差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
1,696 バイト追加 、 2024年12月17日 (火) 00:04
菟上王(うなかみのおう)は、「古事記」にみえる開化天皇の孫。
大俣王の子。比売陀(ひめだ)氏の祖。垂仁(すいにん)天皇の皇子で口のきけない[[誉津別命|本牟智和気王]](ほむちわけのおう)([[誉津別命]](ほむつわけのみこと))に随行して,兄の曙立王に随行して、兄の曙立王(あけたつのおう)と出雲(いずも)大神の参拝にいく。帰途,皇子が口をきいたので,よろこんだ天皇の命令で出雲にひきかえし,神殿をつくったという(出典 講談社デジタル版 大神の参拝にいく。帰途、皇子が口をきいたので、よろこんだ天皇の命令で出雲にひきかえし、'''神殿をつくった'''という(出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。
== 私的考察 ==
[[天甕津日女命]]と[[阿遅鉏高日子根神]]の子神といえば、[[鹽冶彦命]]と[[多伎都比古命]]である。いずれが「菟上王」に相応しいといえようか?
 
以下に挙げる立石神社・龍岩神社によれば、岩とは「'''死せる干ばつの疫神'''」と言えそうである。疫神だからこそ、祭祀で慰撫するなどの方法で鎮めれば干ばつが止み、雨が降るのだろう。立石神社の祭神は[[多伎都比古命]]なのだから、「'''死せる干ばつの疫神'''」とは[[多伎都比古命]]のことと考える。とすれば、疫神を鎮めた'''菟上王'''とは、[[鹽冶彦命]]のことと考えた方が相応しいのではないだろうか。[[鹽冶彦命]]は鹽冶神社において'''燒太刀天穗日子命'''と共に祀られており、'''[[鹽冶彦命]]'''とは'''(燒太刀)天穗日子命'''のことでもある、として良いと管理人は考える。菟上王が[[鹽冶彦命]]でもあり、'''天穗日子命'''でもあれば、彼が出雲大社にて出雲大神を祀り、子孫がそれを受け継ぐ、というのは自然な流れである。
 
また、「止屋の淵」の伝承にも「殺す神」と「殺される神」」が登場する。「殺す神」が[[出雲振根]](出雲臣の祖)であり、「殺される神」が弟の飯入根(出雲建)である。菟上王が[[鹽冶彦命]]であり、[[出雲振根]]であり、'''天穗日子命'''でもあれば、それぞれの神話は一致するし、同じ神話を皇室の系譜、賀茂氏の系譜、出雲国造家の3つに分けて、それぞれに接続できるようにしたものが、それぞれ菟上王、[[鹽冶彦命]]、天穗日子命だと考える。
=== 止屋の淵 ===
<blockquote>出雲大神の神宝を管理していた[[出雲振根]](出雲臣の祖)がいた。崇神天皇が「その神宝を見たい。」と述べ使者を遣わした。その時、[[出雲振根]]は留守だったので、弟の飯入根が独断で神宝を貢上してしまった。これを恨んだ[[出雲振根]]は、弟を止屋の淵に誘い出し「一緒に水浴をしよう。」と言った。そして弟よりも先に陸に上がると、弟をだまして斬り殺してしまった。</blockquote>
という話である。もしかしたら、これは[[鹽冶彦命]]の拠点で行われた事件とされているので、[[鹽冶彦命]]と[[多伎都比古命]]を置き換えたものかもしれない、と考える。っして、元は水に関わる人身御供の祭祀の話、あるいは縁起譚ではなかったか、とも思う。では、どちらが[[鹽冶彦命]]で、どちらが[[多伎都比古命]]に相当するのだろうか。を置き換えたものかもしれない、と考える。
=== 立石神社 ===
神が「岩」というのは、「死んでいる神」の暗喩と考える。[[多伎都比古命]]は雨か川に関する神で、誰かに殺されてしまった神ではないのだろうか。
 
=== 龍岩神社 ===
島根県邑智郡邑南町八色石にある神社。現在の主祭神は[[八束水臣津野命]]。[[八束水臣津野命]]が[[石見天豊足柄姫命]]に頼まれて、干ばつを起こす蛇神を退治し、蛇神は死して岩に変じた、といういわれがある。
== 参考文献 ==

案内メニュー