** 大香山戸臣神(おほかぐやまとみ)
** 御年神(みとし)
* '''羽山戸神'''と'''[[大宜都比売|大気都比売神]]'''との間の子
== 古語拾遺における記載 ==
『古事記』には系譜以外の事績の記述がないが、『古語拾遺』には、[[大地主神]](おおとこぬしのかみ)の田の苗が御年神の祟りで枯れそうになったので、大地主神が'''白馬'''・'''白猪'''などを供えて御年神を祀ると苗は再び茂ったという説話がある<ref group="私注">動物の生贄を求める神であったことが分かる。</ref>。
平安時代初頭成立の『古語拾遺』に、御年神の祭式の起源説話が伝えられている。その伝承では、神代の頃、大地主神が耕作の日に'''牛肉を田人に食べさせていた'''ことを、御歳神が怒り、蝗を放ってその田を枯らす祟りを起こした。そこで、白猪・白馬・白鶏を献じて謝罪すると、御歳神がその災いを解く方法を教えたので、その通りに行うと、田は豊かに実った。これが、今の神祇官が白猪・白馬・白鶏によって御歳神を祭ることの起源である、という。この御歳神の祭祀は考古学的にも検討されている。群馬県前橋市の柳久保遺跡では、水田耕作に際して疫神を祟りを防ぐための祭祀をしたと推測される墨画土器や遺構が見つかっており、その状況が『古語拾遺』の御歳神の祭祀方法と酷似することが指摘されている。また、千葉県芝山町の庄作遺跡からは「歳神奉進」と書かれた墨書土器も見つかっていて、年神の祭祀が実際に各地で行われていたことをうかがわせる。ただし、これらを『古事記』の御年神と同一視できるかどうかは明確でない。
民俗的には、正月に家ごとに年神を迎えて祭る風習が全国に見られる。信仰のあり方は土地によってさまざまであるが、田の神の性格が認められる事例が多く見られ、農耕神として捉えられることに注意される。精霊的な農耕神であった原初の年神が元になって、人格神として成立したのが『古事記』の年神たちだとする説もある。
御年神の起源について、年神系の神を祭る神社の現在の分布を手がかりに、年神の信仰は弥生時代の北部九州から発生して列島に広がったと推定し、「御年神」という呼称を、畿内政権の祈年祭で祭る神の総称として起こったものとみる説がある。また、『古事記』の御年神は出雲の神々の中に系譜づけられているが、元来は大和の葛城の農耕神で、祟り神でもあったと考え、崇神朝頃、それを慰撫するために祈年祭が起こって御年神の祭祀が始まったとする説もある<ref>[https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/mitoshinokami/ 御年神]、國學院大學「古典文化学」事業 (最終閲覧日:24-12-14)</ref>。
== 来訪神 ==