差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
224 バイト追加 、 2024年12月29日 (日) 00:42
袁邪本王は近淡海蚊野別の祖で末裔が蚊野に住して蚊野郷となる。一族に穴田君、熊取王、徳万君等がありこの末流が蚊野氏を称している、とのことである<ref>[https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=884 軽野神社 (カルノ)・蚊野]、滋賀県神社庁(最終閲覧日:24-12-25)</ref><ref>[https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=883 軽野神社 (カルノ)・岩倉]、滋賀県神社庁(最終閲覧日:24-12-25)</ref>。
「神社覈録」には、祭神詳ならず、或云、'''天稚彦'''。類社:伊豆國田方郡軽野神社、伊勢國度會郡蚊野神社、とのこと<ref>[http://engishiki.org/oumi/bun/oum220701-01.html 軽野神社]、延喜式神社の調査(最終閲覧日:24-12-25)</ref>。京都府亀岡市本梅町西加舎森ノ上に、加舎神社(かやじんじゃ)がある<ref>[http://kuchitanshrine.my.coocan.jp/kayajinja.html 加舎神社]、口丹波の社(最終閲覧日:24-12-29)</ref>。
まとめると'''彦坐王'''の子孫の'''白髪王'''の子孫の'''袁邪本王'''が'''淡海蚊野之別'''の祖先であり、'''軽我孫(かるあびこ)'''あるいは'''蚊野'''という姓を名乗って、それぞれ安孫子氏、蚊野氏を名乗った、ということになろうか。そもそも「軽我孫(かるあびこ)」という名が「かや の まご」という意味で、「軽野」も元は「かや」と読んだのではないか、と思う。すなわち、安孫子神社・軽野神社共に、もとは「かや(のまご) じんじゃ」という意味の名だったのではないだろうか。

案内メニュー