== 祭祀の由緒 ==
=== 殿様と忠臣(カンシャク持ち殿さん) ===
昔、八丁島に筑後川から水を引いて外堀を造ったお城があった。この城の殿は、かんしゃく持ちで気に入らないと家来を殺すし、無茶な税金を取り上げるので百姓からも嫌われていた。
殿様でもあんまりだと思い忠義な家来がある時殿様に忠告をしたら、無礼者ということで殿様は切腹を命じて殺してしまった。そのうえ、以後の見せしめということで外堀にある八丁島に家来の死体を埋めてしまった。殺された武士は、あまりの無法ぶりを怨んで大蛇になって領内に崇り、大水やら干照りをお越し、更に、人を喰い殺したり水に引き込んだりして災いを起こすようになった。
殿様は幽霊などどうということはないと思って始めは馬鹿にしていたが、不作不幸があまりに続くので、家来を大蛇退治に差し向けたところ、家来達は逆に喰い殺されてしまった。それだけでなく、夢で城内を荒すと知らせて来たので、恐しくなって、毎日毎日村の者を一人ずつ、大蛇退治の名目で人身御供に差し出した。
その後、災難が減って来たんので、年に一遍男と女を一人ずつ人身御供にした 。これもずっと昔に止めて、今は御供納めとして米三石三斗にし、更に三斗三升に少なくし、もっと減らして三升三合にして、やっと人身御供の形だけ残すこととなった<ref>原題「カンシャク持ち殿さん」。久留米ん昔話ー宮の陣に載っている話(久留米弁)の再転載。標準語的に直したのは管理人です。</ref>。
=== おかねの恩返し ===
昔、八丁島に爺さんと婆さんが暮らしていた。ある日、旅の若者が夕立にあい、一晩泊めちくれるよう頼んだ。貧乏な老夫婦は人が良かったので、たいした世話はできないが泊めることにした。
それからは、むごいことに一年に一人ずつ男の子を人身御供で池に沈めたが、あまりにもむごいため、ちょうど通りかかった全国行脚の坊さんに相談した。坊さんは「米三石三斗を人身御供の変りに池に供えれは良いであろう」と教えて立ち去った。坊さんの言われた通りに米をお供えしたところ、次の年は無事息災、五穀豊穣だったので、次の年から米を捧げるようになった<ref>原題「カンシャク持ち殿さん」。久留米ん昔話ー宮の陣に載っている話(久留米弁)の再転載。標準語的に直したのは管理人です。</ref>。
=== 殿様と忠臣(カンシャク持ち殿さん) ===
昔、八丁島に筑後川から水を引いて外堀を造ったお城があった。この城の殿は、かんしゃく持ちで気に入らないと家来を殺すし、無茶な税金を取り上げるので百姓からも嫌われていた。
殿様でもあんまりだと思い忠義な家来がある時殿様に忠告をしたら、無礼者ということで殿様は切腹を命じて殺してしまった。そのうえ、以後の見せしめということで外堀にある八丁島に家来の死体を埋めてしまった。殺された武士は、あまりの無法ぶりを怨んで大蛇になって領内に崇り、大水やら干照りをお越し、更に、人を喰い殺したり水に引き込んだりして災いを起こすようになった。
殿様は幽霊などどうということはないと思って始めは馬鹿にしていたが、不作不幸があまりに続くので、家来を大蛇退治に差し向けたところ、家来達は逆に喰い殺されてしまった。それだけでなく、夢で城内を荒すと知らせて来たので、恐しくなって、毎日毎日村の者を一人ずつ、大蛇退治の名目で人身御供に差し出した。
その後、災難が減って来たんので、年に一遍男と女を一人ずつ人身御供にした 。これもずっと昔に止めて、今は御供納めとして米三石三斗にし、更に三斗三升に少なくし、もっと減らして三升三合にして、やっと人身御供の形だけ残すこととなった<ref>原題「カンシャク持ち殿さん」。久留米ん昔話ー宮の陣に載っている話(久留米弁)の再転載。標準語的に直したのは管理人です。</ref>。
== 神事 ==