=== 広瀬大社・すなかけ祭 ===
広瀬大社とは、奈良県北葛城郡河合町川合にある神社。祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、櫛玉命(くしたまのみこと)(饒速日命のこと)、穂雷命(ほのいかづちのみこと)である。社家の樋口氏は'''物部氏'''の末裔とのこと。若宇加能売命(わかうかのめのみこと) は[[豊受大神|豊宇気比売大神廣瀬大社]]、宇加之御魂神と同神とされている。 祭典日は2月11日。午前の「殿上の儀」、午後の「庭上の儀」の2部に分かれている。「殿上の儀」では神社の屋内で田植えの所作を行って奉仕する。で2月11日に行われる田作りの祭祀である。
「庭上の儀」は、拝殿前に'''青竹を4本立て'''、注連縄を張り巡らして田圃に見立てる。太鼓の合図で'''田人(白い衣装)'''と'''牛(黒い衣装)'''が出て田植えの所作をした後、参拝者に砂を掛ける。それに対し参拝者が砂を掛け返し、この砂の掛け合いは1回5分程度で8回繰り返される。砂は雨になぞらえられ掛け合いが盛んであるほどこの年はよく雨が降り豊作となる、と言われている。また、降り注ぐ砂にかかると'''厄除けになる'''と伝えられている。この後、'''早乙女'''が登場し田植えを行うと庭上の儀は終了する。
最後に参拝者へ'''松苗'''と'''田餅'''が撒かれる。'''松苗は松の葉で作られ中に籾種が2・3粒入っており'''藁で巻かれている。これは'''田の水口(水の取り入れ口)に刺すと悪病、害虫、悪水などから田を守り'''ます。また家の玄関口に刺しておくと'''住居を厄災から護る'''のお守りともなう。田餅は、これを食べると無病息災で一年が過ごせる。
広瀬大社の砂かけ祭は、昔の田作りの模範田植えであり、砂を雨に見立てて雨水の恵みを乞い、農耕作業が順調に進み五穀豊穣を祈願するところに特徴がある、とのことだ[[廣瀬大社|広瀬大社]]の砂かけ祭は、昔の田作りの模範田植えであり、砂を雨に見立てて雨水の恵みを乞い、農耕作業が順調に進み五穀豊穣を祈願するところに特徴がある、とのことだ<ref>砂かけ祭について、広瀬大社HP(最終閲覧日:24-12-10)</ref>。
== 朝鮮 ==
=== 伏羲 ===
[[伏羲]]は、'''八卦を河の中から現われた龍馬の背中にあった模様から発明した'''と易学では伝承されており、これを「河図」(かと)と呼ぶ。[[伏羲]]は,書契をつくって結縄の政治にかえた。はじめて婚姻の制度をたて,一対の皮をたがいに交換するならわしをさだめた。漁猟を民に教えた。かくて,民はみな帰服(伏)したので,宓(伏)犠氏という。また,'''牛,羊,豕などを家畜として養い'''、'''それを庖厨で料理して,犠牲として神祇や祖霊をまつった'''。それゆえに[[伏羲は、'''八卦を河の中から現われた龍馬の背中にあった模様から発明した'''と易学では伝承されており、これを「河図」(かと)と呼ぶ。伏羲は,書契をつくって結縄の政治にかえた。はじめて婚姻の制度をたて,一対の皮をたがいに交換するならわしをさだめた。漁猟を民に教えた。かくて,民はみな帰服(伏)したので,宓(伏)犠氏という。また,'''牛,羊,豕などを家畜として養い'''、'''それを庖厨で料理して,犠牲として神祇や祖霊をまつった'''。それゆえに庖犠ともいう。|庖犠]]ともいう。
== 私的考察 ==
大洪水の神話は、本来「大洪水」ではなくて「火山の噴火」になぞらえた、[[黄帝]]と[[炎帝]]の争いの神話だったと考える。バロンが細かな石をばらまくのは、火山岩や火山礫がまき散るさまをあらわしていたのではないだろうか。ただし、下諏訪や奈良盆地の近くに目立つ火山はない。本来モデルになった火山は、'''雲南省の騰冲火山群'''ではないだろうか。
火山を爆発させる「火の神」が炎帝で、それを鎮める「水の神」が黄帝である。ただし、朝鮮の神話では女神が火山を鎮めている。「火の神」の母か妻の女神と思われる。
「'''臼'''」というアイテムが多くの話で登場するが、「石」とは「亡くなった人」の象徴でもある。「'''臼'''」というのは2つの石がぴったり合わさって機能するものなので、「'''仲睦まじい夫婦'''」の象徴でもあるし、先祖のことも指すと思われる。この場合は、先祖の[[黄帝]]とその妻のことと考える。下諏訪の「じいっj
[[伏羲]]の事績は、「'''祭祀・占いを確立した'''」点で、[[チャンヤン]]の事績と重なる点があるように思う。また[[チャンヤン]]神話の最後に出てくる[[牛殺しの刀]]とは漢字で「'''物'''」という字なので、これは物部氏の創設の神話のようにも管理人には感じられる。
結局、火山に関する神話が何故「大洪水」の話になってしまったかというと、「良き水神」であった「'''黄帝'''」を'''洪水を起こす「悪い水神=雷公」にしたくて'''、中身を変えてしまったのではないだろうか。
=== 広瀬大社の祭祀について ===
ミャオ族の神話になぞらえれば、田人(白い衣装)が[[アペ・コペン]]([[黄帝]])、牛(黒い衣装)が雷神([[炎帝]])あるいは[[ダロン]]([[伏羲]])、早乙女が[[バロン]]([[女媧]])ということになろう。神社の祭神からみれば、'''田人(白い衣装)は櫛玉命(くしたまのみこと)(饒速日命)'''、'''牛(黒い衣装)が穂雷命(ほのいかづちのみこと)'''、'''早乙女が若宇加能売命(わかうかのめのみこと)'''である。互いに砂をかけあうのは、雨というよりも、火山の噴火(暴れる雷神)と、それを鎮めようとする田人との戦いの再現と考える。田人と牛神の両方が争いながらも、拮抗を保って共に農耕に励むことが豊穣につながる、という思想かと思う。
[[壮族]]の文化にも牛を大切にする祭祀がある。炎黄並び立つことを理想とする、まるで'''[[河姆渡文化]]'''あたりを起源にしたような神話世界と考える。
田や家の厄払いのアイテムとなる「'''松苗'''」とは、「'''松の葉で作られ中に籾種が2・3粒入っており藁で巻かれている'''」とのことである。これは「楓香樹(松、[[黄帝]])の中に入っているメイパンメイリュウ(籾種)[[女媧]]」のこと、すなわち、'''饒速日命という松の中にいる、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)という籾種'''のことと考える。この一致性からいけば、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)とは、饒速日命の娘神という位置づけで良いかと思う。女神の名に「'''若'''」と入っているところが、「非業の死を遂げた女神」であることをかすかに感じさせて悲しいが、この父娘の2神が「厄払いの神」であったことがしっかりと示されていて良いと思うし、個人的にはうれしいことと思う。
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<caption>比較表</caption>
<tr>
<th></th><th>父親(黄帝型)</th><th>父親(植物)</th><th>娘(女媧型)</th><th>娘(植物型)</th><th>婿</th>
</tr>
<tr>
<th>ミャオ族神話</th><td>アペ・コペン</td><td>楓香樹・竹</td><td>バロン・ニャンニ</td><td>メイパンメイリュウ</td><td>ダロン・チャンヤン</td>
</tr>
<tr>
<th>広瀬大社</th><td>饒速日命(田人)</td><td>松の葉</td><td>若宇加能売命(早乙女)</td><td>籾種</td><td>穂雷命(牛)</td>
</tr>
<tr>
<th>賀茂系</th><td>賀茂建角身命</td><td>(烏)</td><td>玉依姫命</td><td></td><td>火雷命</td>
</tr>
<tr>
<th>岩見物部氏</th><td>[[八束水臣津野命]]</td><td></td><td>[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命]]</td><td></td><td>干ばつの蛇神</td>
</tr>
<tr>
<th>丹後海部氏</th><td></td><td></td><td>豊受大神(亀比売)</td><td></td><td>水江浦嶼子・月読命</td>
</tr>
<tr>
<th>諏訪金刺氏</th><td>出早雄命</td><td></td><td>会津比売神</td><td></td><td>意岐萩神or武五百建命</td>
</tr>
</table>
表にして、なんとなくまとめてみました。長野県は神々の書き換えが非常に激しいので1例のみ挙げてみました。会津比売神は全国的に見ればローカルな女神ですが、長野市篠ノ井、川中島には彼女の名前にちなむ地名がいくつかあり、往古は重要な女神であったと思われる。人身御供で有名な'''悪名高い'''女神だったとみえ、夫とされる武五百建命と併せて群馬(上野)にはかなり非難めいた伝承があるように思う。
[[伏羲]]の事績は、「というか、「'''祭祀・占いを確立した小萩'''」点で、[[チャンヤン]]の事績と重なる点があるように思う。(意岐萩神の別名)」というと、丹後海部氏では女神の名になっているのだが。元々は女神だったのだろうか。信濃金刺氏は神々の書き換えをどこまでやれば気が済んだのか、と感じる案件である。
== 参考文献 ==
[[Category:伏羲型神]]
[[Category:伝承列伝]]
[[Category:松]]
[[Category:臼]]