー」のように単純で、そして最後にはハッピーエンドで終わるような物語を求めるものだと管理人は思う。わざわざ複雑な構成にして、しかもアリアドネーの最後が明確でなく、かつ悲劇であるのは '''彼女にはモデルとなる実在の人物がいて、その人物の最後が悲劇だったからではないのか''' というのが管理人の出発点である。管理人は、若かりし頃に今昔物語とギリシア神話とグリム童話から伝承学の世界に入ったので、中国の神話はつい最近まで知らなかったし、今でもそれほど詳しくは知らない。管理人の神話学の知識の根本にあるのは、神話といえばギリシアか日本、なので。羿の話を読んで、その夫婦生活の最後が別離であるから、これは「テーセウスとアリアドネー」、羿が王になったから「これはテーセウス」、黄帝も牛形の敵(炎帝)を倒して王になったから「これもテーセウス」、だから'''ギリシア神話との比較を介せば、羿と黄帝は同じものである'''。という単純なところが、中国神話を理解するにあたっての管理人の出発点である。ギリシア人を含む印欧語族の先祖の一端ではないか、と目されるスキタイの人々は古代においてはシベリアすなわちモンゴルの北西に住んでおり、中国東北部で生じた文化の影響を受ける機会は、古代においては多いにあったと思われる。だから中国神話とギリシア神話を始めとする印欧語族の神話は類似性があり、起源が同じであっても全く不思議ではないと思う。また、中国の南部は古代よりガンジス川流域と交流があり、互いに文化的影響を与え合う存在であって、インド方面とは先住民とも、侵略者といえる印欧語族とも文化的な交通性があったと思われる。日本の神話と中国の神話の類似性なんて言わずもがなである。そもそも漢字だって中国の言葉なんだし、古代において日本の文明は全て中国からやってきたもの、と言っても過言ではない。日本の月にも兎が住むし、桂の木が生えているのである。ということで、日本の神話と中国神話とギリシア神話は、3点で比較研究でき得るものなのである。まずは、そこが大事である。 == 私的解説・羿と日本の猿神退治 ==日本の伝承で[[人身御供]]に関する物に「[[猿神退治]]」がある。『今昔物語集』巻26「美作國神依猟師謀止生贄語」のように、生贄を求める猿神(実は神と言うよりは猿の化物)が猟師と犬の組み合わせに倒される、というのがその粗筋で、猿神を倒すのは「猟師と犬」の組み合わせの場合、猟師のみの場合、犬のみの場合がある。猿神を倒して、人身御供になるはずだった娘と結婚する場合も多い。倒し方は生贄の身代わりになって猟師が人身御供の祭祀の場に入りこみ、猿神を捕らえるパターンが多い。羿の物語よりは、ギリシア神話の[[テーセウス]]の物語に非常に近い。 「猟師と犬」の組み合わせは羿の物語でも「羿が黒耳という犬を飼っていた」という形で登場する。この黒耳は中国の「[[天狗(中国)|天狗]]」へと変化していわゆる[[射日神話]]とか、[[人身御供]]に関する化け物退治から外れた独立した月に関する妖怪物語へと移行していく。犬は一番最初の「羿という英雄が太陽を射落とした」というシンプルな物語には登場していなかったが、日本の伝承にもギリシア神話にも「猟師(狩人)と犬」という組み合わせが出てくる。よって羿の「飼い犬」は羿の[[射日神話]]成立後、かなり早い時期に羿にまつわる存在として羿の[[射日神話]]に挿入され、それが「猟師(狩人)と犬」の組み合わせパターンとして各地に伝播したと考えられる。 日本の猿神退治譚を見ると、「猟師(狩人)と犬」は必ずしも必然のパターンではないことが分かる。それどころか早太郎の物語のように犬が単独で猟師と同等の活躍をするものがある。羿の物語に戻って、何故「犬」が羿の物語に挿入されたのかを考えた場合、日本の猿神退治と比較すると、そもそも「羿と犬は同じもの」であったのが二つに分けられたのではないか、という可能性がまずあるように思う。そのため2つに分けられても彼らは一体のように行動するし、日本の猿神退治のようにどちらか片方しか登場しない物語でも同じように行動するのである。「羿と犬は同じもの」とはどういうことか。一つの可能性としては羿のトーテムが犬であったのではないか、ということである。「犬族の羿」が二つに分けられた結果、犬と羿とに分離して伝承の世界で活躍するようになる。 また、「犬トーテム」の発展形で誰か羿に親しい人物を、羿に類する存在にするために敢えて「犬」という役割を割り振って羿の物語に意図的に挿入した可能性があるように思う。前の項に書いたが管理人は '''[[アリアドネー]]には実在の人物のモデルがいたのではないか''' と考えている。ということは中国神話で[[アリアドネー]]に相当する[[嫦娥]]にも実在の人物のモデルがいたのではないか、と管理人が考えている、ということであるし、彼女の夫の羿、彼らが倒した[[ミーノータウロス]]あるいは[[炎帝神農|炎帝]]にも、実在の人物のモデルがいたのではないか、と管理人が考えている、ということにもなる。中国の人々の多くも「自分達は炎黄の子孫である」と考えているそうなので、炎黄のモデルとなった「'''実在の人物'''」が存在しなければ、その子孫になりようもない。現実には人間は大気とか雷から発生したりはしないからである。 そして、炎黄神話においては[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]は兄弟であった、と言われる向きもある。しかし、ギリシア神話では[[ミーノータウロス]]と[[テーセウス]]が兄弟であった、とは言われていない。日本の猿神退治でも、仲の悪い者どうしを「犬猿の仲」とことわざで述べるとおり、犬と猿の対立であって、それぞれは血縁的に近しい間柄ではない。一方、[[アリアドネー]]と[[ミーノータウロス]]は兄妹であるし、猿神退治の猿神が特定の集落や部族の神でもあったとするならば、立場としては生贄となる娘の方が、旅の猟師よりはずっと猿神に血筋として近いといえる。つまり、炎黄神話も、[[黄帝]]が羿と同じものであったとするならば、'''[[炎帝神農|炎帝]]、すなわち「射落とされた太陽」と親しく近い間柄であったのは羿の妻の[[嫦娥]]の方'''であって、それがなにがしかの事情で、神話の発生源である中国では[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]が兄弟であるかのように置き換えられてしまったのではないか、と思われるのである。置き換えられる前の神話が各地に伝播したものが[[テーセウス]]の物語であり、猿神退治である。とすれば、中国ではなく伝播先の方に本来の形式の物語が残されている、といえる。すなわち、本来は[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]は、赤の他人であった、ということになる。神話や伝承は、このように誰かの都合や意図によって書き換えられてしまうものでもある。正確な歴史を記録するのが神話の目的ではないからである。 羿の物語に戻ると、本来存在しなかった「犬」が挿入されることになった。この犬は月を飲み込む魔物である。月を女性として、かつ[[嫦娥]]だとするならば、黒耳は[[嫦娥]]を生贄に求めて殺そうとする彼女の兄の化身とはいえないだろうか。だからこそ月に逃げる[[嫦娥]]を追いかけて飲み込んでしまうのである。そして、ギリシア神話で女性を生贄に求め、殺そうとする[[アリアドネー]]の兄とは[[ミーノータウロス]]のことに他ならない。つまり黒耳とは、牛の怪物である[[炎帝神農|炎帝]]のことであって、古代中国において「[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]が兄弟である」という神話の書き換えがあったのと同じ理由で、「[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]](羿)はト-テムが一致しているほぼ同じ存在である」としたいがために[[炎帝神農|炎帝]]のトーテムを犬に変えて、羿の物語に挿入したのではないか、と思われるのである。要は黒耳とは[[蚩尤]]([[饕餮]])のことであり、不老不死の存在となった、とは、[[炎帝神農|炎帝]]であった[[蚩尤]]が殺されたことを意味するのではないか、と管理人は考える。[[蚩尤]]の神話では彼は死後楓の木に化生したこととされているが、羿の物語では[[蚩尤]](黒耳)は死後天に昇って月を食べる[[天狗(中国)|天狗]]とされたのである。中国では散逸してしまっているのかもしれないが、本来はそのような神話があったのではないか。インド神話には不老不死の薬を盗んで罰のために首を切られて殺されたアスラが[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)という怪物になり、彼らが天に昇って日月食を起こすようになった、という話がある。彼らは不老不死の薬を飲んでいるために死ぬことはないのだが、切られた首は元に戻せなかったらしい。[[ケートゥ]]は星になったが「暗黒で普段は見ることはできない」ともされている。羿の犬が黒耳という名前なのも、夜空では「黒くて見えない」という意味が含まれているのではないだろうか。首を切られても別のものに化生したり、そのまま何か霊的な存在に変化するところは、[[ラーフ]]はまさに中国神話の[[饕餮]]に相当するように思える。インド神話では、[[ラーフ]]と[[ケートゥ]]は「犬である」とはされていない。インドにも日月と関連する犬の神話は存在するのだが、その犬たちは直接羿のような英雄に関わっているわけではない。おそらく、中国でも当初は羿の物語とはやや離れた話として、殺された[[蚩尤]]が天に昇って悪霊のようになり、([[蚩尤]]に味方してくれなかった)日月を食らう、という話だったのかもしれないと思う。羿の話の方は、まず羿とそのトーテムが分離して、日本的な「猟師(狩人)と犬」の形式になったものがまず誕生しており、その「犬」の位置に「黒耳」という[[天狗(中国)|天狗]]を押し込んで置き換えてしまったのではないだろうか。インド神話の[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)は犬形ではないため、中国神話の中で[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)に相当する怪物を、犬に書き換えた上で羿の物語に挿入したといえる。そのため、一方の日本では変更される前の、元の「猟師(狩人)と犬」が悪しき神を倒す、という形の話が伝播して残されることになったのだろう。 ただし、[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)の組み合わせは、印欧語族の神話の中でも、その姿は一致しない。北欧神話では、日月食を起こすのは[[スコル]]と[[ハティ]]という狼である。管理人は名前の子音から、おそらく[[スコル]]と[[ハティ]]の組み合わせがインド神話の[[ラーフ]]と[[ケートゥ]]に相当すると考える。彼らは黒耳のように明確に犬型を取る。ただし、誰か狩人の主人を持っているわけではない。ただ彼らの上位に来る神としてロキという狡猾な神が存在する。また[[マーナガルム]]という母狼を持つ。この母狼の名には「gm」という子音が含まれ、印欧祖語の「火」に関連した名前ではないのか、と管理人は考える。ギリシア神話の[[アリアドネー]]や[[アルテミス]]に繋がる名前である。 またギリシア神話では、[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)の組み合わせは子音より[[オーリーオーン]]と[[アクタイオーン]]に相当すると管理人は考える。いずれも犬ではなく「'''狩人'''」として現され、[[アルテミス]]に関連して罰を受け死ぬ。中国神話の黒耳が[[嫦娥]]に関連して天に昇る(すなわち人外のものとなり、人としては死ぬ)点と類似している。[[オーリーオーン]]は好色で粗暴な巨人として描かれる。[[アクタイオーン]]は鹿の姿に変えられ、自らの猟犬に食い殺される。その点は飼い犬の黒耳に裏切られて妻を飲み込まれてしまう[[羿]]にも似るように思う。中国やインドの神話では明らかに人とは区別される怪物であった[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)が何故ギリシア神話では人形として語られるのだろうか。もしかしたら、古代中国の段階で、'''[[蚩尤]]'''という死者を、その死後神格化するにあたり、様々な試行錯誤がなされたのかもしれないと思う。その過程で * 死した[[蚩尤]]が「[[不老不死の薬|不老不死]]」であるとして、それまでの精霊神と同格のものとして生きているかのように扱うこと。* [[蚩尤]](すなわち[[炎帝神農|炎帝]])が悪者になり過ぎないように、英雄である[[黄帝]]に寄せた人物とすること。([[黄帝]]との兄弟説など)* [[黄帝]]を英雄にしすぎず、上意(神の意)に逆らった者、としての性質を強めるため、羿という「反逆者」を[[黄帝]]から分離して創設すること。* [[黄帝]]の事績の内、[[人身御供]]を抑制する、という事績を削除し、逆に[[炎帝神農|炎帝]]系の[[人身御供]]を伴う治水を正当化すること。** [[黄帝]]の後継者である[[啓]]について、[[祝融]]という「'''火の神'''」の役割を新たに創設すること。これは[[啓]]が[[炎帝神農|后羿炎帝]]の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と(太陽)の後継者であることを示すためである。** [[啓]]やそれに関連する人々は[[黄帝]]になぞらえて「怪物退治」を行った、とすること。これは[[啓]]が[[黄帝]]の後継者であることを示すためである。[[炎帝神農|炎帝]]を[[黄帝]]に寄せる作業と共に、[[啓]]を[[黄帝]]に寄せる作業も行われたように思う。* [[嫦娥]]を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。は本来[[アリアドネー]]のように[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]の双方に妻的立場として存在していたはずだが、[[黄帝]]と[[炎帝神農|炎帝]]の神話からはその存在が消去された。** その代替として、[[黄帝]]の側には[[黄帝]]を助ける九元天女の存在が付加された。[[嫦娥]]は一族の中で「神の代理人」とされるような「現人神」のような立場の女性だったのではないか、と管理人は考える。** [[黄帝]]と[[炎帝神農|炎帝]]を類似した存在とするために、神話的な[[嫦娥]]の立場は3分された。一つは[[人身御供]]を行うような悪者を助ける「悪しき女神」あるいは、兄弟を助ける一族郎党に忠実な女神としての[[嫦娥]]である。ギリシア神話的には、兄と仲が良く、兄を助ける[[アルテミス]]女神が相当する、といえる。** もう一方は本来の、人身御供の抑制を目論む夫を助ける嫦娥である。この場合は九元天女のように英雄を助ける女神として現されたり、夫を助ける心優しい女神としての嫦娥となる。まさにギリシア神話の[[アリアドネー]]である。** 3つめは、アンドロメダーのように「[[人身御供]]」とされる[[嫦娥]]である。あるいは、子供の[[火之迦具土神]]に焼き殺される[[伊邪那美命]]として表現される。 等の作業が必然とされた、と推察される。そのため、[[黄帝]]と[[炎帝神農|炎帝]]の性質を混ぜて、どちらともつかないような神や英雄が作り出されて各地に伝播しているようにも思う。日本の[[猿神退治]]も全体の趣旨としては[[人身御供]]の抑制を求める[[テーセウス]]的な物語なのだが、中国神話では悪しき猿神を倒すのは[[啓]]とされている。日本の[[猿神退治]]は[[テーセウス]]的な牛神退治の「牛神退治」の部分を「[[猿神退治]]」に置き換えて[[黄帝]]と[[啓]]を合成したものなのである。 ギリシア神話の[[オーリーオーン]]と[[アクタイオーン]]が「狩人」として現されているのは、[[蚩尤]]を[[黄帝]]のような人物とするために意図的に合成して作られた神話が伝播したものなのではないだろうか。しかし、結局彼らが何らかの罰を受けて殺されてしまうのは、彼らの本来の姿が[[蚩尤]]であったからではないか、と思う。[[蚩尤]]を死後も神霊的存在として扱うために、神話的な[[蚩尤]]もまた死なねばならぬ必然性を生じたと思われる。(死なねば神話の上で「死者が変化した神」として扱えないからである。) そのため、日本の早太郎は羿と「同じもの」であり、羿のトーテムといえる。中国神話の[[天狗(中国)|天狗]]である黒耳は羿のトーテムを借りただけの[[蚩尤]]([[饕餮]])であって、早太郎と黒耳ではその行動も異なるのである。 == 私的解説・羿と犬他 ==日本には早太郎のように羿のトーテムと考えられる伝承があるのだから、中国にも類似した伝承があるのではないだろうか。これがこの項の出発点である。中国神話には[[盤瓠]]という霊犬が敵を倒し、王女を妻とした、という逸話がある。「敵を倒す」という点は羿にも[[黄帝]]にも通じる。また「王女を妻とする」点はギリシア神話の[[テーセウス]]に似る。日本の[[猿神退治]]でも、助けた娘と結婚するという物語がある。よって、ギリシア神話を併せて考えれば、羿は[[黄帝]]でもあり、[[盤瓠]]もある、となる。そして日本の伝承の早太郎が[[盤瓠]]に相当する「犬」なのである。 羿の物語の「黒耳」が、インド神話の[[ケートゥ]]に相当して、「暗黒で普段は見ることはできない」ものだとすると、[[ラーフ]]に相当するものは何なのか、ということになる。中国の[[天狗(中国)]]も本来は彗星や流星を指す言葉であった。インド神話の[[ケートゥ]]には彗星としての性質もあったようである。もしかしたら、古代の人々のイメージとしては、彗星や流星は規則的に現れるものではないので、姿が見えている時は「明るく輝くもの」なのだが、それ以外の時は「暗くて見えないもの」であって、天空を不規則にさまよっているもの、と考えていたのかもしれないと思う。姿が見えていない時に存在していないのではなくて、人知れず存在して日や月を襲う隙を窺っているのである。とすれば、「見えてない」ときの姿が[[ケートゥ]]で、「見えている」ときの姿が[[ラーフ]]でも良いのではないだろうか。この2つはスイッチが切り替わるように入れ替わるもの、と考えられていたのかもしれない、と想像する。[[天狗(中国)]]にも目に見える彗星のように「白く輝く姿」と、目には見えない「黒耳」のような姿があったのではないだろうか。 == 参考文献 ==* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BF 羿](最終閲覧日:22-10-30)* Wikipedia: [https://zh.wikipedia.org/zh-hk/%E5%A4%A9%E7%8B%97_(%E4%B8%AD%E5%9C%8B) 天狗 (中國)](中国語版、最終閲覧日:22-10-30)* [https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/journal/HUStudGradSchLett/62/--/article/16304 龍と鯉・馬・牛・羊・鹿・犬の関係]、李国棟、広島大学大学院文学研究科論集 62巻、2002-12-27、p13
== 関連項目 ==
* [[玄妻]]
* [[天狗(中国)]]:羿の飼い犬の黒耳のことを指すことがある。月と太陽を食べて日食と月食を起こす、9つの太陽を撃ち落とした羿の飼ってた猟犬。嫦娥の残した薬を舐めて巨大化・狂暴化し嫦娥を追いかけて天に上った。日食と月食を止めさせるため地上では爆竹や銅鑼や太鼓を打ち鳴らすこととしている。
** [[ラーフ]]・[[ケートゥ]]:インド神話で日月食を生じる怪物。[[ケートゥ]]は羿の飼い犬・黒耳に相当すると思われる。
=== 羿と類似した神 ===
** [[グミヤー]]:プーラン族の[[黄帝]]かつ[[羿]]。太陽は女神とされる。男神は月である。
** [[ニムロド]]
* [[桂男]]:樹木神と戦い続ける点が一致している。
* [[禹]]
[[Category:黄帝型神]]
[[Category:羿型神|*]]
[[Category:弓弓矢]]
[[Category:狩人]]