=== 「おかねの恩返し」と「龍女」 ===
「おかねの恩返し」と「龍女」の最大の相違点は最後の部分である。「龍女」では主人公の龍女は失踪するが、残された子供はすくすくと育つ。一方「おかねの恩返し」は子供も夫も池に身を投げて死んでしまい「そして誰もいなくなった」状態になる。しかもその後いわゆる「祟り」があって、十歳の男の子が人身御供に求められるようになる。いわゆる一般的な「[[メリュジーヌ]]譚」では、妻は失踪しても、どちらかといえば子孫には守護女神的に作用するし、最古の形式譚といえる台湾の[[バルン]]神話でも、女神は祟ったりしていない。ただし、供養をしっかり行わなかった場合には祟るであろうことは彼女の文言からうかがえる(「[[バルン]]」より)。
一方「おかねの恩返し」も、それ以外の八丁島天満宮の伝承もそうだが、「十歳の男の子」がまるで指定されたかのように、最後に人身御供として要求される。その理由も定かではなく、いかにもその部分だけがあとから「とってつけた」ように思える。「おかねの恩返し」は朝鮮の龍女や、他の地域の[[メリュジーヌ]]譚と同様、元は特定の氏族の「祖神譚」だったと思われるが、最後に家族が全員死んでしまったことで、「祖神譚」から外されて「人身御供」の根拠へと'''話が振り返られてしまった'''話と考える。
先祖に該当する者が赤ん坊のうちに死んでしまったら、理論的には子孫はいないはずなので、これは特定の氏族の「'''意図的な先祖隠し'''」も兼ねたもの、といえる。祖神神話を書き換えて、別のところに先祖を求めることにしたのだろう。そして、更に「人身御供」を正当化する方向へも話をJ振り返ることにしたと思われる。ただ、特に王権などの身分や地位や物質的な財産の継承の根拠は「血筋」に求められることが古代においてもほとんどだったと思うので、軽率に先祖を書き換えてしまったら、先祖の権威によって得られたはずのものも得られなくなる、ということにもなりかねない。
== 参考文献 ==