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1,404 バイト除去 、 2024年12月24日 (火) 14:26
後半:<blockquote>それから池の主の大蛇がなんの恨みがあったか、付近に仇するとの噂が伝わってきた。与保呂村の人々はいろいろと相談の結果、'''大蛇は殺してしまうほかはない'''、ということになった。しかし、その手段がなくて困っていたところ、一人の村人が「自分が見事に退治してみせる」といい、'''モグサで大きな牛の形を造り、その中に火を点じておいて池の中へ投げ込んだ'''。大蛇は好餌とばかりこのモグサの大牛を一口に呑み下した。モグサの火は次第に牛の体一面に広がり、大蛇が苦しみ出すと、空がにわかにかき曇り、'''豪雨が沛然と降り出した'''。大蛇が苦しんでもがき回り、のたうち回るにつれて池の水は次第に増し、洪水となって流れ出した。<br>大水の中に、大蛇の死体が見つかった。それが下手の岩の所に突き当たり、大蛇の体は三つに切断された。これは、おまつの化身だ、祟りだ、ということで、三つに切れた大蛇の頭部は奥の村の日尾神社('''日尾池姫神社''')に、胴のところは行永の橋付近の田んぼの中にあるどう田の宮(堂田神社)に、尻尾は大森神社([[弥加宜神社|彌加宜神社]])に祭った。大蛇の当たって切れた岩を蛇切岩と言った。<br>以来幾百星霜、与保呂村の境内に限って松の木が一本もない。それから日尾神社向こう側の山(宮山)の一部だけには、松の木がどうしても生えない。蛇切岩の割れ目の所に必ず姫蛇がいる。それがちょうど、天気予報のように、天候によって色を変える。晴れの日にはきわだって色が白く、雨の日には茶褐色を帯びるという<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608871911.html 丹後の原像【23.「蛇切岩」伝説 (舞鶴市与保呂) ~後編】]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。</blockquote>
 
==== 私的考察 ====
まとめれば
 
天日尾神:天照大御神・天道姫命・おしも([[下光比売命]])、(国日尾神:天火明神)、天月尾神:月夜見神・天香語山命・若者・火牛、国月尾神:豊受大神・おまつ(高日売)
 
となろうか。丹後の伝承の特徴は、誰か高位の女神(主に太陽女神)が下位の女神を人身御供や斎宮に選ぶ、という点にあると思う。おまつは姉だけれども、殺される女神([[保食神]]系の女神、[[吊された女神]])として選ばれ、おしもがそれを選んだ、と暗に意味を含むと解すべきか。ただし、そのような表現は避け、おまつが勝手に若者と恋中になったように書かれている。おしもとは[[下光比売命]]のことであり、[[養母としての女神]]であって、出雲の太陽女神と考える。
 
伊香保姫の説話([[意岐萩神]]の項を参照のこと)にも感じたが、物部氏、海部氏共に、「生き残った女神([[下光比売命]]的な女神)」に対する忠誠心が非常に強いと感じる。
 
「志楽郷」については、天地悠久氏の[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12406547624.html 考察]と同様、海部氏にとって丹後での「故地」とも言うべき重要な地だったのだろう、と考える。
=== 磯砂山 ===

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