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、 2025年1月25日 (土)
'''天羽槌雄神'''(あまのはづちおのかみ)は、日本神話の神である。
== 概要 ==
『古語拾遺』において'''天羽槌雄神'''とされるほか、『日本書紀』では'''建葉槌命'''(たけはづちのみこと)、'''倭文神'''(しとりがみ)とされる。また、『新撰姓氏録』の山城国神別 天神 巨椋連の条では'''止与波知命'''(とよはちのみこと)、山城国神別 天神 神宮部造の条では'''天破命'''(あまのはのみこと)、『安房国忌部家系』に収録されている「齋部宿祢本系帳」<ref>安房国忌部家系, 齋部宿祢本系帳, 天羽雷雄命, doi:10.11501/2538213, NDLDC:2538213/55(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>では'''天羽雷雄命'''(あまのはづちおのみこと)、別名、'''武羽槌命'''(たけはづちのみこと)、'''止与波豆知命'''(とよはづちのみこと)とある。
[[天照大神]]を[[天の岩戸]]から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では[[栲幡千々姫命]]、[[天棚機姫神|天棚機姫命]]が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。
信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の[[倭文神社]]、[[静神社]]、服部神社などで祀られている。
== 系譜 ==
『古語拾遺』神代段では「倭文遠祖」、『先代旧事本紀』神祇本紀では「倭文造遠祖」と書かれる。
== 事績 ==
天羽槌雄神は建葉槌命の名で『[[日本書紀]]』に登場した倭文神で、[[経津主神]]・[[タケミカヅチ|武甕槌命]]では服従しなかった星神の[[天津甕星|香香背男]](かがせお)を服従させた神とされる<ref>{{Cite book|和書|author=植松安|date=1920-06|title=仮名日本書紀|volume=上巻|pafes=87–88|publisher=大同館書店|url={{NDLDC|961006/117}} |doi=10.11501/961006 }}(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
== 考察 ==
織物の神が、何故星の神を服従させる事が出来たのか、色々諸説ある内の説を挙げるとすると、
*1つ目は、建葉槌命が武神だったとする説。建葉槌命の「建」は「武」、「葉」は「刃」と読み替えると武刃槌となり、まさに武神らしい名と受けとれるからといわれる{{要出典|date=2022年3月}}。
**この説の裏付けとして、武葉槌命を祀る大甕倭文神社(茨城県日立市)の『大甕倭文神宮縁起』からも武神であるむねを窺わせる内容が記されている{{要出典|date=2022年3月}}。
*2つ目は、織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説。これは、太陽が沈んでも空に星が残っている事を、どうにか出来ないものかと考えた上での苦肉の策だとされる{{要出典|date=2022年3月}}。
**日本書紀第九段一書(二)に「天に悪しき神有り。名を天津甕星(あまつみかほし)またの名を天香香背男(あまのかかせお)と曰う。請う、先ず此の神を誅し、然る後に下りて葦原中國をはらわん」。是の時に齋主(いわい)の神を齋之大人(いわいのうし)ともうす。とあり、日本書紀第九段本文と似た記述がある。これにより齋之大人=建葉槌命とみられ、齋主(祭祀)で征服したとある{{要出典|date=2023年3月}}ので上記の行為を齋主で行うことにより星神香香背男=天津甕星を征服したという説である。
他にも、香香背男側にいた建葉槌命を懐柔し味方に付け、内側から崩壊させた。などの説もある{{要出典|date=2022年3月}}。
== 関連項目 ==
* [[倭文氏]]
== 脚注 ==
{{DEFAULTSORT:あめのはつちおのかみ}}
[[Category:日本神話]]
[[Category:織神]]