この伝説には、不心得者が返さなかったとされる椀や、反故にした証文などが残っている家や地域がある。それらの品々の中には木地師との関係を伺わせるものがあり、木地師との交易の際に聞いた口上が伝説になったという見方がある<ref>『神話伝説辞典』東京堂出版、1968年、第6刷、pp.471-472</ref>。また、膳椀を村の共有財産としている地域では、借りたものを盗むな、壊すなという戒めを含んだ説話であるという見方もある<ref>柳田國男『定本 柳田國男集 第五巻』筑摩書房、1977年、第14刷、pp.238-239</ref>。
== 「沈黙交易」説を巡って 私的考察 ==椀貸伝説が異族との無言貿易を表したものだという説には民俗学者の中で賛否がある<ref>柳田國男監修『民俗学辞典』東京堂出版、1975年、第48刷、pp.689-690</ref>。 1917年(大正6年)に人類学者の鳥居龍蔵が『人類学雑誌』において、椀貸伝説を当事者が接触せず言葉を交わさずに交易を行う「沈黙交易(''Silent trade''の訳語」であると指摘した。これに対して1918年(大正7年)には柳田国男が『東京日日新聞』に「隠れ里」を発表し、椀貸伝説は貸借関係に過ぎず、さらに相手は神であることから信仰現象であるとし、竜宮伝説や隠れ里伝説など「異郷観念」の表現形態であると論じた。 戦後には1954年(昭和29年)に北見俊夫が日本全国の椀貸伝説の事例を集成しつつ、これを「沈黙交易」とすることを否定している。一方で、1979年には栗本慎一郎が『経済人類学』において椀貸伝説は「沈黙交易」であり、交易の原始的形態であるとしている。 「沈黙交易」を「交易の原初的形態」と見る点に関しては、同年に岡正雄が『異人その他』において「沈黙交易」は交易の原始的形態ではなく交換の特殊型に過ぎず、客人歓待を前提とした「好意的贈答」の習慣であるとした。 === 私見 ===本文中にもあるが、'''近世以前の日本では、人数が集まる催しの際に余所から膳や椀を借りるという状況はしばしば発生した'''のであって、通常は裕福な親戚がいればそこから借りたであろうし、裕福な「本家」とかそういう立場の家があれば、「分家」とか「子分」と言われた立場の家の催しに対して椀や膳を貸すことは、「'''目上の者の役目の一つ'''」であったとも思われる。よって、椀や膳をたくさん持っている、ということは日本の農村地帯では'''富貴'''の象徴であって、異界に住む特別な存在が、「存在が特別である」というだけでなく、裕福であって、親しく、正しく付き合っている人に対しては豊穣をもたらしてくれるものである、との象徴の物語が「椀貸」ではないか、と思う。西欧の異界の住人が、英雄達に特別な武器や馬を授けてくれるのと同じで、日本の田舎の農村では、「椀や膳を快く貸してくれる」ことが、異界の住人の好意の表れであるだけなのだと思う。[[椀貸伝説]]は台湾原住民の[[バルン]]神話が変化したものと考える。女神が入水する時に家族に渡した形見の品の中に「水瓶」といった器が見える。形見の品だった「器」が貸し出される椀類に変化したのだろう。「貸し出された椀を返さなかった」というくだりに「禁忌の女神」の性質の片鱗が見えるように思う。「借りたものを返さなければならない(盗んではならない)」というのは禁忌というよりは一般的な常識だと思うが、本伝承では禁忌的な作用をもたらし、禁忌を破ると女神の恩恵は受けられなくなる。
西欧では、異界の住人から得た武器などは、時に呪われていて、持ち主やその一族に不幸をもたらす。日本の「椀貸」は、人々にとって得になることの伝承のように見えるが、結末は結局「何故、今は椀を貸して貰えないのか」という理由付けで終わるものが多い。「'''異界の住人から、通常ではない状態で受けた恩恵は、時に呪いや祟りの原因となる'''」という思想は西欧と日本で共通しており、興味深いと感じる。
==関連項目==
* [[多留姫の滝多満留姫]]* [[バルン]]
* [[水神]]
* [[アダパ]](参照)