差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
38 バイト除去 、 2025年1月19日 (日)
編集の要約なし
==社殿==
江戸時代前期に造営された本殿が二殿あり、蛭子命・八重事代主命・天穂日命を祀る北殿は一間社流造、建御名方富命・天照大神を祀る南殿は一間社春日造である。[[宝暦]]年間に造営された両殿に共有する割拝殿は入母屋造となっている。江戸時代前期に造営された本殿が二殿あり、蛭子命・八重事代主命・天穂日命を祀る北殿は一間社流造、建御名方富命・天照大神を祀る南殿は一間社春日造である。宝暦年間に造営された両殿に共有する割拝殿は入母屋造となっている。
境内末社に[[稲荷神|磐山稲荷社]]、[[八幡神社]]、白蛇社がある。境内末社に磐山稲荷社、八幡神社、'''白蛇社'''がある。
境内には、蛭子命が腰を掛けたと言われる大石が存在する。蛭子命が漂着されたと伝承される[[御旅所]]は[[石津川]]北岸の元海岸の地にある。境内には、蛭子命が腰を掛けたと言われる大石が存在する。蛭子命が漂着されたと伝承される御旅所は石津川北岸の元海岸の地にある。
鳥居の扁額は[[三条実美]]が参拝時に書いたとされている。鳥居の扁額は三条実美が参拝時に書いたとされている。
==祭事==
毎年、[[12月14日]]には「泉州の奇祭」と言われる「ヤッサイホッサイ祭り」と呼ばれる火祭が行われる。これは、往古蛭子命が漂着した際、付近の住民が篝火を炊いて迎えたと言う古儀に因む。毎年、12月14日には「泉州の奇祭」と言われる「ヤッサイホッサイ祭り」と呼ばれる火祭が行われる。これは、往古蛭子命が漂着した際、付近の住民が篝火を炊いて迎えたと言う古儀に因む。
願い事を書いた紙を貼った108束のご神木を参道に積んで神職が点火し、燃えて倒れた方角で吉凶を占う。東に倒れることを「おかましや」といい[[豊穣]]に、西に倒れることを「はまましや」といい豊漁になると言われる。次いで戎神に仮装した神人を3人の男衆が担ぎ、[[火渡り]]を3度繰り返し社地を3周する際に「やっさいほっさい」と言う掛声をする。戎神の火渡りが終わると参拝者たちが火渡りを行う。もみ消した灰や燃え殻は、歯痛などの痛み止めや厄除けになると信じられている願い事を書いた紙を貼った108束の'''ご神木'''を参道に積んで神職が点火し、'''燃えて倒れた方角で吉凶を占う'''。東に倒れることを「おかましや」といい豊穣に、西に倒れることを「はまましや」といい豊漁になると言われる。次いで戎神に仮装した神人を3人の男衆が担ぎ、火渡りを3度繰り返し'''社地を3周する'''際に「やっさいほっさい」と言う掛声をする。戎神の火渡りが終わると参拝者たちが火渡りを行う。'''もみ消した灰や燃え殻は、歯痛などの痛み止めや厄除けになる'''と信じられている<ref>合田一道『日本の奇祭』 青弓社、1996年。ISBN 4787231308、pp.213-219.</ref>。
なお、類似した名称の祭りとして、[[千葉県]][[木更津市]]で行われる「[[やっさいもっさい|やっさい'''も'''っさい]]」があるが、こちらは火渡り行事ではなく踊りであるため無関係である。
== 関連項目 ==
* [[ふとん太鼓]]
* [http://www.ioctv.zaq.ne.jp/izumiotsu-edc/ 泉大津市教育支援センター](旧「泉大津市立戎小学校」) - 当社より事代主命を「戎大明神」として勧請した場所で、後に小学校が建設された。現在小学校は他校と合併・移転し、「戎」は周囲の地名として残っている<ref>
泉大津の「最初の壇尻」考 - 「堺泉州」第10号</ref>。

案内メニュー