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諏訪の神が巨大な蛇あるいは龍として登場する民話も長野県や群馬県などでは存在する。とある話によると、神無月に神々が出雲に集ったとき、諏訪明神が龍(蛇)の姿で現れたが、体があまりにも大きすぎて集いの邪魔になった。それ以来、明神は出雲に行かなくなった<ref>金井典美『諏訪信仰史』名著出版、1982年、7頁。</ref><ref>http://minwa.fujipan.co.jp/area/nagano_012/, 信濃の国の神無月, フジパン, 2019-01-02</ref>。龍となった明神の尾は諏訪湖の高い木(尾掛松)に掛かっていたといい、そこから大和(おわ)(諏訪市)と高木(下諏訪町)の地名が生まれたという<ref>http://suwako-kankouguide.com/?p=72, 尾掛松, 諏訪湖エリアまちなか観光案内人, 2019-01-02</ref><ref>https://suwacitymuseum.jp/nandemo/koumoku/0500/050203.htm, 御掛松, なんでも諏訪百科, 諏訪市博物館, 2019-01-02</ref>。
諏訪神社の龍蛇信仰の弘布に大きな役割を果たしたのは、『[[神道集]]』に収められた「諏訪縁起」(諏訪神社の龍蛇信仰の弘布に大きな役割を果たしたのは、『神道集』に収められた「諏訪縁起」('''[[甲賀三郎 (伝説)|甲賀三郎伝説]]''')といわれるが<ref>伊藤富雄「諏訪神社の龍蛇信仰」『古諏訪の祭祀と氏族』 古部族研究会編、人間社、2017年、201-211頁。</ref>、[[持統天皇]]の時代から既に諏訪神社は「蛇を象徴動物とする水神」として中央政府に認識されていた形跡も濃い、持統天皇の時代から既に諏訪神社は「蛇を象徴動物とする水神」として中央政府に認識されていた形跡も濃い<ref>金井典美『諏訪信仰史』名著出版、1982年、4-5頁。</ref>。
中世まで行われた諏訪上社の[[冬祭り]]では、{{読み仮名|中世まで行われた諏訪上社の冬祭りでは、'''御室'''|みむろ}}と呼ばれる[[竪穴建物]]らしき土室が作られ、その中に[[藁]]、[[茅]]、または[[ハンノキ]]の枝で作られた数体の蛇形が安置され、翌春まで大祝がそこに参籠し、[(みむろ)と呼ばれる竪穴建物らしき土室が作られ、その中に藁、茅、または[諏訪大社#神職|神長官]]とともに祭事を行ったハンノキの枝で作られた数体の蛇形が安置され、翌春まで大祝がそこに参籠し、神長官とともに祭事を行った<ref>宮坂光昭『諏訪大社の御柱と年中行事』郷土出版社、1992年、141-143頁。</ref>。一説によると、「'''[[ソソウ神|そそう神]]'''」と呼ばれるこの蛇形は「祖宗神」、すなわち神氏の祖霊としての諏訪明神をあらわす<ref>原正直(2012年)「龍穴・異界・信玄」『スワニミズム 第3号』2017年、143-144頁。</ref>。
上社裏山にある'''[[フネ古墳]]'''(5世紀前半)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/detail.php?no=3480&seq=|title=フネ古墳(神宮寺)|website=車山高原レア・メモリー|accessdate=2018-07-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/detail.php?no=3480&seq=|title=フネ古墳出土品|website=公益財団法人 八十二文化財団|accessdate=2018-07-27}}</ref>に発見された[[蛇行剣]]も諏訪の蛇信仰と関係があると思われる<ref>大庭祐輔『[https://books.google.co.jp/books?id=zuiAUVX8IwMC&pg=PA62 竜神信仰: 諏訪神のルーツをさぐる]』論創社、2006年、62-63頁。</ref><ref name="#1">金井典美『諏訪信仰史』名著出版、1982年、74-94頁。</ref>。

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